第百二十三話 「旅のはじまり」
王都での用事を済ませると、僕たちはさっそく旅に出発した。
目指すは森王軍の侵域。
この中央大陸の最東端に位置する危険区域だ。
そのため僕たちはコンポスト王国を離れて、国を跨ぎながら東に進むことになる。
基本的に移動手段は馬車になるが、場所によっては自分たちの足を使って歩かなければならない。
そしてここ『エイフィズ大森林』も、魔獣が多発していて馬車の運行が行われていないため、僕たちは自らの足を動かして進んでいた。
「こうしてパーティー組んで旅するの、なんか久しぶりだなぁ……」
ローズ、コスモス、ネモフィラさんの三人と一緒に森を歩きながら、ふと懐かしい感覚に浸ってしまう。
直後、勇者パーティー時代の苦い記憶が脳裏をよぎり、思わずため息を漏らしてしまった。
その様子を見ていたローズが首を傾げる。
「……あんまりいい思い出ではなかったんですか?」
「まあ、勇者パーティーにいた時はね。いつもいいようにこき使われてたから、楽しかった覚えはないかなぁ」
これやりなさい、あれやりなさい、やる気あんの、何度同じこと言わせんの、少しは役に立ちなさい。
そんなダリアの台詞が耳の奥で蘇る。
あの時は随分と苦労をしていたものだ。
主にダリアの小言やら、他のパーティーメンバーたちからの手厳しい言葉に精神を削られていたと記憶している。
でも、駆け出し冒険者の時は、同じ駆け出したちとパーティーを組んでいたこともあって、足並みを揃えて成長している感じがすごく楽しかったなぁ。
それ以上に今は……
「この四人での旅は、全然息苦しくないから、むしろずっと続けばいいなって思ってるよ」
「……それはよかったです」
ローズは安心したように柔らかい笑みを浮かべた。
むしろずっと続けばいい……。自分で言っておいてなんだけど、随分と危機感が欠如してるよなぁ。
これから森王軍と霊王軍のところに攻め込もうというのに、この緊張感の希薄さたるや……
たぶん一緒に旅をしている仲間たちが、この上なく頼もしいからこれだけ気楽にいられるのだろう。
「お姫様も、なんだか随分と嬉しそうね」
コスモスがネモフィラさんの顔を覗き込みながらそう言う。
見てみると、確かにネモフィラさんは感情の起伏が乏しい顔に、微かに笑みを浮かべていた。
心なしかそれを見られて、恥ずかしそうに目を逸らした彼女は、ぼそりと呟く。
「友達と一緒に、遠出するの、初めてだから……」
次いでネモフィラさんは、僕たちに順に視線を振って続ける。
「それと、“冒険者”っぽいこと、ちょっと憧れてたから」
「冒険者っぽいこと?」
「仲間と一緒に、旅に出ること。ヒューマスの町で、少しの間、駆け出し冒険者として活動してたことはあるけど、あれは修行のためだったし」
だから改めて冒険者のようなことができて、嬉しく思っているみたいだ。
静かに笑みをたたえるネモフィラさんを見て、コスモスが優しげに声を掛ける。
「機会があればまた一緒にどこかに出かけましょうよ。冒険もいいけど、普通に買い物とかもね。ま、お姫様はそんなに暇じゃないとは思うけど」
「……頑張って、時間作ってみる」
ネモフィラさんは胸の前でぐっと両拳を握って、お出かけに前のめりな姿勢を見せた。
なんだか二人はやけに親しげだ。
ただ、水を差すようで悪いと思ったけれど、一応忠告を挟んでおく。
「それはそうとコスモス……」
「んっ? 何よ?」
「ネモフィラさんは王女様なんだから、もっとちゃんとした口の利き方をしないとダメだぞ。ある国では、王様に対して砕けた挨拶をしただけで、肉刑として目玉をくり抜かれた人もいるくらいなんだから」
そんな恐ろしい話を聞かせるけれど、コスモスはまるで怖気づくことなく肩をすくめた。
「別にいいじゃない。だって、前にお姫様が、この話し方で大丈夫って言ってくれたんだし」
「えっ? そ、そうなの……?」
ネモフィラさんはこくりと頷いている。
彼女の修行の手伝いで、コスモスを呼んだことがあったけど、たぶんその時に話をしたのではないだろうか。
そういえば僕も、今は何気なく“さん”付けで呼ばせてもらっているが、これもネモフィラさんに許可をもらったからである。
おそらくネモフィラさんは、距離のある話し方をされるのがあまり好きではないのかもしれない。
「ロゼとローズも、友達みたいに話してくれていいよ」
「「い、いやいやいや……!」」
手と首を激しく横に振ると、動きと声がローズと重なった。
次期女王様に対して友達みたいな口調で接することはさすがにできない。
そんなの恐れ知らずのコスモスくらいしかできないだろう。
まあ、コスモスも一応はお嬢様な身分だし、僕たちより余裕があるのも不思議ではない。
それに兄と不仲という点や、実家で目を掛けられていなかったことなど、実はネモフィラさんと似通ったところがあるので、お互いに親近感とかがあるのかもしれないな。
「ところで、いったいいつまで森の中を歩かなきゃいけないのよ」
「んっ?」
不意にコスモスがげんなりとした様子でぼやいた。
「やっぱり馬車で回り道した方がよかったんじゃないの? これじゃあ森王軍の侵域に着くまでに力尽きちゃうわよ」
「でも、それだとかなり遠回りになるらしいからさ。森の魔獣が恐ろしくないなら、自分たちの足で森を抜けた方が断然早いって王都の人が……」
「なんで馬車は森の中を通ってくれないのよぉ〜」
それはまあ、魔獣に襲われたら危ないからね。
この森には獰猛な種族の魔獣が多く潜んでいるようで、この地域の冒険者たちでさえ避けて通る場所らしい。
森の中を歩いているだけで気取られて、人間や小動物なんかは簡単に食べられてしまうとか。
護衛をつけても入りたくないと言う御者さんばかりで、この森を通ってくれる馬車はないとのこと。
そんなことを思い出していると、コスモスがふと辺りを見渡しながら首を傾げた。
「でも、さっきから私たち、まったく魔獣に襲われてないわよね?」
「ま、まあ、そう言われてみれば……」
感知の支援魔法も使ってはいるけど、それにも反応はない。
いったいなぜなんだろう?
そう疑問に思っていると、僕はハタと思い当たる。
どうやらコスモスも同じことに気が付いたらしく、僕たちは顔を見合わせて“ローズ”の方を振り返った。
彼女は見られているとも知らず、ぐっと背中を伸ばしながら、呑気に欠伸を漏らしている。
「ひっきりなしに魔獣が襲いかかって来ると聞いていたので、ずっと身構えていたんですけど。これだとなんだか気が抜けちゃいますよね。皆さんお昼寝でもしているんでしょうか?」
「「……」」
これってもしかして、ローズの気迫のおかげで魔獣が近寄って来ないとか?
僕たちからすれば、特になんてことはない冒険者少女にしか見えないけれど、魔獣たちからはとんでもない存在に見えているのかもしれない。
思えば彼女の迫力に気圧されて、身が強張った思いはこれまで何度も味わってきた。
この森の魔獣は気配を気取るのが得意な種族のようなので、余計にローズの恐ろしさに怯えてしまったのかも。
これなら最後まで魔獣に襲われることなく、穏便に森を抜けられるんじゃないのかな?
このパーティーなら難なく魔獣を倒せるとは思っていたけれど、まさかローズが強すぎて、敵がまったく襲って来ないとは考えもしなかった。
やがてコスモスが、『もう疲れたぁ〜!』と駄々をこねて、その日は森の中で野営することになった。
森の中に手頃な泉を見つけたので、僕たちはそこで休息を取ることにする。
代わりばんこに水浴びもして、晩ご飯を用意し、腹も膨れたところで順番に眠ることにした。
「じゃあ、最初は僕とローズが見張りするから。コスモスとネモフィラさんはお先にどうぞ」
「うん、おやすみぃ〜」
そう言ってコスモスとネモフィラさんは、簡易的な天幕で眠りについた。
僕とローズは横倒しになっていた丸太に腰掛けて、火の面倒を見ながら見張りをする。
それにしてもやっぱり、魔獣が襲って来る気配を微塵も感じない。
これが本当にローズのおかげかは定かではないけれど、これなら夜の見張りも随分と楽ができそうで助かるな。
もちろん油断はできないため、二人交代での見張りを徹底するけど。
「ローズ、何か本とか読んだりする? 僕、退屈しのぎに色々と持って来てるんだ」
「あっ、いいですね。是非読ませてください」
見張り番の最中、手持ち無沙汰になるからと二人して読書を始めることにする。
どの本を読むかローズに聞いていると、ふと天幕からネモフィラさんが出て来るのが見えた。
何やら困った様子で荷物を漁り、ため息混じりに肩を落としている。
「どうしたんですかネモフィラさん?」
何か緊急事態だろうかと思って尋ねると、ネモフィラさんはそわそわしながらぼそりと言った。
「『キッカ』、忘れた」
「キッカ……?」
なんぞやそれ?
王族の間で伝わる高級寝具の名前だろうか?
と思っていたら、全然違うものだった。
「いつも一緒に寝てる“ぬいぐるみ”。キクが作ってくれたの。あれがあると、なんか落ち着くから」
「あぁ、“抱き枕”みたいなものですか」
そのぬいぐるみの名前が“キッカ”って言うんだ。
いったい何事かと思ってしまった。
どうやらそれがないと落ち着かず、上手く眠りにつくことができないらしい。
だから僕は荷物の中から、代わりになるものがないか探してみるが……
「ご、ごめんなさい。手頃な持ち合わせはなさそうです」
「……そっか」
抱き枕代わりになりそうなものは見当たらなかった。
大きめの毛布でも余分にあれば、それを丸めて抱き枕代わりにはできたんだけど。
ネモフィラさんは顔にはあらわれていなかったが、とても残念そうに肩を落としている。
……意外に可愛らしい一面があるんだな。
ネモフィラさんは一応、軍の訓練に参加したことがあり、野営の経験もあるとのこと。
だから問題はないと思っていたのだが、さすがにいきなり実践で上手くはいかないよな。
すると天幕の中から、今度はコスモスが出て来て、呆れた様子でネモフィラさんに声を掛けた。
「何してるのよお姫様? 早く寝ないと見張り番の時にきつくなるわよ」
「……」
ネモフィラさんの視線が、コスモスにピタリと留まる。
しばしそのまま、ネモフィラさんはぼんやりとした碧眼でコスモスを見据えて、さすがにコスモスも不思議そうに首を傾げた。
「……な、何、見てるのよ?」
何か不穏な空気でも感じ取ったのか、コスモスはそろりそろりと天幕の中に逃げ込もうとする。
そんな彼女を、ネモフィラさんは瞳をキラッと光らせて、両腕でガバッと捕まえた。
「ちょ――!? なになになにっ!?」
「うん、ちょうどいい」
大きな体のネモフィラさんが、小さな体のコスモスを両腕で抱きかかえていた。
まるでぬいぐるみを抱く少女のように。
どうやらコスモスをぬいぐるみ代わりに選んだみたいだ。
まあ、大きさ的にぬいぐるみと大差ないからね。
するとネモフィラさんは、コスモスを抱えたままウトウトし始めた。
「コスモス、ぬいぐるみみたいで、落ち着く……かも……」
「誰がぬいぐるみよ! って、嘘でしょ……? 本当にこのまま寝ないでよ!」
のそのそと天幕に引っ込もうとするネモフィラさんに、コスモスは必死に訴えかけていた。
果てには僕の方に目を向けてきて、視線だけで助けを求めてくる。
僕は、やれやれと言わんばかりにため息を漏らし、スッと右手を上げた。
「じゃ、ぬいぐるみ役、よろしく頼んだぞ」
「ぬいぐるみ役って何よ! 私は星屑師コスモス様よ! いずれは偉大な魔術師として、大陸中にその名前を……」
コスモスはネモフィラさんに抱きかかえられたまま、天幕の中に姿を消していった。
その後、静かになったことから、無事にネモフィラさんは眠りにつけたようだ。
ネモフィラさんにがっちり固定されたままのコスモスも、声が聞こえないことから諦めて眠ったのだと思う。
そんな二人の様子を見ていたローズが、不意に吹き出すように笑い声をこぼした。
「こんなに賑やかな冒険は初めてです」
「……だね」
ホント、なんだこの穏やかな旅。