第百十一話 「友人」
迷惑。
それが何を指しているのかは、詳しく説明されずとも理解できた。
それでもスイセンは懺悔をするように、僕の前で心中を吐露する。
「俺のせいで、アリウム氏を危険なことに巻き込んでしまった。俺が好意を示してしまったばかりに、シオン氏たちに狙われることになってしまったんだ。いわば彼女のあの傷は、俺が付けてしまったと言っても間違いではないんだよ」
スイセンは顔を曇らせて、その表情に罪悪感を滲ませる。
次いで自嘲的な笑みを浮かべると、聞いているこちらが落ち込んでしまうくらいの悲しげな声音で続けた。
「ここまで迷惑を掛けておいて、今さら恋仲になろうだなんて、虫が良すぎる話だろう」
「……」
実際にアリウムさんの容体を見たわけじゃないから、スイセンの罪悪感がどれほどのものなのかは推し量れない。
でも彼の思い詰めるような表情を見れば、生半可な自責の念ではないということは容易に想像ができた。
「だから、アリウムさんに告白はしないのか?」
「あぁ。アリウム氏を傷付けてしまった以上は、俺に恋仲になれる資格はないと思うからね」
覚悟を決めた、というよりかは、すっぱりと諦めをつけたような顔をしている。
アリウムさんは、今回の一件に巻き込まれて怪我をした。
そして巻き込んでしまったのは明らかに自分の責任だから、それに目を瞑って告白をするのは間違っている。
と、スイセンは言いたいらしい。
「この後、治療院には行く。でもそれは謝罪をしに行くためであって、この想いを告げるためではない。俺と親しくしていたせいで危険な目に遭わせてしまったことを、アリウム氏に心から謝って……それで金輪際、彼女と接するのはやめるようにする」
迷惑を掛けてしまったから、そのけじめとして会うことをやめる。
それとこれ以上、アリウムさんのことを不幸に巻き込みたくないと思っているのだろう。
今後も同じようなことが起こらないとは言い切れないし、スイセンは他でも痴情のもつれでトラブルを抱えたことがあるから。
いくら自信をつけたからと言って、さすがにそればっかりは不安に思ってしまうようだ。
だからもう二度と、アリウムさんとは関わらない。その方が彼女のためになるから。
「……」
その気持ちはわかる。と、軽々しく言えるほど、僕も恋愛経験があるわけじゃない。
好きなら一緒にいたいと思うのが普通、なんて単純な話でもないんだろう。
だから具体的な助言はできないし、どうするのが正しいのかなんてそんなのまったくわからないけれど。
少なくとも……
「スイセンは、本当にそれでいいのか?」
「えっ?」
「自分の気持ちに蓋をして、今後一切、アリウムさんと関わるのをやめる。それが彼女に対しての償いになるって、本気でそう思ってるのか?」
スイセンのその考えが間違っているというのは、こんな僕でも断言することができた。
迷惑を掛けたから、二度と同じようなことが起こらないように接触を断つ?
それを正しいと言う人も中にはいるだろうけど……
「こんなに迷惑を掛けたんだぞ。そんな相手の顔なんて見たくもないはずだ。ましてや恋仲になって隣に立とうだなんて、烏滸がましいにも程があるだろ……」
そんなの、まるでスイセンらしくないじゃないか。
あの自信家で一途で、どこまでも真っ直ぐなスイセン・プライドなら……
僕が知っている、アリウムさんのことを一心に想い続けているスイセン・プライドなら……
きっと、こう言っているはずだ。
僕は恥ずかしさを押し殺して、銀色の前髪を見様見真似で掻き上げた。
「『迷惑を掛けてしまった分、俺がアリウム氏に幸せを与えてみせる!』」
「ロ、ロゼ……?」
「怪我をさせた。危ないことに巻き込んだ。ならその分、それ以上の幸せを彼女に与えてあげればいい。それが本当の償いになるんじゃないのか。今回の件なんてすっかり忘れるくらいの、とてつもなく大きな幸せをアリウムさんに与える。僕が知っているスイセン・プライドなら、きっとそう決断しているはずだ」
「……」
自信を持ってそう告げると、スイセンは驚いたように目を丸くした。
意外な提案を受けたから、と言うよりも、あまり似ていなかった物真似の方に肝を抜いたらしい。
確かに似てはいなかったし、似合ってもいなかったけどさ。
それはさておいて、僕は照れ隠しの咳払いを挟んでから、今さらながらのことを言った。
「そもそも迷惑を掛けたのはスイセンじゃなくてシオンたちの方だろ。だからスイセンが気に病む必要なんてどこにもないんだよ」
「そ、それでも、俺がアリウム氏を好きになっていなければ、こんなことにはなっていなかったんだ。もうこれ以上同じようなことには巻き込みたくないし、この気持ちには蓋をした方がアリウム氏のためにも……」
「…………あぁもう」
僕は記憶に新しいもどかしさを覚えて、頭を掻きながら席を立ち上がった。
「だったら、直接本人に聞きに行くぞ」
「ちょ、直接……?」
「スイセンのことが迷惑かどうか、アリウムさんに直接聞きに行くんだよ。そもそもそれを決めるのはアリウムさん本人なんだから、僕たちがここでごちゃごちゃ言ってても何の意味もないだろ」
これ以上彼女と関わると迷惑になるかもしれない。
そんなのアリウムさん本人に聞かなきゃわからないことじゃないか。
それでもし拒まれたなら潔く諦めればいいし、もし許してもらえたら、その時は改めて気持ちを告白すればいいのだ。
何も難しいことはない。
「ていうか、そうやって憶測だけで悪い想像ばかりをするのは、前のスイセンの癖が抜け切ってないんじゃないのか。とにかくぐだぐだ言ってないでさっさと行くぞ!」
「ロ、ロゼ……!?」
スイセンはいまだに思い悩むように顔を曇らせていたが、僕が無理矢理に手を引っ張って育て屋から連れ出した。
育て屋を飛び出して、アリウムさんのいる治療院に向かう最中。
説得しているうちに、スイセンも観念したようで、とりあえずアリウムさんにすべてを打ち明ける決心がついたらしい。
もし今回の件を許してもらえたとしたら、その時に今度こそ想いを告白するとのことだ。
今からすでに緊張しているのか、スイセンは静かに深呼吸を繰り返している。
その緊張を少し和らげるためか、不意にスイセンが話を振ってきた。
「と、ところで、ロゼには想い人とかいないのかい?」
「えっ?」
「ここまで恋愛相談に乗ってもらったことだし、俺からも何かそういった関係で手伝えることがないかなって思ってさ。もし好きな人がいるなら、協力させてもらおうかなって思うんだけど……」
好きな人、か。
スイセンに問われて少し考えてみたけれど、パッと思い当たる人物はいない。
そもそも僕は今、“恋人が欲しい”という気持ちになっていないからなぁ。
恋愛的な視点で周りを見渡せば、もしかしたら魅力的に映る人物が、実は近くにいるのかもしれないけど……
「うーん、好きな人はいないかなぁ。今はなんというか実生活の方で手一杯になっちゃってるから、恋愛してる暇がないというか……」
「そういえば、育て屋も最近になって名前が知れ始めて、お客さんも増えてきたって言っていたね。それは何よりのことだけど、やっぱり俺も恋愛的な何かでロゼに恩返しがしたかったな」
「な、なんかごめん……。ていうか、スイセンに協力してもらったら、その意中の相手がスイセンの方に興味を移しちゃいそうで怖いんだけど」
スイセンは顔がいい。スタイルもいい。黙っていれば僕が勝てる要素は皆無だと言い切れる。
そんなスイセンに手を貸してもらったとしたら、片恋相手の興味がいつの間にかスイセンに移っていたとしても不思議ではない。
という不安を打ち明けると、スイセンはここぞとばかりに金髪を払って、嬉しそうに言った。
「まあ! 俺は地上で最も美しい男だと言っても過言ではないからね! スイセン・プライドの華麗さに心惹かれる人物は確かに多いだろう!」
「……実際そうなりそうだから何も言い返せない」
実際問題、スイセンに恋愛的な協力を仰ぐのは相応の危険が伴うと思う。
ただでさえ僕なんて、スイセンに比べたら地味だし、特別面白い話ができるわけでもないから。
と、なんだか自信がなかった頃のスイセンみたいな思考になっていると、不意に元気づけられる言葉を掛けられた。
「それでも俺は、ロゼも充分魅力的だと思うけどね」
「えっ、僕が? 僕に魅力を感じるような部分はないと思うんだけど……」
「そんなことはないさ。自分では気が付いていないかもしれないが、君は優しくて面倒見がよくて、それでもダメな部分はちゃんと叱ってくれる、内面的な魅力に溢れた人物だよ」
「……」
思いがけない賛辞を送ってもらって、僕は呆気にとられてしまう。
どう反応したらいいか迷っていると、スイセンは自分の胸に手を当てながらさらに続けた。
「人の魅力とは何も外見的なものだけではない。むしろ内側の魅力の方が重要だと俺は思っている。外見なんていくらでも取り繕えるが、内面はふとした瞬間にこぼれ出てしまうものだからね。そういった意味ではロゼは魅力的だと思う。だから、俺がもし女性として生まれて、君と出会っていたとしたら……」
「……ま、まさか、僕のことを好きになってたとか、気色の悪いこと言うつもりじゃないだろうな?」
「いいや! それでもやっぱりアリウム氏に恋していただろうな!」
「…………話の流れおかしすぎるだろ」
一途なのはいいことだけどさ。
そんな風に思って半ば呆れていると、またもスイセンから予想外の言葉を投げかけられた。
「ロゼとはやっぱり、また“友人”として巡り会いたいかなって、そう思ったからさ」
「…………そっすか」
嬉しいような照れくさいような……。
気恥ずかしいことを平然と言われて、僕はなんとも言えない気持ちになる。
そんな話をしている間に、気が付けば僕たちは西区にある治療院の前まで辿り着いていた。