14.
深夜―――呼び出されたウラノはバレーナの前で頭を下げていた。
「―――お断りいたします。私の領分を超えています」
相変わらず書類や本が積まれたバレーナの私室だが、今は灯りが点いておらず窓からの月明かりが部屋を照らすだけで薄暗い。そんな中でもはっきりとわかるほど、ウラノは頑なな表情を崩さない。
「頼む。こんなことを頼めるのはウラノしかいない」
今度はバレーナが頭を下げる。ウラノの眉がぴくりと動く。
「なぜ私なのですか。それこそブラックダガーに打って付けなのではありませんか。私は一介のメイドでございます」
「ウラノより打って付けの人間はいない」
「……何を根拠にそのように評価してくださっているのか存じませんが、私は王女様のご期待に添える人間ではございません。失礼いたします」
深々と礼をし、一度はバレーナに背中を向けるウラノだったが、
「―――ウラノ」
呼ばれた瞬間、ぴたりと足が止まった。ただの呼びかけに、重みを感じた…。
振り返ると――――青い夜光を背に立つバレーナは、ウラノもぞっとする冷たい眼光を放っていた。
「ウラノ……お前の目には私がどんな王に映る? いや、そもそも女王にふさわしいか?」
足音も立てずにウラノに近寄ってくる…。
「なにを…」
「お前には私が王として欠陥だらけの女に見えるのだろうな。その通りだ……今の私には王としての権力欲も義務感もなく、ただ皆に支えられ……それゆえに逃げ出せなくなっている、くだらない女だ。しかし私にも守るべき誓いがある………お前ならわかるだろう」
「……仰っていることの意味が理解できかねます」
「…………」
バレーナは少し睨むように目を細めると、ウラノの腕をとってぐっと引き寄せた。
「! バレーナ…っ!?」
ウラノが抵抗を示す前にバレーナはウラノに顔を寄せ―――耳元で囁く。
「――――…!」
ウラノはまるで雷に打たれたかのような驚愕の表情で固まる。さらにバレーナが続けるとウラノの顔は青ざめていく…。
「な………な……」
「お前に帰る場所はない。今後は私に従え、ウラノ」
「…ああっ!!!」
狂ったように叫び、ウラノは無意識でバレーナの頬を殴っていた。しかし口の中が切れて血が滲んでも、バレーナは薄く笑う。
「王女に暴行か……これでもう、私の言うことを聞くしかないな」
「あなたという人はッ……!」
ウラノの顔が怒りでドス黒く変わる。憎悪に満ち満ちていく……。
「…お前にとっては汚い手段だろうことはわかっている。それでも、今アテにできるのはお前だけなんだ、ウラノ…」
初めてウラノが感情を剥き出しにした瞬間を、バレーナは寂しく見つめた……。
午後三時過ぎ―――久方ぶりに胡蝶館にやってきたアケミは、裏口………のさらに裏手、通りから離れた奥まった場所に進んでいく。
「…おお、できてきてる」
林が切り開かれて、「ワフウ」な建物が姿を現す。独特な瓦屋根に白木の壁、障子もある。アケミも家の書物で見たことしかない「寺」や「庵」の絵に似ている。加えて庭も伝承通り……とはいかないものの、できる限り再現されていて、一般的な家屋と比べても隙間だらけなのに、荘厳な雰囲気を漂わせている。
見たところ全体の工程は七割までといったところだが、外観はほぼ完成しているように見える。今日の工事は終わったのか人の姿がない……が、ちょうど建物の中からエプロンをしたライラが顔を出し、目が合った。
「あ、アンタ帰って―――」
「――ライラさん!!」
一足飛びに庭を駆け、抱きつく。さすがにこの行動を予見していなかったのか、されるがままに押され、木戸に激突し―――外れた。
「あっ!?」
「あ」
ライラはアケミを引き剥がし、頭にゲンコツを食らわせた。
「コラッ!! 何やってんのバカ!! まだ建ててる最中なのに…!!」
「いたぁ……ああもう、ライラさんだぁ…」
懲りずにぎゅっと抱きつき、胸元に顔を埋めるアケミ。イラっとしたライラだったが、再び拳を握って三秒で根負けした。
「なんなのアンタ、オーバーな……今までだってこれくらい遠出してたことあったでしょうが」
「だって今回は行く前に挨拶くらいしかできなかったし、それに……慰めてほしいときだってある…」
「何を甘えたこと言ってんのよ…」
と言いつつ、そういえば母親に会うかもしれないと聞いていたのをライラは思い出す。
元々母親とは反りが合わず、自分のせいで家から出て行ったとアケミは前に話していた……話し合いは、あまりいい結果が出なかったのか。後で話を聞いてやるか―――
「…ライラさん」
もぞりと身体を揺すり、上目遣いに見つめてくるアケミ。その瞳が熱っぽく潤んでいるのを知ってライラはぎょっとする。アケミは一人勝手にスイッチが入りかけている……それを示すように唇を寄せてくる…!
「待て…待て、待って、止まれ…! 今仕事中だから!」
「? あたしとここでイチャイチャするのも仕事のうちじゃないの?」
「なっ!?」
どうしてそのことを―――漏れそうになった言葉を飲み込む。
今いるこの別館「奥座敷」は、高級を売り文句にする、胡蝶感の新しい施設だ。なんせ本館である胡蝶館の建物の三分の二もの敷地面積を有するが、一度に利用できるのは一人、もしくは一組まで。外からは見えないが部屋と隣り合わせの露天風呂まである。そしてそれらの建築を部分的に手伝いながらアイディアを出すのがライラの新しい仕事だ。そしてそれには「実際の使い心地」を試すことも含まれており……現在、ライラの部屋はこの奥座敷丸々一棟だ。周りからは羨ましがられるが元いた部屋からは半ば強制的に追い出されており、さらにちょうど今のように――――アケミと二人きりで「そういう空気」になったとき、今まで以上に断りづらくなる。だから言わなかったのに、どうしてそのことを知っているのか? まさか……
「…アンタ、お金出してるんじゃないわよね」
「出してるよ?」
なにをいまさら?とキョトンとして答えるが、ライラにとっては冗談ではなかった。
「バカ! なんてバカなの!? こんな悪趣味な建物にアンタが金出す必要がどこにあるのよ!?」
「悪趣味って……一応、ご先祖の国の文化なんだけど。でもここならどれだけイチャイチャしてても迷惑かからないし」
「アンタ、すでに結構な大金積んでるのよ!? いくら貴族っていっても、その歳で出せる額じゃないでしょうが!」
「建物丸々お金だしてるわけじゃないよ? いくらなんでも」
「当たり前だ! そうじゃなくて、使い道を考えなさいって言ってんの!!」
鼻を付き合わせる距離で怒鳴りつけてしまう。アケミが悪ふざけでやっているわけではないと、もう十分にわかっている……だからこそライラには後ろめたさがある。もうこういうのは、本当に嫌なのだ。
と、アケミは突然真剣な顔になる。
「―――これが終わったら、ライラさんをもらえることになっている」
「え…」
言葉が出ない。全く予想していないことだった。
「もちろんライラさんがここで働きたいっていうならそれでもいいよ……あ、お客の相手とかはちょっと……絶対嫌だけど。でもさ、これから先は一人対一人として、ちゃんと向き合えるんだよ。そうしたいし、そうあるべきだと思う。ライラさんはダメ?」
「ダメ……っていうか……」
そこに至るまでに、まだ二十にもならないこの子にどれだけの金を貢がせるのか。この子にはまだまだ選択できる未来がある。将来がある。才能だってある。輝かしい魅力を持ったこの子を、自分のような人間が縛り付けて言い訳がない――――…そう思っている。だが、言えない。言ったらこの子との関係を断たなくてはならない。それが大人として本来やるべきこと、果たすべき責任なのはわかっている。でも、それでも……別れたくない、愛され続けたいという、情けなくもはしたない本性が邪魔をする。それがアケミ=シロモリにとっていつか鎖になり、重りになるときがくるだろう。後悔するときがくるはずだ。アケミの悔やむ顔を見るのは………耐えられない……。
「……後悔なんてしない」
見透かしたように言われてライラは身を震わせた。その肩をアケミの腕が覆うように抱く……。
「そりゃできないことはいっぱいあるよ。子供はできないし、そもそも結婚できないだろうし……でも相手が誰であれ、何かしらできないことは出てくる。だからといってそもそも相手のせいにするなんておかしいよ。それはそれじゃん、でしょ? それに将来どんな不利益が出たって、それ以上にあたしにはライラさんが必要なんだ。今掛けている金だって無駄じゃない………一生かけて、それを証明するから」
「一生なんて……軽々しく言わないでよ…」
「軽くないよ。あたしは剣を振ってる……命を奪い、奪われるかもしれない人間だ。だから、愛するのだって命懸けのつもり」
こつんと額を合わされても、ライラはまともにアケミの目を見られなかった。
考え方も、覚悟も、この子の方が上だ。本当に自分が情けない……その気持ちを、私も受け止めて―――
「…そういうわけだから……」
アケミの手が背中を撫で、腰に遠慮がちに流れていき……少しずついやらしい手つきに変わる…。
「この『奥座敷』が完成するまでが、ライラさんをあたしに夢中にさせるチャンスかなーと思うんだけど…」
―――一気に、冷めた。
「……離れて」
「えぇ? 結構真剣にプロポーズしたのに、その対応!?」
「ごめん、忘れた」
「ひどっ!? いくらなんでも酷くない!?」
「…アンタ、ただ私とヤリたいだけの口実にしてるでしょ!?」
「そっ……んなつもりは、ないよ…?」
「……うそつけ」
そんな目を泳がせて、どの口が言う…。
「だってっ……本当は出かける前にイチャイチャしたかったんだよ!? でも邪魔……というか、急な用が入って結局何もできなかったし………もう二ヶ月近くキスもしてないんだよ!? あたしの身体がライラさんの肌を欲しがってるの!」
「ちょっ…大声で何言ってんの!!? ここ外なのよ!? 誰が聞いてるか……ひゃっ!?」
顔の傷をペロリと舐められた。アケミの顔は紅潮していて、完全に発情した猫になっている……!
「ライラさん…」
「ダメだって…仕事中だって言ってるでしょ…!」
「わかってるよ……今日は徹夜で残業になるね」
「何言ってんの!? 頭おかしいの!?」
「ライラさんの匂いがおかしくさせるんだから…」
「バカ言ってないでっ…離れて! ダメだって言ってるでしょ、しつこい…!」
巨大な蛇のようにまとわりついてくるアケミを剥がそうともがくが、力は圧倒的にアケミが上。あっという間に押さえ込まれ、唇を奪われそうになったそのとき…!
「夕餉の仕込みに現れないと思ったら……さっそくお盛んねぇ? 見えるところで堂々と始めるなんて、真似できないわあ」
どこか人を食ったような調子……カーチェだ。
「仕事に出てこないなんて、今日はアケミ姐さん体調悪いのかしらあ? 後で見舞いにくるように行っておかないと」
「違うっ、そんなんじゃないから! ちゃんと行く! ほら、いい加減離れなさいよ……怒るわよ!!」
ライラがアケミの顔をぐっと押すが、
「いやだ。誰になんて言われようが、一週間はライラさんを離さない」
今日のアケミはいつにも増して強情だ。
と、そんなアケミの耳に妖しい吐息がかけられる。
「そんなに欲求不満なら、私とやらない? いつかの続きを…」
「……!」
カーチェに囁かれたアケミはびくっと固まり、緩やかにライラから離れていく…。
「続き…?」
「いや、そのっ……すみませんでした!」
「…なぜ謝るの。そういえば、前もアンタたち変なときがあったわね。何隠してるの?」
「な、何も…」
アケミは言い淀むが、その表情から相当言えないことを隠しているらしいのはライラにもわかる。その相手がカーチェともなると……。
「――イタズラしたのよ。面白そうだったから」
「「……!!」」
カーチェがあまりにあっけらかんとバラし、アケミもライラも言葉を失った。
「キスしただけよ……気持ちよかったのか、最後のほうはガッついてきたけど」
「ガッつ…」
「違うライラさん! あれは、事情があって仕方なく…!!」
「覆いかぶさって、夢中になってたくせに」
「カーチェは黙ってて、ややこしくなるから!!」
―――しかしもう遅い。ライラの目は言い訳が許されないほど険しい…。
「…あらあら怖い。そんなに嫉妬するほど独占欲があるなら、もっとハッキリ態度に出せば? 誰にも触らせたくないくらい好きなんでしょう、この子のこと」
「べ、別に、そんな…」
カーチェの指摘に、ライラの頬が少しずつ赤くなっていく…。
「――それにアンタも。愛情だからって束縛しようとすると嫌われるわよ。『ダメ』とは言っても『嫌』とは言ってないでしょうが。このヘタレ女もヘタレなりにやってるんだから、いい加減に理解しなさい」
「あ…はい…」
カーチェのアドバイスに、アケミは得心する。そして二人は目を合わせ……照れた。
「…仕事終わったら、その……ちゃんと付き合ってあげるから…」
「うん、待ってる……あ、先にお風呂入ってたほうがいい?」
「そういうことは言ってない…!!」
結局変わらないやり取り…。カーチェは肩を竦め、溜息を吐く…。
……ともあれ約束を取り付け、アケミは自分一人となった『奥座敷』の縁側で横になった。
西向きのこの場所は、赤く沈もうとする太陽がよく見えて、とても風情がある…。建物を中心に広い庭、その外側に敷地を取り囲むそこそこ高い塀があるが、そんなのは気にならない。二階に行って見上げれば星が、歓楽街側を向けば町の明かりが綺麗に見えることだろう……想像していた以上に素晴らしい建築物だ。ただ娼婦とイチャつくだけなら勿体なさすぎる……というか落ち着かないし、間が持たなくなるだろう。確かにこれは、上級の貴族くらいでないと利用できないかもしれない…。
今夜、ここで二人でどう過ごそうか? 思い浮かべるとドキドキする……ソワソワする。さっきの半端なく怒った顔ですら愛おしく感じてしまう…。今日は、なんだか……本当に自制が効かなくなるかもしれない。そんな期待感がアケミを悶えさせる―――……。
――と、そんなふうに妄想に耽っていたとき、門をドンドンと叩く音がした。
「あの……シロモリさん、今よろしいですか」
フラウだ。ノックしたのに返事を待たずに開けてくるのはどうかと思うが、キョロキョロと見回す当り、単にこの建物に興味があるだけなのかもしれない。おそらくライラ以外はあまり入る機会がないのだろう。
「何? もうライラさん仕事終わった?」
「いや、今からが本番なんですけど……お客様がいらっしゃってますよ」
「客…?」
嫌な予感しかしない……最近のブラックダガーのメンバーは狙って胡蝶館で接触してくる傾向がある。事件以来、胡蝶館の人間と顔見知りだし……ここならミオが来にくいということもある。要するに、ミオに持ちかけにくい厄介事を持って現れるのだ。隊の創設者だから付き合うし責任もあるが、ここに来るときはそういう気分ではないわけで……もう少し気遣ってほしいというか。正直、そういう思いはある。
さあ今日は誰が現れるのだろうと門の先を見張っていたら……思わぬ人物が現れた。大きなカバンを携えた、ウラノだった。
ちょっと間が開きましたが更新です。前回、結構ムリヤリ更新したので…。ちなみに前回は後書きの内容を間違って前書きの所に書いてしまって、いきなり何のネタバレだよ!?みたいになってしまった更新直後にご覧頂いた方々、ごめんなさい。深夜にホントにもう…!って感じですよね(苦笑)
今回はひたすらイチャイチャしているだけですが、そろそろ事態が動き始めます……予定です。ん? 前も書いていたような…?(笑)




