第十三話 「育成師の本気」
まず先に、ローズが巨大な蟻型魔獣に斬りかかっていく。
僕はその後ろを追随し、いつでも彼女の援護ができるように控えることにした。
すると主の危機をいち早く感じ取ったのか、広場の横の穴から一匹の蟻型魔獣が飛び出してきた。
帝蟻ほど大きくはないが、その分素早い厄介な魔獣――兵蟻。
索敵魔法によって事前に位置を察知していた僕は、遅れずに右手のナイフを構えて、ローズに噛みつこうしているそいつを斬りつけた。
「ギギギッ!」
固い体に覆われていた兵蟻だが、柔らかい関節部をナイフで一閃したので、容易く刃が通った。
それにより蟻の手足が千切れて、隙だらけになった首元に止めの一撃を食らわせる。
なんとかローズへの攻撃を阻止することができたが、またすぐに逆の方の穴から兵蟻の気配を察知した。
「――っ!」
無言の吐息を迸らせて、僕は地面を全力で蹴飛ばす。
出てきたばかりの兵蟻に、瞬く間に肉薄すると、再びナイフを構えて斬りつけた。
「はあっ!」
一撃、二撃、三撃。高速で腕を振って三回斬りつける。
武器強化によって鋭さを増したナイフが、兵蟻の手足を素早く斬り裂いた。
すぐに二体目を倒した後、視線を巡らせて次なる標的を探す。
見ると、すでにローズと帝蟻は戦いを始めていて、その周囲から三体の兵蟻の気配を感じた。
「くっ――!」
すぐに気配を感じ取った場所に移動して、顔を覗かせた瞬間にナイフで斬っていく。
ローズの戦いの邪魔をさせるわけにはいかない。
このままローズが帝蟻と一対一で戦えるように、兵蟻を一匹も近づけさせるな。
周囲から感じて取っていた気配に従い、すぐに三体の兵蟻を倒すと、時間を開けずにまた次の兵蟻の気配を感じた。
支援魔法により敏捷性が強化されているので、気配を察知した瞬間に動き出せば間に合う。
でもかなりぎりぎりだ。
一手でも僕がしくじったら、そこで遅れが生じて総崩れすることになってしまう。
だから僕は正確に兵蟻の位置を気取り、出没した瞬間に素早く首を落としていく。
「速く……! もっと速く……!」
ローズには伝えていなかったけれど。
帝蟻を守護するために常駐している兵蟻は……
基本的に、およそ“三十体”いると聞いている。
いくら勇者パーティーで活動していた、元一級冒険者だからって、僕の天職は非戦闘系の育成師だ。
本来なら三級以上の冒険者たちで構成したパーティーで、慎重に巣の攻略をするのが定石の中、育成師一人ですべての兵蟻を処理するのは厳しすぎる。
かといってヒューマスの町から援軍を頼もうにも、ほとんどが駆け出し冒険者なので力が不足している。
何よりローズの成長のためだけに力を貸してくれる当ては、情けないことに一つもない。
おまけに時間もないと来たら、僕一人で兵蟻の処理をするしかなくなるじゃないか。
「う……らあっ!」
だから正直嫌だったのだ。
帝蟻狩りはたくさんの神素を得られる代わりに、兵蟻処理がとんでもなく面倒だから。
それに僕の負担がとんでもなく重くなってしまう、ということ以外にも、僕のミスでローズを危険に晒してしまう可能性もあったから。
でも、彼女を成長させるには、これ以外に選択肢がないと思った。
そう思う根拠は、帝蟻から得られる莫大な神素量にある。
【種族】帝蟻
【ランク】B
【神素取得量】25000
僕の神眼のスキルは、視界に捉えたものからあらゆる情報を読み取ることができる。
人間の天啓はもちろん、薬草や鉱石の情報、そして魔獣の詳細も。
だから魔獣の種族名も、危険性を示したランクも、討伐した際に得られる神素量だって僕は可視化することができるのだ。
ちなみに火鹿の詳細はこんな感じである。
【種族】火鹿
【ランク】E
【神素取得量】2000
二つを比べてわかる、帝蟻から得られる莫大な神素。
その数値、およそ火鹿の十倍以上。
神眼のスキルを持っている僕だけが、こうした効率のいい魔獣を知っている。
これに初討伐分の上乗せと、育成師の応援スキルが合わせれば、成長が滞っているローズでも飛躍的な成長が見込めると思ったのだ。
「うっ――!」
その障害となる兵蟻を片づけるべく、僕は奔走する。
だが、立て続けに現れる兵蟻に体力を削られて、いよいよ一手が遅れてしまった。
一体の兵蟻を相手に手間取っている隙に、地面から新たな一体が這い出てきて、主と戦っているローズに牙を剥く。
「とど……けぇ!」
僕は目の前の蟻を片づけるや、すかさず右手のナイフを放り投げた。
切っ先は真っ直ぐに、ローズの後方から迫る兵蟻に向き、奴の首の接続部に『ズガッ!』と命中する。
「ギギ……ギッ……!」
兵蟻はローズの寸前のところで、力無く地面に沈んだ。
即座にそいつの元に駆け寄ってナイフを抜くと、僕はまた気配のする方へ走り出していく。
そんな綱渡りの戦況の中、ついにローズの剣が帝蟻の右前足を斬り飛ばす。
続け様に放った一撃が、今度は右の中足を斬り落とし、帝蟻に深い傷を負わせた。
「行け、ローズ!」
「――っ!」
ローズは僕の声に背中を押されるように、直剣を握りしめて前に出る。
隙を晒す帝蟻の顎下に潜り込み……
「は……ああっ!」
頭と体の接合部を、真下から貫いた。
帝蟻は首を貫かれた状態で、ピクピクと体を痙攣させながら、ゆっくりと地面に倒れた。
ローズは息を切らしながら、横たわる帝蟻を見下ろして、驚いたように目を見張っている。
自分でも勝てたことに驚いているのだろう。
いくら僕の支援魔法があると言っても、帝蟻はこれまでに出会ったことのない強敵だ。
討伐の推奨階級は二級冒険者で、それを五級の冒険者が単独で倒すなんて異例中の異例。
何より、支援魔法による身体強化は強力な分、完全に生かすのが難しいものになっている。
その力を余すことなく生かし切った戦闘センスは、間違いなくローズ自身の才能だ。
この勝利は誇ってもいい。
「ローズ、すぐにここを脱出するよ!」
「あっ、はい!」
致命傷を負った帝蟻は、このまま放っておいても間もなく絶命する。
そうとわかった僕は、目の前の兵蟻を蹴飛ばしながら、ローズに脱出するように促した。
兵蟻はまだまだ出てくるはず。
ここでこれ以上戦って仕方がないし、僕もそろそろ疲れてきたから。
というわけで早々に引き上げて、僕たちは巣を脱出した。
そのまま二人して近くの茂みに転がり込み、追手の兵蟻から身を隠す。
奴らは巣の外まで追ってくることはなく、また奥深くの方へと戻っていった。
それを確かめた直後、僕とローズは詰まっていた息を盛大に吐き出す。
「はぁぁぁ! お疲れ様ローズ。よく頑張ったね」
「ロ、ロゼさんの方こそ、ものすごい手際でした。というか、とんでもない数の魔獣を倒していたような……」
驚いた目を向けられて、なんだか嬉しい気持ちにさせられてしまう。
無理して頑張った甲斐があるというものだ。
「私てっきり、五体か六体くらいの兵蟻が出てくるのかと思っていたんですけど、まさかあんな大群だったなんて……」
「ご、ごめん、伝えてなくて。もし仮に『三十体くらい出てくるかも』って言ったら、僕の負担を考えてローズが引き下がっちゃうんじゃないかなって思ってさ」
「そ、それはまあ、申し訳ないと思っちゃいますし……」
三十体くらい兵蟻出てくるけど、全部僕が相手するから気にしないでいいよ。
なんて、ローズがそんなことを聞いて平気でいられるはずがない。
最悪この討伐作戦そのものから引き下がってしまうと思ったのだ。
やっぱり黙っておいて正解だったな。
「け、結果的に、ロゼさんは何体くらい倒したんですか?」
「えっと……だいたい二十体くらいかな? まあ数を相手にするよりも、ローズの戦いを邪魔させないようにする方が神経使ったかな」
「に、二十体……」
ローズは再び驚愕したように固まってしまう。
その後、何か思うところがあるのか、彼女は自分の右手に目を落として静かに微笑んだ。
「初めて助けてもらった時から、只者ではないと思っていたんですけど、やっぱりロゼさんってすごい方ですね」
「すごい、のかな……?」
自分では特にそうは思わないけど。
もし今回のことや、前に助けた件でそう言ってくれているのなら、それはローズの買い被りだ。
僕なんて未熟者もいいところなのだから。
僕はいつも、化け物みたいに強い勇者たちの戦いを、一番近くで見てきた。
本当にすごい連中の戦いを見た後だと、自分の体たらくが目立って仕方がない。
だから褒めてもらえるような働きはしていない、と思うのだけれど……
今回ばかりは素直に称賛を受け取っておこうと思った。
「まあとにかく、今回頑張ったのは間違いなくローズだよ。だからおめでとうローズ」
「は、はい、ありがとうございます!」
称賛を返して、開いた右手を見せると、彼女はそこに自らの右手を『パンッ!』と合わせてきた。
これで帝蟻の討伐は完了。
ローズは莫大な神素を得て、飛躍的に成長ができるはずだ。
まさかここまでやって一つもレベルが上がらないなんてことは、さすがにないだろう。
五つや六つとは言わないまでも、せめて三つくらいは上がってくれるんじゃないかな。
そんな僕の、やや控えめとも思える予想は、残念ながら裏切られることになってしまう。
ただしそれは、“悪い意味”でというわけではなく、“良い意味”として…………なんだったら斜め上にぶっちぎってきた。
突然、ローズの体が光り輝いた。
「「へっ?」」
時間的に、そろそろ帝蟻が絶命して莫大な神素が送られてくる頃のはず。
なんて思っているまさにその時、ローズの全身がまるで爆ぜるように白い光を放ち始めたのだ。
「ロー……ズ?」
「なな、なんですかこれ!? 怖いです怖いです!」
ローズは光を放ったまま、わたわたと手足をバタつかせた。
だが、いくら慌てふためいたところで、彼女から光は払われない。
二人して戸惑っている中、やがてローズが放つ光は強さを増していき、僕たちの視界を真っ白に染め上げた。
思わず両手で目を覆い、ゆっくりと開けてみると、ローズの体からは光が消えていた。
「な、何が……起きたんでしょうか?」
「……」
ローズは何が起きたのかわからず、いまだに困惑した様子を見せている。
しかし僕だけは、彼女の確かな変化に気が付いて、思わず吹き出してしまった。
「ははっ! なんだ、そういうことだったのか!」
「……?」
僕の“目”には、確かに映っている。
今の光の正体が。
ローズが他の人よりも成長しづらかったその理由が。
なぜ“見習い戦士”なんていう、不思議な名前の天職だったのか。
とにもかくにも、これで僕の役目は完全に終了となった。