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第百二話 「悩み」

 

 翌朝。

 僕は約束していた通り、スイセンとの待ち合わせ場所に向かった。

 昨夜はあの後、特に何事もなく自宅に帰れたし、コスモスのことも問題なく宿屋まで送り届けることができた。

 黒ずくめの連中の目的は結局わからずじまいだったが、それもおおよその見当はついている。

 それに渦中のスイセンに尋ねれば、大方のことは今日わかるに違いない。

 育て屋のお尋ね箱にも特に依頼用紙は入っていなかったので、僕は朝早くから育て屋を留守にしてスイセンのところへ向かった。


「おはよう、ロゼ。今日もいい天気だね。まるで爽やかな俺に似ている、極限まで澄み切った青空じゃないか」


「……」


 スイセンはまた、僕よりも先に待ち合わせ場所に来ていた。

 あまりよく眠れず、三十分も早く着いてしまったのだが、スイセンも随分と早起きのようだ。


「んっ、どうかしたのかい? そんなに俺の顔をじっと見て。見惚れてしまったというのなら、存分に見てくれて構わないけど」


 僕が意味深な感じでスイセンのことを見ていたからだろう、その気配を察して彼は首を傾げた。

 昨夜のことを何も知らないので無理もない。

 遠回りな言い方は得意ではないので、僕はスイセンを小道の方まで連れていって、単刀直入に告げた。


「昨日の夜、“シオン・ナーバスの愛好家(ファン)”に襲われた」


「えっ……」


「『スイセン・プライドから手を引け』って」


 黒ずくめの集団のリーダーと思しき『色彩師』の女。

 あれは先日、ギルドの前でシオン・ナーバスと話をしていた、女性冒険者の一人である。


『シオン様まで弄んだんだから当然の報いに決まってるじゃない。他にも身に覚えがある女性冒険者が多いみたいだし、元からそういう奴だったってことよ』


 スイセンが告白を受けてフった女性冒険者、シオン・ナーバス。

 その愛好家(ファン)である女性の天職を、昨日たまたま神眼のスキルで覗いていたのだ。

 僕の記憶違いでなければ、『色彩師』の天職を持っていた。犯人は彼女で間違いない。


「まあ、証拠は何も残ってないから、あいつらを捕まえることはできないけどな」


「……」


 スイセンは僕が襲われたことを知って、いつもの余裕そうな表情をどこかに置き去りにしている。

 額には脂汗を滲ませて、綺麗な碧眼は動揺するように泳いでいた。

 直後、信じがたいことに、あのスイセンが頭を下げた。


「……す、すまない」


「あっ、いや、別に謝ってほしくて言ったわけじゃないよ。どうして奴らがここまで徹底して“スイセンの邪魔”をしてくるのか、その理由が知りたいだけで……」


「り、理由?」


「シオンをフったことで愛好家(ファン)たちから恨まれてるっていうのはもう聞いてるけど、僕に脅しを掛けてまでスイセンの邪魔をするのは明らかに不自然だろ? 何か特別な理由とか知ってるなら話してほしくて……」


 奴らが何か大きな目的を持っているのだとしたら、今のうちにそれを知っておきたい。

 スイセンなら当事者としてそれを知っているんじゃないかと思ったのだ。

 しかしスイセンは、少し煮え切らない様子で答えた。


「なぜロゼが狙われたのかは、俺にもよくわからない。ただ、おそらくだけど、シオン氏の愛好家(ファン)たちは俺が“孤立”することを望んでいるんじゃないかな」


「孤立?」


「俺の悪評をギルドで流しているというのはもう知っているだろう? 特に愛好家(ファン)たちは、俺が所属していたパーティーや交流のある冒険者たちに噂を流すように仕向けているみたいなんだ」


 不意にスイセンは空を見上げて、寂しげな顔をして呟く。


「きっとこの町で俺を孤立させて、その姿を見て気分を晴らしているんだと俺は考えているよ。だから育て屋のロゼに協力してもらっていることも、愛好家(ファン)たちは気に食わなかったんだと思う」


「……で、『スイセン・プライドから手を引け』ってことか。かなり深く恨まれちゃったみたいだな」


 まあ悪評を流しているという話からも、かなり大きな憎しみだというのはわかっていたけど。

 とりあえずは、僕のおおよその予想通りみたいだな。

 奴らはスイセンへの憎しみを抑えられず、ついには僕にまで手を出してきたということだ。


「少し前にシオン氏から声を掛けられたことがあって、愛好家(ファン)たちの行き過ぎた行動について謝罪を受けたことがあるんだ。しかもそれをやめるように説得するとも言っていたんだけど……」


「噂が収まるどころか、とことんスイセンの邪魔をしようとしてくるなんてな」


 もはや愛好家(ファン)たちはシオンが宥めることもできないくらい暴走しているらしい。

 過激な連中というか、随分と勝手な奴らである。

 にしても、自分が崇拝している人物がフラれたからって、そのフった相手をここまで恨むものだろうか?

 僕を襲ってまでスイセンの邪魔をしようだなんて、いくらなんでも徹底しすぎている気がする。

 スイセンもそこまでは予想できなかったみたいで、いまだに驚いた様子で声を張り詰めていた。


「でもまさか、ロゼにまで手を出し始めるなんて思ってもみなかった。これまで他の人に手を出すような真似はされたことがなかったから。本当にすまない」


「いいって別に。怪我人が出たわけでもないし、昨日はコスモスのおかげで何事もなく済んだからな」


 それに襲われたのが僕たちで、まだよかったと言えるだろう。

 もし奴らがスイセンに直接手を出し始めてしまったら、それこそ取り返しのつかない事態になるだろうし。

 ……ていうか、真っ先にそっちが思いついても不思議じゃないんだけど、どうしてスイセン本人は襲われていないのだろうか?

 恨みを晴らすだけなら、そっちの方が手っ取り早くて確実だと思うんだけど。

 少しだけ引っかかるな。


「……もう、こうなってしまった以上は、ロゼに協力してもらうわけにはいかないな」


「えっ、なんで?」


「俺と一緒にいるところを見られたら、次にまたどんなことをされるかわからないからさ。今回は大事にならずに済んだみたいだけど、今度もまた退けることができるとは思えない」


 まあ、確かに昨日はコスモスがいたから、たまたまなんとかなったけど。

 もし僕が一人でいる時に、あの人数に襲われていたとしたら、どうなっていたかわからない。

 スイセンは胸中の不安を限界まで募らせたのか、いつもの余裕の表情をどこかに忘れて、思い詰めた顔をした。


「だからきっと、アリウム氏への告白も、やめておいた方がいいかもしれないな」


「……」


「俺だけが嫌がらせを受けるならまだいいさ。でもロゼたちが襲われたことを考えると、きっとアリウム氏にも手を出してきたって不思議じゃないだろ」


 奴らの目的が、スイセンを孤立させることにあるのだとしたら、アリウムさんにも何らかの形で接触してくる可能性はある。

 もし告白が成功したとなれば、それこそスイセンの思い通りになっているのが腹立たしくて、奴らは想定外のことをしてくるかもしれない。

 最悪、アリウムさんが傷付けられるなんてことも……

 だから告白はやめておこう、とスイセンは言っているのだ。

 しかしスイセンは歯を食いしばって、静かに拳を握りしめている。

 その表情から『諦められない』という思いが滲み出ていて、僕はスイセンに問いかけた。


「スイセンは、本当にそれでいいのか?」


「……仕方がないじゃないか。これ以上、他の人たちに迷惑は掛けられないだろ。俺のせいでまた色んな人たちが襲われることになるなんて、そんなの償いようがない」


 今回僕が襲われたことが、相当心に響いているみたいだ。

 自分のせいで誰かが傷付けられそうになった。次は愛する人が狙われるかもしれない。

 いつも気取った様子で、自信過剰な態度ばかりを示してきたスイセンだが、根は優しい奴なのだろう。

 他の人に迷惑を掛けてしまうことを、心苦しいと思って前に踏み出せないようだ。


「すまないけど、今回の依頼はなかったことに……」


 悔しそうにそう言いかけたスイセンの声を、僕は不意に遮った。


「なら、その分強くなればいいんじゃないかな」


「えっ?」


「シオンの愛好家(ファン)たちを追い返せるくらい強くなればいい。アリウムさんのことを守ってあげられるくらい強くなればいい。外野のせいで自分の気持ちに蓋をするなんて、あまりにももったいないだろ」


 スイセンは碧眼を見開いて、驚いた表情で僕を見た。


「アリウムさんに迷惑を掛けちゃうかもしれないっていうのは、確かに大問題だと思う。だからそこは、スイセンがアリウムさんのことを守ってあげられるくらい強くなってから、想いを告げればいいんじゃないかな」


「守れるくらい、強く……?」


「なんだったら、二度と奴らがちょっかいを掛けようとも思わないくらい、スイセンがすっごく強くなっちゃえばいいんだよ。そうすれば向こうも怖気付いて諦めてくれると思うからさ」


 昨日のコスモスみたいに、圧倒的な強さで追い返してしまえば問題ない。

 そうすれば自分の気持ちに蓋をする必要だってなくなる。


「そ、それは確かに、そうかもしれないが……」


 スイセンは戸惑うように言い淀んでいた。

 自分がそこまで強くなれる想像ができないのだろう。

 アリウムさんのことを超えるどころか、守れるくらい強くなるなんて、スイセンにとっては現実感のない話なのかもしれない。


「もちろんそれを決めるのはスイセンだから、無理強いはしないよ。このままアリウムさんのことを諦めるっていうなら、依頼の話も聞かなかったことにする。ただ僕は、スイセンが強くなりたいって思うなら、全力で手を貸すって約束するよ」


「な、なんでそこまでしてロゼは、俺に協力してくれるんだ?」


 スイセンはいつもの調子をすっかり崩して、まるで“別人”のように険しい表情を浮かべる。


「天職が無くて強くなる方法もわからない。迷惑だって掛けたし、また危ない目に遭わせてしまうかもしれない。それなのにどうしてロゼは、“こんな俺”に手を貸してくれるんだ?」


 なんだか最近聞いたばかりの問いかけだと人知れず思う。

 天職が無くて強くなる方法がわからない。また危ない奴らに襲われることだって、確かにあるかもしれないけれど。

 それでも、僕は……


「育て屋だからだよ。スイセンが『強くしてほしい』って依頼をしてきたから、僕はただそれに応えるだけだ」


「……」


 スイセンが責任を感じるのも無理はないと思う。

 これ以上、誰にも迷惑を掛けたくないから、依頼の話もなかったことにした方がいいというのも真っ当な意見だ。

 でも、ただの外野に邪魔をされて、スイセンの真っ直ぐな想いが閉じ込められてしまうのが、僕はもったいないと思ってしまった。

 育て屋として、一度引き受けた依頼を完遂したいという気持ちももちろんあるけれど、それ以上にスイセンの純情な想いを叶えてやりたいと僕は思っている。


「だからさ、“悩み”について教えてよ。本当は昨日、抱えてる悩みがあったのに僕たちに隠しただろ? もしかしたらそれが、スイセンの天職を覚醒させる鍵になってるかもしれないからさ」


「……」


 天職が目覚めれば、今よりも確実に強くなれる。

 もしかしたらアリウムさんを守れるくらい“強力な天職”が覚醒する可能性だってあるのだ。

 しかしスイセンは複雑そうな顔をして目を逸らしてしまった。

 言いづらいことだとは思う。

 生まれながらにしてずっと抱えてきた悩みなのだから当然だ。

 おまけにそのせいで人間性が不確かなままで、神様が天職を定められないほど大きな悩みみたいだし。

 改めてそれを他言するのは、相当な覚悟と勇気が必要になるはず。

 アリウムさんを超えるという当初の目的以上に、強くならないといけない理由が見つかったので、明かしてくれるかと思ったんだけど……

 スイセンは目を逸らしたまま黙り込んでおり、僕は人知れず肩を落とした。


「お、俺は……」


 だが、直後にスイセンは口を開く。

 勇気を振り絞るように声を震わせながら……

 想い人であるアリウムさんと結ばれるために……

 自分の手で邪魔者たちを追い払えるようになるために……


 強くなることを、選んでくれた。




「俺は…………自分に自信がないんだ」

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