2-3
「でもさあ」
ワンレンが、その大きな身体を乗り出して「史乃」に迫った。
「みんな私のことばっかり責めるけど、実際、『ジッキー』と一番仲が悪かったのって史乃なんじゃないの? 仲が悪いというか、そもそも関わるつもりがなかったっていうかさ」
これには、アル・パチーノも加勢した。
「たしかに。二人が話してる姿ってあんまり思い浮かばねえわ。二人きりで話したことって、一度もないんじゃねえの?」
急遽、攻撃の標的とされた「史乃」が、出されたばかりの梅酒で口を塞いだ。
「私だって、話したことくらいあるよ、そりゃあ」
弱々しい反論だけが、ロックグラスの中でぶつぶつと呟かれる。
「本当? じゃあ、なにか、ちょうだいよ。面白いやつ。思い出話」とは、キャリアウーマン。この会に花を添えるように、まだ知らぬエピソードが「史乃」の口から披露されるのを期待しているふうである。「なにかしら、あるでしょう? ほら。今夜は供養の席なんだからさ」
そう言って、半ば強引に自分のグラスを史乃のグラスの縁に当てた。
キャリアウーマンのなにげない扇動が、章一の意図とも重なっていた。
「……別に、面白い話なんかじゃ、ないけど」
5人の、いや、章一を含めた6人の顔色を窺うように、「史乃」が、伏し目がちに視線を一周させた。
そう語る「史乃」の様子から、章一を除く5人には、「史乃」の秘めたる思い出が、なにかしらよからぬものであることが察せられていた。
「聞かせてくださいよ。たとえなにがあったって、今日はもう、時効じゃないですか」
そう語るリーマンの優しい口調に、酒に、あるいは死別というセンチメンタルなシチュエーションに。そっと背を押されるようにして、「史乃」は、ゆっくりとしたペースで語り始めた。
〇
ガーゼつきの絆創膏を上腕から剥がすと、肌はほんのり赤く染まっていた。
それは北海道大学のポプラ並木の紅葉のようでもあり、あるいは十六時にはもうほの暗い札幌の秋の夕焼けのようでもあった。真っ白で華奢な彼女の腕の中で、アクセントのように紅く、灯る。
「ありゃ。こりゃ、藤生さんはお酒弱そうだわね」
理科の教科担任がそんな風に名指しすると、教室の中でもひときわ色濃い藤生史乃の腕の“染まり具合”を一目見てやろうと、クラスメイトたちがぞろぞろと辺りを囲んだ。
クラス中の視線が、久方ぶりに藤生史乃へと寄せられる。
少なくとも、入学直後の自己紹介以来、ちょっと記憶にないことであった。
うわ、すご。
赤っ!
もはや、芸術的!
クラスメイトたちは好き勝手に思ったことを口にした。
単純に感心している者もあり、藤生史乃の真っ白な肌を羨む女もあれば、「くそ、なんで俺は赤くならないんだよ」と、クラスの注目をかっさらわれたことに嫉妬心を抱いているような腕白小僧もあった。
そんな好奇の視線に晒されて、アルコールパッチテストの痕よりも深く、色濃く、藤生史乃の顔が真っ赤に染まってゆく。
俯くように目を落としながら、右手で揉むようにして上腕の痕を擦る。
――おねがい。
消えろ。色。一刻も早く。早く、早く、消えろ。
心が、どす黒い闇の中へと落ちていく。
額から汗が吹き出し、耳まで真っ赤に燃え上がる。
程なくしてクラスメイトたちが飽きるまで、藤生史乃は地獄のような時間を過ごした。
藤生史乃には、友だちがいなかった。