第百十四話 「逆転する立場」
「呪いで……レベル1に…………? そ、そんな呪いがあるのか……?」
唐突に明かされた事実を、僕は飲み込み切れずに混乱する。
そんな恐ろしい呪いがあるなんて聞いたことがない。
しかしすぐにあることを思い出して、僕は自分にかぶりを振った。
聞いたことがない? いや、『レベルが低下する呪い』というものに僕は“見覚え”がある。
調べ物をするために図書館を訪ねた際、『ゼラニウムの天職研究書』という書物を見つけた。
天職に関する事件を調べた本で、その中に『天職のレベルが低下した村人を調査した』という一文があったと思う。
そして結果として、レベルの低下は魔獣の呪いが原因であることを解き明かしたと書いてあった。
まさか同様の魔獣の仕業だろうか、と密かに思っていると、ユーストマが手に持った天啓をバサバサ揺らしながら答えた。
「ダリアの天啓を見ての通り、実際にそんな呪いがあったんだよ。“霊王軍”の幹部の中に骸骨姿の不気味な魔獣がいて、そいつに掛けられた呪いでダリアのレベルが下がっちまったんだ」
「ちょ、ちょっと待った。霊王軍の幹部って言ったか? 勇者パーティーは森王軍の侵域に攻め込んでたはずじゃ……」
なぜここで霊王軍の話が出てくるのだろう?
森王軍とは関係のない派閥じゃないのか?
「手ぇ組んでたんだよ。森王軍と霊王軍」
「えっ……」
「俺らもそのことを知らなかった。だから不意を突かれて、俺たちは撤退するしかなかったんだよ……!」
ユーストマはまるで自分に言い聞かせるようにして、悔しそうに呟いている。
不意を突かれたと言っているが、敗戦の理由はもっと別にあるだろうと僕は密かに思う。
やっぱりまだダリアたちでは早すぎたのだ。
魔王軍の連中と戦うには、まだ実戦経験が足りていなかった。
それに霊王軍の連中まで加わったとなると、生半可な実力では太刀打ちできないだろう。
ともあれ、ダリアが霊王軍の幹部の呪いで、レベル1になってしまったことは理解できた。
「でも、なんで森王軍と霊王軍は手を組んだんだ? あいつらは基本的に別派閥との馴れ合いはしないはずじゃ……」
素朴な疑問を口からこぼすと、ちょうどその時通りの奥の方から人の声が聞こえてきた。
ここはあまり人通りが多くないが、それでもまったくないわけではない。
その声を聞いたユーストマが、イラついたように舌打ちを漏らした。
「このことは人に聞かれるとマズい。どこか場所を移すぞ」
「う、移すぞって、そっちから押しかけて来ておいて……」
なんとも偉そうな物言いに、憎まれ口の一つでも返そうかと思った。
そもそも僕、まだ話を聞くとは一言も言っていないし。
だが、すぐに僕は考え直して、あることを思いつく。
「…………なら、うちの育て屋に入ろう。僕もあんまり今の状況は、人に見られたくないし」
「あぁ。ダリアもそれでいいな」
「……」
ダリアが沈黙という形で了承したので、僕たちは一度育て屋の中に入ることにした。
別に、ダリアたちの頼みを聞く気になったわけではない。
勇者パーティーが抱えている問題に興味があるわけでもない。
むしろさっさと追い返してしまいたいくらいだったのだが、せめてダリアたちから“魔王軍の動向”だけは聞き出しておきたいと思った。
直接森王軍と対峙した彼女たちなら、今の情勢をより詳しく知っているだろうし、僕の両親の仇である竜王軍のことについても何かわかるかもしれないから。
それを聞き出したらさっさと追い返そうと思って、手早く話を再開する。
「それで、森王軍と霊王軍が組んでたのはどうしてなんだ? そんな情報、今までに聞いたことがなかっただろ」
「詳しいことは何一つわかってねえよ。ただ、森王軍の侵域に詳しい『トレリス村』の連中が言うには、『呪葬樹の苗木』を育てようとしてんじゃねえかって話だ」
「呪葬樹の、苗木……?」
耳に馴染みのない言葉が出てきた。
聞いた感じは物騒だけど。
「大昔に大陸東部に大災害をもたらした『呪葬樹』っつー木があんだよ。成熟した呪葬樹は人体に悪影響を及ぼす呪いを周囲に振り撒いて、呪われた人間は気が狂ったり石化しながら死んでくんだと」
「……」
「それは大昔に切り倒したみてえだが、森王軍は今でもその苗木をいくつか抱えてるって話だ。その復活のために霊王軍の力が必要らしい」
……なるほど。
その呪葬樹を苗木から成長させるために、霊王軍と共同戦線を張ったってことか。
確かにそんなとんでもないものが復活したとなれば、人間側と魔獣側の形勢は一気に逆転する。
大陸の東側から呪いが広まって、いずれこの大陸のすべての人間が呪いに冒されることになるだろう。
別の派閥とは手を組まないことで知られている魔王軍だが、何か膨大な見返りを森王軍側が積んだんだろうな。
「実際にその計画のために霊王軍と組んだかはわかんねえが、くだらねえこと考えてんのは事実だ。放っておけば東部地区だけじゃなく、大陸全土が危険に晒される。今じゃ東側の連中も相当警戒してるしな」
初耳の情報を手に入れて、僕は密かに頷いた。
東の国ではそんな大変なことになっていたのか。
まだ中央部のこの辺りには知れ渡っていないことだが、いずれその情報は伝わってくるだろう。
それを受けて、王都も何かしら動きを見せるかもしれない。
霊王軍絡みとなるとなおさら、ネモフィラさん辺りが手を出しそうな案件だ。
信憑性は確かではないけど、今のうちに僕の方から知らせておいた方がいいだろうか?
手に入れた情報をさっそく有効活用しようかと考えていると、僕は遅まきながらあることに気が付いた。
「そういえば、ここに来たのは二人だけなのか? グリシーヌとアイリスはどうしたんだよ? まさか死……」
「勝手に殺すんじゃねえ。二人はまた別の幹部に呪いを掛けられて、今は治療院で療養中なだけだ。呪い自体は“解呪師”に依頼をして解いたがな」
なんだ、そういうことか。
賢者グリシーヌと聖女アイリスの姿がまったく見えなかったので、てっきり森王軍との戦いでやられてしまったのかと思った。
「じゃあ、ダリアに掛けられた呪いも、二人と同じように解呪師に頼んで解いてあるってことか。でもなんでレベルが元に戻ってないんだよ?」
「知るかよ。つーかこっちの方が知りてえっつーの」
ユーストマは苛立ちを募らせるように舌打ちをこぼす。
それに釣られたように、ダリアも怒りを滲ませるように薄紅色の髪をくしゃっと掻いた。
一方で僕は、ダリアの身に起きた事象について、少しだけ心当たりを思い出す。
なぜレベル低下の呪いを解いたのに、レベルが元に戻っていないのか。
それはおそらく、レベル低下の“呪い”を消すことはできたが、その“結果”までは消すことができなかったのだろう。
ネモフィラさんのお姉さんであるクレマチス様と同様の状況だ。
『私はある魔族に呪いを掛けられたせいで、もう長くない命なんだそうだ』
彼女も霊王軍の幹部の呪いによって、人間の寿命となる“天命”を削られてしまった。
その呪いを解くことはできたけれど、結果として彼女の削られた寿命は元に戻らず、先が長くない体になってしまった。
ダリアのレベルも同じように、下がってしまった結果だけが残ったのだと考えられる。
魔獣の呪いは本当に恐ろしいものだ。
特に霊王軍の連中が扱う呪いは注意しなければならない。
にしても、相変わらず解呪師ロータスは大活躍だな。
「呪いを解いてもレベルは元に戻らなかった。グリシーヌとアイリスも今は戦えねえ。だから俺らは駆け出し冒険者の町に戻って来て、一からダリアを成長させようと思ったんだ」
「……」
ダリアたちがこの町に来ていたのは、そういう事情があったからなのか。
次いでユーストマは僕に鋭い視線を向けてくる。
「で、この町に戻って来たその日に、育て屋の噂を聞いた。駆け出し冒険者の成長の手助けをしてる奴がいるってな。俺らはさっさとダリアの力を取り戻して、今度こそ魔王軍の連中を根絶やしにしねえとならねえんだ。だから手を貸せ、アロゼ」
先ほど断られたというのに、ユーストマは折れずに僕に命じてくる。
変わらない強気な態度に、思わず眉間にシワを寄せていると、奴はなんとも“的外れ”な提案を持ちかけてきた。
「さっきも言ったが、礼ならいくらでもする。それと……勇者パーティーを追い出したこともなかったことにしてやるよ」
「……はっ?」
「俺らに協力して、ダリアをまたレベル限界値まで到達させたら、今度こそ勇者パーティーの一員として認めてやってもいいって言ってんだ。どうだ? お前にとっちゃこれ以上ないほど“得”な話だろ?」
「……」
…………本気で言ってるのか、こいつ。
本気でその話が、僕にとって得なことだと思っているのだろうか?
まるで僕が、今でも勇者パーティーに未練があるかのような、見当違いも甚だしい思い込みをしている。
露骨に顔をしかめて嫌悪感を示すが、ユーストマは気付かずに逆効果の説得を続けてきた。
「ここでこうしてトロくせえ冒険者どもから小銭を搾るよりも、勇者パーティーに戻った方が金も名声も得られる。何よりこんな町でくすぶってる能無し連中なんか全員放っておけよ。んな奴らに育成師の力を使うくらいなら、うちのダリアに力を貸す方が断然有意義だと思うがな」
……能無し連中。
僕がこの町で出会った、優しさと才能に溢れたあのみんなのことを、能無しだって言うんだな。
見たこともないくせに、そんな風に決めつけるなんて、この町のことを何一つわかっていない。
駆け出し冒険者の町ヒューマスには……このはじまりの町には、規格外のとんでもない逸材が数多く眠っているんだ。
「だからまた勇者パーティーに戻って来いアロゼ。こんな育て屋とかいう“くだらねえもん”はやめて、育成師として勇者ダリアに力を貸せよ」
ユーストマはそう言いながら、改めて手を差し出してくる。
僕は伸ばされたその手を見つめながら、静かに息を吐き出した。
ダリアのために、また育成師の力を貸せ。
無事にダリアの力を元に戻せたら、勇者パーティーに戻って来てもいいぞ。
育て屋なんて“くだらないもの”は、さっさとやめた方がいいから。
そんな誘いを受けて、改めて僕の気持ちは一つに固まった。
パンッ!
僕は、大嫌いな黒光りする虫を見つけた時のような……嫌悪に満ちた顔をして、ユーストマの手を払い除けた。
「…………さっさと出ていけよ」
勇者パーティーを追い出された時に掛けられた言葉を、今度は僕から告げたのだった。