第百十二話 「告白」
受付室でアリウムさんの病室を聞くと、一階の一番奥の部屋を教えてもらった。
その病室に近づくにつれて、スイセンの緊張が徐々に増して行くのがわかる。
やがて目的の部屋に辿り着くと、扉はすでに開け放たれていて、やや小ぶりな室内が目に映った。
ベッドと小タンス、その近くには窓と客用と思われる椅子がある。
そしてベッドには、意識を取り戻したらしいアリウムさんが、窓の外を見つめながら座っていた。
「……」
改めてその姿を見て、スイセンは心を痛めるように唇を噛む。
アリウムさんの体には、あちこちに手当てを受けた跡が見受けられた。
罪悪感に苛まれてしまうのも無理はない。
するとこちらに気が付いたアリウムさんが、傷のことなど感じさせないくらいシャキッとした声を掛けてくれた。
「おぉ、スイセン・プライドか。……と、そっちは確か、ロゼ・フルールだったか?」
「「……」」
予想だにしなかった言葉に、僕とスイセンは思わず戸惑ってしまう。
アリウムさんとの接点は、今日までまったくなかったと記憶している。
だというのに、なぜ彼女は僕のことを知っているのだろうか?
冒険者としてギルドで受付をする時は、いつもテラさんに頼んでいたし、たぶん喋ったこともないと思うけど……
「ぼ、僕のことも、ご存知だったんですか?」
「あぁ、テラが見かけている冒険者だと聞いていたからな。それに彼女は事あるごとに君の話をするものだから、私もすっかり覚えてしまったよ」
「な、なるほど。テラさんが……」
確かにその繋がりで僕のことを知っていても不思議ではない。
にしても、事あるごとに僕の話をしているって、どんな話をしているんだろう?
僕から引き出せる話題なんてほとんどないだろうに。
そう思って首を傾げていると、やがてアリウムさんに招かれて、僕たちは恐る恐る病室に入っていった。
そこで改めて問いかけられる。
「それで、二人してどうしたんだ? 見舞いにしては随分とおかしな取り合わせのように思うが。というか君たちは知人同士だったのか?」
「まあ、はい。仕事の関係で知り合ったばかりなんですけど……」
なんて手短に知り合った経緯を説明すると、そのタイミングでスイセンが開口一番に謝った。
「あ、あの! 今日はアリウム氏に謝罪がしたくて来たんです……!」
「謝罪?」
「昨夜、複数の暴漢が襲って来た件です。アリウム氏が襲われたのは、俺が原因なんです。俺のせいでアリウム氏を、危険な目に遭わせてしまった……!」
「……」
まだ詳しい事情を知らないアリウムさんに対して、スイセンは心苦しそうに、すべてを明かした。
アリウムさんを襲った連中のこと、連れ去られた事情、スイセンとシオンの関係について。
一応、彼女への好意を隠すために、アリウムさんが狙われた理由は『スイセンと親しくしていたから』ということにしたけど。
アリウムさんは終始、何も言わずにスイセンの声に耳を傾けていて、傍らで僕も静かに見守り続ける。
やがてすべての説明を終えると、スイセンはすかさず頭を下げた。
「申し訳ないアリウム氏。俺のせいでそのような怪我まで負わせてしまった。どう償ったらいいか」
罪悪感の滲んだ謝罪が、僕たちだけの病室に静かに鳴り響く。
アリウムさんも黙り込んだままで、病室に妙な緊張感が立ち込めていると、やがて彼女はにこりと微笑んだ。
「そんなに落ち込む必要はないよ、スイセン・プライド。君が責任を感じるところなんてどこにもないじゃないか」
「……」
アリウムさんの口からそう言われて、スイセンは驚いたように目を丸くしている。
隣でそれを聞いていた僕も、思わず盛大に安堵の息を吐いてしまうところだった。
アリウムさんならきっと、スイセンのことを責めるようなことは言わないとは思っていたけど、こうして改めて彼女の口からその言葉が聞けてとても安心する。
「それにこれは、私が未熟だったのもいけないんだよ。あの程度の人数を相手に敗戦するとは、元一級冒険者が聞いて呆れる。私もまだまだということだな」
「そ、そんなことは……!」
すかさずスイセンがアリウムさんのフォローをしようとすると、それよりも早く彼女から驚きの一言を掛けられた。
「それに狼藉者たちは、君が咎めてくれたのだろう? 私も意識は定かではなかったが、その時のことはぼんやりとだけど覚えているよ」
「えっ……?」
「劣情を持って私に手を上げようとした冒険者たちに対して、君は勇敢に立ち向かってくれた。勇気を持って私を助けようとしてくれた。意識が朦朧としていたため、夢だったのではないかと思っていたが、どうやら見間違いではなかったようだな」
朧げながらも、当時のことを少しだけ覚えているらしい。
会話の内容や具体的なことまでは掴めていないみたいだが、それでもスイセンの勇姿だけは彼女の頭に刻み込まれているようだ。
「私が彼らに襲われたのは、確かに君が原因なのかもしれない。しかし君自身が己の力だけでそれを解決したのだから、それで償いは充分にできているんじゃないのか?」
「アリウム氏……」
スイセンの緊張の糸が、次第に解けていくのを感じる。
罪悪感に蝕まれていた心が、雨上がりの空のように晴れていくのがわかる。
スイセンは今一度確かめるようにして、アリウムさんに問いかけた。
「それじゃあ、今度からも俺は、アリウム氏に声を掛けてもいいん……ですか?」
「何を遠慮する必要がある。話したい時に自由に声を掛けてくれればいいさ」
「また、同じようなことが起きてしまうかもしれないのに、迷惑だって思わないんですか」
「思わないさ。私もこれまで通り、君を見かけたら声を掛けに行くからな。こちらこそ変わらず接してくれると嬉しいよ」
「……」
スイセンは、アリウムさんからの言葉を噛み締めるように両手を握って、ゆっくりと頭を下げた。
「ありがとう、ございます……!」
迷惑ではないと言ってもらえた。
変わらず話しかけても大丈夫だと許しをもらった。
スイセンが不安に思っていたことは杞憂に終わり、二人の関係に亀裂が入ることはやはりなかったみたいだ。
傍らで僕も胸を撫で下ろす。
「それにしてもまさか、もう君に追い抜かされてしまうとは思ってもみなかったよ。『君はまだまだ強くなれる』とは言ったが、さすがにここまで成長が早いとは想定外だ。これからの君の活躍が本当に楽しみでならないよ」
スイセンの急成長に驚いた様子を見せるアリウムさんは、次いできょとんと首を傾げた。
「ところで、話というのはこれで終わりなのかな?」
「あっ……」
今一度そう問われて、僕は思わず隣のスイセンを一瞥する。
するとスイセンは、額に冷や汗を滲ませて、顔を石のように強張らせていた。
解けたはずの緊張が、思い出されたかのようにぶり返している。
いやむしろ、先ほどよりも強烈な緊張感と恐怖心が、傍らのスイセンから伝わって来た。
迷惑を掛けたことに対する謝罪以上に、これは大きな覚悟が必要になる。
ゆえにスイセンは目を泳がせながら、隣に立つ僕の方に不安げな視線を向けてきた。
ここで想いを告げるべきかという迷い。そして失敗してしまうのではないかという不安。
視線でその感情を受け取った僕は、密かにスイセンの背中を叩いた。
「――っ!?」
「……大丈夫、僕がついてるから」
ここで想いを告げないというのも選択肢の一つだ。
アリウムさんからは許しをもらって、今後とも変わりない関係を続けられることになった。
スイセンにとってはそれだけで満足に近いだろう。
だから無理に一歩を踏み出す必要はない。
むしろここで強引に行けば、せっかく繋ぎ止めた関係を自ら断絶してしまうことになるかもしれないのだ。
それでも僕は背中を押した。
今日はもう充分なんじゃないかと妥協させることもできたけれど、あえて危険な一歩を踏み出すように促したのだ。
だって、スイセンならきっと、ここで退いたら後々になって深く後悔するはずだから。
そしてスイセンもまた、後悔だけはしたくないようだった。
「ア、アリウム氏! 大事な話があるんだ!」
「大事な話?」
スイセンは臆病な気持ちを無理矢理に引っ込めるように、前に一歩だけ踏み出す。
気持ちも前のめりにさせて、胸の内に秘めていた想いを吐露した。
「俺は、自分に自信がなかった。いつも周りの目ばかりを気にして、よく思われようとして必死になっていた。それでも多くの冒険者たちからは忌み嫌われて、ますますこんな自分が嫌いになってしまいそうだった。そんな時に声を掛けてくれたのがアリウム氏だったんだ!」
仮面を被っていた頃のような、偽りにまみれた言葉ではない。
心からの本音が、アリウムさんのいる病室に響き渡る。
「『周りの目など気にするな』。俺はこの言葉にすごく救われた。そして同時にアリウム氏に特別な感情を持つようになった。俺とは正反対に強い心の持ち主で、まさに自分の理想とも言える人物だったから。そんなアリウム氏のことを、これからも一番近くで見ていたい。そして救ってもらった分だけ、今度は俺がアリウム氏を支えていきたいと思ったんだ」
「……」
静かにアリウムさんが聞く中で、スイセンは力強く続ける。
「だから……!」
想いの丈を、たった一言に詰めて……
ずっと想い続けてきたアリウムさんに、正面から送った。
「俺と、付き合ってください!」
飾り気のない真っ直ぐな告白。
魅惑師のスイセンが、その力に頼らずに告げた正真正銘の愛の言葉。
さしものアリウムさんも、この告白には少しだけ面食らい、しきりに瞬きを繰り返していた。
しばしの静寂が病室を包み、僕の手にもじわりと冷や汗が滲んでくる。
スイセンが佇む中、やがてアリウムさんが問いかけてきた。
「……確認だが、“付き合ってくれ”というのは、『特訓に付き合ってくれ』とか『買い物に付き合ってくれ』とか、そういう意味ではないのだろう?」
「……はい」
「男女交際のことを指している。で、間違いないかな?」
「……はい」
勘違いや聞き間違いで済まそうとしないためだろうか。
アリウムさんはきちんと言葉の意味を聞いてきて、改めてそれを飲み込んでくれた。
自然、こちらの緊張感も増してくる。
それからどれくらい経っただろうか。
おそらく五秒にも満たなかっただろうが、体感として数分にも感じられた沈黙ののち、アリウムさんが冷静な声音で返してきた。
「まさか君からも告白を受けるとは思わなかったな。しかし君の場合は他の冒険者らと違って、とてつもなく強い気持ちが伝わってくる。となればこちらも、真摯に向き合うのが礼儀というものだな」
次いで彼女はベッドから立ち上がり、スイセンと正面から向き合う。
「こういう話は一度持ち帰って、真剣に考えてみてから答えを返すのが妥当だ。しかしお互いに冒険者業界に身を置く立場上、いつ最悪な事態が訪れるかもわからない。返事は今ここでさせてもらう」
「ア、アリウム氏……?」
少し様子の変わったアリウムさんを見て、スイセンは首を傾げた。
そんな風に動揺しながらも、スイセンはアリウムさんの身を案じる。
「あ、あの、まだ体に障りますから、座ったままでも――」
と、再び座るように促そうとした、刹那――
アリウムさんが、まるで食らいつくようにして…………スイセンにキスをした。
「――っ!?」
あまりに想定外の事態に、スイセンはぎょっと目を見開く。
僕も言葉を失う。
頬や手の甲などではなく、熱い愛情を交わす時にする、唇を重ねた接吻。
こんなに近くで他人の口付けを見る機会などなかったので、僕は目を逸らすことも忘れて固まってしまった。
これこそ本当に永遠ほども長く感じられたが、おそらくほんの数秒の出来事だっただろう。
アリウムさんは伸ばしていたつま先をゆっくりと戻して、スイセンの前で悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ア、アア……! アリウム氏……!?」
「これが私からの答えだ。何かと自分の気持ちを言葉にするのが苦手でな、口より先に手が動いてしまうタイプなんだ。あっ、いや、この場合は口が先に動いたと言うべきなのかな」
そう言ってアリウムさんは、『ふふっ』と面白がるような笑みをこぼしている。
対してスイセンは呆気に取られた様子で、あまりに刺激的な体験に目を回しかけていた。
やがて我に返ったのだろうか、次いで彼は戸惑ったように視線を泳がせる。
アリウムさんからの答えを受け取って、ひどく困惑しているようだった。
「何をそんなに意外そうな顔をしている。まさか告白を断られるかもしれないと思っていたのか? その可能性は限りなく低いと簡単にわかるだろうに」
「えっ? そ、それってどういう……」
不思議そうにするスイセンに、アリウムさんは説得力のある説明をした。
「私は暴漢に襲われた。それは確かに君が原因だったのかもしれない。しかし私から見れば君は、下卑た暴漢たちを蹴散らして貞操を守ってくれた、格好のいい英雄なんだよ。あんな姿を見せられて、まったく意識をするなという方が無理な話だろう」
「……」
見ると、アリウムさんの白磁のような頬が、僅かに赤らんでいるように見えた。
そういえば、ぼんやりとだけど事件当時のことを覚えていると言っていた。
となるとスイセンが覚醒を遂げて、アリウムさんに群がる悪い冒険者たちを追い払ったところも見ているということだ。
確かに複数の暴漢に襲われそうになっている中、その危機を劇的に救ってもらったとしたら、それはもう魅力的に映ることだろう。
つまりアリウムさんは、昨夜のあの出来事があってから、すでにスイセンのことを意識していたということだ。
どうやらシオンたちのあの行動は、二人の仲を引き裂くどころか、逆により親密にしてしまったらしい。
「ほ、本当に、俺なんかと付き合って……くれるんですか?」
「だから言葉にするのは苦手だと言っただろう? それとも何か? もう一度同じことをしなければ伝わらないとでも言うのかな? だったらもう一度……」
「い、いや! もう大丈夫だ! アリウム氏の答えは、もう充分に伝わったから……!」
告白は……成功した。
改めてその実感が湧いて来たのか、スイセンは次第に頬を緩ませていく。
嬉しさを隠し切れずに拳を握り締めていると、アリウムさんがスイセンのその手を取りながら、魅惑師も驚きの刺激的な台詞を口にした。
「覚悟はいいかスイセン・プライド。お互い冒険者業界に身を置く者同士、明日にでも命が無くなってもおかしくない立場だ。ゆえに、私との恋愛はとても足早になるぞ。一日や二日で手繋ぎなど……そんな悠長なものだとは思わないことだ」
「……は、はい」
恋愛経験の少ないスイセンは、想い人であるアリウムさんからの魅惑的な宣言に、顔を真っ赤にしていた。
一方で僕は、なんだか見ちゃいけないものを見てしまったような、とても複雑な気持ちを味わっていたのだった。
「おーい、大丈夫かスイセン?」
「……」
病室でのやり取りを終えた後。
まだ安静期間であるアリウムさんを病室に残して、僕たちは治療院を後にした。
告白が無事に成功したので、軽く祝杯でもしようとその足で近くの酒場に入ったはいいが、スイセンはグラスを持ったままもう五分くらいは固まっている。
完全に上の空だ。
「…………俺はもしかして、夢を見ているんじゃないのか? それとも、幻覚か何かを見ていて、アリウム氏と結ばれたのは全部錯覚だったんじゃ……」
「幻覚はスイセンの得意分野だろ」
幻惑魔法で人を惑わす魅惑師が何を言っているのか。
まあ、幻覚だと疑いたくなる気持ちもわからなくはない。
だって、ずっと想い続けてきた相手に、満を持して告白をしたら、良い返事が来るどころか“接吻”が返って来たのだから。
まさかアリウムさんがあそこまでぐいぐい来る人だとは思わなかった。
「安心してよ。僕もしっかりと告白が成功したところを見てたからさ。スイセンはちゃんとアリウムさんと恋仲になれたよ」
「そ、そう……だよな。俺はちゃんと、アリウム氏と結ばれたん、だよな……」
スイセンは改めて告白の成功を噛み締めるように頷き、安堵の笑みを浮かべる。
次いで唇に指を走らせると、直後に頬を真っ赤に染めた。
アリウムさんとの接吻を思い出して、今一度恥ずかしい気持ちになっているらしい。
僕もあの時の気まずさを連想してしまうからやめてほしいのだけれど。
「で、でも、本当にロゼの言う通りになって驚いたよ。アリウム氏に迷惑だと思われていなかったみたいで、とても安心した」
「アリウムさんならきっと、スイセンのことをそんな風に思うはずがないと思ったからね。まあ、告白まで上手くいくとは思わなかったけど。それにまさか、あんな“大成功”になるなんてね……」
するとまた、二人して当時のことを思い出してしまい、揃って黙り込んでしまう。
しかしスイセンはすぐに我に返って、改まった様子で姿勢を正した。
「と、とにかく、ロゼには改めて礼を言うよ。俺の背中を押してくれてありがとう。あれがなかったら俺は、おそらくあの時逃げ出していたと思うから。まだああいう臆病なところが抜け切っていないのは、本当に反省すべきだな」
「いや、僕はほとんど何もしてないよ。本当に頑張ったのはスイセンの方だから、もっと自分に自信を持っていいと思うよ」
続いて僕は、少し前に感じていたあの無力感を思い出して、つい俯いてしまう。
「それに僕は、育て屋としてもあんまり役に立てなかったと思うし。僕の方こそ反省すべきところがたくさんあるよ」
スイセンからは、『すべてはロゼのおかげ』だと感謝の言葉をもらった。
実際、僕との修行の日々がなければ、天職が覚醒していたことはなかったのかもしれない。
それでも僕は、やはりあまり力になれた実感がなく、今もまだ無力感を振り切れずにいる。
そんな僕を安心させるように、スイセンが再び優しい言葉を掛けてくれた。
「いいや、そんなことはないよ。言ったじゃないか。俺のこの天職は、ロゼがいたから目覚めさせることができたんだよ。だから顔をあげてくれ」
「……」
「君はやっぱり、最高の育て屋だよ。俺に勇気をくれて、自信を付けさせてくれて、天職を目覚めさせてくれた。その力でアリウム氏を助け出すこともできたし、こうして告白だって成功した。ロゼはちゃんと依頼を全うしてくれたんだよ」
そう言ってスイセンは手を差し出してくる。
「だから、本当に感謝している。あの時、俺の依頼を引き受けてくれてありがとう」
「……」
僕は今一度その言葉を聞いて、密かに認められた気持ちになった。
今回、育て屋として未熟な面があったのは事実だ。
スイセンからの依頼を途中で断念するようなことがあったし、そこは確かに反省すべきところだと思う。
だからもっと、僕は育て屋として誰かの助けになれるように、今後も精進していかなければならないのだ。
その決意をここで示すという意味で、スイセンのこの手を取ることにしよう。
そう思ってスイセンに応えるように、固い握手を結ぶと、彼は爽やかな笑みを浮かべながら言ってくれた。
「また、育て屋に遊びに行ってもいいかな」
「うん、是非またうちに来てよ。アリウムさんとの仲が、どれくらい進展したのかとか、色々聞きたいこともあるからさ」
「あぁ、もちろんさ! 俺とアリウム氏の美しくて甘い恋愛譚を、存分にロゼに聞かせてあげよう!」
その後、しばらく酒場で過ごした僕たちは、昼下がりの頃に解散をした。
酒場の前で別れて、僕は帰路につく。
一つの依頼を終えた達成感と、仄かな酔いに浸る帰り道は、僕をまた不思議な気持ちにさせてくれた。
晴れ渡った空を見上げて、感慨深く独りごちる。
「…………育成師の能力を使わなくても、人を強くしてあげることができるんだな」
強さとは何も、単純な“戦闘能力”のことだけではない。
内側に秘められた“心”を育ててあげることでも、強くしてあげられる人がいるのだ。
スイセンのような例は特別だろうけど、きっと他にも臆病な気持ちに悩まされていたり、戦うことを迷っている人たちが大勢いるはず。
僕は育て屋として、そういう人たちも助けてあげるべきなのだろう。
それを今回の一件で、僕は改めて知ることができた。
ますます忙しくなりそうだな、なんて嬉しい気持ちになりながら通りを歩いていると、程なくして自宅に辿り着く。
するとさっそく……
「んっ?」
家の扉の前に“誰か”がいた。
黒いフード付きマントを着た、見知らぬ二人の人物。
一人は大柄で、もう一人はやや華奢な体躯。
フードで顔を覆っているため断定はできないが、男性と女性の二人組だと思われる。
僕の家の前でじっと待っていることから、間違いなく育て屋を目当てにやって来た“お客さん”だ。
何かの宗教の勧誘という可能性もあるけれど、マントの裏側から覗いている剣や鎧を見るからに、おそらく冒険者だろう。
また伸び悩んでいる駆け出し冒険者ではないだろうか。
そう思うと同時に、そういえば『外出中』の札を掛け忘れていたと思い出して、急いでお詫びの声を掛ける。
「す、すみません! ちょっと外に出てまして――!」
そう言いながら駆け寄ろうとすると、二人組はすぐにこちらを振り向いた。
その時――
「…………はっ?」
女性の方のフードから僅かに顔が覗いて、僕は思わず足を止める。
直後、背筋が氷のように冷たくなっていき、胸を針で刺されるような痛みを感じた。
自然、呼吸が荒くなる。手や額にじわりと脂汗が滲んでくる。
思い出したくもない過去を無理矢理に起こされて、僕は密かに体を震わせた。
同時に声を震わせながら、僕は女性に鋭い視線を向ける。
「な、なんでお前が、ここにいるんだよ……!」
いるはずがない。
ここに来てはいけない存在だ。
僕の大切な場所に、どうしてお前が踏み込んで来るんだよ……!
黒ずくめの女性はフードを取り払い、隠していた素顔をこちらに明かした。
「それはこっちの台詞よ、アロゼ」
勇者ダリアが、そこにはいた。
第三章 おわり