第百七話 「歪んだ愛」
『こいつ天職持ってないんだってよ!』
『それ、神様から見捨てられてるってことじゃん!』
『お前、何か悪いことでも考えてるんだろ!』
思えば幼い頃から、ずっと一人ぼっちだったように感じる。
天職がないことをよく揶揄われたり、自信がないせいで意地悪の対象にされたり。
だから、友人と呼べるような人物がいた覚えもなく、それも今の自信の無さに拍車を掛ける要因になっているような気がした。
自分は所詮、友達の一人もできないダメな奴なのだと。
両親はそんな自分に対して、天職がない体に産んでしまったことをとても申し訳なさそうにしていたが、自分が本当に欲しいと思っていたのは天職ではなく……
そんな昔の夢を見ていたスイセンは、やがてゆっくりと目を覚ました。
いまだに頭をぼんやりとさせながら、霞んだ瞳で辺りを見回す。
まず、自分は素朴な木製椅子に座らされていた。
背もたれには僅かな隙間があり、そこから手を通して後ろ手に手首を縛られている。
何で縛られているのかまでは見えないが、自分の足首と椅子の足が縄で縛られていることから、同じものを使われていると想像できる。
ほとんど身動きが取れない状態で、スイセンが捕らわれている場所は、見覚えのない木造りの建物の屋内だった。
「どこ、だ……ここは……?」
埃っぽくて薄暗い。光源は自分の真上に垂れ下がっている小さな灯り一つだけ。
その僅かな光を頼りに周囲を見渡すと、そこら中に半壊した椅子や机などが散乱しているのが見えた。
少し視線を動かすと、傍らの方にカウンターらしきものも見つかる。
椅子や机に混じって瓶や樽が転がっていることからも、おそらくここは……
「東区の隅にある廃業した酒場ですわ」
「……っ!?」
どこからか聞き覚えのある声が聞こえて、スイセンはビクッと肩を揺らした。
おもむろにそちらに視線をやると、薄暗いところで椅子に腰掛けている人影が見える。
その人物がゆっくりと立ち上がってこちらに近付いて来ると、やがてその姿が光に照らされて明瞭になった。
紫色の巻き髪。お淑やかな人相。荒れたこの場に似つかわしくないドレスエプロンを着ている女性。
「今は空き家となっていて誰も来ませんから、声を上げても意味はありませんわよ」
「シ、シオン氏……!」
瞬間、スイセンは遅れて宿部屋での出来事を思い出した。
後ろからシオンに不意を突かれたこと。そしてシオンのあの不敵な笑みのことを。
「こ、これはいったいどういうことなんだ……!? 何が目的でこんなことを……!」
スイセンはガタガタと手足を動かして縛られていることを訴える。
シオンの目的がまるでわからない。
なぜシオンは自分のことを眠らせて、こんな場所にまで運んで縛りつけているのか。
しばらく手足を動かしたことで息を切らして、スイセンのその息遣いだけが屋内に響く。
そんな中、不意にシオンが顔を伏せて、彼女のものとは思えないほど冷たい声をこぼした。
「…………スイセン様が悪いんですのよ」
「えっ?」
「わたくしが、こんなにも想っているというのに、その気持ちに応えてくださらなかったのですから」
やがて上げられたシオンの顔には、見るからに激しい憤りが滲んでいた。
告白を断ったことを怒っているのだろうか。
だからその仕返しのためにこんなことを……?
スイセンがそう疑問に思っていると、やがてシオンがお淑やかな印象を崩していくように、投げやりな声音を出した。
「あーあ、せっかくわたくしがこんなにも手回しをして、とても美しいシナリオを作り上げたというのに、それもすべて台無しになってしまいましたわ」
「シナ、リオ……?」
シオンはまるで、華やかな劇でも見せるかのように、クルクルと踊りながら語り始めた。
「多の女性を魅了する、魔性の美しさを持った冒険者スイセン・プライド。彼の美しさに陥落する女性は後を絶たず、愛の告白を受けることはもはや日常茶飯事と化しておりました」
次いでシオンは胸に手を当てて、嘆き悲しむように瞼を伏せる。
「しかしある日を境に、ギルド内で彼のふしだらな噂が広まるようになります。それからというもの、彼は冒険者たちやその他大勢から激しく拒絶されるようになり、孤独な日々を送ることになってしまいました」
シオンは、不意にスイセンの頭上にある灯りに手を伸ばして、感動的な場面を演出した。
「そんな中、かつて想いを拒んだ一人の女性冒険者が、孤独に喘ぐ彼に手を差し伸べました」
「女性、冒険者……?」
「どれだけの悪評が流れていたとしても、女性冒険者はスイセン・プライドのことを愛し続け、その一途な想いに心を打たれた彼は今一度その女性の手を取ります。そして二人は契りを結び、末永く幸せに暮らしましたとさ。……めでたしめでたしですわ」
「……」
シオンのその話を聞いて、スイセンは言葉を失った。
女性冒険者、というのが目の前にいる“シオン”のことを指しているのはわかる。
かつて想いを拒み、それでも慕い続けてくれていて、つい先ほど再び一途な想いを告げてくれた。
自分が孤独に苦しんでいるまさにその時に、光を灯してくれるかのように手を差し伸べてくれたのだ。
でも、その口ぶりではまるで……
「ま……さか……!」
ぞっと背筋が凍える。
スイセンは、これまで起きた数々の不幸を脳裏に思い浮かべながら、信じがたい気持ちで目の前のシオンを見据えた。
「シ、シオン氏の愛好家たちが、俺の悪評を執拗に風聴していたのも……」
シオン・ナーバスの愛好家に襲われた。
ロゼのその言葉も思い出す。
「ロゼとコスモス氏を夜道で襲って、俺に近付かせないように脅したのも……」
ギルドで味わった孤独感も、今一度噛み締める。
「すべては、俺をギルドで孤立させるために、シオン氏が仕組んでいたことだったのか……!」
嘘であってほしい。
そんな気持ちでスイセンは、頭の奥を激しく痛めながらシオンに問いかけた。
するとシオンは、優しい眼差しでスイセンのことを見つめながら…………唐突に、大口を開いた。
「あははははははははっ!!!」
荒れ果てた酒場跡に、シオンの不気味な笑い声が響き渡る。
それが何よりも、シオン・ナーバスが一連の事件の真犯人だということを、如実にあらわしていた。
「今さらお気付きになるなんて、やはりスイセン様は鈍感で可愛らしい方ですわね!」
シオンはすっかりとお淑やかな様子をどこかに置き去りにして、甲高い笑い声を上げ続けている。
愉快そうな笑みを深々と浮かべながら、縛られているスイセンのもとまで歩み寄って、ペットを愛でる飼い主のように頭を執拗に撫で回してきた。
「まさか本当に愛好家たちが暴走しているだけだと思っておりましたの!? 本当に純粋で可愛らしい方ですわ! 彼ら彼女らはわたくしの愛好家なのですから、わたくしの言葉一つで意のままに操ることができるんですのよ」
「…………そ、それじゃあ、愛好家たちに対して、これ以上行き過ぎた真似をやめるように説得すると言っていたのは?」
「あははっ! そんなことしているはずがないではありませんか! むしろスイセン様を孤立させるために、ひとしお愛好家たちには猫撫で声を掛けて煽っておきましたわ!」
「……」
胸中に悔しさと怒りが同時に沸き起こる。
これまで自分が味わってきた孤独感が、すべて目の前にいるシオンのせいだったのだとわかり、スイセンは唇を噛み締めた。
聞き飽きるほどに耳に入ってきた数々の陰口も、周りの人たちにまで迷惑を掛けてしまったことも。
全部、自分を孤立させて、あたかも自らを救世主のように仕立て上げるために、シオンが手回ししていたことだったのだ。
「だというのに……」
シオンは突然、お淑やかだった人相を歪ませて、こちらが座っている椅子の肩を『ガッ!』と掴んできた。
「わたくしの気持ちに応えてくれないばかりか! 他の女性に心を奪われてしまって! いったいどういうつもりなのですかッ!?」
「……」
肩を激しく揺らされて、同時に『ガタガタガタッ!』と椅子が忙しなく足音を立てる。
床からは埃が舞い、灯りに照らされて視界にチラチラと映った。
その中でシオンは、悔しさを滲ませるように掠れた声を漏らす。
「なぜ、わたくしではないんですの……!? なぜ、たかがギルド職員の一人に心を奪われているのですかッ!?」
完璧に練られた計画。
確かに自分も危うく、シオンの罠にまんまと引っかかってしまうところだった。
しかし、シオンにとってのたった一つの誤算が、この計画の歯車を狂わせてくれた。
ギルド受付嬢アリウム・グロークの存在である。
「…………周りの目など気にするな」
「はいっ?」
「俺は、皆が思っている以上に自分に自信がない男なんだ。それは周りの目を気にするばかりの、俺の心の弱さが原因なんだよ」
アリウムに掛けてもらった言葉を思い出しながら、スイセンは感慨深く続ける。
「そこにアリウム氏がそんな言葉を掛けてくれた。俺はその言葉に、本当に心の底から救われたんだよ。今までの愚かだった自分に対して向けられたような、叱責にも聞こえる言葉だったから」
目が覚めるようなあの感覚を、今でも忘れない。
たった一人で苦しんでいる時に手を差し伸べてくれた恩人。
自分の弱さを一目で見抜き、これ以上ないとも思える慰めの言葉を掛けてくれた。
そして自分に、初めて“好き”という感情も教えてくれた。
どこまでも真っ直ぐな人物で、心が弱い自分を鏡写しにしているかのように自信に溢れた存在。
「だから俺は、アリウム氏が好きなんだ」
「……」
改めてシオンの想いを拒むようにそう言うと、彼女は面食らったように紫の瞳を見開いた。
そしてよろけるように後退りをして、呆然とその場に立ち尽くす。
ここは嘘でも、シオンに気があるフリでもしておく方が正解だったかもしれない。
そうすればこの状況だけでもやり過ごすことができただろうけど、スイセンはこの想いだけは決して譲ることができないと思った。
たとえこの後、自分の身に何が起きたとしても。
そんな覚悟のもとで想いを吐露すると、佇んでいたシオンが静かに笑い声を漏らし始めた。
「ふっ……ふふっ…………わかりましたわ。スイセン様の想いがどれほど強いものなのか」
やがて彼女はこちらの顔を覗き込むように前屈みになり、顔を近づけて不穏な台詞をこぼす。
「では、“証明”してくださいませ。どのようなことがあっても、あなたのその想いが崩れることがないということを」
「しょう、めい……?」
言うや、シオンは右手を上に掲げて、突然『パチンッ!』と指を鳴らした。
その瞬間、傍らの方でランプが灯る。
灯りの下には、木製の机を並べて作られただけの簡易的な台があり、その上には……
目を疑う“もの”…………否、目を疑う“人物”がいた。
「ア、アリウム氏!?」
青い髪と整った顔立ちが特徴的な女性。
見慣れた服装も確かにギルドの受付係のもの。
スイセンの片恋相手であるアリウム・グロークが、手足を縛られた状態で台上に寝かされていた。