第236話 始まった
グリネル。
午前5時頃。
東の空が少し明るくなって来ている。
ゴゴゴゴゴゴ・・・
地鳴りが続く。
「今度のは長いですね。・・・」
会議室のソファーで横になっていた魔王が起き上がる。
床にうずくまっていたドルムも目を覚ました。
「ええ、そろそろかもしれません。魔王陛下、ここは俺達に任せて、陛下は先にオオカミへ避難してはいかがですか?」
魔王が笑う。
「ドルムさん。それ、本気で言っています?」
ドルムも笑う。
「いえ、言ってみただけです。ハハ。」
「どれゲートの様子を見てきます。」
「それじゃ、俺は市中を見て回ります。」
「ええ、頼みますよ。ドルムさん。」
ドルムは庭にソラを展開して、乗り込んだ。
乗り込むと同時にピンターからの遠話が入った。
『ドルムさん。』
『おお。ピンター随分早いな。』
『うん。なんだか胸騒ぎがして。それに誰かオイラに話しかけているみたいで。』
『遠話で?』
『うん。』
『ソウか?』
『違う兄ちゃんじゃない。でも一度話したことある人だ。』
『誰だろうな?』
『わかんないけど、方角はそっち。グリネルだ。だからそっちへ行って良い?』
『ん~危ないから来るなと言いたいが・・・今のピンターなら大丈夫か・・じゃ避難ゲートまでおいで。ソラで迎えに行くから。』
『うん。わかった。今から行く。』
ドルムは方向転換してソラを魔族院に向けた。
魔族院上空から魔族院の中庭を見ると2基のゲートに多くの老人や子供、担架に乗せられた病人などが、ゲートをくぐる順番を待っていた。
魔王の政見放送依頼、飛躍的に避難民が増えたのだ。
避難民の周りには魔族軍兵士が数百人ゲートを警護している。
いずれも先祖返り、つまり悪魔化できる精鋭だ。
これならヒュドラの手勢もおいそれとゲートを襲うことは出来ないだろう。
大きなゲートの横にある小さな連絡用ゲートからピンターが出てきた。
ピンターの隣に誰か居る。
女性だ。
「おはようございます。ドルムさん。」
「ああ、エリカおはよう。どうしたんだ?あっちはいいのか?」
「ええ、他の方々が頑張っています。私は皆様のように神器を扱えないので・・・ピンターちゃんが、こっちに来るというので私も連れてきてもらいました。」
エリカはピンターからソウのことを聞いて居ても立っても居られないのだろう。
ソウが最後に消息を絶ったこの地で、できるだけソウに近い場所で、そう思ってグリネルに来たのだろう。
ドルムにもそのことは痛いほどわかったので執拗な質問はしなかった。
「そうか、じゃぁ一緒に行こう。乗りなよ。」
「はい。」
ピンターとエリカがソラに搭乗した。
「で、ピンター。声がするのはどっちの方向だ?」
ピンターは瞑想している。
何か聞き耳を立てているようだ。
ピンターは少しだまったあと自分の人差し指を海の方向に向けた。
「あっちだ。海の方から誰か呼んでいる。」
「海?誰だろうな。」
「わかんない。でも敵意はないよ。オイラわかる。」
「そうか。じゃぁ行ってみよう。」
ソラを海岸方向へ飛ばせた。
海岸を少し離れた沖合に来た時ピンターが手を上げた。
「まって。ここだ。」
ドルムはソラを海上5メートルくらいでホバリングさせた。
ソラの下の海面が少し盛り上がる。
「なんだ。君か・・・」
ピンターが声に出すと海面から、そいつが姿を見せた。
大きなタコ。
クラーケンだ。
ピンターがソラの窓から身を乗り出す。
「危ない!ピンターちゃん。」
エリカが必死でピンターのズボンを掴む。
「エリカねぇちゃん。大丈夫。この子オイラの友達だから。」
エリカは窓の下を再度見た。
眼下には巨大なタコが触手をウネウネと動かしている。
小さなボートなら抱えて沈めることが出来るほどの大きなタコの触手だ。
「この子って・・・」
「こないだね。ソウ兄ちゃんが助けたタコだよ。この子」
「ソウ様が・・・」
ピンターは窓を大きく開けて海上5メートル付近から大分してタコの頭に飛び乗った。
「あっピンター!!」
「ピンターちゃん!!」
タコの頭に着地したピンターはタコの頭をなでた。
タコはタコで触手を伸ばしてピンターのタテガミをなでている。
そしてピンターはタコの頭に自分の耳をつけた。
数秒後、ピンターはタコから耳を離してジャンプした。
さっき飛び出したソラの窓にかきついて再びソラの中に入った。
その後身を乗り出してタコに向かい手を振った。
「ありがとうね~」
タコに表情があるのかどうかは知らないがタコが微笑んでいるのはドルムにもエリカにも理解できた。
タコは再び海中に消えた。
「なんだったんだ?いったい。」
「なんなの?」
「えーとね。」
「「うん。」」」
「あと数時間だって。」
「「何が?」」
「海に沈むのが。」
「「あっ」」
ピンターが二人に説明した内容はこうだ。
タコの子は親子共々ピンターに命を助けられたことを忘れていなかった。
日々海底の様子が変化していて、いずれこの大陸が海に滑り込むことは理解していた。
海底の大きな変化と水圧に耐えるため、今は海の中層で危険回避のための浮遊を続けている。
仲間の知らせで、まもなく大きな地滑りが起こることを知ったタコは以前、命を救ってくれたピンター達が心配で遠話によりピンターに呼びかけ続けた。
ピンターが呼びかけに応じてやってきたので、地滑りのことを知らせた。
と言うことだった。
「なんだ?するとあのタコはピンターの友達で、お前のことが心配で、ずっと呼びかけていた。ピンターはピンターでそのことを感じ取ってここまで来た。ってこと?」
「うん。そうだよ。」
ピンターはニコニコしながら事もなげに返事をした。
エリカが目を見開いてピンターを抱きしめる。
「すごい。すごいわ。ピンターちゃん。さすがね。うふふ。」
「えへへ~。これでもソウ兄ちゃんの弟だからね。」
ドルムもにこやかに言う。
「そうだな。確かにピンターはソウの弟だ。間違いない。」
「うん!」
ドルムは機首をグリネルに向けた。
「あと、数時間か。急ごう。」
ソラがグリネルの南側、海辺近くの南一区にさしかかったとき何人かの人影が見えた。
このあたりは富裕層の邸宅街だ。
馬車を何台も連ねた行列がゆっくりと北へ進んでいる。
荷物が多すぎて進行速度が極めて遅いようだ。
その隊列の進行速度に合わせて歩行者も進んでいるため渋滞が起きている。
「バカ共が・・」
そうつぶやいてドルムが隊列近くにソラを着陸させた。
「お前等なにやってんだ!もうすぐ始まるぞ。荷物なんか捨てて走って逃げろ。命を優先しろ。!!」
隊列は荷馬車10台ほど、その後に徒歩で進む人が20名ほどいる。
荷馬車は積載過剰で馬は何度もむち打たれながら必死の形相で前へ進むがその歩みは極めて遅い。
その馬を補助するために荷台の後ろを何人かの男達が押している。
隊列の先頭の紳士服を着用した男がドルムに歩み寄る。
「何言っているんだ君は。この馬車には我が家の家宝が積まれている。これを捨てて逃げるなど、ご先祖様に同申し開きをして良いやら。それをわかって言っているのかね。」
紳士の指さす馬車の御者台には幼い子供の姿も見える。
「荷物を優先して子孫を失うことを先祖は望んでいないと思うがねぇ。」
紳士は少したじろいだ。
「そんなことは言われなくともわかっとる。ワシは家宝も孫達も守るんじゃ。」
そういって馬の尻を鞭で打った。
馬は力を振り絞って少し前に進む。
「ほりゃ、お前等も押さぬか。」
紳士が従者であろう若者達に声をかけた。
荷馬車は少しずつ前に進むが、やはり荷物が重くて時速2キロ程度でしか前に進めない。
その時大きく地面が揺れた。
その日まで小規模な地震は何度かあったが、その時の揺れはここ数ヶ月で最大の揺れだった。
日本風に言えば震度5と言ったところだろうか。
「ヒヒーン。」
興奮した馬が暴れ出す。
後列の荷馬車のつなぎが悪かったのか馬と馬車をつなぐ留め具が外れて2頭の馬が暴走を始めた。
何人かの老人が馬に蹴飛ばされ倒れた。
馬は暴れ狂い更に暴走する。
子供達の列にぶつかりそうになった時、馬の前に誰かが素早く滑り込み手綱を取った。
最初は暴れていた馬も手綱取り、背中をなで、耳元で囁く何かの言葉を聞いて徐々に大人しくなった。
暴れ馬の前でしゃがむ子供達に前に立ったのは、ピンターだ。
「みんな、もう大丈夫だよ。お馬さんも怖かっただけだ。みんなを襲ったんじゃないよ。」
小さな子が立ち上がる。
「そうなの?お馬さん、怒っていないの?」
「うん。怒っていないよ。」
ピンターが馬に何か囁いた。
馬は前足を折って跪き子供に頭を差し出した。
「イイコイイコ、してあげて。」
ピンターが微笑みながらそう言った。
幼子が馬の頭をなでる。
「ブルルルル」
馬がゆっくりと立ち上がる。
「ほんとだね。お馬さん怒っていない。」
子供達が立ち上がる。
あっけにとられていた大人達が子供達に近づき、それぞれ自分の子供を抱き上げた。
「ほらな。馬たちが怯える理由は、もうすぐ始まるからだ。」
ドルムが初老の紳士に告げる。
「何が始まる?」
「大陸の崩壊だよ。これから数時間のうちにここいらは海の底に沈む。もう時間が無いんだ。だから荷物を捨てて、子供達や老人を荷馬車に乗せろ。一分でも一秒でも早く山に逃げるんだ。急げ。」
必死の形相でドルムが初老の紳士を説得する。
そしてまた小さな地震が起こった。
馬たちが怯える。
暴れだそうとした馬をピンターが鎮める。
「俺は魔族院左大臣ドルムだ。昨日の魔王陛下の政見放送をみただろう?陛下の命がけの訴えを。だからな、俺からも頼むよ。子供達を守ってくれ。」
ドルムが頭を下げた。
「わかった。すまぬ。魔王陛下とお主の言葉を信じよう。」
初老の紳士は従者達に命じて荷馬車の荷物を下ろし、そこへ子供や老人を乗せはじめた。
その時、幼子が初老の紳士に駆け寄ってきた。
「お爺さま。セーレンちゃんにお別れを言ってきたいの。いい?」
「ああ、ユナ。いいよ。でもすぐに出発だからセーレンちゃんにお別れを言ったらすぐに戻りなさい。」
「はい。お爺さま。」
ユナと呼ばれる子は、目の前の邸宅の中に入っていった。
その邸宅はドルムにも見覚えのある元区長ガルゴンの邸宅だった。
ドルムはユナという幼子を目で追った。
ユナが玄関の呼び鈴を鳴らすと老夫婦と幼子が出てきた。
ユナは幼子と一言二言、言葉を交わした後、すぐに戻って来た。
初老の紳士がユナを抱き上げる。
「お別れは済んだかい?」
「うん。セーレンちゃんに一緒に行こうって言ったけど、セーレンちゃんは、おばあさん達と残るんだって。」
「そうかい。残念だね。ワシもガルゴンをさそってはみたが、無駄じゃったよ。」
初老の紳士が率いる隊列は出発した。
それを玄関で見送る幼子がいた。
隊列は荷物を下ろし移動速度が格段にあがり徐々に進行速度を速めようとした時。
ガッコーン!!!ドドドドドド
海の方向から大音響が聞こえ地鳴りがこちらに向かって迫ってきた。
大音響に少し遅れて地面が揺れはじめ、その揺れは収まることなく徐々に大きくなってきた。
ドルム達はその場に立っていられず、すぐにエリカの運転するソラを呼び寄せ、からくも空中に逃れた。
上空からグリネルを見渡すと台地が海側に大きく傾き台地そのものが海に呑まれていく。
台地が緩やかに海へ滑り込んでいるのだ。
陸に居る人にすれば、大津波が押し寄せているように見えるだろう。
沖合に大きな波が立ちそれが徐々に大陸に迫っている。
「始まった・・・」
ドルムの顔がひきつった。




