第百二十六話 「気の毒なご老人」
スラッグ山脈の坑道を目指して、僕たちはローム村を出発する。
坑道までは三十分足らずで辿り着けるということなので、僕たちは急がずのんびりと向かうことにした。
セージさんの話によれば、坑道に巣食う毒溜まりはかなり凶悪な魔獣のようなので、僕も今から気を引き締めておく。
他の低級の魔獣と同じく、ローズの“気迫”だけで追い払えれば万々歳なのだが、毒溜まりは大きさ的に坑道から追い出すことはできなさそうだもんなぁ。
戦闘は必至になると思われる。だから僕は今から緊張感を抱きながら、坑道までの道のりを踏みしめていた。
「本気で行くつもりなのか!? 行っても無駄だと言っておるじゃろう!」
…………そんな中、後ろからおじいさんの声が聞こえてくる。
チラリと後ろを振り返ると、そこには髭を蓄えた白髪のおじいさんが、怒った様子で後をついて来ていた。
「……あのおじいさん、いつまでついて来る気よ? なんか意地でも私たちを止めたいみたいだけど」
「まあ、下手に坑道を荒らされたくないからじゃないかな。僕たち完全に部外者だし」
あの食事処からここまで、セージさんはずっと僕たちの後ろをついて来ていた。
そしてあのように僕たちを止めるべく、絶えず声を掛けてきている。
話の通りなら、坑道はかなり危ない場所のようだから当然と言えば当然だ。
坑道近くの村を仕切っている村長さんとしては、封鎖している坑道を荒らされるのは困るだろうから。
あと、そこで下手に死人を出したくもないんじゃないかな。
別に荒らすつもりはないし、坑道もちゃんと塞いでおくとは言ったけど、完全部外者の僕たちはまだ信用されていないようだった。
だからひとまずは安心させるような言葉を掛けてみたのだけれど……
「あ、あの、本当に無理だと思ったら引き返しますし、とりあえず坑道の出入り口だけでも見に行かせてもらえたら……」
「ならん! 絶対に行ってはならんのじゃ!」
「えぇ……」
いくら信用されていないからって、見に行くのもダメとはどういうことだろう?
何か都合の悪いものでもあるのだろうか?
それともそこまで僕たちのことを危険視しているということかな?
「いいじゃないロゼ。放っておきなさいよ」
「い、いや、でもなぁ……」
「そもそも、坑道はあのおじいさんの所有物でもなんでもないでしょ? なのにどうして見に行くのも禁止されなきゃいけないのよ。それにこっちにはコンポスト王国の次期女王様だっているんだから、文句を言われる筋合いはないはずよ」
いや、そう言われたら確かにその通りだけどさ。
ネモフィラさんという無敵の切り札はさておいて、コスモスの言う通り坑道はセージさんの所有物ではない。
だから見に行くことも禁じられるのはいくらなんでも横暴だと思う。
まあ、このままセージさんについて来てもらえば、自ずと監視役になってもらえるわけだし、しばらく放っておくのはいい手かもしれない。
というわけで、コスモスの助言に従ってしばらくセージさんの言葉を聞き流すことにした。
しかし……
「い、いい加減に止まれ! 止まれと言っておるのじゃ! あの坑道には絶対に行ってはならん! これまで何人の冒険者たちが諦めたと思っておる! 一級の冒険者なんじゃぞ! 名の知れた手練れたちじゃぞ! そやつらが軒並み音を上げた魔獣を、おぬしらは本気で倒そうというのか!?」
「……」
なんか、やけに必死さを感じてしまい、気になって仕方がなかった。
坑道を荒らされたくないから、というより、僕たちを絶対に坑道に近づけたくないみたいな意地を感じる。
ますます何かしらを隠そうとしている様子が伝わってきて、僕たちは揃って眉を寄せた。
「いいのか!? 本当にただでは済まないのだぞ! 毒溜まりは誠に恐ろしい怪物で、触れたら最後全身に毒が回って死に至るのじゃ! それと坑道も長年放置されていて落盤の危険があるし、他の魔獣も住み着いている可能性があるし、衛生環境もよくないだろうし……。あ、あとはその…………暗くてすごく怖いのだぞ!」
「なんか脅しがふわふわしてきたわね」
無理矢理絞り出したような脅迫に、コスモスが呆れた顔を浮かべる。
一向に足を止めようとしない僕たちを見て、セージさんはさらに続けた。
「あっ、そうじゃ……! 実は例の坑道はローム村の人間以外、立ち入ってはならん仕来りがあるんじゃ! もしこれを破れば、村の人間全員が不届き者らに対して制裁を加えにやって来るぞ!」
「たった今思いついたみたいに言いましたよ」
今度はローズが驚いた様子を見せる。
そんな仕来りが本当にあるのだとしたら、もっと早いうちに言っていないとおかしいはずだ。
どう考えても今思いついたデタラメだろう。
「うっ……! 急に持病の腰痛が……! だ、誰かー! この労しい老人を、誰か助けてはくれぬかー!?」
「今度は、仮病使い始めた」
どう見ても仮病にしか思えない嘘くさい演技を見て、ネモフィラさんも憐れみの目を向け始める。
あのじいさん、本当に何がしたいんだよ……
「ほ、本当に……! 本当に危険なんじゃ……! だから絶対に、近づくのはやめるんじゃ……!」
「ついに泣き始めちゃったよ」
これ、絶対に何か“隠してる”でしょ。
そう睨んだ通り、坑道に辿り着いた僕たちは、信じがたい事実を知ることになった。
「んっ……?」
坑道の出入り口と思しき穴には、がっちりと“鉄柵”が取り付けられていた。
取っ手も鍵もなく、開けられないような造りになっている。
木の看板も立っていて、“立ち入り厳禁”という注意書きもされており、誰も入れないようにきちんと封鎖されていた。
と、思いきや、よくよく調べてみると、鉄柵の半分が“扉”のように開く造りになっていて、押しただけで簡単に中に入れてしまった。
「坑道、全然封鎖されてないじゃない……」
「隠し扉から、簡単に入れる」
「こ、これって、いったいどういうことですかロゼさん?」
三人から疑問の視線を向けられてしまうけれど、僕の方が知りたいくらいだ。
毒溜まりなんて超危険な魔獣がここに潜んでいるなら、もっときちんと封鎖されていないとおかしい。
こんな見せかけだけの鉄柵のみでは、完全封鎖しているとはとても言えないだろう。
というか封鎖しているように偽装している雰囲気すらある。
見ると、採掘活動自体は行われていないみたいだが、日常的に誰かが出入りしている痕跡がある。
もしやと思って後ろを振り返ると、セージさんがこの世の終わりとでも言いたげに頭を抱えて、深く俯いていた。
何が何やらわからない状況だけど、少なくともこれだけはわかる。
「わざわざ食事処で会っただけの旅人に、坑道のことを話してくれたのは、僕たちをここに近づけさせたくなかったからってことですか」
僕たちが毒溜まりのことを知らずに危ない坑道に行きそうだったから、それを止めてくれた。
と、最初は親切心で教えてくれたのかと思っていたけど、捉え方によっては都合の悪い事実を隠そうとしたようにも見えてしまう。
事実、僕たちがここに来たことで、こうして坑道が封鎖されていないことがバレてしまったのだから。
いや、そもそも……
「『毒溜まり』のことも、セージさんの作り話だったんですか?」
「い、いや! それは本当じゃ! 毒溜まりは確かにこの坑道の内部に現れて、それによってここでの鉱業は停止になったんじゃ! 坑道自体も完全封鎖するよう、国や他の村からも要請があったんじゃが……」
なぜか口籠るセージさんを見て、不意にコスモスが何かを悟ったように頬をにやけさせた。
「ははぁん、なんとなくだけどわかってきたわよ。ようはこのおじいさん、坑道を封鎖したと見せかけて、本当はこっそりと資源を独り占めしてた……小狡い“小悪党”ってわけね!」
「ち、違う! 違うんじゃ! 独り占めなんてそんなことはしておらん! ワシは、ただ……」
「じゃあいったい何が目的だって言うのかしら? ここに動かぬ証拠があるっていうのに言い逃れするつもり!?」
「う、うぅ……!」
幼い見た目の少女に詰め寄られて、涙を滲ませる老人の姿がそこにあった。
孫に本気で怒られて落ち込んでいるおじいちゃんみたいだな。
僕たち四人から視線を向けられたセージさんは、やがて懺悔でもするかのようにぽつりとこぼし始めた。
「……ワシはここで、ある事情があって、『翠明石』という宝石を掘り起こそうとしているんじゃ」