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「ええ、ほら」
ワンレンが、カウンターの上に備えてある章一の名刺を指さした。
シンプルなデザインのものに『居酒屋落陽 藤川章一』と記してあった。それを見たビールっ腹が、感慨深げに腕を組む。
「へええ、ほんとだ、“藤川”さんか。これも、縁なのかなあ」
「この店にして正解だったかもね。素敵な偶然」
とはキャリアウーマンの弁。
「ほんと。今日のこの会にはピッタリのお店だったかも」
とは、「史乃」。
にわかに色めき立つ6人の様子を眺めていた章一が、やや遅ればせながら、ひそりとワンレンに問うた。
「なんなんです、“藤”って? そりゃ、私の苗字に“藤”の字はついてますが。それが、一体?」
少なくとも章一のこれまでの人生の中で、この“藤川”という苗字にスポットライトが当てられたことなどちょっと記憶にはない。なんら変哲のない、ありふれた苗字だ。
しかし、目の前には“藤川”を喜ぶ6人の男女。章一の好奇心が、また一回り巨きく育つ。
「私たち6人、みんな苗字に“藤”の字がついてるのよ」ワンレンが、対極に座るビールっ腹に指を向けた。「向こう側から、藤坪、藤方、藤沢、藤生、藤吉、そして私が、藤丸。……ね?」
ね? と言われたって、字面でなきゃいまいち分かりにくいよと章一は思った。
メニュー表やらで6人からは死角となっている、章一側のカウンターにこっそりと鉛筆で文字を刻む。対面する6人の配席に対応するように、右側から、フジツボ、フジカタ、フジサワ、フジウ、フジヨシ、フジマル。たしかに、全員“フジ”の文字を含んでいる。これはちょっとした偶然だと章一は思った。
「今、この空間には“藤”が7人もいるわけか」
低い声で独り言ちたアル・パチーノを、リーマンが遮る。
「ちょっと、ちょっと。私の口上を聞いていなかったんですか? 今日は『ジッキー』が隣にいると言ったでしょう。今、この空間に“藤”は8人ですよ」
そうか、とアル・パチーノは少し寂しそうに微笑んだ。
――やや、静寂。
「じゃあ、その『ジッキー』さんも、“藤”の字が?」
「そういうこと」キャリアウーマンがグラスのビールを飲み干した。「私たち7人、中学校の同級生でね。しかも全員、同じクラスで。周りからは“藤組”なんて呼ばれたりして、私たちもまんざらでもなかったりして」
「必ずしも仲良し小好しってわけじゃ、なかったですけどね」
茶化すようにリーマンが補足する。
その言葉を受けて、少しバツが悪そうに右手で顔の前のあたりを払ってみせたのは、ワンレン。
和やかな雰囲気で昔話に花が咲く。
そんな中で章一は、答えの分かりきっていた質問を、あえて、した。
「その『ジッキー』さんは、今日は?」
また、静寂。
今度のそれはいささか長く続いた。
「たった今、会ってきたところさ」
静寂を破ったアル・パチーノが喪服のポケットから数珠を取り出して、人差し指を使いフラフープの要領でクルクルと回してみせた。
「『ジッキー』が、本日の主役さ」
やっぱり、と思いながら、章一は「失礼」と言って口を噤んだ。
「本当に、色々あったよ。……本当に」
感の極まった風のある「史乃」が、合わせた両の掌の中で静かに呟く。
――今夜はきっと、長くなる。
確信にも似た予感を飲み込むように、章一もまた、ビールのグラスを口にした。
第1話へつづく
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次回より、第1話。
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