懐かしい夢
「おかあさまっ、おかあさまっ」
「んっ?どうしたのこんな時間に、ジル」
あたりがとっくに真っ暗になった頃、ジルと呼ばれた小さな少年が、まだ明るくロウソクの火が灯った書斎の中にいそいそと入ってきた。
「じつは、おかあさまにおねがいがあって……、きょうはいっしょに、『おやすみ』できますか?」
「うーん………。いいわよ。ちょうどお仕事終わったところだから」
(あら、ジルがお願い事なんて珍しいわ。これは絶対に守らないと)
彼女の返答を聞いて、ジルはホッと、安堵のため息をはく。だがしかし………
「ホントに?おかあさまムリしてませんか?」
「大丈夫よ」
(そう言って、いつもおかあさまはムリをしているけど、ホントに大丈夫かな?)
幼い少年が心配するのも無理はない、彼女は疲労と睡眠不足で、二回ほど倒れたことがあるのだ。
「えっと、じゃあおかあさま、このほんをよんでもらいたいです」
そう言ってジルが差し出した絵本の表紙には、魔王と、その配下七人に立ち向かう、勇者とその仲間たちがきらびやかに描かれていた。
「なになに………、『魔導戦争』?本当にこれでいいの?」
「はい。これがいいです」
彼女は少し眉を寄せる。
(でも、これ、最後が少し悲しくなるお話なのだけれど……。ジルがこれがいいというのならいいかしら……。)
「わかったわ。じゃあ、お布団に向かいましょうか」
そう言い、親子は揃って寝室へ向かう。
「おかあさまっ、はやくはやくっ」
「あら、ジルったら、そんなにはしゃいで……、いつもは大人しいのにね。そんなにこの本が読みたかったの?」
「ん……、それもすこしはありますが……。…………おかあさまがいっしょでうれしいからです」
「ふふっ、ありがとう。……じゃあ読みますね」
絵本のページがそっと開かれた。
―― ……昔々、そのまた昔、セカイでは、大きな大きな戦争がありました。その戦争では、魔族と私達人類が戦い、たくさんの人が亡くなったりしたので、皆悲しみに打ちひしがれていました ――
「……おかあさま。うちひしがれるというのは、どういういみですか?」
「うーん、大雑把にいうと、悲しすぎて、希望が持てない状態のことよ」
「そうなのですか?せんそうってこわいものなんですね」
「…えぇ、とても悲しいものよ。………さて、えーと次は……」
―― 打ちひしがれている中、私達人類にも、ある日希望が見えてきました。……勇者が現れたのです。絶望の中、勇者は次々と魔族を倒していき、ついには魔王までもたどり着きました。しかし、魔王との戦いは困難をきわめました ――
「えっ、ゆうしゃさんはだいじょうぶなのですか!」
「ふふふっ、どうかしらね」
「むー、おかあさまがいじわるしてくるです」
「まあまあ」
―― 勇者は、魔王と死闘を繰り広げ、あと一歩のところまで追い込みました。……しかし、魔王がその瞬間、渾身の力で、大魔法を王都に向かって放ったのです。勇者はそれを止めるべく、命をかけて、王都全体に巨大な結界を張りました。その0,1秒後、結界と魔法がぶつかり、王国中が轟音の唸り声をあげました。………やがて霧が晴れ、そこには……無傷の王都が残っていました。数秒遅れ、王国中の者が歓喜の声を上げます。しかし、勇者は、命をかけて結界を張ったせいで、息絶えそうになっていました。必死にその仲間たちが回復魔法をかけますがそれも効かず、勇者はやがて、息絶えてしまいます。王国の人々は、それを悲しみ、嘆きました。そして、せめてもの感謝ということで、王城の中に、大きな大きな彼の像を建てたのです。それは今でも、この国の中で、キラキラと輝いているのです………。おしまい ――
ズルっ、ズルズルッ
「そんなぁ、ゆうしゃさん、あんなにがんばったのに……」
そう言いながら、ジルの目は涙が今にもこぼれそうになっている。
「んー、ジルの言いたいことも分かるけれど、多分勇者さんは、自分の大切なヒト大切なヒトを自分の力で守り抜く事ができて、嬉しかったんじゃないかしら。ジルだって、大切なヒトを守りたいでしょう?」
「うぅ、そうですが……」
「ふふふっ、ジルにも大切なヒトができたらきっと分かるわよ」
「ボクのたいせつなヒトはおかあさまです!」
「ありがとう。でも……もうそろそろ寝ましょうか。おやすみなさい、ジル……………」
暖かな、ポカポカとした日差しが窓から差し込んでくる……。
―― ジラルド様、起きてください。ジラルド様 ――
「んっ、ふわぁ〜あ。よく寝たぁ」
そう言ってボクは伸びをし薄目を開けると、目の前には、ピシッと綺麗にスーツを着こなした、執事らしき人が立っていた。
なんでもない、いつもの光景だ。
「あっ、ビルド、ボクを起こしてくれたんだね。ありがとう」
「いえいえ。それよりジラルド様、もう半刻で朝食のお時間になります」
ビルドはとても穏やかな口調でとても重大な事をさらりと言ってのけた。それはもう執事らしく、堂々と。
………ちなみに最近、というか昨日。髪を切ってもらったばかりなのだ。つまり、いつも以上に寝癖が酷いのである。自分の髪にはまだ触れていないが、爆発しているだろう。それはもう、寝癖を直すのに、半刻もかかるほどに。
「えっ、ホントに⁉急いで準備をするよ。ごめんねビルド」
「わかりました。ではまた半刻ほどたったらお呼びしますね」
そう言い、ビルドはそそくさと部屋を退出する。
それを眺めながらも、刻一刻と時間は過ぎていく……。
「わぁああ、早くしないとっ」
ボクは寝ぼけ眼を無理やり開けながら、慌てて意識を覚醒させた。
―― それから約半刻 ――
「ジラルド様、お呼びに参りました――っと、これまた、随分お疲れのようですね」
声が聞こえた方に顔を向けると、やはりというかなんというか、執事のビルドがいた。
「ぜぇ、はぁはぁ、もーなにビルド、嫌味?」
もう少し、早く起こすことも可能だっただろうと、せめてもの反抗に、不機嫌そうに息絶え絶えにそう言った。
案の定、ビルドはこう返してきたが。
「いやはやそんな訳ないでしょう?我が家何代にもわたって仕えている御家の方ですぞ。それに、ほんの少し遅く起こしたのは、ジラルド様の成長のためを思ってのことです」
うっ……、心を読まれた上に、さらにトドメを刺されるとは……。
確かに、寝坊したときはいつものビルドに起こしてもらっているのは事実なんだけど……。ボクだって、早く起きようと努力はしてるよ。………ホントだからね?
はぁ……、また口でビルドに負けちゃった。一度でも勝てた試しがない。むー、やはりボクに貴族は向いていないなぁ。
そう思っていると、ビルドは人の不安をやわらげるような笑顔でにこやかに笑い、穏やかな口調で言った。
「朝食に向かいましょうか、ジラルド様」
全く、無駄に整えられた白髪に、ピカピカに磨かれた老眼鏡が決まっている。
けれど、こんなのでも、この上なく頼りになるんだから仕方がないなぁ。そう思いながら、ビルドに連れられ歩いているとき、ふと、今日見た夢を思い出した。あまりに懐かしいものだったので、思い出し、しみじみとしていると、いつの間にか目的の場所に着いていた。
こういうのってたまにあるよね。
顔を上げると、目の前には、大きなダイニングホールが広がっている。ビルドが来る前に、扉を開けておいてくれたのだ。
しかし、この部屋には、これでもかというほどの長いテーブルに、数人の使用人と、一人分の食事しか置いていない。寂しいなと思いながらも、仕方がないので、ジラルドは寂しく一人で朝食をとる。
そう、現在、この屋敷には、ジラルドの家族はいないのだ。ジラルドは末っ子である。なので、兄姉たちは学園に、父は片道六日ほどにかかる王都へ用事があり、三日前から出かけている。母は……、言わずもがな、ジラルドが幼い頃に、流行り病にかかって、すでに他界してしまっている。
ジラルドは現在十歳で、あと二年程すれば、武道学園、または、魔導学園に入学することになる。ジラルドは、幼少の頃から剣術や、乗馬などを習っているので、武道学園に入るのは楽々可能だろうが、魔導学園に入れるかは未だに分からない。魔力を操ることができるのかは、試験を受けてみないと分からないのだ。
まあ、どちらに入ることになろうとも、ジラルドはどうとでも思わないのだが。大抵は、ある程度魔力を操ることができると分かれば魔導学園に入学することになる。自身にそのセンスがあるならば、自然と魔導学園に入る事になるのだろうと、ジラルドは思っているのだ。
実際、どっちに入りたい?と聞かれて困るのはジラルドなのだ。本人は、どちらでもいいと思っているのだから。
しかし、ひとまずこの話はおいておこう。
口をナフキンで拭い、ナイフとフォークをそっと置く。
「ビルド。今日って、緋月の七の日だったよね?」
隣にいるであろう人物に、ボクは静かに問いかける。
「はい。そうです、ジラルド様」
………はぁーー、やっぱりそうか…。
だからといって何なのか、というと、今日は、確か母の命日なのだ。遠くにある、大きな協会に朝早くから出かけなければならない。
こんな日に寝坊をするなんて、我ながら許せないことだが、今日に限って起こしてくれなかった、ビルドにも少し腹がたってくる。彼のことだから、分かっててやったことなのだろう。
だが、彼に怒りをぶつけるのは筋違いだ。もとは、自分が寝坊しなければ済むことだったのだから。
「急いで準備をしないと……」
残念ながら、今日一日の間にジラルドの気が休まる時は無いようだ。