12.
アケミがライラの元に最後に来てから二週間が過ぎる。胡蝶館や界隈を騒がせたアケミの話題は繰り返される夜の喧騒の中で夢の中の出来事のように忘れ去られていった。
「最近、あのシロモリ女来ないわね…」
「………」
じとっとこちらを見ながら、聞こえるように言う―――。
一段落ついて従業員たちが賄いを食べ始める頃合いに、カーチェはライラの正面に陣取って食事していた。胡蝶館ではどんな売れっ子でも、「危険日」は強制的に休みにさせられる。これは女将の絶対の掟の一つだ。が、私やカーチェのような通いではない人間は自室に篭るだけでやることがない。現在娼婦ではない自分はもうその制約はないが、暇を持て余すカーチェが今のように絡んでくるようになった。私にとっては面倒な期間である。
「何? 彼女、忙しいの?」
「知らないわよ…。あの子、あれで当主なのよ。仕事が忙しいんでしょ」
「週に一度も来られないほど? 全く、一回くらい相手してやれば味をしめて通ってきただろうに」
「……変なこと言わないでよ…」
「あの時」の感触を思い出し、身体の奥がぞくっと震えた。わずかな動揺をカーチェは目敏く、見逃さなかった。
「あらら……驚いた。もうヤっちゃってたんだ」
「してない! そんなつもりもない! いい加減、適当なこと言うのは止めなさいよ!」
「フッ、耳まで赤くしてよく言うわぁ」
ハッと顔に手をやるが「ウソ」とからかわれ、歯ぎしりする。
「頑なさだけが取り柄のアンタが絆されるなんて、あの子そんなにイイんだ? 興味なかったけど、今度誘ってみようかしら」
「………!」
「ハイハイ、怖い顔しない……さっさと自分のだって言えばいいのに」
「だから、そんな関係じゃないって言ってるでしょ―――!!」
離れて食事していた他の子らの視線が集まる。思わず大きな声が出てしまっていた。
「…アンタがあの女を必要以上に意識していることは黙っててあげる」
スープを啜りながら囁くように呟くカーチェの一言に、私は黙るしかなかった。「そんな関係」って、店員と客以上のどんな関係があるんだ………バカか私は…!
「…で? シロモリさんはゲイスのことどうにかしてくれるって?」
「話してない」
「え!? 次はいつ来るかわかんないって言ってんのに、どうすんのよ?」
「もう来るなって、言った」
「はあ!? どうして!?」
「娼館通いなんてあの子にとってマイナスでしかないから。せっかくまともになったのに、あの子の足を引っ張りたくないわ……」
「……アンタ、もうマジじゃない…」
やれやれと肩を竦めるカーチェ。今度こそ、私の耳は赤くなっていたのかもしれない…。
アケミが訪ねたのはグロ二アから遠く離れた農村だった。エレステルは西に行くほど農村が広がり、田舎になる。しかし貧しいかというとそうでもない。国境警備に応る軍が現地で食料を調達するため作れば作っただけ売れる。特に国境付近の村々は潤っており、休戦中の隣国・ジャファルスと接するリスクはあるものの、比較的裕福であり、その領民の上に立つ領主も大いに富んでいる。ゆえに地方の影響力は侮れず、エレステルの最高評議院では地方領主からの選出者の席が必ず設けてあるほどだ。
生活レベルに対して過分な権力と財力を持つ地方領主はその境遇ゆえに力を振るう方向を見い出せず、傲慢になりがちであるが、一般の農民は平々凡々と慎ましやかな生活を送っている。日の出とともに目覚め、日没と同時に眠るような民衆が済む村で、道場が経営できるのか不思議に思っていたアケミだったが―――納得した。父・ガンジョウに教えてもらった武芸者もまた、農業に従事していたのだ。
「こちらはロイ=ロー殿のお宅でしょうか。どなたかいらっしゃいませんか」
道で教えてもらった家のドアを叩いて呼びかけると、一人の初老の男が出てきた。年の頃は親父殿と同じくらいだろうか。肌は黒く焼け、いくらか筋張った身体はいかにも農家である。
「どちら様で…?」
「失礼、アケミ=シロモリと申します。ロイ=ロー殿でいらっしゃいますか」
「いいや…」
男は怪訝そうな顔でアケミを上から下まで凝視する。さすがに居心地が悪い。
「あの…?」
「こんな美人が親父を訪ねてくるなんて、まさか愛人か、愛人の子じゃねぇよな」
「……そちらの家系の血を引いている顔に見えますか?」
作り笑いで皮肉を返すと男は「いやすまねぇ、ちょっと驚いただけだ」と謝った。
腰を痛めているのか、よろよろ歩く男に連れられて向かった先は畑だった。そういえば親父と言っていたが、まさか……
「親父、客人だぞ」
呼ばれて辺りにいる人間全員が振り返ったが、誰がロイ=ローかは一目瞭然だった。日焼けして真っ黒で、皺だらけの肌。白髪と白い無精ひげ。生活するのに最低限必要な程度の肉付き。おまけに曲がった腰………齢七十か、八十か。紛れもない老人だ。
ロイ老人は鍬を手に持ったまま、もたつきながらも、畝の間をやってきた。
「誰じゃあ、そちらさんは」
「ガンジョウ=シロモリの娘でアケミ=シロモリと申します。ロイ=ロー殿に武芸のご指南を戴きたく、勝手ながら参上仕りました」
ロイ老人は鋭い目で、やはり全身を凝視すると、右手の長刀に視線が止まる。
「ほう…その剣は紛れもなくシロモリの証。女子の身で振るうには重かろうが、素質に恵まれておるようじゃな」
「剣!? 確かに綺麗な黒塗りだと思ったが、この棒、杖じゃなかったんか…」
案内してくれた男―――ロイ=ローの息子はまじまじと長刀を見定めようとする。そのうち手を伸ばしてきたのでさすがに遠慮してもらった。
「指南と言うたが、何を求める? 息子がだらしなくも腰をやりおってな、儂が駆り出されるほど人手が足りん。あまり時間をとってやれんぞ」
「こちらも三日程しか時間がありません。その上で、無礼ですが―――あなたを越える力を身につけたい」
「……ほう」
ロイ老人はニヤリと笑うと、腰を伸ばすように上体を反らす。
「お前の親父も知っておるがの……若い頃からクソ真面目で、お前のような面白いことは何一つ言わなんだ。女にしておくのは惜しい気骨じゃが、恐れ知らずなだけやもしれんのう? どれ、一つ見てやろう。ケニー、儂は今日は終いじゃ」
「親父……まあ、好きにしろよ」
ロイの息子―――ケニーは頭を掻くしかないようだった。こんな老人に無理を言うわけにもいかない……が、それはアケミにも言えることだ。果たしてどんな教えをするのだろうか?
広い畑から出て納屋の前まで来たロイ老人は鍬で靴の泥を払うと「ちょっと待っとれ」と木槌を持ってきて、鍬の刃の部分を叩いて外す。残った棒を軽く振って感触を確かめると、その先をこちらに向けた。
「よし、ええぞ。かかってこい」
「は? え、今…?」
荷物を持ったまま……は、いいとして、その鍬の柄で?
「どうした? 今日はやめとくか? 三日しかないと言うとったが」
「いえ、ぜひ……では、こちらも適当な獲物を…」
「それを使えばよかろう」
棒で指すのは長刀。
「いや、でもそれはさすがに…」
「そうか? まあええが」
「少々待っていただけますか」
荷物を下ろすと辺りを見回し、適当な木を見つける。許可をもらってから枝を切り落とし、そこから木剣を削り出す。エレステル軍では個人の武器カスタマイズが許されていて、こだわりが半端ない。ゆえに訓練で使う木剣も形状・重量が限りなく自分の武器に近づくように己自身で作り出すのが普通である。アケミは今は長刀をメインで使っているが、シロモリとして武器を選ばないように訓練している。削り出す剣はもっともスタンダードな大きさの木剣となった。制作時間は十分弱。このクオリティにしてはかなり手早い。振り回して重量・リーチを確認すると、正眼に構えた。
「お待たせしました。では」
「――こっちからいこうかの」
「え―――とっ!?」
鋭い突きが喉元に迫る! 木剣で受け止めるが思った以上に速い…! 続けての三連突も回転が早く、的確に急所を狙ってくる。クーラさんの攻撃が頭の中でフラッシュバックして鳥肌が立つ…!
「攻めてこんのか? もう少し手加減したほうがいいかのう」
「……」
焦りはしない。言葉に惑わされもしない。全体を見ればほとんど手先だけの動きで、攻撃に重さはない。もちろん穂先がついていれば急所を刺されて致命傷だろうが、捌けない程ではない。それに………槍の相手との戦いは悪夢の中で狂うほど繰り返している!
木剣を握り直し、受けた攻撃の倍の手数で反撃する。ロイ老人は半分を受け止め、半分を下がってかわした。ロイ老人は決して機敏な動きではない……しかし当たらない……。
「ほう、負けず嫌いじゃのう。筋もいい。女にしては体格に恵まれておるが、それ以上に剣の腕があり、その腕に奢らぬ精神力。しかし弱点もある……ゆえに、お前は儂に勝てん」
「弱点……」
それは、人を斬るのをためらう甘さのことか……
「――ズバリ、経験値が少ない」
「は……はぁ…」
あれ? 違った?
「しかし、それは一朝一夕ではどうにもならないのでは…」
「ならば、お前は儂に一生勝てんか」
そんなことはない。足りない経験値を埋める手段―――それは工夫だ。戦いにおいては、弱点を狙うこと…!
あちらが経験で優っているなら、こちらは身体能力で優っているはずだ。筋力は歳をとっても維持できなくはないが、反射神経はそうはいかない。その差埋めるのが老練な「技」と「読み」なのだろうが……スピードを上げて手数を増やせばいずれ追いつけなくなる…!
息を全て吐き出し……静かに、限界まで吸い込むと息を止め、ロイ老人に襲いかかった。
三擊目、四擊目―――当たらない。
七擊目、八擊目――――まだ当たらない。
十五、十六、十…もうすぐ追い越す!
「ぜああぁ――あ!?」
上段から振り下ろすその瞬間、肘を突き上げられて動きが止まる。その間隙を縫って腹に二発打ち込まれる。トントンとノックするような攻撃だったが……つまり、どうとでもできたということだ。
ロイ老人は棒を杖がわりに立て、曲がってきた腰を叩く。
「人間が繰り出す攻撃は縦斬り・横斬りを軸として、その派生の袈裟斬り等含めて八通りの斬撃、そして突きを加えた計九通りの動きがある。故に防御もまた九通りあり、互いに熟知しておれば力は拮抗するが、それを崩す工夫こそが各流派が秘する『奥義』である――――とかなんとかお前の親父が口上並べておったが、儂に言わせればそれこそお座敷剣法の論理よ。今、なぜお前が勝てぬかわかるか?」
「……どんな攻撃も重心移動しなければ繰り出せない。身体の姿勢から次に取れる行動の幅は読めるし、攻撃を繰り出す直前……つまり踏み込む直前では相手側に対する力はほぼゼロ、だから小さな力で相手の動きを止めることができる。動き出す前に封殺してしまえば奥義もクソもない……」
――と、言うのは簡単だが、実際には超高難度の技だ。攻撃には一定のリズムがあり、大体は相手の動きとタイミングを同調させようと自然と身体が動いてしまう。タメのある攻撃には力強く構えた防御をしなければならない―――そう本能的に知っているからだ。攻防の中でこのタイミングを意図的にずらすのが「奥義」であり、カウンターの技術である。しかしロイ老人は端から合わせていない。相手の呼吸と動きを読みながら身体を動かしている………例えるなら、アップテンポの行進曲を聞きながら緩やかなワルツのリズムを取っているようなものだ。生半な修練ではこの境地に達し得ない。
ところが―――ロイ老人はヘラヘラと口元を歪ませて鼻で笑った。
「賢い、実に賢い。しかしそういうところは親父に似とるな。剣術バカじゃ。だから勝てん。儂の戦い方は、本質的にシロモリと違うからの」
「? それはどういう…」
「お主の剣が知っておる」
手に握る木剣を見る……特に何も問題はない。そして納屋の壁に立てかけている長刀を見る……。
「…よくわからない」
「今日は終いじゃ。あまりやると節々が痛くなって次の日動けんようになる。野良仕事しながら考えるとええ」
「……ん?」
「タダでは泊めんぞ」
「それはまあ………はい」
五分剣を振り、五時間鍬を振る。その日はそれで終わってしまった……。
なんとか日曜に更新……と、それはいいのですが、見返してみるとライラさんの名前がラウラになってたり、グレイズがグレイスになってたりしてるっぽいのが判明。Oh……寝ぼけながら書いてましたね。修正しておかないと……。




