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エレクトリックホイール・オブ・フォーチュン

作者: ルト

 鼓動するエンジンカウル。湧き上がる電磁のむず痒さ。突き抜ける風と街の距離。

 安楽椅子のような揺れに乗って、時速200kmで夜を駆ける。

 等間隔の街灯が弾丸のようにあたしの頭上を飛んでいく。

 車体のなかに縮こまるシールド・フレームなんてつまらない。コンパクトなボディには革張りシートがひとつきり。インフォテック・スマート・コンソールとグリップ・ハンドルを前面に。ジェネレーターとバッテリーを後方に。中世の円形盾(バックラー)を思わせる電磁ホイールが前後で二輪。工学的な曲線で形作られる流線形――リニアバイク。

 道路を走る車両群は、位置や相対速度はもちろん、ナビが示す方向指示まで情報公開性に従っている。まるで路傍の石。スマート・コンソールに導かれるまでもなく、体の動きでバイクをさばく。ふわふわ、するする。気持ちいくらいにぴったりと、思った通りに追い抜ける。

 定速走行をしていれば視界の隅でサブリミナル効果を示す広告も、絶え間なく加減速を続けるあたしの網膜を捉えられない。焦点を結ばないホログラムは粒子に弾けて消えていく。なんだか綺麗で儚くて、妖精の死にざまみたい。とても好き。

 どこまでも行ける。いつまでも走れる。いくらでも速くなれる。

 スマート・コンソールがナビすべき行き先を尋ねてくる。安全運転を励行し、減速を控えめに促し、危険を避けるための自律運転を勧めている。まるであたしを気遣う気弱な子分。煩わしさが心地よかった。

 電圧を押し上げ、さらに加速する。時速240km? 子どものお遊び。モビリティ・システムは、たとえあたしが壁に向かってバンザイしても、乗員保護のためだけに許された超放電(ハイパーボルト)で安全に停車するだろう。

 加速する世界にひとりきり。

 画一速度の守られた世界を置き去りにすると、異世界に迷い込んだ気分になる。実際、護壁に手を伸ばしでもしたら、世界はあたしを追い出してしまう。乗員保護のハイパーボルトがあたしの速度をゼロにする。

 セントラルを巡る環状線を133周した。

 そろそろ来てもいいころだ、と思ったときに、それは来た。


「昨日はごめんね、お姫様」


 待ちわびた声。

 異世界で聞く、あたし以外の誰かの声だ。


 初めて聞こえたのはつい昨日。同じように走っていたときだった。

 そろそろ帰ろうかな、と電圧レバーに伸びたあたしの指を、それが止めた。


「鳥かごの外に出たくない?」


 電流でも食らったみたいだった。

 バイクを傾けそびれて車両に追突しそうになり、ハイパーボルトが機能した。世界が弾け、気づいた時には道端の芝生に柔らかく着陸している。

 呆然とバイクに乗ったまま、元の世界の喧騒を耳鳴りのように味わっていた。

 なにが起こったのか分からなかった。

 だって、加速するバイクの上は、異世界だったから。一人きりの加速世界に、他人の声が入り込むなんて、あたしは夢にも思わなかった。

 他人の声。

 異世界に、あたし以外にも人がいる。


 そして今日、ついに彼女と出会ったのだ。

 バイクをさばいて環状線を走る車両を追い越す。このままじゃハンドルから手を離せない。速度を緩める? ご冗談を。久しぶりに子分に頼みごとをする。速度を維持し、環状線の巡回走行を継続。のろまな車は追い越し続けること。OK? ナビは頷く。

 顔をあげて見てみれば、頭の後ろで両手を組んであたしを見下ろす愉快そうな細目があった。人間だ。あたしと同じような、より大型で細長い猛禽類を思わせるリニアバイクにまたがっている。赤く染めた髪から銀のピアスが覗く。薄紫のアイシャドー。胸の下で切ったシャツと車体を抱くむき出しの腿が夜にも白い。

 生粋の異世界人ではなさそうだった。それに、ちょっと素行が悪そう。


「今日は大丈夫みたいね。もしかして、待ってた?」

「ええ。実のところ、今日はずっと」

「それはごめんね。スピードが遅いからさ、なかなかすれ違わないんだよね」


 遅いだって? 地面に触れれば人肉がミンチになれる速度が?

 あたしは、ちょっと嫌な気になった。速ければ偉いとでも言うのだろうか。


「高架道路の環状線をぐるぐるぐるぐる。ずっと走ってるお姫様。ウチらの間じゃ有名でさ、気になってたのよね。退屈じゃない? それともバターになりたいの?」

「他にもいるの? あなたみたいな人」


 少女はにやりと笑った。舌のピアスが犬歯の間からぎらりと光る。


「飛ばすことに惚れた人間は、この街にはいっぱいいるよ。あんた、自分だけ特別だと思ってた?」

「誰とも会わなかったから」


 ちょっとばつが悪くなって、言い訳っぽくなってしまう。

 幸い、彼女は明るく笑い飛ばしてくれた。


「そりゃ、セントラルの環状線だけ走ってれば、会わないさ。みんな、走れるだけのめいっぱいを好き勝手に走ってるからね」


 なんでだろう、と思った。素直に尋ねたら、彼女は不思議そうな顔をした。


「そりゃ、同じところばっかり走ってたら、飽きるでしょ」

「そうかな? でも、そっか。うん、そうかもしれないね」


 あたしの返事に、少女は大きく口を開けて笑う。その笑い声は速すぎるあたしたちについてこれなくて、コンドルの鳴き声みたいに尾を引いた。


「ふっふふ、ふふ。あんた、相当に面白いね。環状線を毎日ぐるぐる走ってるっていうから、よっぽど頭がキてると思ってたけど、予想以上だ。気に入ったよ」

「頭がキてるの、あたし?」

「おっと、失言?」


 少女はとても気さくで明るい。


 §


「鳥かごの外に出ようよ、お姫様」


 その明るさのまま、少女は言った。


「鳥かごって、環状線の外、ってこと?」

「そう。壁を乗り越えれば、もっと速く走れる。ここじゃ、どうしたって車を避ける"ゆとり"を持たせなきゃいけないだろ」

「そうだけど、でも」

「高架道路の外は反射材が減って速度が出せない、って話だろ? 裏技があるのさ」


 彼女は魅力的なウィンクをした。けれど、あたしはその艶やかさに、ぞくりとした寒気を覚える。


「ハイパーボルトを使うのさ。あれは強力な電磁反射でバイクを一度吹き飛ばし、安全を確保してから自律運転に入るだろ?」


 ハイパーボルトは乗員を守る魔法ではない。

 昨日、彼女に声をかけられて驚いたあたしは、車に追突しないために上空40メートルまで飛んだ。そうして周囲の状況から切り離し、ゆっくりと降りるのだ。馬鹿正直にピタリと停止してしまったら、時速200kmの慣性で乗っているバイクに轢き潰される。


「放電される瞬間に、傾きや方向を調整すれば、放射した先に危険があってまた放射する。そうやって連鎖を続けていけば、どんどん加速していけるんだ」

「それはわかるよ。でも、簡単にはいかないよ?」


 彼女は待ってましたとばかりに自慢げな顔をした。


「いや、簡単さ。あんたのスマート・コンソールにもガイドアプリを入れてやるよ」


 ガイド。

 放射に際し、自身の体位や車両の姿勢を教えてくれる代物だそうだ。もちろん、危険行為を励行する有害アプリではある。だけど画面に表示するだけなので、アプリそのものには違法性がない。言わば脱法アプリだった。

 子分に異物を注ぐようで抵抗があったけれど、断り切れずに受け入れた。


「見たこともないような世界を見せてやるよ」


 その言葉が、あまりにも魅力的だったから。

 彼女の笑顔はどこまでも無邪気で、露出の多い服装さえまるで少年のあどけなさに見えてくる。


「じゃあ、やってみようか。大丈夫、ガイドの通りにしていれば安全だ」


 そして彼女はコンドルのようなバイクを傾けた。吸い寄せられるように、私へと。


――ぶつかる!


 スパーク。

 嵐に巻き上げられた枯葉のように、私はキリキリと空を駆け上っていた。きらきらと夜景の光が天地に閃く。コンソールを覗いた。次の姿勢がガイドされている。

 体を傾ける。慣性と吸着のベクトルを合わせ、傍らのビルに向かうように。

 元の速度が速すぎる。通常の手段で回避する選択肢がバイクに残されていない。スパーク。超放電でバイクはビルから自身をピンボールのように弾き飛ばす。


「いい調子じゃん、上手いよ!」


 コンドルの声が周囲を巡る。彼女がどこにいるのか分からない。光が周囲を駆け巡り、露光撮影した夜天が世界に立ち現れている。

 異世界。

 童話の中に飛び込んだみたいだった。確かに、夢中になるのも分かる。速度計を見れば、現在速度は500kmだ。スパーク。時速750kmからぐんぐん下がる。速度計が狂い始めているのだろうか。

 恐るべき速さだった。いつの間にかセントラルを離れて、郊外を稲妻のように駆けている。ガイドは電灯を目指すように伝えていた。飛び石のように伝い、弾かれ、加速する。


「ひゅう、すごい! すごいねお姫様! あたしもここまで速くなれたことないよ!」

「そうなの?」


 スパークに乗りながら、姿のない声に意識を割く。


「反応が遅れたら、ガイドは乗り継ぎを示してくれる。だから今まで600km維持はできたんだ。でも一度も取りこぼさずに跳び続けたのは初めて! こんなに速くなれるんだ! アハハ、Gってやつかな? 体が重い!」


 そう、体が重い。速度計は820kmを示している。これ以上速くなれば、バイクも、あたしも危険だった。

 バイクの回転に蹴りを入れて、周囲を見渡した。今は天地を逆さに跳んでいたようだ。遊歩道が頭上を切るように飛んでいく。

 スパークが見えた。放電を受けた電灯が一瞬沈黙し、赤い電光に少女の姿が浮き上がる。本当に、まだ近くを駆けていた。分からなかっただけで、きっと何度もお互いを足場に加速していたに違いない。

 視野に捉えきれない速度の少女が、ちらりと私を見上げて笑った。ぎらっと舌のピアスにスパークが光る。彼女はコンソールに視線を戻し、


 あっ


 そういう声は聞こえなかった。ただ、口の動きが見えただけ。

 スパーク。だけど、火花。

 アーケードの天井を踏み破って、コンドルに似た大型バイクが砂糖細工みたいに砕けた。

 けれど、バイクは彼女を助けようとしていた。ハイパーボルトの残光が、アークになって屋根をのたくる。放り出された少女の体が700kmの速度で飛ぶ。

 彼女から視線を逸らさないまま、あたしは勢いをつけて体をひねる。スパーク、スパーク、スパーク。バッテリーが焼けていく。

 ごめんね、子分。興味本位で火遊びに付き合うんじゃなかったね。

 電圧不足でスマート・コンソールがブラック・アウト。目障りな姿勢ガイドが消え去った。あたしに任せる、と言ってくれたかのようだ。

 少女が落ちる前に近づいて、壁を舐めるようなハイパーボルト。少女の腕をつかんで寄せた。保持するエネルギー同士が弾け、駅ビルに迫る。弾け飛ぶ。重い。人間一人はあたしには荷が重かった。肋骨が痛い。

 公園の池を飛び越えて、沿道にゆっくり吸われていく。あたしの速度はゼロになる。


「痛……あれ……?」


 腕の中で呻き声が上がった。


「生きてる?」

「お姫様……え、あれ? なんで……私、転倒(コケ)た、よね?」


 うなずく。

 でなければ、私のバイクに彼女が乗っているはずがない。


「追いかけて、捕まえた」

「嘘。だって速度どのくらいだと思ってるの。ちょっと相対速度が違うだけで、どうなるか」

「おかげで肋骨を痛めたみたい」


 彼女はあんぐりと口を開けて、引き結んだ。


「ありえない。そんなこと」

「べつに、信じなくたっていいけど」


 無事なら同じだ。事故を感知したセキュリティが目ざとく彼女の人相を捉えて、救急車がやってくる。あたしが付き合う道理もない。

 あたしは彼女を降ろし、リニアバイクを再駆動させた。湧き上がる電磁のむず痒さ。ふわりと不自然に車体が浮き上がる。

 まったく、時間を無駄にした。

 あたしの知らないバイクの乗り方を知っているかと思ったら、そんなことはなくて。異世界との距離の保ち方さえ分かっていない。彼女もまた、路傍の石に過ぎなかった。

 ふと思い出して彼女を振り返る。


「『あの世界』はきれいだけど、人間に優しくない。逃げ込む場所には、向かないと思うよ」


 彼女はキッとあたしをにらんだ。

 肩をすくめて、子分に進めと命令を下す。もうスピードはお腹いっぱい。自宅まで運んでもらうことにした。

 近場の上り口から高架道路に入り、するすると車間に滑り込む。定速の時速130km。その柔らかな速度と優しい揺れを感じながら、ゆったりとまどろむ。

 バイクの発熱とカウルの振動を頬に感じて、なんだ、と眠りに落ちながら自分に呆れた。あたしも他人のことは言えない。

 別に、異世界まで行かなくても、バイクと二人きりになれるじゃないか。

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