第百三十話 「冒険者」
振り返るとそこには、肌が焼けた大柄な女性がいた。
灰色の長髪に活発的な印象を受ける顔つき。
鍛え抜かれた肉体は屈強で、軽い鎧をまとった背中には相応な大剣を背負っている。
年齢は僕とそれほど違わないだろうか。
後ろには二人の男性と一人の女性が控えていて、おそらく彼女の仲間だと思われる。
この人が現れた途端、青年兵士が顔を引き攣らせたのだが、いったい彼女は何者なんだろうか?
「……また来たのかエリンジュ。お前たちには頼まないと何度言ったらわかるんだ」
青年兵士はあからさまに嫌悪感を醸し出しながら、エリンジュと呼んだ女性の方を振り返る。
するとエリンジュはやれやれと言わんばかりの表情で肩をすくめた。
「もういい加減に認めたらどうだよ。自分らの力だけじゃ国を守れねえってよ。ウチらの力を借りなきゃ、ラティスが崩壊しちまうぜ」
「……っ!」
青年兵士は悔しそうに歯を食いしばる。
今の会話からでは話の内容がいまいち理解できず、僕たちは揃って首を傾げることしかできなかった。
直後、エリンジュの視線がこちらに留まり、足早に駆け寄って来る。
「あっ、お前たちも冒険者だろ? なあなあちっと聞いてくれよぉ」
次いで彼女は僕の肩に腕を回してきて、めちゃくちゃ近い距離で話を進めてきた。
「あのなぁ、せっかくウチらが好意で助けてやろうって言ってんのに、こいつらまったく聞く耳なくてよぉ。これでもウチらラティス随一の冒険者パーティーって言われてんのにさぁ」
ラティス随一の冒険者パーティー。
それが事実ならば、戦力を渇望している王国軍にとっては、とてもありがたい存在なのではないだろうか。
それでも聞く耳を持っていないということは、彼女たちへは協力を申し出ていないということ。
どうして王国軍は、この人たちに討伐作戦の応援を頼まないのかな?
と、思っていたら……
「お前たちが無茶な契約書を提示してくるからだろう!」
「契約書?」
「王国に仕えてる王国軍様なんだからよぉ、無茶ってことはねえだろ! 国を救うためだったら、これくらいの条件は簡単に呑めると思うけどなぁ」
エリンジュはそう言いながら懐から一枚の紙を取り出して、肩を組んでいる僕に見せてくる。
瞬間、その内容に目を通した僕は、衝撃的すぎるあまり瞳を点にしてしまった。
簡単に要約すると、今後の冒険者活動における資金的な援助を、国に確約させる契約書だった。
それも、相当法外的な額を。
というか、子供の落書きとも思えるような、なんとも馬鹿げた金額になっていた。
「ウチらだって命賭けるからにはよぉ、これくらいの褒美を用意してもらってもおかしくはないんじゃねえのか? むしろこれでも大安売りな方だと思うけどなぁ」
エリンジュは卑しい笑みをその頬に浮かべる。
それに釣られるようにして、彼女の仲間たちも不敵な笑い声を漏らしていた。
冒険者活動における資金的な援助。
褒美としてそれを求めること自体は、別におかしいことではない。
しかし金額があまりにも桁外れで、それこそ冒険者活動など継続しなくとも一生を終えられるくらいの額がそこには記されていた。
おそらくまあ、こいつらは今回の事態に乗じて国に無茶な契約を結ばせて、今後は遊んで暮らしたいと思っているのだろう。
かなりあくどい冒険者たちということだ。
「お前らだって報奨金目当てで討伐作戦に参加しに来たんだろ? だったらこうして契約書を書かせねえと、あとで踏み倒されて痛い目見ることになるかもしれねえぞ」
「そ、そのようなことは断じてしない! 討伐作戦に協力してくれた者たちには、正式に報酬を受け渡すつもりでいる!」
青年兵士は申し訳なさそうにしながら、弱々しく続けた。
「過去に何度か持ち逃げされたことがあるため、後からの受け渡しにはなっているが、それを約束する書類もこちらで用意してある。だから別途そちらで契約書を準備する必要はないんだ。希望があればなるべくそれに応じるように国王様からも命を受けてはいるが、その額はあまりにも……」
「おいおい、言っただろうが。こっちは命を賭けて討伐作戦に参加してやるってよ。それに国の危機ならよ、金なんて出し渋ってる暇ないんじゃねえのか?」
後方の仲間たちも同調するように頷いている。
次いでエリンジュは、弱気になりつつある青年兵士に追い討ちをかけるように前のめりに続けた。
「ま、ウチらは別に構いはしねえぜ。このままラティス王国が潰れようがどうなろうがな。他の国に移って冒険者稼業を続けりゃいいだけだしよ。だが国を守る使命を背負ったあんたらは、何がなんでも戦力を掻き集めなきゃいけねえ状況なんじゃねえのか?」
「……」
自作の契約書をこれ見よがしに突き出しながら、青年兵士に詰め寄って行く。
「だ、か、らっ! これに署名しろよ兵士さん。【暴虐将】エリンジュ様の力を借りたくねえのかよ? 見たとこあんた、こん中でもかなり偉い方なんだろ? なら国王様にもそれなりに話は通せんじゃねえのか?」
最後にエリンジュは、青年兵士の良心につけ込むようにして、耳元で低く囁いた。
「それとも何か? 兵士さんたちは、この国と国民たちを見捨てるつもりってわけじゃあ……ねえだろうなぁ?」
顔を青ざめて冷や汗を滲ませる兵士さんと、にやけ笑みの女性冒険者。
そこに近づく“小さな人影”が一つ……
「うわぁ、汚い字ねぇ」
「あっ?」
気が付けば、コスモスが女性冒険者から契約書なる紙を取り上げて、それをじっと眺めていた。
少し目を通して気が済んだのか、コスモスはその紙を両手で持って前に掲げる。
直後、彼女はなんとも信じがたい行動に打って出た。
ビリビリッ!
「…………はっ?」
エリンジュの目の前で、青年兵士に突きつけていた契約書を、豪快に“引き裂いた”。
ひらひらと半分に千切れた紙が地面に舞い散る。
「……な……な……何しやがんだてめえ!?」
「何って、子供の落書きを破り捨てただけよ」
コスモスが澄ました顔でそう言うと、エリンジュは遅れて額に青筋を立てた。
「こ、この、クソガキがァ……!」
次いでコスモスに詰め寄ろうとした瞬間――
今度は横からローズが割り込んで、コスモスを庇うように立ち塞がった。
彼女から放たれる異様な迫力に気圧されたのか、エリンジュは足を止めて息を呑む。
兵士さんに対して無茶な要求を呑ませようとするエリンジュたちに、二人は相当憤りを覚えたみたいだ。
するとローズは、コスモスの意思を代弁するようにしてエリンジュに告げた。
「森王軍と霊王軍は、私たちが倒して来ます」
「はっ……?」
エリンジュだけではなく、話を聞いていた彼女の仲間たちや兵士さんたちも、目を丸くして驚いていた。
しかしローズとコスモスは冗談のつもりではなく、終始真面目な表情を貫いている。
「て、てめえらみてえなガキどもに何ができるってんだ……! ろくに顔も知られてねえ底辺冒険者のくせしやがって」
エリンジュは自作の契約書を破られたことと、年下の少女に楯突かれたことに腹を立てているのか、声を激しく荒らげる。
「もうこの国は滅亡の手前まで来てんだよ! ウチらの手を借りるしか生き残る道はねえんだ! ならウチらにどれだけの金を要求されたって、文句は言えねえはずだろ!」
この国が滅ぶ間近で、軍が戦力を欲しがっているのは事実。
しかしだからといってどんな要求でもしていいというわけではないはずだ。
ましてやあんな中堅国の国家予算並みの資金援助なんて、いったい誰がそんな条件を呑むというのだろうか。
「そこで好きなだけ吠えてなさいよ。あんたらが口先だけで威張ってる間に、私たちがすべて片をつけてあげるから。当然“無償”でね」
「……」
エリンジュたちが放心する中、次いでネモフィラさんが青年兵士さんのところに歩み寄って、優しく言い聞かせる。
「だから、人を惑わすような言葉には、絶対に騙されないで。私たちが必ず、森王軍と霊王軍を倒して来るから」
「あ、あなたたちは、いったい……」
自信満々に振る舞う少女たちの姿を見て、傷付いている兵士さんたちは戸惑ったように顔を見合わせていた。
誰も、彼女たちが森王軍と霊王軍を倒す姿を、まるで想像できていない様子だ。
しかし僕の脳裏には、この国を救った英雄として称えられている彼女たちの姿が、容易に浮かんでくる。
「……ハ、ハハッ! やれるもんならやってみろよガキども。どうせてめえらじゃ幹部連中にすら敵わずにぶっ殺されるだろうがな!」
かくして僕たちは、傷付いたラティス王国軍の意思を受け継ぐようにして、森王軍の侵域に侵攻することになったのだった。
……ていうか、三人が頼もしすぎて、僕がかっこつけられる瞬間が一度もなかった。