第百十六話 「頼もしい味方」
「ロ、ローズ……」
見慣れた赤髪の少女が突然現れて、僕は目を丸くしながら呆然とする。
まるで僕の心の声を聞き届けたかのような、絶妙なタイミングでの登場だったので、言葉を失くして驚いてしまった。
“いったい誰が魔王軍を倒すのか”、ダリアにそう問われた僕は、真っ先に彼女の姿を思い浮かべたから。
「誰だてめえ……? 今は取り込み中だ、さっさと出て行け」
「取り込み中……」
水を差されたユーストマは憤りをあらわにして、一方でローズは冷静な様子で状況を確認する。
まずは屋内を見渡して、次いでユーストマ、ダリア、僕の順番に視線を動かす。
やがてローズは、僕の胸ぐらを掴んでいるダリアの手に目を留めると、不穏な空気を感じ取ったのか赤い瞳を僅かに細めた。
「私はここの家主のロゼさんと親しくさせてもらっている、ローズ・ベルミヨンと言います。断りもなく扉を開けてしまったことは謝りますけど、親しい人物が目の前で掴みかかられているというのに、黙って立ち去ることはできませんね」
「んだと……」
ローズとユーストマの間に見えない火花が散る。
一触即発の雰囲気になり、僕は慌ててダリアの手を振り解いて間に入った。
「ちょ、ちょっと待った! ここで争い事はしないでくれ! 僕がちゃんと説明するから……!」
こんな手狭な屋内で戦いを始めたら、育て屋がどうなるかわかったものではない。
いや、たぶんローズほどの実力者なら、ユーストマを穏便に無力化することもできただろうけど。
でも不必要な争いは避けるべきだと思い、僕は二人を落ち着かせるために屏風になったのだった。
すると二人は、お互いに前のめりになっていた姿勢を元に戻してくれる。
そのことに安堵しながら、僕は手短にお互いのことと現状を説明した。
ローズが、育て屋を始めるきっかけになった少女だということ。
ダリアとユーストマが、勇者パーティーのメンバーだということ。
ローズは僕が勇者パーティーを追い出されたことを知っているので、説明も幾分か楽に済んだ。
「なるほど、そんなことがあったんですか」
森王軍と霊王軍が手を組んで、呪いの樹木を復活させようとしている。
それを食い止めるために、また育成師として勇者ダリアに力を貸せと迫られている。
ということまで説明を終えると、ローズはふむふむと頷きながら言った。
「でしたら、私が魔王軍と戦いましょうか?」
「へっ……?」
これまた唐突な提案に、僕は素っ頓狂な声を漏らしてしまった。
ダリアとユーストマも似たような反応をしている。
そんな僕たちとは打って変わって、ローズは落ち着いた様子で続けた。
「誰かが森王軍と霊王軍の計画を阻止しなくてはいけないんですよね? でも勇者パーティーさんがまた力を取り戻して戦いを挑んでも、勝てる可能性はほとんどないと……」
「か、勝手に決めつけてんじゃねえ!」
憤るユーストマの声を無視しつつ、ローズはさらに話を進める。
「そんな自殺行為に手を貸したくないから、ロゼさんは勇者さんたちに協力したくないということなんですよね?」
「う、うん。僕の育て屋はあくまで、真っ直ぐな志を持った冒険者を育てるためのものだから」
「……私たちの目的が曲がってるとでも言いたいのかしら?」
いや、充分曲がってるでしょ。
一度森王軍と霊王軍に負けてしまったから、その仕返しをしたいという浅い志しか感じない。
そんな気持ちで連中と再戦したとしても、きっと結果は同じだ。
でもそうなると奴らの計画を阻止できる人がいなくなってしまうので……
「ですから私が代わりに魔王軍と戦えば、ロゼさんがこの人たちに手を貸す必要もなくなるのではないですか?」
「ま、まあ、確かにそれはそうなんだけど……」
今のローズなら、たぶん充分に森王軍と霊王軍の連合軍に通用すると思う。
いや、そもそも奴らの計画を阻止できる人物なんてすでに限られている。
そのうちの一人がローズだと僕は思うので、ここは是非とも力を借りたいところだ。
しかし……
「ローズにそこまでしてもらうのは、なんか違う気がするんだ。これは勇者パーティーと僕の問題だから、ローズに手伝ってもらう筋合いはないし……」
弱々しい声でそう言うと、すかさずローズがかぶりを振った。
「いいえ、これはもう勇者パーティーとロゼさんの問題ではなく、人類の問題になっていますよ」
「人類の、問題……?」
「森王軍と霊王軍を止めなければ、東側の国だけではなく、このコンポスト王国にまで被害が出るんですよね? 下手をしたら大陸全土の人々が呪いに冒されてしまいます。でしたらそれはもう人類全員の問題ですよ」
そう言われると、確かにその通りだと思うけど……
「そして私としても、この国が脅かされるのは大問題なんです。私はロゼさんやお母さん、他の見知った方々が暮らしているこの国が大好きですから、それを守るためにお手伝いをさせてください。これは、ロゼさんのためだけではなく、私のためでもあるんですから」
「ローズ……」
ローズから真っ直ぐな笑みを向けられて、温かな優しさを肌で感じる。
次いで彼女は、闘志の炎を静かに燃やすように、僅かに声音を低くして続けた。
「それに私も、霊王軍の魔獣にお母さんが襲われています。そのせいでお母さんはとても危険な目に遭いました。私自身、霊王軍に対して思うところもありますので、私も是非戦わせてください」
「……」
僕もこの国が好きだ。
この町が好きだ。
ここで暮らしている人たちが好きだ。
今の平穏なこの暮らしが好きだ。
だからローズと同じように、そのすべてを守りたいと思っている。
この国を、この町を、この育て屋を。
それに……
『僕も、父さんと母さんみたいな、かっこいい冒険者になれるかな?』
『アロゼ、もっと自分に自信を持ってもいいんだぞ』
『アロゼの力は、物語の主人公になれるような力じゃないかもしれない。でも、主人公よりももっとすごいものになれる可能性があるんだから』
懐かしい父さんと母さんの声が脳裏をよぎる。
一級冒険者として最前線で活躍し、十年近く前に竜王軍との戦いで命を落としてしまった父さんと母さん。
手に掛けたのは、竜王軍の長の『竜王ドラン』だったと聞いている。
数百年間も生き続けている最古の魔獣にして、魔王軍最強とも言われている存在。
各国の実力者を軒並み揃えたとしても、打ち倒せるかどうかわからないほどの強敵。
だからこそ森王軍と霊王軍から、今のうちに竜王軍の情報を引き出しておいた方がいいかもしれない。
誰かが竜王軍を倒して、代わりに両親の仇討ちをしてくれたらいいかなと思っていたけれど、ダリアがこうなった今その望みは薄くなってしまったから。
「僕も、森王軍と霊王軍を倒して、この国や町を守りたい。だから一緒に戦ってくれないかな、ローズ」
「はい、任せてください!」
改めてローズにお願いをすると、彼女は快い返事をしてくれた。
こんなにも心強い味方は、きっと他にいないだろう。
僕は自然と頬を綻ばせながら、次いでダリアたちの方を振り返る。
「悪いな。というわけで、勇者パーティーの依頼は引き受けないことにするよ。魔王軍は僕たちが代わりに倒すから」
「……」
きっぱりとそう宣言すると、ダリアとユーストマは呆然とした様子で固まってしまった。
しかしすぐに、ユーストマが額に青筋を立てる。
「さっきから聞いてりゃ、何わけわかんねえことばっか言ってやがんだ……? そのガキが魔王軍と戦うだと……!? そんなガキが奴らに勝てるはずねえだろうが!」
育て屋の世話になった少女、ということしか知らないユーストマは、ローズを指差して蔑む。
次いで僕に鋭い視線を向けて恫喝してきた。
「森王軍と霊王軍に対抗できる人間なんざ、勇者ダリアくらいしかいねえんだ! いまだに追い出されたことを根に持ってんのか知んねえが、つべこべ言わずに俺らに協力しやがれ!」
「自殺行為に手を貸すつもりはないって何度言ったらわかるんだ。僕は首吊り用の縄じゃないんだぞ。お前たちの代わりにローズが倒してくれるって言うんだから、勇者パーティーは大人しく町で待ってろよ」
「――っ!」
自分たちで森王軍と霊王軍を倒さないと気が済まないのだろう。
ユーストマは歯を食いしばって睨みを利かせてきた。
すると、僕が頑なに言うことを聞こうとしないので、いよいよユーストマは……
「そんなガキに何ができるってんだよ! こうなったらてめえを気絶させて、無理矢理にでも連れ回してやるよ!」
痺れを切らして、こちらに掴みかかろうとしてきた。
確かにそれでも育成師の『応援』のスキルは効果を発揮する。
僕が近くにいるだけで神素の取得量を倍増させてくれるスキルだから、気絶させて引き摺り回したとしても育成師として機能させることはできてしまうのだ。
ゆえにユーストマは、僕を締め上げるために首元に手を伸ばしてきた。
刹那――
「この手は、なんですか?」
「――っ!?」
いつの間に、だろうか……?
ローズが、ユーストマの傍らに立ち、籠手に覆われた奴の左手首を右手で掴んでいた。
ユーストマも、ダリアも、僕でさえも、ローズが動いたその瞬間を、まったく目で捉えることができなかった。
直後、季節が真冬に変わるように、強烈な寒気が全身を駆け巡る。
「『そんなガキに何ができる』、でしたっけ? 確かに私には、胸を張って誇れるような特技は何もありません。けれど、少なくとも今……」
ミシミシと、籠手から不吉な音を鳴らしながら、ローズはユーストマに鋭い視線を浴びせた。
「このまま、あなたの左手を砕くことは、簡単にできますよ」
「――っ!」
ユーストマは怯えるようにして左手を引っ込めた。
見ると、鋼の装甲で出来ているはずの籠手が、まるでパン生地のようにぐにゃっと変形していた。
あのままユーストマが左手を前に突き出していたら、籠手から先が無くなっていたかもしれない。
ローズの恐ろしい脅迫を受けたユーストマは、額から玉のような汗を滲ませていた。
どうやらしつこい彼らに憤りを募らせていたのは、ローズも同じだったようだ。
「な、なんなんだよてめえ…………! てめえはいったい、何者なんだよ……!」
ユーストマは恐怖を刻み込まれたのか、声を震わせながらローズを睨みつけている。
同じくダリアも肩を震わせながら、ローズに怪訝な視線を向けていた。
まあ、ローズの実力をいまいち理解できていないみたいなので、疑問に思うのも無理はない。
仕方なく僕は、今一度ローズの力をわからせるために、当人に提案を出した。
「ローズ、天啓を出してくれないかな」
「天啓、ですか……?」
すぐにその意味を悟ってくれたローズは、すかさず頷いて手を構える。
「【天啓を示せ】」
すると丸められた羊皮紙のような紙が手元に落ちてきて、ローズはそれを自ら開いて前に突き出した。
ダリアとユーストマは瞳を細めて、その天啓に目を凝らす。
瞬間――
「えっ……」
二人は、時間が止まったかのように、凍りついた。
【天職】戦乙女
【レベル】25
【スキル】戦神 剛力 疾走
【魔法】
【恩恵】筋力:SS+1025 敏捷:SS975 頑強:S+805 魔力:C350 聖力:C350
「な、なんだよ、この天啓は…………」
「き、筋力恩恵値、1000超過…………?」
頭の整理が追いついていないようで、天啓を見つめたまま愕然としている。
まあ、そんな反応をしてしまうのも無理はない。
これまで数多くの冒険者や偉人たちの天啓を見てきた僕でも、こんな“ふざけた天啓”は一度も見たことがないくらいだから。
幼児が考えた“落書きの天啓”だと言われた方がまだ納得できる。
「こ、こんな天啓、馬鹿げてる……! レベル限界値の半分で、なんで私より強いのよ……! 私が、勇者のはずなのに……!」
ローズの天啓を見たダリアは、悔しさと怒りを滲ませるように体を震わせた。
いまだに自分が最強の冒険者だと疑っていないみたいだけど、それ以上の逸材がいることを僕はすでに知っている。
「わかっただろ。この町にいる冒険者たちは能無しなんかじゃない。みんな才能に溢れた貴重な原石たちなんだ。だから今回はローズに任せて、お前たちは指を咥えて町で大人しくしておくんだな」
「……っ!」
ダリアは怒りで顔を赤くしながら、歯を強く食いしばった。
しかし口からは何の言葉も出てこず、奴は乱暴に扉を開け放って育て屋を飛び出してしまう。
ユーストマが慌てた様子でその後を追いかけて行くのを、僕は少し呆れた気持ちで見つめていた。