第百二十八話 「英雄の産声」
「な、なんですかこれ?」
「ドロドロしてて気持ち悪いわね」
通路を塞ぐヘドロを見て、ローズとコスモスが顔をしかめる。
同じくそれを目にしたセージさんが、うんざりした様子でぼやいた。
「もうここのが復活しおったか」
「……?」
「毒溜まりは通路のあちこちにこのような“毒の壁”を作ることがあっての、ワシも何度も阻まれたものじゃ」
毒の壁か。
確かに見た目的に触ったらダメそうな雰囲気を感じる。
それにしても、毒液を発生させるだけではなく、そんな厄介な力も宿しているのか。
「これがなかなかに厄介でな、討伐が滞っている原因の一つでもあるんじゃよ。かなりの強度があり、並の武器と力では突破するのが難しい。また、火で炙っても水を掛けてもビクともせんくてな、ワシは毎度ツルハシを引っ張ってきて地道に削っているんじゃ」
そう言ったセージさんは、広場の隅に置いてあるツルハシを取りに行く。
それを『どっこいしょ』と担ぎ上げてから、再びこちらに戻って来ようとした。
「ワシ一人だと半日ほどかかってしまうが、全員で手分けをすれば三時間もあれば突破できるじゃろう。まずはワシから始めるからの、おぬしらは後ろでやり方を見て……」
ドッゴオオォォォンッ!!!
セージさんの台詞を遮るようにして、突然坑道の内部に爆発音ようなものが響いた。
見ると、ローズが剣を振り下ろして、少し離れたところにある毒の壁を、ばっさりと斬り裂いていた。
「あっ、斬れましたね」
「ええぇぇぇぇぇ!?」
セージさんは目ん玉が飛び出る勢いで驚愕をあらわにする。
「い、今! どど、どうやって壁を斬ったのじゃ!?」
「えっ? あっ、その、剣を汚したくなかったので、素振りの“風圧”だけで……」
「ふうあつ!?」
あまりの驚きにセージさんの声が裏返っている。
しかしさすがにこれには僕も驚かされた。
ローズの力なら充分に破壊は可能だと思っていたけれど、よもや風圧だけで壁を斬り裂くとは。
毎度彼女は、僕の想像の一つ上を行く。
「これで奥に進めますね。先を急ぎましょう」
「……」
唖然としている男性組を置き去りに、女性陣たちはズンズンと坑道の奥へと進んで行ってしまった。
その後も、いくつか毒の壁が形成されて通路を塞がれていたが、ローズが剣を一振りするだけで綺麗に消し飛ばすことができた。
「…………ワシの今までの苦労はなんだったんじゃ」
そのあまりの常識破りっぷりに、セージさんは思わずそんなことを言い漏らす。
これはさすがにローズの実力がおかしいだけなので、そこまで気を落とす必要はない。
それから通路をしばらく進むと、僅かに下の方に向かう階段があらわれる。
階段を下って行った先、再び長い通路が見えて、なんとそこは毒液によって水浸しになっていた。
一言で例えると、ドス黒いヘドロの川。
「これは……」
「これが毒溜まりの毒液じゃよ。この先の通路を丸ごと“毒の川”に変えておる。このせいで坑道はろくに採掘ができない廃坑になってしまったんじゃ」
セージさんは悔しげに歯を食いしばる。
毒の川はかなり深いようで、もしこのまま入ったら膝丈ほどまで毒の液体に浸かることになるだろう。
人体に多大な悪影響が出るのは間違いない。
「生身で触れたら、猛烈な痛みと痺れが全身に走る猛毒じゃ。僅かな溶解性もあり、衣服も徐々に溶かされてしまう」
「セージさんはここをどのようにして渡っていたんですか?」
「長靴とツナギを大量に仕入れて、それを少し改良して毒の川に入れるようにしたんじゃ。毒溜まりの所に辿り着くまでに、二、三着ほどダメにしてしまうが、それ以外に方法はないと思ってな」
そう言いながら、先ほどの大広間に置いてあった荷物袋の中から、その長靴とツナギを取り出す。
「ここはいくら赤髪娘の力が強大でも、力任せに乗り越えられる場面ではないじゃろ。長靴とツナギはおぬしらの分もあるからの、皆でこれを着て先に……」
「【障壁】」
再び、セージさんの声は別の誰かによって遮られてしまった。
見ると、ネモフィラさんが右手を開いて、それを自分の胸にかざしていた。
瞬間、彼女の周りに“半透明の膜”のようなものが展開される。
それは球体のように形を変えて、ネモフィラさんの周囲を完全に覆った。
その直後、ネモフィラさんは川で遊ぶ子供のように……
「ほっ」
ぴょん、と毒の川に飛び込んだ。
「な、何しとんじゃおぬしはーー!?」
ドボンッ! とネモフィラさんの足元が毒の川に沈み、セージさんは冷や汗を撒き散らしながら慌てふためく。
「は、早く引っ張り上げんと! 全身に毒が回って死んでしまうぞ! 誰でもいいからあの娘を――!」
そう声を荒げていたが、セージさんはすぐに言葉を失くすことになる。
毒の川が、まるでネモフィラさんを避けるようにして広がっていた。
より正確に言うのなら、球状の障壁に押し退けられて、ネモフィラさんの周りだけ綺麗に毒液が広がっていた。
「な、なんじゃ、これは……?」
「障壁魔法。色んな害から身を守れる、魔法の障壁」
「……」
毒の川の中央に立ちながら答えるネモフィラさんに、セージさんは驚愕の視線を向け続ける。
それらしい防具の一つも身に付けていないまま、ネモフィラさんは毒液の川に立っているので無理もなかった。
「そ、それは、本当に大丈夫なものなのか? 突然砕けて毒液が侵入してくるということは……?」
「大丈夫。私と同じくらい頑丈な壁だから、溶けもしないし毒も通さない。みんなにも掛けてあげるね」
ネモフィラさんはそう言って、【障壁】を全員に掛けてくれた。
これによって僕たちも身を守られて、毒の川に入れるようになる。
実際に足を踏み入れてみると、液体が障壁に沿って押し退けられて、僕たちの周りには一切毒液が侵入してくることはなかった。
害だけを跳ね除ける完全防護服だ。これなら確かに問題なく先に進める。
「ワ、ワシの長靴とツナギは……?」
「いらない」
ネモフィラさんに一蹴されて、セージさんはひどく落ち込んでしまった。
まあ、これまでの努力が才能によってことごとく潰されてしまっているのだから無理もない。
それから僕たちは、毒の川をジャブジャブと進んでいき、早くも毒溜まりの所に辿り着いた。
「こ、こんなにもあっさりと……?」
セージさんは理解が追いついていないように呆然としている。
そんな彼は放っておくとして、改めて僕たちは毒溜まりのいる広場の手前で状況確認をした。
坑道の中心部というだけあって、ここはかなり広い場所になっていた。
採掘用の木の足場が三階ほどまで作られていて、横の幅も町の噴水広場くらい広い。
次いで僕は広場をうろつく巨大怪物を静かに見据える。
毒の液体をそのまま山のような形に固めた存在。
それに目を凝らすようにして、僕は瞳をぐっと細めた。
【種族】毒粘
【ランク】S
【神素取得量】250000
「…………つっよ」
僕の『神眼』のスキルは、視界に捉えたものからあらゆる情報を読み取ることができる。
人間の天啓、薬草や鉱石の情報、そして魔獣の詳細。
それで確認した毒溜まり……改めて毒粘の詳細は、長らく色々な魔獣を目にしてきた僕すらも、思わず目を見開いてしまうほどとんでもないものだった。
「何か見えたんですか?」
「うん、まあ。毒粘っていう名前と、めっちゃ強いっていうことがね」
危険性を示したランクが“S”。
討伐した際に得られる神素量が“250000”。
はっきり言って驚異的だ。
この国にこんな魔獣が潜んでいたなんて。
確かにこの強さの魔獣ならば、一級冒険者たちが軒並み根を上げたのも頷ける。
ローズを成長させるために、戦いの相手に選んだあの帝蟻でさえ、二段階ランクの低い“B”だったのだから。
神素取得量も“250000”で、単純計算すれば毒粘は帝蟻の十倍の強さということである。
ついでに見た情報によると、外殻がかなり固いようだ。
ローズが壊してきたような毒の壁を基準にすると、およそその三倍以上の硬度を持っている。
体内には心臓部となる“核”があるみたいなので、それを守るために頑丈な外殻を備えているようだ。
「外殻がすごく固いみたいで、体をまとってる毒には溶解性もあるっぽいから、下手に武器で攻撃しない方が良さそうだよ。コスモスの魔法で外殻を削ってから、剥き出しになった核を破壊するのが賢明だと思うけど……お願いだからあまり強めには撃たないでくれよ。下手して坑道の壁に当たりでもしたら、僕たち全員生き埋めになっちゃうから」
「心配しなくたって大丈夫よ。あんなでかい的なんだから、目瞑ってたって外すわけないでしょ」
コスモスが慎ましい胸を張って杖を構えると、セージさんが慄いたように足を引いた。
「お、おぬしもまさか、この二人と同様、とんでもない才能を……!」
「そうよ。近いうちにその名を世界に轟かせる、星屑師コスモス様の大魔法よ。目の前で見られる貴重な機会に感謝することねっ!」
得意げな顔でそう言うと、彼女は杖の先を毒粘に向けて唱え始めた。
「【キラキラの笑顔――ドキドキしたこの気持ち――輝け私の一番星】」
すっかり聞き慣れたコスモスの詠唱式句。
僕たちはすでに耳に馴染んでいるため、違和感なく受け入れることができたが……
初めてそれを耳にしたセージさんは、あまりに幼稚な式句に僕の方を見てこぼした。
「こ、この子供に任せて、本当に大丈夫か……?」
「子供扱いしてんじゃないわよ!」
その怒りを魔法の一撃に乗せるように、コスモスは怒声を響かせた。
「【流星】!」
刹那、杖の先に眩い魔法陣が展開される。
その魔法陣から強烈な光が迸ると、中央から超特大の岩石が放出された。
「なっ――!?」
大きめの通路を丸ごと塞いでしまうくらいの絶妙な大きさ。
それは広場で彷徨っている毒粘に真っ直ぐ飛んで行くと、遅れて奴はその岩石に気が付いた。
しかしその時には遅く、巨大岩石は毒粘の中心に高速で突き刺さる。
「ジュロロロロッ!!!」
その一撃は、毒粘の外殻を削るどころか……
なんと内部の核まで見事に貫き、毒粘の体に大穴を開けていた。
「あらっ、思ったより柔かったわね」
「……」
たった一撃で地面に沈み、ドロドロと溶けていく毒粘を見つめながらコスモスは肩をすくめる。
一方でセージさんは、もう何度目ともわからぬ驚愕の表情をして、口を開けながら固まっていた。
まあ、数多くの一級冒険者たちが匙を投げて、セージさんも十年近く戦い続けている脅威の魔獣を、ものの数時間で年若い女性たちにあっさり片付けられてしまったら、呆然としてしまうのも致し方ない。
次第に毒粘が発生させていた毒液も消滅していき、坑道は徐々に元通りになっていった。
「……ワ、ワシは今まで、何をしておったんじゃ? 村を苦しめておった毒溜まりが、こんなにも簡単に……」
嬉しさと虚無感が同時に押し寄せてきたのか、セージさんは膝をついて遠い目をする。
ともあれこれで毒溜まり……改めて毒粘の討伐が完了したので、僕たちも先に進めるようになった。
もうこの場所に用もないので、僕たちはセージさんに背を向けて奥へと進んで行く。
「それでは、僕たちはこれで」
「えっ……? ちょ、ちょっと待っとくれ!」
唐突に呼び止められて、何事かと後ろを振り返る。
するとセージさんが僕たちの後ろで膝と頭を地面について、涙ながらに声を震わせた。
「おぬしらはローム村の英雄じゃ……! これで村はまた潤いを取り戻せる。亡きサルビアへ指輪を贈ることもできる。どうかその礼に、おぬしらに向けた宴を村で開かせてくれ……!」
「お、お気持ちは嬉しいんですけど……」
仲間の三人に目を向けると、彼女たちは無言でふるふるとかぶりを振った。
僕たちはこれでも急いでいる身だ。
せっかくの誘いだけれど、その礼を受け取っている時間はない。
そもそも僕に関しては何もしていないし、礼を受け取るべき三人が遠慮しているのでここは辞退させてもらうことにする。
という旨を話すと、セージさんは最後の願いとばかりに声を張り上げた。
「な、ならばせめて名前だけでも……! “サイン”だけでも村に刻んで行ってはくれぬか!」
「……」
思わぬその懇願に、僕は思わずコスモスの方を一瞥してしまう。
すると彼女は得意げな顔になって、鼻を鳴らしながら僕に笑みを向けてきた。
「ねっ、私の言った通りじゃない」
広場に落ちていた岩に、ナイフでサインを刻むことになり、コスモスだけが見事に綺麗なサインを残すことができたのだった。