第246話 二人の夜に
ヒュドラはセシリアと結婚した。
セシリアは数年前ダンク・ザイラスと結婚して二児をもうけていたが、ここ近年の神族の衰退により大きな借金を背負ったダンクと形式上は離婚していた。
借金の取り立てがセシリアやアルフォンヌ家に及ばぬようにしたのだ。
俗世間でよくある話だ。
そこらあたりの事情はヒュドラもある程度は知った上での結婚だった。
(しっかり愛せばいずれセシリアも僕に目を向けてくれるだろう・・・きっと・・)
ヒュドラはセシリアを愛するがあまり、現実から目を背け、希望的な未来を思い描いていた。
ヒュドラの「未来予測」は自然現象やサイコロの目、等の確定的事項については予測を外すことはなかったが、人の運命など不確定要素が多い事項については的中しない場合も多かった。
例えば誰かが自動車事故にあう未来を予測して、それをその当事者に告げたとすれば、当然、その人は自動車に乗らない。
ということはヒュドラの未来予測が外れたと言うことになるのだ。
だから、自分とセシリアの将来については希望的な観測をするしか出来なかった。
セシリアはヒュドラに嫁いだものの、ヒュドラの外見や仕草をどうしても受け入れることが出来なかった。
人の生まれ持った感情というのは自分自身でも容易にコントロールすることが出来ない。
羽を羽ばたかせて飛んでくるゴキブリをみて逃げ惑う子供が同じ羽を持つカブトムシを嫌悪するかと思えば、そうでなく、むしろ掌に載せて愛でる。
ヒュドラの容姿はけして美しいとは言えないが、肢体は揃っており、他人と比べて短かったり大きかったりするだけだ。
面相も、この時代、この世界の基準から言うと醜い部類にはいるのだろうが、人の顔やスタイル等というものは人それぞれの好みの問題で、他人がそれをとやかくいう性質の物ではないだろう。
そんなことはセシリアも十分わかっている。
わかっていても、生理的にヒュドラを受け入れることができないのだ。
この世界の結婚式でも近いのキスをする儀式があった。
セシリアは精一杯、我慢してヒュドラのキスを受け止めようとして顔を背けることはしなかったがヒュドラの唇が自分の唇に触れた途端、失神してしまった。
会場は大騒ぎになっがセシリアの体調不良ということで体裁をなんとか保つことができた。
以来ヒュドラはセシリアに触れることもできずに居る。
ハネムーンでダブルベッドに入った二人だがヒュドラが手を伸ばそうとするとセシリアは身をよじり、ヒュドラから逃れ、とうとうベッドから転げ落ちた。
「どうしたの?僕が嫌なの?」
ベッドに上半身を起こしてヒュドラが尋ねるがセシリアを責める口調ではない。
「ごめんなさい。その・・体調が思わしくなくて・・その・・本当にごめんなさい。」
セシリアはシーツで体を包み、申し訳なさそうにつぶやいた。
それでもヒュドラは満足していた。
たとえセシリアの体に触れることが出来なくても初恋の人を自分の妻に出来たのだ。
(いつかは、わかり合える。いつかは全てを僕の物に・・だってセシリアは僕の妻だ。)
ヒュドラはセシリアから愛してもらうためセシリアの望むことは何でも叶えた。
傾いたアルフォンヌ家とその企業を豊富な資金力で立て直し、二人の子供にもこの国一番の教育環境をあてがい、セシリアの望む物なら何でも買い与えた。
ヒュドラの未来予測というスキルは財を構築するという点においては、他のいかなるスキル寄りも優れていた。
あらゆるギャンブル、クジ、相場で無敵を誇る。
この世の富を全て集めようと思えばできないこともなかった。
セシリアと結婚して一年もすると、この国の国王ですらしのぐほどの富を得ていた。
ヒュドラはその富を使ってある計画と立てていた。
その頃、この世界は月の力をより発揮できるマザー計画が成功していて、人狼族が世の中を支配しつつあった。
それを良しとしなかった神族は国をあげてマザー計画に対抗すべく「シスター計画」を実行に移そうとしていた。
ヒュドラは、その計画を全面的に援助し、惜しみもなく自分の財をつぎ込んでいた。
資金はいくらでもあった。
自分の国だけでなく他国にも進出して富を得、それを自国に、いやシスター計画につぎ込んだ。
「あなた。私がとやかく言うことではありませんが、財産の多くをシスター計画とやらにつぎ込んでいるらしいですわね。その、シスター計画にどんな価値がおありですの?」
最近少し太り気味のセシリアがヒュドラの肩に手をかけた。
しかし、その手は震えている。
(無理をしているのだろうなぁ・・・)
ヒュドラはセシリアに触れて嬉しいどころか、少し悲しくなった。
「シスターの価値?それは大いに有るよ。もしかしたら・・・」
「もしかしたら?」
「すまん。今は言えない。国の重要機密だからね。出来上がれば話すよ。」
「わかりましたわ。いつか教えてくださいね。」
「ああ、教えるよ。きっと。それはそうと、今日もパーティーなのかい?」
「ええ、今日はネイル伯爵様の奥様方とお食事会なのよ。ネイル様はご存じよね?」
「ああ、知っているとも、シスター計画の賛同者でもあるからね。」
「そうですわよね。」
「あまり遅くならないようにね。」
「はい。」
そんなことが数日続いた後のとある夜、シスター計画の賛同者が集められ報告会が開かれた。
「こんばんは。ネイル伯爵様。」
「ああ、こんばんはヒュドラ男爵。ご機嫌いかがかね?」
ネイル子爵があごひげをなでながら挨拶した。
「ええ、おかげさまで。シスター計画も家庭も順調でございます。」
「ほうほう。計画が順調と聞いて安心しました。それと、見目麗しい奥方がいれば家庭も順調ですな。うらやましい限りで。ハッハ。」
「ありがとうございます。いつも妻がお世話になっているようで。お礼が遅れて申し訳ございません。」
「はて?奥方とは披露宴以来おめにかかっておりませんが?」
「ああ伯爵様の奥方様と仲良くさせていただいていると聞いております。」
「ん?妻は二月ほど前から体調を崩して実家で療養中ですよ?ことがことだけにあまり公言はしておりませんが。」
子爵は不思議そうな顔をした。
「あ、そうですか。それは私が何か思い違いをしたようで。すみません。お詫びにお見舞いの品を届けましょう。奥様はどちらに?」
「ああ、気を遣わせてすまんね。妻の実家はイタリ、国境近くの田舎町ですよ。」
「そうですか。後で詳しい住所をお教えください。イタリなら早便でも二日ほどかかりますので、生ものは無理でしょうが、なにかご療養に良き物をお送りしましょう。」
「実は病気ではなく、その・・なんちゅうか、癇癪なんじゃよ。いろいろあってね。それで療養よりは、アクセサリーなどが届けば機嫌がなおるかもしれぬな。」
子爵が頭をかきながらヒュドラの耳元でささやいた。
「わかりました。何か良い物をみつくろって伯爵様のお名前でお送りしましょう。」
ヒュドラは微笑みながら告げた。
「いつも、すまんね。なにかあったら私を頼りなさい。ヒュドラ男爵。」
「はい。よろしくお願いします。」
ヒュドラはけっこう世渡り上手だった。
男爵の地位を金でかったものの貴族の社会は新参に厳しかった。
そこでヒュドラは金銭を振りまいて自分の味方を多くこしらえた。
ライン公爵やネイル伯爵もヒュドラの財産目当てで親しくしているのだろう。
(ネイル様の奥様はこの街にいない。ということは・・・)
ヒュドラの一番恐れていたことだ。
ヒュドラ夫婦の間に性的関係はない。
ヒュドラも人の子、性欲はあった、というより性欲旺盛だった。
独身の頃は、金で処理をしていたが、結婚してからは、その手の女に手を出したことはなかった。
セシリアもまだ30代前半だ。
女性といえども性欲はあるだろうし、その処理をどうしているのかヒュドラには疑問だった。
いくらセシリアを愛しているとはいえ、こればかりはヒュドラも許せなかった。
高額の調査料と口止め料を支払って、現在のセシリアの状況がつかめた。
相手は・・・やはりダンクだった。
「ねえダンク。いつまでこんなこと続けるつもり?何とか触れるようにはなったけど・・私もう無理。・・・」
ダンクの胸の中でセシリアが上目遣いでの眼差しをする。
「ほう、そりゃ上出来だ。ヒュドラを触れるのか。進歩したなアハハ。だから、もうちょっと辛抱しろよ。俺が何とかするから。」
「なんとかするって、どうやって?」
「商売女をあてがうから、それを根拠に離婚しろ。浮気者の亭主にあいそをつかしたって言うんだ。・・・それが駄目なら。」
「それが駄目なら・・直接俺が・・」
その頃からヒュドラの近くに美形の女性が現れるようになった。
街でわざとにぶつかってきたり、酒場で一人飲んでいると隣の席に偶然女性が座ったり、いずれも美形揃いで色気を振りまいていた。
ただいずれの美女も演技が下手で、金かなにか目当てが有っての接近だと、ヒュドラは気づいていた。
ヒュドラは誰よりも知っていた。
自分の容姿を。
(僕が見ず知らずの女性から好意を持たれるはず無いだろう。バカ。)
その後も何度か同じような事があったがヒュドラはその手に乗らなかった。
待合の一室。
「どうなの?ダンク。」
「うむ・・・それが、中々うまいこといかない。女どもが下手すぎるんだ。高い金払ってんのによぅ。クソが・・・」
「それじゃ、どうするの?私もう嫌よ。あいつと同じ部屋の中にいるだけで気が狂いそう。私、あいつの妻をやっているのよ?ヒュドラの妻よ。いくらお金の為でも限界があるわ。貴方の家も、私の実家も復興したからもういいでしょ?あいつの本当の妻になる前に、止めるわ。この演技。」
セシリアがダンクの腕を掴む。
「それじゃ、財産分与はないぜ。無いどころかお前の家から資金を引き揚げるかも知れない。そうなっても良いのか?」
ダンクもセシリアの両手を掴んでゆすぶる。
「それは、困るけど、・・・じゃぁどうするの?」
「ヤルしかないな。・・・」
「やるって・・・殺すの?」
「ああ。」
「そんなの、ばれたら・・・」
「ばれやしないって、うまくやればいい。昔はばれなかっただろう。あの時みたいにうまくやればいいんだ。今更無一文に戻れないだろうが・・」
「そうね、貧乏は嫌・・」
ヒュドラ屋敷。
「今日は早いんだね。それに食事も君が?」
「ええ、たまには妻らしいことをしなければね。あなた。」
セシリアが微笑む。
「子供達は?それに執事もいないようだけど。」
ヒュドラが周囲を伺う。
「子供達は父に預けてきたわ。執事達は休暇をあげたの。」
「どうして?」
「その・・・つまり・・・私反省したの。私、貴方の妻なのに、妻らしいことは何もしていなかったわ。だから今日は・・・その・・・本当の妻になろうと・・・」
セシリアはそう言いながら、ヒュドラの背中からヒュドラを抱きしめて肩越しに自分の顔をヒュドラの側頭部につけた。
「ほう・・だから、子供達も執事達も居ない・・というわけだ。」
「そうよ。あなた。だから今日はゆっくりしましょう。」
セシリアがヒュドラのグラスにワインを注ぐ。
セシリアは自分の席に戻って先にワインが注がれていたグラスを持ち上げる。
「二人の夜に・・」
ヒュドラもグラスを持ち上げる。
「二人の夜に。」
ヒュドラがワインを一気に飲み干した。
セシリアはワインを飲まずにヒュドラを見つめる。
「セ・シ・リ・ア・・?」
ヒュドラの体から力が抜けていくのが目に見えてわかる。
ガシャン!!
ヒュドラがワイングラスを落とし、自らも崩れるように椅子から落ちた。




