第百十三話 「勇者との再会」
『アロゼ。あんたもういらないから、さっさと出て行きなさいよ』
腰まで伸ばされた薄紅色の長髪。ややつり目がちな同色の瞳。
僕を見るその目は相変わらず無機質で、こちらに一切の関心がないことを伝えてくる。
忘れるはずもない。見間違えるはずもない。
彼女こそ、この中央大陸の東部にてその名前を轟かせている、東の勇者ダリア・ルージュだ。
そして僕のことを、勇者パーティーから追い出した張本人でもある。
どうしてダリアがここに――育て屋に来ているんだ。
今は東の方面で、森王軍の侵略地域を攻め込んでいるはずなのに。
もう森王軍を壊滅させて、ヒューマスの町に戻って来たっていうのか?
でもそんな知らせは聞いていないし、しばらく勇者パーティーの動向も不明なままだった。
訳がわからずに額に脂汗を滲ませていると、ダリアに続いて大男の方が舌打ち混じりな声を漏らした。
「育て屋ロゼ…………って、なるほどな。そういうことかよ」
「……?」
男はそう言いながら、顔を覆っていたフードを取り払う。
瞬間、緑色の短髪と、力強い目つきの強面が明らかになった。
「ユ、ユーストマ……」
こちらも因縁深き人物であり、僕はさらに気持ちを張り詰めさせる。
聖騎士ユーストマ。
勇者パーティーで盾役を務めている男である。
僕を勇者パーティーから追い出す時、ダリアと一緒になって僕を責め立てていたのが記憶に新しい。
ダリアがいるなら、ユーストマもいて不思議はないけれど、思わぬ人物たちの登場で僕は息苦しさを覚えていた。
そんな中、ユーストマが緑髪を掻きながらため息混じりに言う。
「ってか、俺らも相当抜けてたな。“ロゼ”って名前で、他人の成長の手助けなんかしてるって、どう考えてもこいつしかいねえじゃねえか。なんで気付かなかったんだが」
「こんな奴のことなんか頭に残ってなかったんだから当然よ。私だってわかってたら、こんなとこ絶対に来てなかったし」
二人の様子からして薄々感じていたが、やはり僕がいるとわかっていて来たわけではないようだ。
純粋に育て屋を頼りにここに来たのだろう。
だとしたら余計に謎めいてくる。
二人はいったい、育て屋になんの用があってやって来たのだろうか?
僕は大いに警戒しながら、二人に対して問いかけた。
「こ、ここに、何しに来たんだ……」
育て屋に用事、ということは、成長の手助けを依頼しに来たのか?
しかしダリアたちは、すでにレベル限界値に到達している。
どころか大陸一の実力を持つ冒険者と謳われているくらいで、もはや育て屋とは一番無縁の存在だと言い切ることができる。
新規メンバーの育成に難航していて育て屋を訪ねて来たのだろうか? いや、だとしたらその人物も一緒に来ていないとおかしいか。
それじゃあただの物見遊山? それかそもそも成長の手助けを依頼しに来たのではない?
一瞬にして様々な推測が脳裏をよぎるけれど、やはりどれもピンとは来ない。
「……」
ただ一つ言えることは、この再会は僕にとって…………育て屋にとって最悪の事態だということである。
勇者パーティーが訪ねて来るなんて、きっとロクなことにならない。
僕は一度、こいつらのせいで“居場所”を失くしたことがあるんだ。
育成師の僕がパーティーにいると、彼女たちにとって都合が悪いからと一方的にパーティーを追い出された。
だから自然と身構えさせられる。
僕が大好きな、この町での平穏な暮らしも奪われてしまうのではないかと、悪い予感ばかりが頭に浮かぶから。
そう警戒しながら言葉を待っていると、やがてユーストマが鋭い目つきでこちらを見た。
「確認のために聞いておくが、お前が育て屋ロゼで間違いないんだな」
「……そ、そうだけど」
「勇者パーティーを追い出されて居場所を失くしたから、わざわざ駆け出し冒険者の町に戻って来て小銭稼ぎか。浅ましいお前が考えそうなことだな」
「……」
皮肉混じりな台詞に、僕は胸を締めつけられるような気持ちになる。
そんなことを言うためにわざわざここに来たのか……
声を荒げて追い返してしまいたい気分になるが、それより先にユーストマがため息混じりに続けた。
「まあ、別にそんなことどうだっていい。今はお前を茶化してる暇もねえからな。とにかく話を始めるぞ」
「話? って、今さら二人と話すことなんて何も……」
心の底からさっさと帰ってほしいと願っていると、ユーストマの言葉を聞いたダリアがハッと目を見開いた。
「ま、まさか、こいつに“あのこと”話すつもりじゃないでしょうね! 私は絶対に反対よ!」
「仕方がねえだろ。もうこの際、しのごの言ってなんかいられねえんだからな。使えるものはなんだって使ってやる。ダリアだってその方がいいだろ」
「……」
ダリアは複雑そうな表情で口を閉ざす。
彼女たちの会話の内容が何一つわからず、僕は首を傾げることしかできなかった。
「さ、さっきから、いったいなんの話をしてるんだよ。育て屋になんの用事が……」
直後、ユーストマが語気を強めて、信じられない台詞を口にした。
「また俺たちに手を貸せ、アロゼ」
「…………はっ?」
「育成師の力を、また俺たちに……いいや、勇者ダリアに貸せ」
「……」
ドクッと心臓が痛み出して、僕はぐっと奥歯を噛み締める。
ユーストマの言葉が冗談にしか聞こえず、僕は自分の耳を疑うことしかできなかった。
同時に、胸の内に怒りや戸惑いが入り混じった、言い知れぬ感情が生まれるのを感じる。
「な、なに、言ってるんだよ……? また育成師の力を貸せ……? 自分たちから追い出しておいて、なんで今さらそんなこと……」
声を震わせる僕を見ながら、ユーストマが端的に返してくる。
「礼ならする。金でも武器でも道具でも、好きなものをお前にくれてやる。だからまたダリアに力を貸せ」
「そ、そういう問題じゃない。お前たちが僕に何をしたのか、まさか忘れたとか言うつもりじゃないだろうな」
自分たちの名誉のために、僕のことを一方的に追い出したんだぞ。
僕が勇者パーティーにいたままだったら、これから勇者パーティーの功績はすべて僕のものになるからって。
「ていうかそもそも、僕の力はもう必要ないって言ったのはそっちの方じゃないか。だってダリアたちはもう……」
レベルが限界値に到達したから、育成師は用済みなんじゃないのかよ。
それなのにどうして今さら“力を貸せ”なんて言ってくるんだ。
僕の怒りの混じりの疑問を受け取ったユーストマは、先ほどから黙り込んだままのダリアに声を掛けた。
「お前から話せよダリア。その方がたぶん早い」
「……やっぱり私は反対よ。なんでよりにもよってこいつに話さなきゃいけないのよ。こいつに頼るくらいだったら、自分の力だけでなんとかするわ」
「それが無理だって思ったから育て屋に行くって話になったんだろ。俺たちだけじゃもうどうしようもねえからって……」
「……」
やはり会話の意味は理解できない。
そのユーストマの説得が効いたのだろうか、ダリアが舌打ちののちに渋々と唱えた。
「……【天啓を示せ】」
何もない空間から羊皮紙のような紙を取り出し、それをユーストマに渡す。
ダリアはそれだけをすると、自分からは話すつもりがないのか再び口を閉ざしてしまった。
ユーストマはその様子に呆れながらも、ダリアに代わって天啓を差し出してくる。
「とりあえずこれを見ろアロゼ。話はそれからだ」
「“これ”って言われても、ただの天啓じゃないか……。そもそも僕は、そっちの話を聞くとは一言も……」
言ってない、と続けようとしたのだが……
ユーストマの見せてきた天啓が、一瞬だけ視界に映り、僕は思わず言葉を失った。
「…………はっ?」
見間違い、かと思った。
もしくはダリアたちの悪ふざけで、偽物でも見せられているのではないかと思った。
だから念のために僕は、ダリア本人にも視線を移して目を凝らす。
神眼のスキルまで使って天啓を確認してみたが、僕の目に間違いはなかったようで……
ダリアの頭上には、信じがたい天啓が映し出されていた。
【天職】剣聖
【レベル】1
【スキル】
【魔法】
【恩恵】筋力:C350 敏捷:C320 頑強:C350 魔力:D280 聖力:D280
「なんだよ……これ……?」
剣聖……レベル1。
なんでダリアのレベルが1になってるんだよ。
どうしてスキルも魔法もすべてなくなってるんだよ。
僕の育成師の力によって、限界値のレベル50まで成長したはずなのに……
まるで、駆け出し冒険者の頃のような天啓に変貌していた。
驚愕しながらダリアを見据えるが、彼女からの説明はない。
その代わりにユーストマが、やや躊躇いがちに視線を泳がせながら、衝撃の事実を告白してきた。
「ダリアは霊王軍の幹部から特殊な呪いを受けて、レベル1の状態まで引き戻されちまったんだよ」
「……」
ダリアを一瞥すると、彼女は血が滲むような勢いで、悔しげに唇を噛み締めていた。