第百十話 「制裁」
「……と、いうわけで、俺は劇的に天職を覚醒させて、華麗にアリウム氏を助け出したってわけだよ」
「……」
対面の席に座るスイセンが、得意げになって語る姿を見ながら、僕は思わず放心してしまう。
朝早くから、話があると言ってスイセンがうちを訪ねて来て、いったい何事かと身構えてしまったけれど。
まさか昨夜にとんでもない事件が起きたと聞かされるとは、露ほども考えていなかった。
シオン・ナーバスの恐ろしい本性。
アリウムさんにフラれた男性冒険者たちの憎しみ。
何よりも、スイセンが土壇場で天職を覚醒させたということが、僕にとって一番の驚きとなった。
「……昨日の今日でスイセンがまたうちに来てくれたから、本当に何かと思ったけど、まさか天職を覚醒させたなんてね。正直ちょっとまだ、状況を飲み込めてないんだけど」
「俺自身も、まだあまり実感が湧いてないからね。無理もないと思うよ。でもこれを見てもらってもわかる通り、俺は冒涜者から晴れて天職所有者になれたんだ」
スイセンは手に持っていたお茶のカップを卓上に戻して、“天啓を示せ”と唱えて羊皮紙のような紙を取り出す。
以前までは白紙も同然だったその紙には、今はちゃんとスイセンの身に宿っている力が記されていた。
【天職】魅惑師
【レベル】1
【スキル】魅了 畏怖 道化
【魔法】幻惑魔法
【恩恵】筋力:F100 敏捷:F100 頑強:F100 魔力:D250 聖力:F0
魅惑師。
話に聞くだけでもとんでもない力だとわかる。
意識をさせた相手に、命令を強制させる力。
長いこと冒険者をやっているけれど、そんな力を持っている人物は、魔獣を含めても聞いたことがない。
事実、まだレベル1の状態でありながら、昨夜スイセンは複数の冒険者を相手に一方的に打ち勝ってみせたらしい。
規格外に強力な天職だ。
「【右手を上げてくれ】」
「――っ!?」
不意にスイセンの声が頭に響き、不可視の力によって右手が持ち上げられる。
抵抗しようとしても上げられた右手は一向に下がらず、ぐぬぬと頑張る僕を見ながらスイセンはくすっと笑っていた。
覚醒した力を証明するために、実践してくれたのだろうけど。
その後、程なくして硬直が解けて、スイセンが「ごめんよ」と謝りながら告げてくる。
「強くこちらを意識させていないと、複雑な命令とかは聞かせられず、こういった簡単な命令しか出せないんだ。だから幻惑魔法でこちらへの意識を高めさせて、完璧に魅了するというのが魅惑師の力だよ。なんて得意げに言っているけれど、俺もまだ上手く力を扱えていないんだけどね」
「……だとしても、とんでもなく末恐ろしい力だよ」
まだまだ能力自体も成長していくだろうし、魅惑師の真価が発揮されるのはこれからだと思う。
地道に魔獣討伐を繰り返して、力の使い方にも慣れたその時、スイセンは本当の意味で花を開くことになるだろう。
そう考えると、誠に恐ろしい怪物が誕生してしまったものだ。
いや、生み出してしまった、と言い換えた方が適切だろうか。
「君には一番に報告するべきだと思ったから、朝早くに申し訳なかったけど育て屋を訪ねさせてもらったんだ。この天職は俺の力じゃなくて、間違いなくロゼが目覚めさせてくれたものだから」
「ぼ、僕はあんまり、力になれた気はしないんだけど……」
むしろ自分の力不足を嘆いていたほどだ。
強くしてほしいと依頼を受けたのに、結局それは叶えられなかったわけだから。
「昨夜、窮地に陥った時、不意に君の言葉を思い出した。何をしても自分に自信を持つことができなかったけれど、自分には最高の友人がいるということが、唯一の自信になったんだ。だから天職を覚醒させられたのは、他でもないロゼのおかげなんだよ」
「……そっか」
僕は、スイセンの力になることができていたのか。
その実感は、やはりあまり湧いて来ないけれど、本人がそう言うなら僕も考えを改めることにしよう。
差し当たっては、『僕でも強くできない人がいる』という発言は、とりあえず引っ込めさせてもらおうかな。
スイセンもこうして、ちゃんと強くなることができたのだから。
「何はともあれ、おめでとうスイセン」
「ありがとうロゼ。本当に色々と、君には助けてもらってしまったね」
スイセンは何かが吹っ切れたような、とても澄んだ笑みを浮かべていた。
無事に強くなることができて本当によかったと思う。
冒涜者が天職を目覚めさせることができるというのも新しい発見になったし、今回の件は僕にとっても大きな収穫になった。
と、一連の話がまとまったその時、僕はふとあることが気になってスイセンに尋ねた。
「そ、それで、本当にシオンたちは、地面を這いながら教会まで向かったのか? 脚をずるずると引き摺って、傷だらけになりながら……?」
スイセンが抱いている怒りは納得できるものだが、まさか本当に言葉通りの制裁をシオンたちに加えたのだろうか?
恐る恐るそう聞いてみると、スイセンは『ふふっ』と微笑をたたえた。
「本当にそう思うかい? 俺もいくら怒りが溜まっていたからと言って、さすがにそこまで強制はしなかったさ。脅しのための虚言に決まっているだろ」
「そ、そう、なのか……?」
スイセンの話し方からして、とても冗談には聞こえなかったのだけれど。
「深夜だったからと言って、大勢の冒険者が地面を這いながら町の通りを歩いていたら、さすがに大騒ぎになるだろう。それに町の人たちに迷惑を掛けるのも忍びなかったからね。あくまで脅迫のために嘘を吐いたのさ。おかげで何人かは泣かせることができたから、俺もすごく満足しているよ」
「じゃ、じゃあ、犯人たちには何もせず、教会に行くように命じただけなのか?」
そう思って尋ねてみると、スイセンは再び面白がるようにして小さな笑い声を漏らした。
「あいつらに何も制裁を加えずに、教会送りにしたと思うかい? 這いつくばって教会まで向かわせることはしなかったが、彼女たちには大いに反省してもらうために、“別の制裁”を与えてやったよ」
「べ、別の制裁?」
「おそらく教会で罪を償うとなると、鞭打ちや焼印刑といった身体刑になるだろう。禁錮刑なら五年かそこらだろうが、そういった直接的な痛みを与えるのは教会に任せることにした。代わりに俺から下した制裁は…………今後二十年の間、“能力の使用”と“恩恵の行使”を禁止した」
「えっ……」
能力の使用と、恩恵の行使の禁止?
その恐ろしい制裁を明かされて、僕は思わず背筋を凍えさせた。
「そ、それってつまり、魔法もスキルも恩恵も、これから二十年間は一切使えなくなるってことか?」
「そうだよ。彼女たちにはそういう風に命じた。神から授けられた天職の力を、まったく使えない状態にしてやったんだ。まるで冒涜者だった俺みたいにね。あの苦しさと無力感を彼女たちにも味わわせる」
次いでスイセンは、金色の前髪を掻き上げて、とても得意げな様子で続けた。
「アリウム氏を傷付けたあいつらこそ、本物の冒涜者だったってことだよ」
「……」
スイセンは口元に手を当てながら、くすくすと笑みをこぼしている。
上手いことを言えて喜んでいるのかわからないけれど、なんとも恐ろしすぎる制裁を聞いて僕は身震いした。
ていうかそこまで詳細に命令を下すことができるのか。
二十年もの間、力の使用を制限するなんて。
おそらく全員、スイセンのことを極限まで意識した状態だったから、それほどまで複雑な命令を出すことができたんだと思う。
確かにこれなら、もう下手に悪さもできないだろう。
スイセンも満足そうにしているので、これでよかったのかもしれない。
と、シオンたちの最後も聞けたところで、僕はまた一つ気になっていたことを尋ねた。
「ところで、アリウムさんの容体はどうなんだ? 事件の後、スイセンが治療院まで送って行ったんだろ?」
シオンたちとの戦いの最中、アリウムさんは終始意識を失ったままだったらしい。
戦いの後も目を覚ますことがなかったそうで、スイセンが育て屋に来る前に治療院に送って行ったと聞いた。
騒ぎの中でもまるで起きる様子がなく、体にも傷がたくさんあったらしいけど、アリウムさんの体は大丈夫なのだろうか?
不安に思って聞いてみると、スイセンはなんだか気持ちを落ち込ませるように瞼を伏せた。
「……治療院にいた治癒師の話によると、火傷などの跡から“強力な電流”を受けて意識を失ったみたいだと言っていた」
「電流?」
「おそらくシオン氏の魔法によって気絶させられていたんだと思う。ただ、命に別状もなく、後遺症なども残らずに程なく目覚めるとのことだよ」
「……それならよかった」
大事に至らずに済んで、僕も思わず安堵する。
せっかく一連の事件が解決したというのに、これでアリウムさんの身に何かがあったとなれば手放しで喜んでいられないからね。
すべてが丸く収まってよかったと思う。だってこれで……
「それじゃあ、アリウムさんが目覚めたら、今度こそスイセンの想いを告げることができるね。こうして天職も覚醒させて強くなったわけだし、シオンたちみたいな邪魔者たちもいなくなったんだから。躊躇う理由がなくなって、ようやく念願だった告白を実現できるな」
「……」
思わず綻びながら、改めてそのことを口にしてみる。
他人の恋愛事情で、ここまで嬉しい気持ちになるなんて、僕自身も思ってもみなかった。
しかし……
「んっ?」
そんな風に気持ちを湧かせる僕とは違って、なぜかスイセンは表情を曇らせながら目を伏せていた。
なんだか思い詰めるように唇を噛み締めて、テーブルの上では両拳を強く握っている。
どうかしたのだろうかと不安に思いながら、スイセンのことを見ていると、やがて彼は弱々しい目を持ち上げてかぶりを振った。
「いいや、告白はしない」
「えっ?」
「アリウム氏に、告白はしない。俺はあまりにも、彼女に“迷惑”を掛け過ぎてしまったから」