30.5
広い部屋の中央には大きなテーブルが鎮座している。そしてその前に座る女が一人―――。緊張した面持ちで、目の前に並べられた皿に向かっている……。
並べられた何本ものスプーン・フォークの中から一本を選び、スープを掬う……
―――パシイィンッ!!
鞭が乾いた音を立てて女の手を叩く。
「スープは手前から掬う! 何度も言っているでしょう」
鞭を持つのは脇に立つもう一人の女。厳しい表情で椅子に座る女を見下ろしている。
「痛って…ちょっとミスっただけだろうが!」
「言葉遣い――!」
また鞭が女を打つ。痛みを与えにくい教育用の鞭だが、もう一人の女は容赦なく振るい、打たれた痕が赤くなっている。女が一挙動する毎にもう一人の女の鞭が唸るため、ちっとも食事が進まない……。
そんな二人の女を、入口で覗いている女が二人―――通りがかったロナとハイラだ。
「ハイラ様……大丈夫でしょうか、あれ」
ロナが不安そうに漏らす。着慣れないドレスを着せられ、事あるごとにイザベラに鞭で打たれるミストリアはストレス過多で爆発寸前だ。
「ん…大丈夫じゃないですか?」
ハイラはロナとは対照的にあっけらかんと答えるが、中の二人はいよいよ一触即発の雰囲気だ!
「…テメェいい加減にしろよ! 一度言われりゃわかるんだよ! わかってるんだよ! 何度も叩いてんじゃねぇよ!!」
「頭でわかっていてもできなくては意味がないでしょう! 付け焼刃でやろうとするからすぐにボロがでるのです! ちゃんと集中なさい! あなたは他の人より遅れているのですから、他の人の倍頑張らなくてどうするのです!!」
「お前らは育ちがいいからそんな余裕ぶって上から言えんだよ!! オレは山奥の羊飼いの娘だぞ!!」
バシイイィ―――ッ!!
一際大きな音が響いた。思い切り打たれたミストリアは肩を抑えてキッとイザベラを睨むが、イザベラも真正面から睨み返す…!
「自らの不覚を親のせいにするなど子供のやることですわ……恥を知りなさい!」
「……!」
「さあ……もう一度最初から始めなさい」
スープに浸っていたスプーンをナプキンで拭い、イザベラが元の位置に戻す。しかしミストリアは歯ぎしりしたままなかなか動こうとしない―――…
「ほ、本当に大丈夫でしょうか…!?」
「平気ですよ。そのうちベラちゃんには逆らえなくなりますから」
「え!?」
耳を疑うロナを置いてハイラは歩き始めていた。
翌日。午前中、シロモリ隊は城の裏庭を使って武術訓練をしていた。人数が絞られたことで演習場まで移動する必要がなくなったのだが、その分武術訓練の日は多くなり、時間は長くなった。まだ軍人レベルの内容ではないが、慣れない少女たちはヘトヘトになっている。そんな中、気を吐くのはイザベラとミストリアの二人だ。木剣を手にぶつかり合う二人は、先日のアケミとマユラの戦いに影響されたのか、鬼気迫る表情で激突する。
「うおおらぁ!!」
「はああぁっ!!」
気合の乗った木剣が交叉し、二人が押し合う。しかし真正面からの力勝負ではどうやってもミストリアの方が上。そもそもイザベラは平均よりやや軽い剣を使い、正確に隼のように切り裂くのが得意だ。力押しするタイプではない。イザベラの剣技は誰もが認めるが、ミストリアと正面切ってのパワー対決ではどうみても不利だ。そしてその予想通り、イザベラは押され始める。
「おあああぁ!!」
「うっ…!?」
激しい連打を受け続け、ついにイザベラが木剣を落としてしまう! しかしミストリアの勢いは止まらず―――
「こぉんのぉ―――!!!」
横薙ぎの長槍がイザベラの身体を吹き飛ばした!
「ちょっ……ストップストップ! 何やってんのよミスト!!」
アレインが割って入り、見ていた何人かがイザベラの元へ駆け寄る。しかし周りの手を振り払い、イザベラは一人で立ち上がろうとする。
「邪魔しないでください……まだ終わってません…!」
「何を言ってるの、そんな身体でミストリアとぶつかったらもたないって!!」
「わかっています……ミストリアの方が力が強いことは。ですが、劣っているからこそ、私はもっと努力しなければ……!」
イザベラの瞳に点った強い光にミストリアはぞっとするものを感じて、下ろしていた長槍をぐっと握り締める。
しかし―――糸が切れたようにイザベラは崩れ落ちた。咄嗟に支えた周りの少女たちが呼びかけても意識がない。場は騒然となるが、マユラは落ち着いてイザベラの容態を観察する。
「大丈夫……きっと軽い脳震盪だから。誰か、医務室に行って先生を呼んできて。それと担架……他のみんなは解散。悪いけど、片付けは任せるね…」
イザベラが運ばれた後、残ったメンバーは木剣や道具類を持って撤収を始めたのだが、ずっと動かないミストリアには冷たい眼差しが向けられた。
「どう見ても最後の一撃は必要ないでしょ…」
「イザベラさんに恨みでもあるんじゃないの…」
方々から声が聞こえてきても、ミストリアは言い返すことができなかった。訓練にかこつけて鬱憤を晴らしていたんじゃないか―――そうではないと心から言える自信がない……。
「…ミストリア」
ミストリアの前にはいつの間にかハイラが正面に立っていた。
ハイラはイザベラの一番の親友だ。きっと自分を許せないだろう……そう感じて顔を伏せたミストリアだが、ハイラは困ったように微笑みを浮かべる。
「戻ろっか」
それだけだった。
午後になり、今度は座学や教養の訓練が始まる。シロモリ隊は王女の護衛を務めるのが役目とはいえ、普段は王女の生活のサポート、お世話をすることになる。それこそ女でしか行けない場所―――着替え、風呂場などに付き従うのは同じ年頃の彼女たちならではの任務である。そんな彼女たちに王城での振る舞い方、王族に対する接し方を学ぶのだ。
が、ミストリアはそれ以前の課題をクリアできていないため、イザベラによる特別メニューを一人受けているのである。テーブルマナーの講義を受けていたのは他にも何人かいたのだが、あっという間にミストリア一人になってしまっていたのだ。
しかし今日に限ってはそれでよかった……。未だに皆に馴染めないミストリアだが、さすがに午前中はやりすぎてしまった。自分の粗野な振る舞いを悪く言われるのは仕方ないが、あんな風に白い目で見られるのは耐えられない……。イザベラが来るはずがないのはわかっていたが、皆と顔を合わせずに済む口実はできる。そう思い、いつもの会議室のドアを開けた―――
「え…」
しかしそこには、イザベラが立っていたのだ!
「遅刻ですわ。五分前には着席しているよう、前にも言ったでしょう!」
「何で…」
「何で? 時計を見ていませんの!?」
「そうじゃなくて、なんでお前がここにいるんだよ! 大怪我してるだろ!」
イザベラは左腕を包帯で吊っていた。最後の一撃を受け止めた箇所だ。
「大したことではありませんわ……利き腕は使えますし。それに、ボロボロという意味ではあなたも同じでしょう」
イザベラ同様、ミストリアもドレスの袖から見える腕や額に絆創膏を貼ったり包帯を巻いたりしている。しかしこれとイザベラの怪我は意味が違う――…。
「ほら、始めますわ。座りなさい」
「もういい…」
「はい?」
「もういいって言ってんだ! あんたはオレみたいなのに手を取られてる場合じゃないだろ! 元々オレは強くなりにきたわけで、そもそもあんたらみたいなお嬢様と一緒に綺麗な服着て晩餐会に出られるような女じゃないんだよ!!」
テーブルを叩き、叫ぶミストリア。その目は赤く、潤んでいる…。
「あなたは……立ちなさい」
「え?」
「そこに立ちなさい」
強い口調でミストリアはテーブルから離れた壁際に立たされる。「背筋を伸ばす!」と鞭で叩かれ、手をヘソの辺りで組み、ピンと姿勢を正されると、
「そのまま首だけ左を向きなさい」
振り向いた先には―――姿見に映った自分がいた。まるで城中に飾られた肖像画のように立っている自分が……。
「――綺麗です」
「は?」
すぐ後ろに立つイザベラが何を言っているのかわからなかった。しかし鏡を通してミストリアを見つめるイザベラの顔は真剣そのものだった。
「日に焼けた浅黒い肌は健康的で、槍を振るう腕は無駄な肉がなくしなやかで、引き締まった足腰は女性的なラインが際立っていて、とてもドレスに映えます。ボサボサの髪さえ手を入れれば、外見は文句の付け様がありません」
「な……何言って……そんなわけないだろ…」
「いいえ、本心から言っています。あなたは何一つ劣っていません。卑下する部分などありません。むしろあなた自身が己を魅力的だと認めてあげることです。自信がないからひねくれて、できるものもできないのでしょう」
「……自信なんてない。今まで褒められたことなんかないし」
「あなたが努力をしないから……いえ、努力する方向を間違っているからですわ」
「方向?」
「自分のためでなく、人のために頑張りなさい。戦士として強くなりたいのならそれも結構。シロモリ隊の仲間のために、バレーナ様のために強くなりなさい。私もあなたが紹介状を持って現れたときは何かの間違いかとも思いましたが……今なら隊長のお考えがわかります。あなたもまた、磨かれるべき珠玉の一つなので……っ」
話している途中でイザベラの身体がふらりと傾く。
「おい!? 大丈夫か!?」
「少し目眩がしただけです…」
辛うじて椅子の背もたれに寄りかかっているが、イザベラの顔は青ざめている。
「―――あぁ、やっぱり来てた」
部屋のドアを開けて現れたのはハイラだ。
「もう、寝てなきゃ駄目でしょう。骨が折れたから熱が出るって言われてたじゃない」
「私は平気です……それよりミストリアの訓練をしないと……!」
「はいはい、そういうのは真っ直ぐ立ってから言おうね。ミストリア、手を貸してくれる?」
ハイラに言われるままイザベラに肩を貸すと、冷たい汗がミストリアに伝わってくる。
「……どうして、ここまでしてくれるんだ…」
「―――認められたからじゃない?」
ポツリと漏れた心の声をハイラが聞き拾っていた。
一週間後――――
「姿勢よく……まだ肩に力が入っています。そう、もっと自然に…笑顔で」
ミストリアの「笑顔」はぎこちない…。
「なんて顔をしているのです…」
「べ、別にそんな変な顔じゃないだろ、オレ――」
「――『私』!」
鞭は―――飛ばない。
「わ……わ、わたっ、わた、し…」
「恥ずかしがらない。とても可愛らしくてよ」
「だ、だからっ! そういうのやめろよ…っ!!」
―――廊下から中の様子を見ていたロナは目を点にしていた。
「な、何があったんでしょう…」
「言ったでしょう? ベラちゃんには逆らえないって」
隣にいたハイラは何事もなかったように部屋の前を通り過ぎていった。
閑話。閑話です。さらっと書こうと思ってましたが、思った以上に時間がかかってしまいました…。
ブラックダガーの面々の露出が増え、名前だけだった人物にセリフが当てられると段々と勝手に動き出してくれるようになりました。やったぜ(笑)。しかし思いのほかミストリアが弱いところからスタートに……がんばれ!




