第百二十九話 「救世主はどっち」
旅を始めてから、早くも二週間が経過していた。
それでも僕たちは、いまだに目的の森王軍の侵域に辿り着くことができていない。
というかその隣国にすら足が届いていなかった。
覚悟はしていたことだったが、さすがに大陸の最東端の国に行くのはかなりの時間を要する。
そこで僕たちは、ついに禁じ手を使うことにした。
『これさ、ローズに運んでもらった方が早くない?』
皆も薄々気が付いていたこと。
ローズの超人的な膂力と速力に任せて、高速で運んでもらう。
律儀に馬車などを使って移動するより、断然早く目的地に辿り着くことが可能な手段だ。
最初からそれをやっておけばよかったんじゃない、とコスモスから咎められるような視線を向けられてしまうが、ローズ一人だけに負担が掛かることになるので控えておいたのだ。
彼女は貴重な戦力の一人だし、旅の早いうちから消耗させてしまうのは得策ではないと。
しかしローズは……
『別に大丈夫だと思いますよ』
けろっとした顔でそんなことを言ったので、試しに少しだけ運んでもらうことにした。
大きめの木の樽に僕とコスモスとネモフィラさんが入り、それをローズに抱えて走ってもらう。
と、字面にしただけでは簡単そうに見えるが、樽は持ちづらいしそもそも三人は重いしで実際は無茶な構図だった。
そのためかなり不安定になるかと思いきや、ローズはなんと持ち前の怪力を生かして樽を安定させながら、僕たち三人を超高速で輸送してくれた。
中央大陸の東部の草原、森の中、長い山道を、樽を抱えた赤髪の少女が高速で横切って行く。
結果、スファグナム王国からものの“三日”で、国を一つ超えて東の国ラティスへと辿り着いてしまった。
「…………マジか」
僕はラティス王国の王都を目前に見上げながら、呆然と口を開けてしまう。
まさか本当に、あと数週間は掛かるはずだった道のりを、たった三日だけで走り切ってしまうとは思わなかった。
僕たちの最初の方の旅はいったいなんだったんだ?
それにローズは、休むとき以外は常に走っていたはずなのだが、息の一つも切らさずに初めて見る国の景色にただただ見惚れていた。
「ロ、ローズ、ずっと僕たちを抱えて走りっぱなしだったけど、疲れとかないの?」
「えっ、何がですか?」
何がですか。真顔でそう聞き返された時、僕はさすがに鳥肌が立った。
規格外の怪力と無尽蔵のスタミナの持ち主。
戦乙女ローズの凄まじさを改めて目の当たりにして、僕は恐怖を禁じ得なかった。
もはや怖いよこの子……
ともあれようやく目的地の目前の国に辿り着くことができたので、本格的に森王軍の侵域に攻め込む準備を始めることにする。
「ここが森王軍の侵域のレイン大森林に一番近い国なのよね?」
「うん、そうだよ。このラティス王国の最東端に、森王軍の侵域との国境線があるんだ」
そう言いながら王都の通りを進んでいると、道中で伝言板を発見する。
そこに書かれている内容に目を通して、僕は皆に提案した。
「その国境線の近くに『トレリス村』っていう村があって、そこにラティスの王国軍が常駐してるみたいだ。討伐隊の人員募集もそこでしてるみたいだから、ひとまずはそこに行って状況確認とかしてみよっか」
三人は僕に頷きを返してくれたので、さっそく僕らはトレリス村に向けて出発をする。
再びローズに運んでもらう形になり、僅か一日足らずで目的の村に辿り着いた。
どこかで聞き覚えのある村だと思ったけれど、そういえばダリアたちが呪葬樹の話を聞いたのがこの村だと言っていたような。
そのトレリス村に辿り着いた僕たちは、そこで目を背けたくなるような惨状を目撃することになる。
「これは……」
おそらくラティスの王国軍の兵と思われる人たちが、傷だらけになってそこかしこに寝かされていた。
村人たちに介抱されている兵士たちは、皆が戦線復帰困難なほどの負傷を受けていて、一言で言ってひどい有り様である。
彼らは、かつてラティスが治めていた領地を、森王軍から取り返すために日々侵域で戦い続けているそう。
しかしこの様子だと形勢は優位だとは言えそうにない。
森王軍が霊王軍と手を組んだのも、劣勢に拍車を掛ける要因になったのかも。
その中で、必死な様子で指示出しをしている一人の兵を見つけて、僕はその人に話を聞きに行った。
「あ、あの、すみません」
「……はい、なんでしょうか?」
「王都の伝言板を見てここにやって来ました。討伐隊の人員募集はここで合ってますか?」
「……」
やや元気が無さそうにしていた青年兵士は、僕のその言葉を聞いて僅かに表情を明るくした。
「と、討伐隊に参加希望の方ですか!?」
「は、はい。まあ……」
「募集要項にもあった通り、報酬金は後からのお渡しになってしまうんですけど」
「べ、別にそれでも構いませんよ」
そう返すと、青年兵士は見るからに安堵の息を吐き出した。
かなり人手を欲しがっていたみたいだな。
意外そうな顔をしていたからか、青年兵士はその理由を語ってくれる。
「もう誰も応援に来てくれないかと思っていたので、本当に助かります。王国軍はこの通り、侵域への侵攻を繰り返してかなり消耗していますから」
「そう……みたいですね」
見ただけでそうとわかる。
もうまともに戦えそうな兵士はろくに残されていなかった。
こうして話している青年兵士も、手足に包帯を巻いていて痛ましい姿になっている。
どうやらこの国は現在、即戦力となる人員を渇望しているらしい。
だから王都などにも応援を呼びかける伝言などを記して、僕たちのような旅人や一般市民に協力を仰いでいるようだ。
しかしこの様子からすると、僕たちの他にまともな応援は来ていないように見える。
僕は念のために、耳にしていた情報が正しいかどうか確かめておくことにした。
「森王軍と霊王軍が、呪葬樹の苗木の復活を目論んでいると聞いたんですけど。王国軍はそれを阻止するために侵域への侵攻を繰り返しているんですか?」
すると青年兵士は、思い詰めたような顔をして弱々しくかぶりを振った。
「呪葬樹の苗木は、とっくに復活していますよ」
「えっ!?」
「私たちが直接確認しました。すでに呪力注入が完了した苗木が、森の各地に植えられているところを。まだ未成熟の状態なので呪いの散布は発生していませんが、成熟する前にすべて切り倒さなければ国中に呪いが蔓延してしまいます」
「……」
予想よりも事態の進行が早かった。
まさかもうそこまで状況が進んでいるなんて。
町の人たちの様子がどうだったかはよく見ていないけど、まだ詳しくは知らされていないのだろうか?
「混乱を招かぬよう、国民たちへの周知は少しずつ進めております。他国への避難の準備も進めるよう通達はしていて、いざという時はすぐに国から退避できるようにしてはいますが、呪葬樹を切り倒さなければ結局は大陸全土が呪いに侵されてしまいます。ですから、少し無茶だとは思いましたけど、兵を消耗させながら侵攻を繰り返しているのです」
青年兵士は申し訳なさそうに肩を落として続ける。
「しかしやはり人員不足もあり、このように次第に戦力を削られております」
「他国に応援などは送っていないのでしょうか?」
「交易のある各国に応援を頼んでいるとは聞いていますが、どこもかしこも他所に回せる人員はいないとのことです。冒険者ギルドにも応援の呼びかけを行っておりますが、都合のつく冒険者も今のところは……」
どうやら人手不足は相当深刻なようだった。
まあ、あの勇者パーティーが手も足も出なかったらしい森王軍を、一国の軍隊だけで倒すのは難しいようだ。
むしろよく今日まで森王軍の侵攻から国を守ってきたと称賛を送られるべきである。
もしかしたら向こうが気分でラティス王国に侵攻していなかっただけで、本当ならいつでも落とせていたのかもしれないが。
ともあれ現状の戦力では侵攻を続けるのは不可能で、王国軍は呪葬樹の完全復活まで指を咥えて見ていることしかできないようだ。
「このままでは、ラティスの国が……!」
青年兵士さんは悔しげに歯を食いしばる。
呪葬樹が成熟すれば、ラティスの国だけではなく、僕らの住むコンポスト王国まで危険に晒されてしまうので、他人事ではないと思って僕たちも身を強張らせた。
その時――
「だからよぉ、ウチらに任せりゃいいって言ってんじゃねえかよぉ」
不意に後方から、ハスキーな女性の声が聞こえてきて、青年兵士は唐突に瞳を大きく見開いた。