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第百三十二話 「恐怖」


「……まぁた魔獣に見つかっちまったなぁ」


 灰色髪の焼け肌の女は、こちらを見るやうんざりしたように顔をしかめる。

 それに対して、槍を携えている華奢な男が、掛けている眼鏡を直しながらため息交じりにぼやいた。


「だから言ったではないですか。下手に侵域に侵入すれば、余計なトラブルに巻き込まれると」


「でもハギたちだって最初は乗り気だったじゃねえか。あの生意気な底辺冒険者たちの死に様が見られるって言ってよぉ。ミモザなんか超ノリノリだっただろ」


 そう話を振られたのは、派手な装飾品をあちこちに身につけている赤紫髪の少女だった。

 仲間の一人であるその少女は、爪の先をいじりながら膨れっ面で返す。


「だってあいつら超ムカついたんだもんっ。無名のくせに粋がっちゃってさっ。だから死に様だけでも見てやろうって思ったのっ」


「しかし結局、口だけではなく彼らはそれなりに強かった。呪葬樹の破壊も滞りなく進んでいます。……対してこちらは、エリンジュが楽しそうに魔獣を痛ぶっている間に、彼らを見失ってしまうと」


「だぁからっ! それは悪かったって何回も言ってんじゃねえかよぉ!」


 ここまでの話だけでは、いまいち状況を飲み込むことはできなかった。

 ただ、どのような目的があろうと、ガルゥにとっては縄張りに侵入して来た外敵に違いない。

 ガルゥが首を回して肩を慣らしていると、連中のうちの一人の巨漢が、灰色髪の女に低い声で言った。


「獲物を痛ぶる、エリンジュの悪い癖。反省しろ」


「はいはい、わかったわかった! ならウチがこの狼男を片付けて、さっさとガキどもを見つけりゃいいって話だろ」


 そう言って、焼け肌の女は背中の大剣を構える。

 すると他の連中もその闘志に呼応するように、各々の武器を構え始めた。


「いいえ、ここは全員でかかりましょう。その方が断然早い」


「私もムカムカしてきて暴れたくなってきたからっ、もちろん混ぜてもらうわよっ」


「魔獣は、根絶やし」


「……」


 四人の冒険者から一斉に武器の矛先と敵意を向けられる。

 圧倒的な優勢に立っているからか、エリンジュと呼ばれた女性冒険者は勝気な笑みを深々と浮かべた。


「つーわけで狼さん、悪いがここで死んでもらうぜ」


 その声と共に、派手な装飾女が動き出す。


「ラパンド、あれ行くよっ!」


「おう」


 合図を受けた巨漢は、両手に持っていた大盾を地面に突き立てて、低い声で唱えた。


「【岩殻(ロックシェル)】!」


 ズンッ! と足元に衝撃が走る。

 直後、ガルゥの周りの地面から、岩の壁が突き出してきた。

 それは卵の殻のように形を変えていき、ガルゥの周囲を覆い尽くそうとする。

 そして天井が閉じる寸前、上空に装飾品だらけの少女冒険者が見えた。


「【爆種(フラムシード)】」


 少女の手から赤色の光の玉が十数個ほど放たれて、岩の殻の中に放り込まれる。

 そのタイミングで殻が閉じると、密閉された空間で大爆発が巻き起こった。

 衝撃を余すことなく受けたガルゥは、あまりの威力に岩の壁を突き破りながら上空へ打ち上げられる。

 そこに息つく暇もなく、エリンジュとハギが追撃をして来た。


「うらあっ!」


 大剣と槍が同時に振り下ろされて、ガルゥの肉体に強烈に叩きつけられる。

 吹き飛ばされたガルゥは高速で後方の大木に打ちつけられて、土煙の中に姿を消した。

 その様子を見ていた四人は薄ら笑みを浮かべながら、その顔を見合わせる。


「やっぱ大したことねえな、この森の魔獣はよ。ウチらに任しときゃ、すぐに森王軍なんか壊滅させてやるっていうのに」


「報酬金出し渋ってるっていうか、あれ完全に私らに手柄を横取りされたくないからだよねっ。冒険者に国を救われたら王国軍の面目丸潰れだしっ」


「変な意地を張らずに、僕たちに討伐依頼を託していればラティス王国も助かったというのに」


 次いでエリンジュが、背中を伸ばしながら欠伸交じりに続ける。


「あーあ、なんかメンドーになってきたなぁ。いっそのこと、あのガキどもよりも早く“森王ガルゥ”をぶっ殺して、手柄を横取りしちまった方が楽しいかもなぁ」


 という、余裕綽々なエリンジュの台詞に対して……

 森王ガルゥは、彼女のすぐ真後ろで、低く囁いた。


「へぇ、ならやってみせてくれよ」


「――っ!?」


 四人はすかさず飛び退り、咄嗟にガルゥから距離を取る。

 突然のことに驚愕したのか、彼女たちは額に脂汗を滲ませながら、目を開いてガルゥを見据えた。


「む、無傷……だと?」


「確かに、手応えがあったはずですが……」


「おいおいまさか、たったあれだけのことでオレを倒せるとでも思ったのかよ。そりゃさすがに心外だな」


 並の魔獣だったら、確実に仕留め切れていたはずの連携。

 だというのに目の前の獣人の魔獣は、無傷で立ち上がり、あまつさえその頬に不気味な笑みをたたえている。

 その事実を受け入れることができず、エリンジュたちは言葉を失くして立ち尽くしていた。

 やがてエリンジュが、何かに気付いたようにハッと息を呑む。


「お、お前まさか…………森王ガルゥ!?」


「ハハッ! 気付くの遅えっつーの! オレってまだそんなに威圧感とかねえかな」


 遅まきながら目の前にいる魔獣が、この侵域の主である森王ガルゥだと気が付いて、四人は慌てた様子で身構えた。

 その反応を受けて、ガルゥは密かにため息をこぼす。

 ガルゥはあまり表に出ることがないため、姿を知らない人間も多い。

 そのため一眼見て気付かれることがないのは当然なのだが、ガルゥにとってはそれが何よりも不満だった。

 竜王ドランならば、姿を知られていなくとも気迫と威圧感のみで相手を畏怖させる。

 自ら名乗り上げることはなく、恐怖という感情をぶつけるだけで認知をされるような規格外の存在。

 そういう魔獣を目指しているガルゥは、改めて自らの未熟さを自覚した。


「まあ、だったら……」


 ガルゥは獣の脚に力を込めて、ぐっと地面を踏みしめる。

 刹那、その場から消え去り、立ち尽くす四人の間に唐突に現れた。


「直接その体に、刻み込んでやるよ」


「――っ!?」


 瞬間、ガルゥの右脚がエリンジュの腹部にめり込む。

 目にも留まらぬ速さで吹き飛ばされたエリンジュは、後方の木々を薙ぎ倒しながら森の陰に消えていった。


「エリンジュ!」


 ミモザの悲鳴にも似た声が森に響く。

 彼女は憤りを覚えたように目を釣り上げて、両手をガルゥの方に向けた。


「このっ……! 【爆種(フラムシード)】!」


 ミモザの両手から、先刻に見た赤い光球が飛来する。

 先ほどよりも数が多い。殺傷能力が遥かに向上した一撃。

 だが、ガルゥはまるで動じることなく、自ら赤熱の光球に突っ込んで行った。


「なっ――!?」


 ドドドンッ! と光の玉が炸裂する音が何度も鳴り響き、爆風と衝撃が周囲に四散する。

 無論、ガルゥの肉体には擦り傷の一つも付いておらず、瞬く間にミモザの懐まで肉薄した。


「【岩崖(ロッククリフ)】!」


 その時、端から接近していた男二人が、ミモザを守るべく動き出す。

 眼鏡の槍使いハギは、こちらからミモザを遠ざけるように彼女を抱えて飛び退り、盾持ちの巨漢ラパンドは開いた間合いに岩の壁を設置する。

 ミモザ、ハギ、ラパンドの三人と、岩壁を挟んだ形で対峙したガルゥは、その陰で静かに笑みを浮かべた。


「無駄だっての」


 ガルゥは右拳を握りしめて、岩の壁に近づける。

 次いでそのまま殴りつけるのではなく、中指を親指に引っ掛けて、デコピンの要領でパチンッと弾いた。


 ドゴッッッ!!!


 その指の衝撃だけで、岩の壁が爆発したように砕け散る。

 さらにはその奥にいた三人の冒険者も、ただの衝撃波だけで後方へと吹き飛んだ。

 指を弾いただけでこの威力。

 想定外の強さに、地面に倒れている三人は思わず怖気立つ。

 その時――


「ら……あああぁぁぁ!!!」


 いつの間にか起き上がって来たエリンジュが、額から血を流しながらもガルゥに向かって斬りかかった。

 雄叫びを上げながら大剣を振りかぶり、横からガルゥの“首元”を目掛けて一閃する。

 殺意のみが込められたその一撃は、轟々とした風切り音を上げながら、的確にガルゥの喉元に吸い込まれていった。


 ガンッ!!!


「…………はっ?」


 ガルゥはその一撃を、防ぎも避けもしなかった。

 むしろ狙われた首を差し出すように喉を前に出して、エリンジュの大剣をあろうことか……“喉”で受け止めていた。

 傷一つ付いていない。薄皮一枚切れていない。どころか斬りつけたエリンジュの手の方が、衝撃によって激しく痺れている。


「な……なんだよ……これ……」


「だから言っただろうが。無駄だってな」


 絶望のあまり立ち尽くしているエリンジュの首を、閃くような速さで掴み取る。

 驚異的な怪力で、逞しいエリンジュの肉体を易々と持ち上げると、首を締め上げられた彼女は呻き声を漏らした。


「が……ああっ……!」


 仲間が目の前で苦しめられているが、残りの三人は絶望のあまり地べたに根を張っている。

 三人には、先刻の光景があまりにも衝撃的に映っていた。


「エリンジュの、あの一撃を……」


「何よ……何なのよこいつっ……!」


「強、すぎる……!」


「……」


 強い。

 その言葉を聞いて、ガルゥは脳裏に一人の魔獣の姿を思い浮かべながら、ぼそりと呟いた。


「……違うんだよなぁ。オレが求めてる“強さ”ってーのは、こういうことじゃねえんだよなぁ」


 あの日に見た竜王ドランの恐怖を、ガルゥは今でも忘れられずにいる。

 あの、目の前に立たれているだけで萎縮してしまうような気迫と威厳。

 立ち向かうことすら躊躇われるような、圧倒的な恐怖と絶望感。

 戦って初めてわかるような曖昧な力ではなく、戦う前から相手を畏怖させる絶大な力。

 それこそがガルゥの求めている“本当の強さ”だった。

 それほどの力はまだないのだと、今一度痛感したガルゥは、改めて目の前の人間たちに恐怖を刻み込むために笑う。


「知ってっか。魔獣には、オレら上位種にだけ許されてる“特別な力”があんだよ」


「特別な、力……?」


 エリンジュは首を締め上げられながら、ガルゥのその一言に疑念を抱く。

 長らく魔獣との戦いを続けてきたエリンジュでさえも、そのような話は聞いたことがなかった。

 その言葉が偽りではないと証明するかのように、ガルゥは力を解放する。


「【本能解放(リベレーション)】!」


 瞬間、ガルゥの半人半獣の肉体が、唐突に変貌を始めた。

 限りなく人に近かった風体が、徐々に獣さを帯びていく。

 手足の獣毛は次第に人間に近かった部分を覆っていき、獣の姿へと大幅に近づけた。

 これが上位種の魔獣にのみ許された力――【本能解放(リベレーション)】。

 内に秘められた本能を解放することで、肉体を変質させて、身体能力を大幅に強化することが可能な奥義だ。

 顔と腹部以外を完璧に獣化させたガルゥは、湧き水のように溢れてくる力に笑みを抑え切れず、さらにエリンジュを強く締め上げる。


「あっ……! ぐああっ……!」


「エリンジュ!」


 ここでようやく、倒れていた仲間の三人が動き出す。

 苦しむエリンジュを助けるべく、武器を持って果敢に立ち向かおうとするが……


「動くんじゃねえッ!」


 ガルゥが強く睨みを利かせた瞬間、三人の体はまるで石のように“硬直”した。


「から、だが……!」


「うご、かないっ……!」


 ガルゥの魔獣としての特性の一つ。

 魔獣は体内に宿されている魔力を消費することで、超常的な現象を引き起こすことができる。

 それは天上の神から天職を授かった人間が、当たり前のように使っている“魔法”と似たようなもの。

 口から火を吹いたり、一時的に身体能力を向上させたり、体から毒液を発生させたり……

 そしてガルゥの持つ魔獣特性は、視界に捉えた者を強制的に“行動不能”にするというものだった。


「い、今まで、本気じゃなかったのか……!」


「ハハッ! 笑わせんな! てめえら、人間にしちゃそれなりにマシな方みてえだが、それでもオレにとっちゃただの退屈しのぎのおもちゃと変わんねえよ」


 その気があれば、すぐにでもこの場にいる全員を皆殺しにできた。

 しかしそうしなかったのは、ただ退屈を紛らわせるため。

 少しでも長く遊びを続けるために、本能解放(リベレーション)も魔獣特性も使うことをしなかったのだ。

 使ったらその時点で、この遊びは終わっていたから。

 そしてガルゥは退屈しのぎの遊びを終わらせるべく、右手でエリンジュを掲げ上げて、左手の爪を構える。

 鋭い爪の先が、エリンジュの目に向けられて、彼女は声を震わせた。


「こ、この、化け物が……!」


「化け物? あぁ、そりゃ最高の褒め言葉だッ!」


 ガルゥは左手を振りかぶり、エリンジュの目に爪を突き刺そうとした。

 刹那――




「…………あの」




「――ッ!?」


 唐突に、凍てつくような空気が、辺りを支配した。

 寒気にも似た強烈な圧を感じたガルゥは、思わず全身の毛を逆立てる。

 刺されるような威圧感。背中にのしかかってくる重圧な空気。久しく蘇る強烈な“恐怖心”。

 何者かの気配を察したガルゥは、息の仕方を思い出すように浅い呼吸を繰り返しながら、かつてのあの光景を脳裏に浮かべる。


(この、感覚は……!)


 あの時と同じ……

 初めて恐怖を感じた時と同じような……

 最古にして、最恐の魔王と恐れられている、あの暴力の権化と対峙した時と同じような……

 そこにいるという事実だけで、絶望的な恐怖を感じさせられる、あの時と同じような……

 ここにいるわけがない。あの規格外な存在が。魔獣の頂点に君臨するあの化け物が。


(竜王……ドラン!)


 絶対的な絶望感に支配されながら、ガルゥは青ざめた顔で気配のする方を振り返った。

 彼の瞳に、恐怖心と威圧感の正体が映る。


「そこで、何をしているんですか?」


「……」


 それは、赤い髪を靡かせる、人間の少女だった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 弱者をなぶり殺すのが好きなもの同士が集まり、圧倒的強者が横からサクッと潰すの好き。
[一言] ついに来た! 逆転のターン!
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