第百二十七話 「僕の勝算」
「翠明石?」
耳馴染みのない名前の宝石だった。
三人も聞き覚えがないのか、みんな不思議そうに首を傾げている。
ネモフィラさんも知らないのなら、僕たちが聞いたことがないのも当然と言えるだろう。
「知らぬのも無理はない。翠明石はここの坑道でしか発見されていない希少石じゃからな。それも採掘されておったのはワシが坑夫をしておった五十年近くも前の話で、発見後から三年ほどで坑道封鎖があったからの、市場で出回っているものもまったくないんじゃ」
セージさんは、遠い日のことを思うように不意に空を見上げる。
「坑道封鎖前に見つかったそれは、眩い翠色の輝きを秘めた石で、その手の者らは大層気に入っておったな。おかげでここでの鉱業も軌道に乗り、一時期はローム村もかなり潤ったもんじゃ」
「……? ここでの“鉱業”と“ローム村”って、何か関係があるんですか?」
「元々ローム村は、坑夫らが体を休めるために設けた休息地だったんじゃ。この鉱坑を委託してくれたグライン辺境伯が、利益の持分権もワシら鉱山労働者に譲渡してくれての、それによって休息地が栄えて今のような村の形になったんじゃよ」
へぇ、そうだったのか。
確かに坑道からかなり近い場所にあるし、野営地点や休息地が発展して村になるのは珍しくもない話だ。
そういった繋がりがあるならば、鉱業の軌道によってローム村の生活水準も変わってくるだろう。
「翠明石の発見で、ローム村はさらに著しい前進を遂げることができた。しかしな、毒溜まりによる坑道封鎖が原因で、鉱石や宝石採掘ができなくなってしまったんじゃ。その時にはすでに畑や家畜もそれなりに潤っておったから、村として保たせることはなんとかできたが、以前のような豊かな暮らしはまるでできなくなってしまったな」
そういえば食事代や宿代もかなり高かったように思う。
前は随分と裕福な場所だったらしいけど、坑道封鎖が原因で余裕のない暮らしを強いられているのは事実みたいだ。
「最近は村を出て行く者も多く、今では枯れたジジババしか残ってはおらぬ。ローム村もいつかは、この坑道と同じように廃れていってしまうのじゃろうな……」
悲壮感を滲ませるセージさんを見て、僕はふと気が付いたことを尋ねてみる。
「もしかして、翠明石を掘り起こそうとしているのは、貧しくなった村をもう一度豊かにするためですか?」
毒溜まりの出現により、国や他の村から坑道を封鎖するように言われた。
それが原因で村が衰退していったため、再び裕福な暮らしを取り戻すために、翠明石を掘り起こそうとしている。
だとしたら色々と辻褄が合うから、そう睨んでみたのだけれど……
「……その通りじゃ、と言えれば村長としても良い格好ができるんじゃがな。ワシが翠明石を掘り起こそうとしているのは、残念ながら別の理由じゃよ」
セージさんは、もはや偽るつもりは毛頭ないらしく、心の内を正直に話してくれた。
「ワシが密かにここに潜り続けておるのは、妻のサルビアのためじゃよ」
「妻?」
「十年前に病気で死んだ妻がおるんじゃ。名をサルビアと言ってな、ワシと違って落ち着きのあるとても温厚な女性じゃった」
奥さんがいたんだ。
セージさんはそのサルビアさんを思い出すように遠くを見つめながら、悲しげにぼやく。
「そのサルビアがな、村を豊かにしてくれた霊験あらたかな宝石として、翠明石をいたく気に入っておったんじゃ。そして十年前に病気で死んだ時、そういえば指輪の一つも贈っていなかったと思い出してしまっての」
「だから、亡くなってしまったサルビアさんのために、改めて翠明石で作った指輪を贈ろうと思ったんですか?」
「くだらぬ理由じゃろ? ついでにここでの鉱業も再開されて、廃れていくローム村を救えるのなら、やってみる価値はあると思って坑道に潜り始めたんじゃ。それから十年、毒溜まり討伐のために坑道に潜り続けておるが、まったく倒せる気はしないの」
セージさんは自分の力不足を嘆くように膝に拳をぶつける。
腕利きの一級冒険者たちが総じて匙を投げたような状況を、セージさん一人だけで切り開くのはさすがに難しいと思う。
それでもセージさんは諦めず、サルビアさんに翠明石の指輪を贈るために奔走し続けた。
「だからおぬしらにここに来られてはダメだったんじゃ……! もし坑道が封鎖されておらんことを誰かに知られて、それを他言でもされてしまえば、今度こそここは誰も立ち入ることができないように完全封鎖されてしまう! それではもう二度と、翠明石を手に入れることができなくなってしまうんじゃ……」
彼は僕たちの前で膝を突き、深く頭を下げてくる。
「頼む! 何も見なかったことにして、ここから立ち去ってはくれぬか! もちろん礼ならする! 山の天気が回復するまでの宿代は、ワシが代わりに払ってやる! すべてが終われば罪も告白する! だから……」
ここで見たことを忘れて立ち去ってくれ。
そう懇願されて、僕たちは互いに顔を見合わせた。
そして仲間の三人から強い意思を感じて、僕はセージさんの前で屈む。
「セージさんのお気持ちはよくわかりました。ですが、あなたの言うことに従うのは、どうやら無理なようです」
「なっ――!? なぜじゃ!? いったい何がダメだと言うのじゃ……!」
張り詰めた顔を上げたセージさんは、僕の後ろにいる三人を見てハッと息を呑んだ。
自信の溢れた勇敢な三人の姿を。
「簡単に言えば、私たちのやることは変わらないということですよね」
「ようはその毒溜まりを倒せば、ぜーんぶ解決ってことじゃない」
「なら、早く行こ」
「……」
別に今回のことを見なかったことにして立ち去るのは簡単だ。
しかし僕たちは、森王軍と霊王軍の企みを阻止するために、一刻も早く東側の方に向かいたい。
なら話は簡単で、その毒溜まりさえ倒してしまえば、僕たちは先に進むことができるし、鉱業も再開されてローム村も豊かさを取り戻すし、セージさんもサルビアさんのために指輪を作れるようになる。
僕たちの目的はまったく同じだ。
「僕の仲間たちは、毒溜まりなんかに負けるつもりはないみたいですから。ここは一度、僕たちに任せてもらえませんか?」
「お、おぬしらは、いったい……」
驚いて固まるセージさんを他所に、彼女たちは坑道の中へと入っていった。
セージさんはその後を慌てて追いかけていき、僕もそれに続いて洞窟に足を踏み入れた。
坑道は思った以上に広々としていた。
両腕を広げるのもままならないほどの広さかと思いきや、それで二人並んだとしてもなお余裕がある横幅。
天井もそこそこ高く、灯りなどの設備もセージさんが度々訪れていたためきちんと使用が可能になっている。
落盤や陥没の心配もとりあえずはなさそうだ。
「ほ、本当に毒溜まりを倒すつもりなのか? 何か勝算などあるのか?」
坑道を進む中、後ろをついて来ているセージさんが不安げな様子で尋ねてきた。
勝算と言われると弱ってしまうが、とりあえず僕は前を歩く三人の女性を見ながら返す。
「前を歩いている三人が僕の勝算です」
「そ、それは……男として情けなくはないのか?」
「うぐっ……!」
耳が痛い。
確かに情けない返答だったかもしれないけど、事実だから仕方がないのだ。
「できることだったら、僕だって前に出て戦いたいと思ってます。でも本当にこの三人が規格外に強いので……。邪魔にならないように後ろに下がっているのが一番いいんですよ。もちろん僕も支援魔法などで手助けはしますけど」
「こ、このような若い娘たちに、いったい何ができると……?」
セージさんは怪訝な顔で彼女たちの背中を見つめた。
まあ、彼女たちはまだ年若くて、見た目は華奢な女の子たちにしか見えないからね。
実力が信じられないのも無理はない。
こうなったらやっぱり、三人の天啓をセージさんに見せて、明確な数字で実力をわからせた方がいいかな。
なんてことを考えていると……
「んっ?」
すぐに力を示す機会に恵まれた。
幅広い通路の先、さらに広々とした大広間に辿り着く。
そして先に続く通路には、粘り気のある“ドス黒いヘドロ”のようなものが、壁となって立ち塞がっていた。