第百六話 「一途な想い」
「申し訳ございません、あまり立派なものはお出しできずに」
意気消沈していたスイセンは、突如現れたシオンの誘いで彼女が取る宿部屋に来ていた。
驚かしてしまったお詫びをしたらすぐに帰ろうと思っていたのだが、シオンはお茶まで用意してくれる。
かなり上等なものを出してもらったので、口を付けずに帰るのは忍びないとスイセンは思った。
やむを得ずお茶を頂戴しながら、スイセンは先ほどのことについて謝罪をする。
「先ほどは驚かしてしまって申し訳なかった。まさかシオン氏があの場を通りかかるなんて……」
するとシオン・ナーバスは、逆にこちらに頭を下げてくる。
「いいえ、こちらこそ申し訳ございません。わたくしのせいで、これまでスイセン様に多大なご迷惑をおかけして……」
「め、迷惑?」
身に覚えのない謝りを受けて、スイセンは疑問符を浮かべた。
こちらの不注意でぶつかりそうになってしまったというのに、なぜ逆にこちらが謝罪を受けているのだろう?
「わたくしの知人の数人が、スイセン様の悪い噂を流しているのに、それを食い止めることができずに……」
「あぁ、そのことか」
シオンの愛好家たちの行き過ぎた行動について申し訳なく思っているようだ。
彼女はそれを止めるように働きかけてくれると言っていたが、それも失敗してしまったらしく愛好家たちはいまだに暴走をしている。
「改めてこのことを謝罪したいと思いまして、部屋にお招きさせていただきました。しかし、どうお詫びをしたらよろしいか……」
「いいさ別に。これはシオン氏が悪いわけではないからね。気にしないでほしい」
これについては仕方がないことだと割り切っている。
シオンが愛好家たちを思うままに操れるわけでもなく、彼ら彼女らも自らの意思を持っているのだ。
その上でこちらが恨まれているのだから、シオンがどう行動しようが防ぎようがないのである。
「しかしわたくしのせいで、現在スイセン様はギルド内で不当な扱いを受けていると聞いておりますわ。根拠のない悪評が広まっていたり、どこのパーティーからも厄介者扱いをされてギルド内で孤立していると。明らかにすべてわたくしの責任です」
シオンはそれでも謝意を示すように、深く頭を下げてきた。
「わたくしが想いを告げていなければ、こんなことにはなっておりませんでしたわ。ですからどうか償いの機会をいただきたいです」
「償い?」
「スイセン様は今、どこのパーティーにも属しておりませんよね? ですからわたくしがスイセン様のことを、これからずっとお支えします。現在所属しているパーティーも抜けて、スイセン様と二人だけで活動をさせていただけないでしょうか?」
「……」
二人だけで、活動を……
つまりシオンは、今入っているパーティーを抜けて、自分を支えるためだけについて来てくれるというらしい。
すでにギルド内でふしだらな噂が巡っている中、自分はこの先どのパーティーにも入れてもらえはしないだろう。
そんな自分への償いとして、シオンはそう提案しているのだ。
「き、君に、そこまでしてもらうわけには……」
「いいえ、よろしいのです。それだけの償いをしなければ、わたくしの気が収まりませんから。どうかこのシオン・ナーバスとパーティーを組んでくださいませ。わたくしがこの先ずっと、スイセン様を支えてまいりますから」
おそらくもう二度とないだろう、パーティー結成の誘い。
それを惜しいと思わないわけもなく、スイセンはひどく葛藤した。
これを断ってしまったら、おそらくこの先一生、自分は一人ぼっちで……。
そんな躊躇いが生まれながらも、シオンの誘いを断ろうとすると――
彼女が、最後の一押しをしてきた。
「――っ!?」
柔らかく、温かい感触が腕に走る。
シオンが突然、こちらの腕に抱きついて来た。
「シ、シオン氏……?」
「そ、それに、わたくしは…………まだスイセン様のことをお慕い申しておりますから!」
思いがけない二度目の“告白”。
動揺しないわけがなかった。
前に一度告白を断った相手から、再び想いを告げられて、スイセンは頭の中が真っ白になる。
体をぴたりと合わせていることで、シオンの熱を間近に感じながら、同時に彼女の声が耳元で響いた。
「知人たちには、すでに心残りはないと言っていますが、わたくしはずっとスイセン様のことをお慕い続けておりました。ですから、スイセン様とお二人でパーティーを組むことは、決して苦などではございませんわ」
一層、体を近づけてくる。
控えめに袖を握ってくる。
シオンは紫色の巻き髪を揺らしながら、同色の瞳を僅かに潤ませて、おもむろにこちらを見上げてきた。
「今一度、わたくしとのことを考えてくださいませんか?」
「……」
シオン・ナーバスと二人きりのパーティーを組む。
たった一人で孤独になっている自分のために、シオンは優しくそう提案してくれているのだ。
しかも、一度想いを拒んだというのに、まだ自分のことを一途に想ってくれている。
こんなに贅沢な話が他にあるだろうか。
スイセンは、暗闇に染まっていた視界に、一筋の光が差したように錯覚した。
そしてシオンの赤らんだ顔に、ゆっくりと自分の顔を近づけていく。
お互いの熱を間近に感じながら、瞳を潤ませるシオンと、静かに唇を重ねた……
『だから私は、人として君のことを好いているよ』
しかし、寸前でスイセンは踏みとどまった。
(……やっぱり、ダメだ)
我に返ったスイセンは、シオンの体をゆっくりと遠ざけて、深く頭を下げる。
「……す、すまない。俺には、他に好きな人がいるんだ」
「えっ……」
シオンの呆気に取られた空気が伝わってくる。
シオン・ナーバスはとても素敵な人物だ。
ここまで深く、こんなだらしない自分のことを想ってくれているのだから。
しかし改めてシオンに気持ちをぶつけてもらったことで、より一層アリウムへの熱情を思い出すことができた。
やっぱり自分はアリウムのことが好きだ。
初めて人を好きになるという気持ちを教えてくれた人。
ギルドで腫れ物扱いをされている中、一番最初に手を差し伸べてくれた最高の恩人。
たとえ脈がないからって、その相手を諦めて別の女性に逃げるなんて真似は、絶対にしたくない。
「……それは、いったいどなたなのでしょうか?」
シオンの悲しげな呟きを聞いて、スイセンは申し訳ない気持ちで答えた。
「アリウム・グローク氏という、ギルドの受付をしている女性だよ。俺のことを助けてくれた恩人で、初めて好きという感情を教えてくれた大切な人なんだ」
スイセンは脳裏に想い人の姿を思い浮かべながら、申し訳ない気持ちで語る。
そしてひたすらに頭を下げ続けていると、やがて両の頬に冷たい感触が走った。
それは、極度の緊張によって冷えたらしい、シオンの白魚のような両手だった。
「顔を上げてください、スイセン様」
「シオン氏……」
「その方のことを、ずっと想っていらっしゃるのですね。だからわたくしの想いに応えることはできないと」
「……あぁ、本当にすまない」
シオンが顔を持ち上げてくれたことで、彼女の悲しげな顔が目の前に映る。
そのため余計に罪悪感に苛まれてしまうが、その心地を察したようにシオンは言った。
「いいえ、諦め悪く想いを告げてしまったわたくしが悪いんですの。どうかご自分を責めないでくださいませ」
次いでシオンは、真っ直ぐな瞳でこちらの目を見据えてくる。
「二度もフラれてしまいましたけど、スイセン様に恋心を抱けたことを、やはりわたくしは後悔しておりませんわ。恋は人を元気にしてくれる掛け替えのないものです。ですからどうかスイセン様も、その気持ちに正直になってくださいませ」
「シオン、氏……」
「わたくしはスイセン様のことを応援いたしますわ。今のわたくしにできることはそれだけですから」
瞳の端に僅かに涙を滲ませながら、シオンは固い決意を抱くように顔を引き締める。
白い細指で涙を拭うと、彼女は窓の外に目を向けながら頼もしい声音で続けた。
「スイセン様を快く思っていない知人たちには、今一度注意を促しておきます。ですので思うままに気持ちをぶつけて来てくださいませ。そしてどうか、スイセン様は恋を成就させて、その方と結ばれてくださいませ」
「……」
「わたくしをフっておいて別の方にフラれるなんて、そんなの絶対に許しませんからね」
振り返ったシオンの顔には、仄かな笑みが浮かんでいた。
いまだに瞳の端に雫を覗かせながらも、精一杯に振り絞って出したのだろう儚げな笑顔。
そんなシオンに背中を押されたことで、スイセンは今一度決意を取り戻すことができた。
「……ありがとう、シオン氏。この気持ちを閉じ込めておくのは、確かにもったいない気がするな。だから改めて、自分のこの気持ちに正直になってみることにするよ。この想いをアリウム氏に告げて、必ず彼女と恋仲になってみせる」
「はい、それでこそスイセン様ですわ」
当たって砕けろ、なんて柄ではない。
砕けない心で何度も当たり続けるのがスイセン・プライドなのだ。
ロゼに手を貸してもらった、シオンに背中を押してもらった。
愛好家たちの横暴も少しは収まってくれるだろう。
もう何も、怖いものなんてありはしない。
スイセンは思い出したようにアリウムへの熱情を燃やして、爽やかな笑顔を取り戻した。
「さっそくギルドに行って来るよ。そしてこの気持ちを正面からぶつけてみせる。必ずアリウム氏と結ばれて、シオン氏にも良い報告ができるように頑張るから。どうか今は、ここでその時を待っていてほしい」
「はい、スイセン様の想いが叶うよう、陰ながらお祈り申し上げます」
覚悟を決めたスイセンは、表情を引き締めてギルドに向かうことにした。
シオンの想いを無駄にしないためにも、必ず告白を成功させてみせる。
そんな決意を胸に、スイセンは扉に手を掛けて、勇気ある一歩を踏み出そうとした。
…………刹那。
「ところで、スイセン様……」
「んっ、何かな?」
バチッ!!!
背中で、何かが炸裂したような“激痛”を感じた。
「が……あっ……!」
スイセンは力なく地面に倒れ込む。
意識も朦朧とする中、なんとか首だけを動かして後ろを見上げると、そこには……
「シ、オン氏……!? な、にをっ……!?」
“紫色の雷”を片手に宿している、シオン・ナーバスの姿があった。
シオンは、静かにこちらを見下ろしながら…………不敵に笑っていた。
スイセンに問いかける余裕はなく、次第に意識が遠のいていき、シオンの不気味な姿を最後に、彼は瞼を閉じた。