11.
アケミは夜の道場で父・ガンジョウと正座で向かい合っていた。
「わがままをいって申し訳ないが親父殿、復帰までもう少し時間が欲しい」
着物姿の親父殿は腕を組み、しばらく黙した。
「……娼館に通い詰めておるそうだな……」
「………もうわかったのか」
親父殿の眉がぴくりと吊り上がったのを見て視線を逸らす。刀を持ってウロウロしてまさかバレないとは思っていない、ほんの冗談だが………こうなるのは当然か。
「…胡蝶館に行ってるのは、あたしを助けてくれた人に会っているだけだ。話し相手というか……家族に相談できないってわけじゃないんだ、だけど近くの身内よりも遠くの他人の方が気が楽っていうか……あたしの過去や先入観に囚われずに接してくれる人なんだ」
「それが商売の手腕であろう」
「そうだろうけどさ…! 別に胡蝶館に通いたいために言ってるんじゃない。少し修行をしたいんだ。剣に限らず……あらゆる強さが欲しい。シロモリを継いで、様々な軍の作戦に参加したりしてわかったが、あたしの剣が役に立つのは、物事全体で見ればほんの一瞬だ。末端の兵士ならそれでもいい、だけど人を指揮する立場になるのなら、指揮する人と肩を並べるなら、それだけでは駄目だ。軍略と戦術がわかればいいと思っていたが、見通しが甘かった。もっと別の力が必要で、あたしはそれを他人任せにしていた…。シロモリを継いだタイミングが早すぎたとは思っていない、むしろ出遅れればバレーナに追いつけなかったかもしれない。いや……全然追いついてなんかいない。シロモリの当主として、あたしには土台となる実力がないんだ。何も知らない、何もわかっていない。あたしに何ができて、何をするべきなのか、見詰め直す時間が欲しい」
手を付き、頭を下げた。今は……今はこれが精一杯だ。まだ剣を抜けない……剣を抜くのが怖い。だが、足踏みしてもいられない。本当にクーラさんが最後まであたしを想っていてくれたのなら、そして巻き込まれて死んでしまったミリムのためにも、シロモリとして一歩でも進み、なんとしてもバレーナのための部隊を作らなければならない…!
親父殿は「ふぅむ…」と深く唸り、
「…具体的に何をする」
「! まずは、武芸の腕を磨き直したい…! どんな時でも後悔しないように……圧倒的な力が欲しい。あたしにもっと、力があれば……」
もっと力があれば、クーラさんともっと話が出来たかもしれない…。
「…親父殿の知る限りでいい、武芸の実力者を紹介してほしい。武器や戦い方のジャンルは問わない、どこにでも行く…!」
「意気込みはわかった。しかしシロモリの務めを果たしながらでもできることであろう」
「それは…」
それはそうなのだが、シロモリの役目に戻るということは、処刑執行も含まれる。まだ刀は抜けない……抜けないということさえ、親父殿は知らないはずだ。
説得させる言葉を紡げないまま、無限のようなにらみ合い……。
「……よかろう」
折れたのは親父殿のほうだった。
「本当に!? すまない、親父―――」
「……ただし。娼館に行くのは控えよ」
「え!? なんで……いや、普通そうか…。だけど―――!」
「自ら覚悟を示さずどうする。お前とその刀は、お前が思う以上に人の目を惹く。まして、長刀斬鬼などという異名を持てばな……。まずはシロモリの当主として確固たる意思を態度で示せ。そうでなくば……」
「?」
「…いや、よい。ただ、一ヶ月もやれん。今月の末までだ。いい加減、マリーを迎えにいかねばならん。わかるな」
「……ああ…」
母が納得できる答えを出せる気はしないが……これも向き合わなければならないことか。
話があるということで、ライラは自室でアケミと二人きりになる。
久々にやってきたアケミは少し顔つきが変わっていた。どこか落ち着きがなく、そわそわしていて、でもやる気に満ち溢れているような……。ただ、今まで見たことがない引き締まった表情は、剣士然とした装いに合っていて、とても様になっていた。
「……ライラさん?」
「え? あ…ええと、改まってなに? 口説き文句は聞かないわよ」
「しばらく来られないんだけど、その前に聞いて欲しいことがあって」
「来られ――いや、何なの?」
来なくなるからなんだって言うんだ。そりゃ当主なんだからお役目もあるだろう、むしろ今までの頻度がおかしかった。
「こんなこと、ライラさんに聞いてもらうことじゃないのかもしれないけど、他にいないから……」
アケミは畏まり、腹の底から押し出すように語り始めた。
話というのは、噂の相手―――付き合い、裏切られ、最後には殺してしまった女兵士とのことだった。アケミは彼女とのことを初めから、赤裸々に、包み隠さず、正直に告白した。先輩であり、友であり、師であり、恋人であった「クーラさん」はアケミの心と身体の奥へと溶け込み、今なお大きな存在であることは変わらないという。どれほど大人びた容姿でも、アケミはまだ少女から一歩飛び出そうとしているところだ。いかに強い影響を受けたか、想像に余りある。それだけに最後は壮絶で、聞いているだけで胸が引き裂かれそうだった。
「――それで…ある人が、クーラさんは裏切っても最後まで私のことを想っていたって言うんだけど、そう思う…?」
「…………」
同意すれば少しは気が軽くなるだろう。後押しが欲しいからわざわざ話に来たのだから。
だけど……逆にいえば疑念は晴れず、都合のいいように捉えようとしているのだと自分でも思っているのだ。だから……
「……他人の胸の内なんかわからないわ。自分の瞳に映っている他人は、所詮自分の中のその人でしかない。でもその人のために何かしら行動すれば、何か気持ちは伝わるはずよ。その『クーラさん』が自分を裏切って、後輩の子にも手をかけたけど、あなたは否定したくないんでしょ? だったらその人からの教え、もらった思い出を捨てずに持っておけばいいんだと………私は思う…」
大したことを言えない自分の会話術の無さがもどかしい…。一流の娼婦は床上手よりも聞き上手というが、そういう才能は自分にはない。後輩が懐くのは私でも、人に言えないことを相談するのはもっぱらカーチェだ。
先日の侍女の話からすれば、立場があるアケミが私なんかにおいそれと話していい内容ではなかったはずなのに、あえて頼ってきた。正直気に食わないところもあるけど、何か力になってあげられないか……。
と、部屋の奥、ベッドの脇に立てかけてあるアケミの長刀が目に入る。椅子から立ち上がり、黒光りする漆塗りのそれに手を伸ばす。
「え…ライラさん?」
「重っ…!? アンタ、よくこんなの片手で持てるわね……ほら、持って」
柄のほうを握らせ、自分は鞘の方を持つ。
「アンタが剣を振るのは誰かのためなんでしょ。でも他の誰かもきっとアンタを頼ってる。後輩の子だって、クーラさんも、王女様だってそうなのよ。だからアンタが自分を見失わない限り、一人で剣を振ってるわけじゃ………いや、何言ってんの私、ちょっとわかんなくなってきた………とにかく…!」
鞘をぐっと引くと、キンっと音が響いてギラリと刃が顔を出す。鋭い刃が垣間見えて、すぐに押し戻した。
「ほら、二人ならそんなに力入れなくても抜けるでしょ…! アンタ一人で戦ってるなんて気負わずに、その……頑張りなさいよ」
最悪だ……こんな適当なアドバイスをもらいに年上に相談しに来たわけじゃないだろう。本当に情けないな、私は……。
アケミは片手でひょいっと刀を上げて手元に戻すと、一人で刀の鯉口を切り、戻し、また切り、また戻すことを繰り返す……。鞘は木製だが、鯉口の部分だけ金属が使われていて、小気味良い音を刻む。
四回ほど抜き差しを繰り返したアケミは刀を脇に置いてベッドから腰を上げると―――痛いくらいに抱きしめてくる!
「抜けた……どんなにやっても無理だったのに…!」
耳元で聞こえる声は小さく震えている。咄嗟に押し返そうとした手を背中に回し、ポンポンと撫でてやる。思い返せば、どんな理由があっても刀を手放したくないと言って聞かなかった。アケミにとって刀を持つことはシロモリとして最後の証であり、それ以上の意味もあるのだろう。でも……
「ありがとう、ライラさん…」
ようやく私を開放したアケミが安堵に喜びの笑みを浮かべる。たったこれだけのことでも、アケミには重要だった。でも………その先にあるのはこの刀を使った戦いだ。それがこの子にとっての幸せとは、とても思えない―――……。
「…私はアンタが剣を持たなくていいなら、そっちの方がいいと思う。人と戦うには繊細すぎるわ、アンタは…」
つい思ったことが漏れてしまい、慌てて口を噤んだ。今のは、自ら当主となったアケミの決意を否定することだ! いや、それだけじゃなくて「クーラさん」とのことも…!
見開いたアケミの目からつぅっと涙が流れたのを見て、私は取り返しのつかないことをしてしまったのだと息を詰まらせた。
だが、アケミは―――私の頬に触れ、唇を重ねる―――。
「!?……!?」
一体どうしてそうなるのか、動機がわからない。しかし動揺する暇もなく、アケミは唇の隙間から暴力的なまでに侵略してくる―――。
「んぅっ……ん、ンっ、んんンッ…!」
ほんの十数秒のキスは経験したことないほど濃密で、思考を溶かすのに十分だった。離れた唇と唇の間は濡れて糸を引いたが、拭うこともせず、息を荒げて見つめ合う。
その余裕のない瞳に宿る妖しい輝きを美しいと、思ってしまった――――
「ライラさん、ごめん……」
何がごめんなのか。
ただ、予感がする………次はキスだけじゃ終わらない。絶対に。
再び交わりを求めてきた唇に、自分の唇が吸い寄せられるように近づき………私は今度こそアケミを拒んだ。
「仕事に復帰するんでしょ……親友のために、大事な人たちの命を無駄にしないために頑張るんでしょ……こんなところで足踏みしてる場合じゃないでしょ…! もう、ここには来ないほうがいいわ……」
顔を伏せたまま声を絞り出すのが精一杯だった。アケミは「ごめん」ともう一度小さく謝り、部屋を出ていった。
一人になり……その場に座り込む。部屋は静寂を取り戻しても、鼓動は激しく鳴り響いたままだ。
「何なのよ、アイツ……」
身体に火をつけたあの視線を忘れるには、時間がかかりそうだった……。
なんとか昨日更新したかったのですが、今日に…。このペースで週末に更新できるのかなぁ…。
アケミの「自分には土台となる実力がない」というセリフがひどいブーメランで辛かったです(笑)。薄っぺらい文章ばかり書いていてはダメですね。




