29.
真意が読めないまま、あれよあれよという間に部屋に引き込まれた。あの時……ゲイスの事件のときの、あの部屋だ。
カーテンが引かれたままのカーチェの部屋は薄暗く、改めて見ると服やら下着やら散乱している…。
「あたしも人のこと言えないけど、ちょっと片付けたほうがいいんじゃ…」
「眠るだけの部屋だもの。ベッドさえ空いていればいいのよ。寝られればいいんだから、不都合ある?」
「何で言い直す…。そんな冗談を言うために部屋に連れ込んだわけじゃないんだろう? 今度はどんな難題をふっかけてくるわけ?」
「………」
カーチェはベッドに座り、アケミにもこっちへ来いとチョイチョイと手招きする。左側に座ると、肩を寄せ、右手でアケミの左手をとって指を絡めてくる…。
「いや、だから――」
「―――グレイズの何を探ってるの…?」
指がピクンと揺れ、その瞬間に手をぎゅっと握られて心臓が止まる思いだった。くすりとカーチェが妖しい笑みを浮かべ、さらに顔を近づけてくる……強い眼差しから目が離せなくなる。
心を絡め取られるようなこの感覚、前にも覚えがある………クーラさんだ。
「……」
「どうかした?」
「いや……相当な悪女だな、と」
「フフ、ベッドの上じゃ負けないのよ私……試してみる?」
カーチェが太ももの上に跨るように乗る。軍の養成所で入りたての訓練生が間違ってやりがちだが、仰向けの相手を拘束するなら腰ではなく太ももに乗り、両手を押さえるのだ。まさか知ってのこととは思えないが、すでに片手を取られている現状、カーチェの動きはそれに準じている。いや、それよりも至近距離、真正面で向かい合っていることのほうが問題で……。
寝技に持ち込まれるとヤバそうな気がする……。
「…で? グレイズの何を探ってるの?」
空いている左手で耳を触られ、肩が跳ね上がってしまう。
「……探っているわけじゃない。クマイル卿との……貴族たちとどういう繋がりがあるのか知りたいだけだ」
「それを探っていると言うんじゃない」
「別に洗いざらい話せってわけじゃない。ただ、クマイル卿の屋敷を見張っている奴がいた。そいつの主はひょっとするとゲイスたちをけしかけた奴と同じかもしれない。でもまだ手がかりがなさすぎる……だから二人の関係性から逆算すれば敵がわかるかもしれない。いや、グレイズにはすでに心当たりがあるんじゃないか? なのに全く話そうとしない…。娼館まるごと狙われるなんてよっぽどのことだ。実際、助かったのは奇跡的だろ!? そんな危機が迫っているのに、どうしてグレイズはああなんだ…!?」
「………なるほどねぇ」
カーチェは一度目線を落とし……刺すような瞳でアケミを見つめ返した。
「…教えてもいい」
「え!?」
「ただし――――……」
アケミの首に腕を回し、わずかな隙間をさらに埋めるように迫ってくる。互いの服が擦れ合う衣擦れの音……沈むような柔らかな弾力……呼吸と、熱―――。
「カーチェ…」
鼻先が触れ合おうかという距離で、もはや名を呼ぶことでしか抵抗出来なかった。それほどまでに、呑まれかけて―――……
「………」
不意に止まり、カーチェの意識が逸れた。
「……?」
「…ちょっと待ってて」
そっと立ち上がると散らかった部屋を音もなく歩き、ドアノブに手をかける。そっと引くと―――聞き耳を立ててたであろういつもの三人娘がバランスを崩してなだれ込んできた。
「……なにか用?」
カーチェは恐ろしいほど無表情、無感動。凍てつくような迫力に、三人も固まった。
「え、えっと…」
「ちょっと、通りすがりで…」
「通りすがってただけかなー…」
「そう……じゃあさっさと通り過ぎなさい」
「「「はい…!!」」」
蜘蛛の子を散らすように逃げていく…。ドアを閉めたカーチェは長い髪をバサバサと揺らして頭を掻いた。
「まったく……せっかく落ちかけてたのに台無しね」
「……やっぱり何というか、そういうつもりだった?」
「前回フられたリベンジをしてやろうと思って」
カーチェはベッド脇のミニテーブルに乗っていたデキャンタからグラスに水を注ぎ、一気に飲み干し、ぐいと口元を拭った……それだけでもどこか色気を感じてしまう。
「ふぅ……結局のところ、アンタはどこまで知っているの? グレイズのことを」
「グレイズが娼館や元娼婦の得た情報を傘に色々やってるらしくて、その相手には有力な貴族もいる……っぽい」
「知っていると言えるレベルじゃないわねぇ」
「だけどどうしても気になることがある。グレイズとクマイル卿との関係以上に―――娼館の皆がグレイズに加担しているのか……」
「フ……皆が何食わぬ顔で自分を観察していたんじゃないかって?」
「ライラさんはそんなこと知らなかった。でもカーチェは知っているのか? どうして!?」
「…決まっているでしょ」
カーチェは立ったまま腕を組み、フンと鼻を鳴らす。
「感情のままに人をグーで殴るような奴が秘密を抱えられると思う?」
「………それはそうだ」
二人して笑ってしまった。
「別に情報を得る手段は意図的な諜報活動だけじゃないわ。世間話程度のことでも繋げていけば大きな事実に辿り着く。だけど胡蝶館は基本的に情報を拾い集めるだけで利用することはしないわ、身を守る時以外は。情報の売買もしない。聞いたことを話しているだけよ……それこそ、世間話程度に。ただし、グレイズは単なる事情通では留まらない情報を集積しているだろうけどね」
「貴族と繋がりがあるのは?」
「昔、花街といえば単に娼館が立ち並ぶ通りだったらしいけど、今では娼館を中心に様々な風俗店が立ち並び、繁華街と呼ばれて一区画を占領するほどになった。規模が大きくなると必ず利権を得ようとする奴らが出てくる……その対策のためにグレイズは娼館をはじめとする繁華街の商店で組合を作り、第三者による介入ができないように法的に認めさせたのよ。その手助けをしてくれたのが貴族たち」
「クマイル卿も?」
「………クマイル卿の屋敷に行ったときのグレイズの装い、派手だったでしょう?」
「うーん? 確かに、化粧が濃いとは思ったけど」
いつも派手なイメージだから、
「男を尋ねる女が着飾る理由なんて、一つしかないわ」
「え………え? 二人ってそういう関係!?」
まさか―――と思った。クマイル卿には子供だけではなく孫もいる。愛人がいることが知れたら大スキャンダルだ…!
しかしカーチェは肩を竦めた。
「片思いよ、一方的な。昔、若い頃に恩があるとか……珍しく上機嫌に酔ってた時にこぼしてた。娼婦が酒に呑まれるとロクなことにならない典型ね。もしかしたら、花街を今のような形にすることはクマイル卿の望みだったのかもしれないけど……そこまでは知ったこっちゃないわ。肝心なのはグレイズがあれで一途ってこと。何も喋らないのは、そういうことでしょう?」
「ふうん…」
アケミにはグレイズがそんな感情で動く人間には見えない。しかしカーチェの話を聞けば納得できない話ではない……。
「……おそらく、胡蝶館を狙ってきたのは利権を横取りしようとする人間ね」
「それはそうだろうが……それだけで皆殺しかぁ? 度が過ぎるだろう」
「グロニア全ての繁華街で組合を結成し、ネットワーク築き上げたグレイズの発言力は大きい。それを疎ましく思っている人間もいるのよ。実際に手を出してきた奴らはブラックリストに乗せて組合中に回しているから、どこの繁華街に行っても商売ができない」
「……実は、粗方の目星がついているのか?」
アケミが質問すると、カーチェは鍵がついた机の引き出しから紙の束を取り出した。
「これがリストよ。この中の誰かの可能性が高いわ」
アケミはそのリストに手を伸ばし―――……伸ばそうとして、止めた。
「?」
「どうしてカーチェはそんなにも詳しい……どうしてリストを持っている? グレイズがダンマリで通すのに協力してくれるのはなぜだ……?」
「ああ、そういう……信用ならない?」
「……素直には」
「………」
再びアケミの左隣に歩み寄ったカーチェは右膝だけベッドに乗せて、アケミの耳元で囁いた―――
「私はね――グレイズの身に何かあったとき、後を任されているの」
「! それって…後け――」
カーチェの細い指が唇を抑える―――。
「グレイズと私以外、この店では誰も知らない私の秘密よ。その上で言わせてもらうなら……私はこの店のためなら利用できるものはなんでも利用する。あなたの名も力もね。その代わり私もあなたが必要なものを提供する。これなら納得できる?」
「………わかった」
アケミは改めてリストに手を伸ばす。と、今度はカーチェがリストを遠ざける。アケミが怪訝な顔をするとカーチェはふいと立ち上がり―――
「一度袖にされたのにあっさり渡すのは、対等じゃないと思わない?」
そして浴衣の胸元へリストを差し入れると、ベッドに仰向けに寝転がった。
「ほら……取ってみたら?」
ベッドの上で猫のように肢体をくねらせるカーチェの媚態に、思わず息を呑む――――。
「普段でもこんなことやってるのか…?」
「さあねぇ」
胸元から顔を出す書類の端を摘もうとすると、カーチェはするりと奥へ。アケミは眉根を寄せて、ベッドへ上がっていく…。
誘われるままに四つん這いでカーチェを追い、ようやく端に追い込むと、カーチェは胸元の合わせ目を押さえる。
つまり、どういう意図かはわかったが……
「いい加減に怒るぞ…」
「無粋ね。遊びでしょ? それとも緊張しているの…?」
ここにきてなお誘惑するカーチェ…。
短く息を吐き……アケミはカーチェの浴衣の襟元に手をかけて下ろしていく。白く細い肩が、少しずつ露わになっていく……。
「…ねぇ、このまましない…?」
「しない」
「こんなに相性がいいのに?」
「変なこと言うな……何もないのにいいも悪いもわからないだろ」
「あら、知らないの? キスする直前に呼吸が合うと、身体の相性もいいのよ」
キスするときに、呼吸が……
視点は吸い寄せられるようにカーチェの蠱惑的な唇へ―――……
「―――んむっ!?」
まるで時間を奪われたように意識を奪われて――――カーチェとキスしている…!?
驚く間もなくカーチェの腕がアケミの首に回っていて引き倒される。引き剥がそうとするよりもカーチェの技の方が巧みだった。甘い唇にあっという間に意識を奪われ、同時に柔肌に包まれた脚がアケミの腰を挟み込み、二人はこれ以上ないほど密着する。せめて首を捻って抵抗しようとしたが……そんな乙女のような手しか思いつけない時点でアケミの負けだった……。
時間を忘れる程に交じり続け……ようやく唇が離れたとき、アケミはまるで情事の後のように脱力していた。それでも乱れる吐息はまだ、熱い……。
「はあぁ……よかったでしょう…?」
耳元で濡れた息を吹きかけてくる…。
「フフ、知らんぷりしてもダメよ」
抱きついたままごろりと体を入れ替えて馬乗りになったカーチェは、大きく上下するアケミの胸に掌を押し付ける。
「気をやるほどに夢中になってたの、わかってるのよ? これって浮気よね………ライラが知ったらどんな顔するか。これで私たちは一蓮托生ね」
「一体何がしたいんだ、アンタは…」
「………フ、」
カーチェはクッと唇の箸を釣り上げると、またアケミに顔を寄せる。さすがに今度は顔を逸らして拒絶するが、カーチェは構わずにむき出しになった首筋に口付けた。
「私たちはこれからも仲良くやっていける。ただし――――秘密を明かしたり裏切ったりすれば、全てを壊す。あなたの全てをね」
それまでの熱い眼差しも、溶けるようなキスもまるでなかったように冷たい声が心臓に染み込んでくる。そして甘く……あくまで甘く、アケミの首に歯を立てた……。
アケミが厨房に戻ると、ちょうど買い出し帰りのライラが裏口のドアを開けたところだった。
「あ、アンタ来てたの――」
「ライラさぁん!!!」
突如、アケミは猪のようにタックル、ライラの胸元に顔を埋めるように抱きつく! ライラはいきなりでなんのことかわからず―――というか、皆が見てる前だ…!!
「何なの一体っ……ちょっと、離れて――きゃっ!? どこ触って――離れ、離れてっ……離れろっつってんだろうが!!!!」
ボグンッ――と、厨房にいた全員が聞き取れるほどの重い打撃音。ライラの拳はアケミの脳天を全力で打ち下ろしていた。
―――だというのに、頭をおさえてうずくまったアケミは涙目でヘラヘラと笑う。
「ああ、いいこの感じ……安心する……」
「………きもっ…」
その日、ライラは一言も口を利いてくれなかった。アケミにとって忘れられない日の一つになった……。
タイマーで更新です。
お昼にアップされますが、まさに昼ドラ的なアレに(笑)。




