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精一杯書かせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
なにか一言お声がけいただけますと、ものすごくモチベーションになります。
北海道は札幌。
地下鉄北18条駅から6分ほど歩いたところの人気の少ない路地裏に、ひときわ古ぼけた居酒屋「落陽」はあった。
外見に反して居酒屋「落陽」としての歴史は浅い。店主の章一が、半ば追い出されるようにして前職を辞めたのが6年前であるから、古ぼけた居酒屋「落陽」の歴史はわずか4年ほどという計算になる。
もちろん、章一に新しく店舗を構える甲斐性なぞがあるはずもないから、箱は前身のスナック「テイクアウト」からそのまま受け継いだものだ。リフォームはおろか内装費すらおぼつかないというのでは「テイクアウト」時代のケバケバしさが懸念されたが、スナック「テイクアウト」もまた、ろくすっぽ内装費も持たぬまま前々身の居酒屋の箱をそのまま受け継いでいたのであるから、その点については心配御無用と、こういう次第である。
さりとて、たとえ看板を挿げ替えただけだとしても、居酒屋「落陽」は章一にとってはれっきとした“城”であった。自身は一国一城の主であった。
今はもう居酒屋経営というものに夢も希望も抱いていない章一ではあるが、当時は「陽の落ち始める時分から賑わう店」という、ちょっとセンチメンタルな思いを込めて「落陽」は命名された。それが今では「店の経営自体が斜陽」だというのではいささか気の利いた皮肉だが、ひとまずこれを言っておけばカウンター越しの酔客の機嫌をとって財布の紐を緩めさせることができるので、それなりには気に入っている。
二十時を回った。
閑散とした店内で、独り、章一は煙草に火をつけた。
アメリカンスピリットを愛飲しているのはその味に惚れこんでいるからではない。この銘柄は燃焼促進剤を用いておらず、他のものに比してずいぶん長い時間しゃぶっていられるというのが、繁盛しない居酒屋の店主という身分にハマっていた。
ふうう、と、腹の奥底から息を吐く。
こしらえた紫煙が揺らめきながら天井まで昇っていくのを、なんとはなしに見守っている。
まったくなんの意義もない時間だが、少なくとも会社勤め時代にはなかなかできなかった時間の使い方である。経営がままならないという点に目を瞑れば、繁盛しない居酒屋の店主というのはなかなか魅力的な職だなと、こういう都合のいいことを考えていた。
がたがた、がらら。
建てつけの悪い引き戸をこじ開け、四人の男女が「落陽」へとやってきた。本日一組目の客である。
「いらっしゃい」
章一は不愛想に一瞥すると、訊ねることなく四人を小上がり席へと案内した。
そりゃあ、言われなくとも、若い男女四人組がカウンター席というのではやりにくかろう。
けれども章一が四人を小上がり席に案内したのは、いや、カウンター席に座らせなかったのには、もっと根本的な理由があった。
一国一城の主である章一にとって、「落陽」のカウンター席はそれなりに“聖域”だった。
「で!? で? 由美ちゃんは和也のどこが気に入ったの?」
「ほんと、お似合いだよねー!」
一杯目の注文もおぼつかない内に、さっそく四人の馬鹿騒ぎが始まった。案の定である。
そういうくだらない話を、1時間も2時間も目前のカウンターでやられるのはうんざりであった。スナック「テイクアウト」の看板を挿げ替えただけだとしても、吹けば飛ぶような、常に閉店説が囁かれている古ぼけた居酒屋「落陽」は、まぎれもなく章一の城だった。
そして、目前のカウンターテーブルは“聖域”だった。
この席では、料理を作る手を止めてでもつい耳を傾けたくなるような、蠱惑的な小噺が展開されるのが好ましかった。それは決して、誰が誰を好きだとか嫌いだとか、そういうのではなかった。
むろん、店の家計事情を考えれば、章一にとって四人組の彼らは神様のような存在であった。
しかし、それはそれとして、乱痴気騒ぎなら店の隅でやっていてほしい。
そのためならば、彼らの注文のたびに狭く歩きにくい店内を行ったり来たりするくらいのことはやぶさかではなかった。