17.
ライラは後悔していた。いくらゲイスを殴って監獄送りにしたといっても、それは私の顔に傷を付けたからで、傷害事件を起こしたのだから当然だ。とはいえ酒場や娼館でのトラブルはよくあることだ。よくあることだからこそ、恨みに思っていたとしても、すぐさま危険な事態に陥るとは考えていなかったのだ。だからついカーチェの忠告を無視し、娼館が立ち並ぶ色町を出て、なんとなくシロモリの屋敷……アケミの家に向かってしまった。するとどこで見張っていたのか、狙いすましたように幌馬車に引きずり込まれ、ろくに抵抗するまもなく縛り上げられて、今はどこかもわからない廃屋の中で壁に繋がれている…。
時間はどれくらい経っただろうか……窓には板を打ち付けてあって外が見えないが、屋根が一部崩れていて空だけは見える。まだ陽は落ちていないが、体感時間では午後四時くらいだろうか。店では多少騒ぎになっているだろうが、さすがに私を探しに出てはいないだろう……とすると、これから自分がどういう目に遭うのか、先は大体見えている……。
「なあオイ、もうヤっちまっていいだろう? 可愛げはねぇが結構いいカラダしてんじゃねえか」
胸を鷲掴みにされて男を睨む―――だが言葉にはならない。猿轡代わりに布を噛まされている。
目の前にいる男がゲイス―――ではない。ゲイスは少し離れたところでボロ椅子に座っているが、それ以外に男が二人。ゲイスは三十前後だろうが、他の男たちは歳も経歴もまるで違って見えた。共通していることといえば、その目……厭らしい目で私を見ている当たり、似たり寄ったりの下衆な趣向の持ち主だろう。
「お前、胡蝶館の元娼婦なんだろ。コイツに顔を傷をつけられなきゃまだまだ稼げただろうになあ?」
胸から手を離さない中年の男にふられたゲイスは鼻で笑う。
「デカい、愛想はない、おまけに下手くそ。もっぱらガキの筆下ろし専用だったって話だ」
男たちがバカ笑いする。大して間違ってもいないが、お前らに言われる筋合いはない…。
「とは言ってもまだ胡蝶館にいるってことは裏で働いてんだろ? 毎夜そこかしこから喘ぎ声が聞こえてきたら興奮するだろ? 相当溜まってんじゃねぇの…?」
男の硬い指が脇腹から腰に流れていくのを、身を捩って抵抗する。
やっぱりこういう男たちはバカだ。年中発情している自分たちと女が同じだと思っている。だから自分に同調しない女を無理やり従わせようとする。もはやまな板の上の鯉だけど、こいつら変態の思い通りになるのは死んでも嫌だ…!
しかし――
「おい、まだ待てって言ってんだろ」
ゲイスの一言で、男は舌打ちしながらも手を離した。一体なぜ…!?
ゲイスは目の前まで歩み寄ってきて、かがみ込む。そして気持ち悪いくらい優しい声で話しかけてきた――。
「そもそも数十年前……まだジャファルスと戦争している頃、娼婦は夫や親を亡くした未亡人・孤児が行き着く先だった。だが休戦協定が結ばれて、平和と、国境線防衛のための軍備増強と、そのアンバランスな状態が色町の活気を生んだ。色町は性欲の捌け口から夢を見せる歓楽街になり、趣向も様々。女は通いで店に出るようになり、小遣い稼ぎに身体を売る奴も出てくる。人気店のオーナーは荒稼ぎして力を持ち、公序良俗は乱れ、一種の治外法権が生まれた――――そこに一線を引いたのがお前のとこのグレイズだ。氾濫しつつあった風俗街を東西南北の四つのエリアに区分化し、供給が増えすぎて安く買い叩かれていた娼婦の賃金を底上げし、病気持ちや暴力沙汰を起こした客をリスト化して回したり、俺たちを色町から追放したり―――そりゃもう、健全化…ってのもおかしいが、そのために身を粉にして働いたわけだ」
あの女将が、そんなことを…!?
「知らなかったって顔だな。そりゃそうだろうなあ、お前とグレイズがケンカしてるのは有名な話だったしな。だが、それでもお前のために金を用意してくれるだろうよ……ああ、言い忘れてた、胡蝶館に脅迫状を送りつけた。お前の身代金五百万用意しろってな。制限時間は午後五時まで」
「……!」
今、何時!? 攫われてどのくらい時間が経った!?
「かなりの金額だが、グレイズが本気になれば三十分もかからず用意できるだろ。だがこっちは端から身代金なんてのは二の次。本命は火をつけて、色町を焼き尽くすのさ」
「!?」
コイツ、今何と言った!?
「グレイズは本当に奇特なババアだ。未だにお前のような孤児を住み込みで働かせている。さながらお前らは家族で、店は家か? やがて高官や貴族に見初められたグレイズの『娘』たちは店から巣立ち、様々な情報を『親』にもたらすようになる。グレイズが幅を利かせる力の源はこの情報ネットワークだ。近所の痴話喧嘩から有力者のスキャンダルまで手中に納める、だから逆らえない。だから口利きができる。だからあんな程度の騒ぎで俺を牢にブチ込むこともできた。そして、それを煩わしく思ってる奴も一人や二人じゃないんだよ…!」
ゲイスは急に髪を掴んで私の頭を引っ張り上げる。ようやくみせる本性……一年前に店で浮かべていた気分の悪い面だ。
「金を必死で用意して、連絡がくるのを固唾を飲んで待っている五時その十五分前―――四時四十五分に仲間が店に押し入り、皆殺しにした後、火をつける。六時からの開店準備に追われて周りの店も惨事には気づかない……気づいたときには焼け落ちる胡蝶館を前に盛り上がってるところだ。そして今の時間は………おおっと、喋りすぎてしまったなぁ」
目の前に小さな目覚まし時計を置く。その長針は、十の文字を過ぎて―――……!!
言葉にならない絶叫を上げたが、噛まされた布に押さえつけられて惨めな呻きにしかならない…!
「ハハハハ! ワフウだったか? 木組みの店は今頃ごうごうと燃えてるだろうなぁ!」
「んー! んんーっ!!」
「悔しいか? 復讐するか? だが俺たちを全員殺して、お前はどこに帰る? 帰る場所なんてないだろ? 天涯孤独の身の上だもんなあ? 男に媚を売って生きるか? 傷モノのお前が? ハハハハハ!!」
最低……最低最悪な男だ! 殺す……絶対殺してやる! だけど、だけど……!
「そもそもお前のせいだろ! お前が殴りかかってこなきゃこんなことにはならなかったんだよ!」
悪いのはこの下衆男だ、そんなことはわかりきっている。でも今回の切っ掛けを生んだのは昔の私だ。私の、私のせいで皆が……!
怒りとともに涙が溢れてくる。嗚咽が漏れ、震えが止まらない……
「もうどうにもならないってわかっただろ……おい、待たせたな、好きにしていいぞ」
合図を受けて、さっきの男がようやくかとニヤニヤしながらやってくる。
「自分から奉仕すると泣いて頼めるように、今日からじっくり調教してやる……クククク」
ゲイスの癪に障る笑いと同時にシャツが引きちぎられる。さっきはまだ覚悟していたが、もう抵抗する気力も湧いてこない。それどころか恐怖が腹の底から広がって、感情を冷たく覆い尽くしていく……。
誰に頼って生きてきたつもりもなかった。
一人で生きていけると思っていた。
だけど今、脳裏に閃いたのはたった一つ。
――――助けて。
はっきり言葉になったとき浮かんだ幻は、長い剣を持った、あの―――
「―――ライラさん!!」
幻聴ではなかった。扉を蹴破り、赤みを帯びた陽光を背に現れたのは、もう心に焼きついてしまっていたシルエットだった。
大分ゲスな言葉の羅列ですが、あくまでフィクションですのであしからず。
ちなみにライラが「デカい」と度々記されていますが、
アケミ…172cm
ライラ…168cm
マユラ…180cm超えてる?
…くらいのイメージで書いています。バレーナはアケミとどっこいくらいでしょうか。ライラは女性にしては高いというところです。




