第百五話 「再熱する恋心」
彼女のことを見に来ただけで、話までしようとは思っていなかった。
思いがけずその機会に恵まれて、スイセンはパクパクと無音の開口を繰り返す。
顔が熱い。動悸も激しい。自然と気持ちが高揚してくる。
何か話さなければと思って焦るあまり、逆に何も返すことができなかった。
そうやって戸惑っているうちに、アリウムが先に切り出す。
「冒険者を辞めたわけではないみたいで、とても安心したよ」
「えっ?」
「ひと月ほど前、またパーティーを追い出されてしまったと聞いてな。君の悪評もますます広まってしまっているし、もしかしたらそのせいで冒険者を辞めてしまったのではないかと思っていたんだよ。こうしてギルドに来てくれたということは、そういうわけではないのだろう? だからとても安心した」
「……」
アリウムからそんな言葉を掛けられて、スイセンは呆然とする。
確かに最近は修行ばかりをしていたので、ギルドに顔出しはできていなかった。
だからといってアリウムから心配の言葉を掛けてもらえるとは思ってもみなかった。
自分なんて底辺冒険者のただの一人で、アリウムにはこれから少しずつ自分のことを知ってもらおうと考えていたから。
意外にもアリウムに認知してもらえていたらしく、スイセンは密かに嬉しい気持ちになる。
だが……
(……な、何を考えているんだ、俺は)
今一度少しの脈を感じてしまったせいで、逆に辛くなってきてしまった。
そうだ、自分はもう“諦める”と決めたじゃないか。
強くなれる希望は残されていないから、アリウムへの気持ちを完全に閉じ込めると。
だから何も反応を返さずに黙り込んでいると、アリウムはそれを知る由もなく、世間話を続けてくれた。
「少し、逞しくなったか?」
「えっ?」
「前よりも随分と体が鍛え上がっているように見えてな。やはり駆け出し冒険者が少しずつ成長していく様子は、いつ見ても気持ちがいいものだ。この先がとても楽しみだな」
……やめてくれ。
そんなに親しげに話しかけて来ないでほしい。
少しの変化に気付いてもらって嬉しいとか、自分のことを覚えていてくれてよかったとか、そんなことを思ってしまうから。
せっかく諦める決心が付いて、最後に見納めに来たというのに、そんな風に優しく接して来られてしまったら……
「どうして、こんな俺に優しくしてくれるんですか?」
「んっ?」
「一人でいる時に声を掛けてくれたり、俺のために依頼を見繕ってくれたり、どうして俺に親切にしてくれるんですか? 俺に優しくしたところで、何の得もないのに……」
今度こそ諦める決意を抱くために、スイセンは片恋相手の前で情けない問いかけをした。
ギルドでふしだらな噂が流れて、それは受付嬢の間でも話題になっていると聞いている。
まさにギルドの厄介者であるこんな自分なんかに、なぜここまで優しくしてくれるのだろうか。
得なんて何もないということを改めてアリウムにわからせるために、こんな問いかけをしたのだが……
思いがけない答えが彼女から返ってきた。
「君が、私の“弟”に、少しだけ似ているからかな」
「弟……?」
「十年ほど前に、一緒に“冒険者”として活動していた弟が“いたんだ”。駆け出しの頃に無茶をして命を落としてしまってね、今はもう会うことができないが」
「……」
少し寂しげな顔をして話すアリウムを見て、申し訳ない気持ちが湧いてくる。
そんなことを聞くつもりではなかったから。
しかし同時に意外な事実も判明してスイセンは密かに驚愕した。
まさかアリウムも冒険者だったとは驚きである。
ただまあ、彼女の実力から考えれば不思議なことではなく、むしろ納得できるような気がした。
召喚師アリウムが一級冒険者と同等の力を持っているのは、かつて冒険者だった時期があったからだったのか。
「そんな弟のことがあってから、私はすぐに冒険者からギルドの受付係に転職したんだ。弟のように無茶をする駆け出したちを見ていられなくなってな、ギルドの受付係になってそんな冒険者たちを一番近くで見守りたいと思うようになった」
アリウムは夜間のギルドを一瞥して、僅かに残っている駆け出し冒険者たちを悲しげに眺める。
次いでこちらに視線を戻して、亡き弟を思うように遠い目をした。
「本当は臆病なのに、妙に“見栄を張るところ”などがあってな。そんなところが君と似ていると思ったんだ。皆の前では自信過剰に振る舞っているが、一人でいる時には寂しげな顔をよくしているだろう」
「き、気付いていたんですか……?」
「君に似た弟をいつも近くで見ていたからな。君の“仮面”くらいとうにお見通しだよ」
アリウムは少し得意げな顔をして微笑む。
得とか損とか、アリウムはそんな風に考えて、自分に親切にしてくれていたわけではない。
スイセン・プライドが自分に自信がない男だということを見抜いていて、見栄っ張りだった弟を案じるように気遣ってくれていたのだ。
ギルドで爪弾きにされて、それでもあっけらかんと振る舞おうとしていた自分を、無茶をさせないために見守ってくれていた。
改めてそのことを聞いて、余計に大きな壁を感じてしまう。
アリウムから見て自分は、まだ対等ではなく見守るべき存在なのだ。
「そうだ。今から少し受付に寄っていかないか? また何か依頼を見繕うよ。体も鍛えてきたみたいだからな、少しくらいは難しい依頼を用意しても大丈夫だろう」
続くアリウムからの優しい申し出に、スイセンは密かに心を痛める。
同時に思い出したように諦めの気持ちを抱いて返した。
「……もう、いいですよ。俺のことは放っておいてください」
「スイセン・プライド……?」
「俺はもう、強くなることができないんです。この先どれだけ努力をしても、天職がない以上は大した成長だってできない。そういう才能がないのはもう充分にわかりましたから。こんな俺のことは、放っておいてください」
改めて、育て屋ロゼとの修行の日々を思い出して、スイセンは罪悪感に駆られる。
あそこまで献身的にロゼに面倒を見てもらったというのに、ほとんど何も変わることができていない。
これでアリウムよりも強くなって、告白を成功させるなんて夢のような話だ。
ましてやこの先冒険者として活動を続けることさえも難しいだろう。
だからもう『冒険者を辞める』という選択も、心のどこかでは考えていた。
(……これで、いいんだ)
元々スイセンは、田舎村でいじめを受けていた臆病な少年だ。
見た目に華やかさや色気があり、いい意味でも悪い意味でも注目を集める存在だった。
加えて自己肯定感の希薄さや天職がないということから、よく周りからは揶揄われたり悪戯をされたりした。
スイセンはそんな自分を変えるために、両親の反対を押し切って冒険者になり、何か形に残る名誉を作ろうとした。
そうすることで自分に自信を持てるようになると思ったから。
『あんた、パーティー壊しのスイセンだろ? うちのパーティーの仲を壊されてもたまんないから他を当たってくれ』
『そもそも天職もねえ野郎がうちのパーティーに入れるはずねえだろうが』
しかし冒険者として花開くことはついぞなく、挙げ句の果てにはギルド内で厄介者扱いをされるまでに至った。
だからこんな才能無しの自分はもう放っておいてほしい。
密かに唇を噛み締めて、悔しさを味わっていると、アリウムから思いがけない言葉を掛けられた。
「私は君に才能を感じているよ」
「――っ!?」
「強さというのは、何も魔獣を討伐する力だけを指しているわけではない。真の強さというのは、強さを追求し続ける“根性”のことだと私は思っている」
根性……?
内心で首を傾げていると、アリウムはこちらの瞳を真っ直ぐに見つめて、温かい笑みを向けてくる。
「君はもう強くなれないと自分で言ってはいるが、その実内心ではまだ強くなることを諦めていないだろう? 目を見ればわかるよ。君は根性の溢れた真の強者だ」
そう言われて、思わず心臓がドクッと波打つ。
強くなることを諦めていない。言葉ではいくらでも取り繕えるが、根っこの本心は隠し切れていないようだった。
図星を突かれて戸惑っていると、アリウムはスイセンの動揺を微笑ましく見つめながら続けた。
「私は強い人間が好きだ。そう公言したせいか、好意を持って近付いて来る者たちは“力”としての“強さ”ばかりをひけらかしてきてな。だから決闘をして負かしてやって、その者たちの根性を確かめてみることにしたんだ」
「決闘……? アリウム氏が冒険者と決闘をしていたのは、それが理由だったんですか」
「あぁ。しかし敗北していった冒険者の中に、再び戦いを挑んできた者はついぞいなかった。私が言っている強い人間とは、一度敗れて心折れてしまうような軟弱者ではなく、自分の弱さを受け入れてそれでも強くなろうとする高慢な奴のことだ」
自分の弱さを受け入れて、それでも強くなろうとする高慢な奴。
それはまるで、天職が無くてもがむしゃらにもがいて、自分には才能があると言い聞かせていた……
「だから私は、人として君のことを好いているよ。同時に才能も感じている。君は、まだまだ強くなれる」
「……」
「そしてそのことを、自分自身が一番よくわかっているはずだ。時に君の悪評を風聴したり、それを鵜呑みにする冒険者たちも出てくるとは思うが、どうかこのまま冒険者を続けて強くなっていってほしい。誰がなんと言おうと、君は冒険者として……とても貴重な存在だ」
…………あぁ、やっぱりだ。
やっぱり自分は、この人が好きだ。
諦めるつもりでここに来たけれど、改めて話してみて気持ちに嘘を吐けないとわかった。
こんな自分のことを、まだ強くなれると信じてくれている。
周りの噂に流されることなく、貴重な存在だと言ってくれている。
「それにしても、ようやく仮面を取り払って私と話してくれる気になったんだな。どんな心境の変化があったのかはわからないけれど、私はそれをとても嬉しく思うよ」
優しい笑みを浮かべるアリウムを見て、スイセンは燃え上がるような熱情を感じた。
この人に、今、好きだという想いだけでも伝えたい。
告白が成功するかしないかに拘らず、今は猛火のようなこの感情を、ただこの人にぶつけたい。
止めどない感情が胸中から溢れ出てきて、スイセンは気が付いた時には口を走らせていた。
「ア、アリウム氏……!」
「んっ、どうかしたか?」
「あ、あの、その……」
しかしスイセンは、直後に口を閉ざして黙り込んでしまう。
やっぱりダメだ。この気持ちを伝えてはいけない。
ここで好意を伝えてしまったら、例のシオン・ナーバスの愛好家たちにアリウムへの気持ちを悟られてしまうじゃないか。
そうなればきっと、ロゼとコスモスが襲われた時のように、アリウムも危険な目に遭わせてしまうかもしれない。
だからこの気持ちは、何としても封じ込めないといけないのだ。
改めて熱情が湧いたというのに、それを抑えなければならない苦しみを味わっていると、アリウムが肩に手を置いてきた。
「どこか具合でも悪いのか? なんだったら、ギルドの医務室まで一緒に……」
「す、すまないアリウム氏!」
スイセンはアリウムの手を払って、その場から逃げ出してしまう。
その足でギルドを飛び出して、夜の通りをがむしゃらに駆け抜けた。
アリウムのことは好きだ。でもこの気持ちを伝えることは許されない。
そして、そんな状況を作り上げてしまった自分が、憎くて情けなくて仕方がない。
(……諦めよう)
もう、あのギルドに行くのもやめることにしよう。
せっかくアリウムにも励ましてもらったけれど、これ以上あそこにいたら気持ちを抑えられなくなってしまう。
だからきっとそれが正しい選択なんだ。
我知らず通りを走っていると、スイセンは気が付けば薄暗い通りに辿り着いていた。
そんなことにも気付かずに、走った勢いのまま小道の方に曲がっていく。
ちょうどその時――
「きゃっ!」
小柄な女性が小道の方から出てきて、危うくぶつかりかけてしまった。
間一髪でそれを避けたスイセンは、我に返ったようにその女性に謝罪する。
「す、すまない。驚かしてしまって。どこか怪我は……」
言いかけて、スイセンは唐突に言葉を失う。
なぜなら、そこにいた女性は……
「スイセン、様……?」
紫色の巻き髪とお淑やかな見た目が特徴的な、シオン・ナーバスだったからだ。