10.
アケミはエレステル軍統合本部の前にいた。
軍属でないとはいえ、シロモリならば統合本部からの呼び出しは絶対である。
最近の自分の行動はおそらく末端の兵士から軍の上層部まで筒抜けだろう。後ろ指さされるのは自業自得だが、それでもやはり行きづらいものである。別に軍と行動を同期させなければならない義務はないが、以前は引っ掻き回すように軍に協力を仰いでいたのである。ここ数週間の自分の怠慢ぶりはさすがにバツが悪い。しかも統合本部の裏は憲兵本部だ。今でもスパイの疑惑をかけられているのではないかと、今更ながら内心ビクビクしている…。
しかしこういう状況でも毅然と振舞ってみせることができるのは、皮肉にもクーラさんの教えの賜物である。彼女の様々な教えはアケミの心身に刻み込まれ、戦士として、女として成長させている。だからこそ、自分の行動の端々で彼女の残滓を感じて辛いのだ。
以前なら―――クーラさんと付き合う前なら、人を誘惑するような甘い声は出さなかっただろう。
「こちらになります」
配属されたばかりだろうか、若い女兵士が部屋の手前まで案内してくれた。年の頃は私と同じか、年下かもしれない。
「ありがとう」
「い、いえ…」
女兵士は少し顔を赤くして頭を下げる。照れる彼女にさらに優しく微笑みかけてやると慌てたように去っていった。こんなちょっとしたイタズラができるくらいには心に余裕ができたことを、ライラさんに感謝しなくてはならない。しかしライラさんにはこのチャームが通じず、殴り返されたんだよな……。
ドアの前で一人になり、深く息を吸い、吐く……。以前、予想外にベルマン=ゴルドロンと出くわしたからか、どうも緊張してしまう。さして重要な拠点でもない有名無実の本部だが、限られた人員しかいないからこそ、この中では堂々と密談ができる。ある種、ここは軍の伏魔殿のような場所なのかもしれない。
ドアをノックし―――
「どうぞ」
部屋の中から返ってきた声には聞き覚えがあった。
ドアを引けば、そこはベルマンと会った時の部屋よりも小さい、二~三人で使うような応接室だった。さすがに過度な装飾はされていないが、軍旗が壁に掲げられている。そして奥のソファには男が一人。第五大隊中隊長のナムドだ。
「お久しぶりです」
「…ご無沙汰している」
討伐任務以来だ。自分から指名して同行してもらっていたのに、クーラさんとの戦いの時には騙す形で単独行動し、挙句死にかけたところを助けてもらっている……。あまりにも借りが大きすぎて、平静を取り繕うとしてもいつのまにか表情が硬くなる。
そんなこっちの心情を察してか―――相変わらず、どうもこの男には心を読まれがちな気がするが―――ナムドは柔らかい口調で話しだした。
「初めてお会いした時を思い出しますね。やはり貴女にはその服装が似合う」
今日の私は久々に白いジャケットにパンツのスタイルで、長い髪はポニーテールにしてまとめている。かつて一般兵とは別であることを示すために着ていた装いは、統合本部に出頭するにしても些か気合が入り過ぎている。自分としては気分を一新したかったからだが、若さが漏れ出る形になったか。
「『上級剣士』という格付けそのものは過去の遺物となってしまいましたが、実力者が纏うと違う。特に貴女は凛とした気品が際立つ」
「……少々褒めすぎだ」
「いやいや。若い女性兵士なんかは見蕩れてしまうのでは?」
咄嗟に言葉を返せなかった。それも予測の範囲だったのか、ナムドは含み笑いを漏らす。こちらはすっかり毒気を抜かれてしまった。今更ながらこのナムド中隊長、クーラさんがいて初めて渡り合えた相手だったかもしれない……。
「最近は少し荒んだ生活を送っていたと風の噂で聞いていたものですから、調子を取り戻されて何よりです」
「いや……こちらこそ申し訳ない。迷惑をかけた上に命を救ってもらった。お礼を言わせてもらう。おかげで体調は万全だ」
「体調は……ですか?」
「………」
「…とりあえず、おかけください」
ソファに座り、小さなテーブルを挟んでナムドと向かい合う。アケミがシロモリ当主だから敬意を払う態度を取っているが、ナムドはアケミより五つ以上年上だ。それでも中隊長としてはずば抜けて若い。相対すると、やはりそれだけのオーラを感じるものだ。
「今日お呼びしたのは、ジラー=オムホースとクラリス=ノーマンによるスパイ行為、及び軍人への殺傷事件についての最終報告書を確認していただくためです」
テーブルの上にあったファイルを差し出され、戸惑いながらも受け取る。
「クラリス……?」
「クリスチーナ=ガーネットのもう一つの名です。ジャファルス側ではこの名で通していたようですね」
「………」
そういうこともあるかもしれないと思っていた。だが、いざはっきりと突きつけられると、たまらなくなる。ずっと見ていたクーラさんは、やはり彼女の一面でしかなかったのか……?
ファイルを開き、捲っていく……。
クラリス=ノーマン(別名:クリスチーナ=ガーネット)は出生地こそ不明だが、十年ほど前にはエレステルで生活していたという証言がある。その後どこで修練したのか、卓越した槍の技術を習得してエレステル軍に入隊。頭脳明晰、女性らしい品性と戦士としての感性を併せ持つことで一定の求心力を得る。入隊から四年後、中隊長補佐として異例の大抜擢をされるも、与えられた任務をそつなくこなし、大隊内にて一目置かれる存在になる……
――この辺りは本人、あるいは周囲の人間から聞いたことがある。しかし―――
――…調査の結果、クラリス=ノーマンは入隊以前よりジャファルスの工作員として送り込まれた可能性が濃厚。家族は三代遡ってもエレステルの人間だが、親族にジャファルスと通じた者がおり、その縁で引き込まれた模様。しかし現在ノーマン一族は誰一人としてエレステルに存在していない。
クラリスの目的は現在となっては判別できないが、当主の座を継承したアケミ=シロモリに接近、篭絡させており、最終的には王女・バレーナ殿下に迫るつもりであったと予想される。しかしながらスパイ発覚のきっかけとなったミリム=ストール殺害については軽率と言わざるを得ない。また、ジャファルスに傾倒する思想的な品・書物に関しては確認されておらず、課されたスパイ任務とは別にクラリスの私的な思惑が存在していた可能性がある。これを裏付ける要素として、ノーマン一族は秘密裏にジャファルスに移住したという情報もある。この情報が確かであれば、クラリスは十三歳前後でジャファルスに移住し、そこで訓練を受けたことになる―――……
「……これは?」
今読んでいたところを指し示すと、ナムドは手を組み、ソファに深く身を沈めた。
「アケミ殿。貴女はクラリス=ノーマンが率先してスパイ活動を……心からジャファルスに忠誠を誓っていたと思いますか? 私にはそうは思えない。そこにあるように確定的ではありませんが、十三歳ごろから訓練を受け、戦士としてあれほどの実力を得たのならその才は驚異的です。その年頃の成長期は男児にとっては飛躍的に強くなる頃ですが、女児は戦えなくなる身体に変化していく時期。貴女にも実感があるのでは?」
「いや、別に……」
「…………」
ナムドは一度咳払いし、
「……例外はあるとして、一般的には男と力の差が開いていく時期です。幼少期より訓練していれば、体の使い方を知っていたり、神経を鍛えられているのでまだやりようもありますが、ゼロの状態からとなると並大抵ではない。相当な努力をしたか、天性のものを秘めていたか………両方かもしれませんが、とにかく彼女には才能があった。だからこそスパイとして選ばれたのでしょう。しかし、それが彼女の望んだことだったか? たった数年で幼い頃過ごしていた故郷の敵になることができるものなのか?」
「……洗脳されていたとか」
「記述してあるとおり、彼女からは思想的にかぶれている痕跡は見つけられていない。それとも、貴女には思い当たる節があると?」
「…ない」
「あくまで私の感触ですが、スパイは半ば強要されていたのだと思います。たとえば、家族が人質に取られていたとか……憶測の域ですが。そして己の境遇に辟易していた……それが反動となって貴女への度が過ぎるスキンシップとなったり、あるいは愛憎となって表れたのかもしれません」
「あたしへの…?」
「剣術において天才である貴女には共感する部分があった。だから貴女に固執するようになっていった。考えてみてください。『不純な関係』を持てば、その末に貴女の立場がどうなるかわからないはずはないでしょう。しかし最初はいたずらのつもりが、いつしか本気となり………彼女と貴女にしかわからないことですが」
「そんなこと言われても……わからない、あたしには…!」
クーラさんが何を思ってあたしの唇を奪ったのか、ベッドの上で組み敷いたのか、そんなことはわからない。あたしはただされるがままに、流されるままに、与えられた愛情と快楽を貪っていただけだ。
でも、そういえばあの時……最後のあの時、クーラさんは言っていた。あたしと二人別の場所で、違う二人になりたいと…。そういうことだったのか? 当時はいろんな感情が入り混じっていたが、あの時、もっと真剣に聞いていれば、違う結末を迎えることができたのか?
いいや、それはない………ミリムは死んでしまったのだから。どれほどクーラさんを愛していても、それだけは許すことはできない。それに……
「あたしは…」
「はい?」
「あたしは………クーラさんを、裏切ったんだ……」
「………ん? どういうことですか?」
「あ………ぅ…」
声が震え、目頭が熱くなってくる…。目元を拭うが、滲みだした涙は留まろうとしない。ナムドは「落ち着いてからで結構ですよ」と言ってくれたが、ここまできて飲み込むことはできなかった。酒に溺れて苦しみ、いまなお刀を抜くことのできない身になってしまったあの一言、あの一瞬が、明確にフラッシュバックされる……。
「あたしは、クーラさんのことが好きだった……本気で愛していたつもりだったんだ……でも、一番じゃなかった…」
「……貴女には他に想う人がいたと?」
「あたしにそんな意識はなかった! でも、クーラさんに指摘されたとき、否定できなくて……最後はあたしを裏切り者と、自分で、胸を……っ!」
くしゃくしゃになっていく顔を覆って背中を丸めた。情けないけど、手に残った震えは今も―――
「……それはおかしい」
ナムドは泣き崩れるあたしの前で、平然と首を捻る。
「貴女とクラリスが剣を交えた現場にたどり着いたのは、決戦も山場を迎えた頃でした。遠目にも血塗れで、話している声は聞こえませんでしたが――――少なくとも、自害する彼女の顔は、恨みをぶつけるような憎しみに満ちたものではなかった。むしろ、諦めと慈愛が入り混じったような、曖昧な薄い笑みで―――」
「違う! あの時確かにクーラさんは、あたしのことを……!」
「貴女は彼女を斬ってしまった罪悪感に苛まれている、だから主観的に捉えすぎているのでは? その時のことをよく思い出してください」
さすがに耳を疑った。
ナムドという男はウェルバー兵長と違ってスマートに気遣いのできる男だと思っていたが、勘違いだったようだ。トラウマに苦しむ娘に鬼のような仕打ちをするとんだドSだ…。自分が容易く手折られるような乙女心を持ち合わせているはずもないが………とにかく、今なら一字一句漏らさず、鮮明に思い出せる……。
「許せなかった……無意識でも、別の女を忘れるために求められる私が…」
「我慢できなかった……離れている間に、あなたの心があの女に向くんじゃないかと…」
「あなたを愛して……本気になって、自分が抑えられなかった……」
「この……うらぎりもの」
「……やはり客観的に見て、文脈からも、貴女に対する自分の裏切りを言っていたのでしょう」
「…嘘だ…」
そう言われても、心に素直に入ってこない―――。
「貴女に対する複雑な感情を持っていたのは間違いない。もはやこの時点―――軍に反旗を翻す直前くらいから、クラリスの中では貴女が至上の存在となっていた。しかし貴女を応援したい一方で、このままでは自分から心が離れてしまうかもしれないというジレンマを抱え、ミリム=ストールを殺害してしまったのがきっかけで感情が爆発してしまった。彼女は精神的に未成熟だったわけではない―――逆に、貴女に狂うほどに本気で愛していたということです。自ら正体を露呈するような行動をとったのは、運命に対する彼女なりのあがきだったのかもしれません。ただ、アケミ殿………貴女は裏切ってなどいないし、恨まれてもいない。貴女は望んで彼女に生かされたんです」
「嘘だ……そんなの、嘘だ…」
冷たい痛みは徐々に、徐々に引いていき………熱い情愛が、新たな涙を生み出していた……。
今回結構自分の中で格闘しましたが、更新です。
クーラさんがどう思って死んだのか、ホントはこうだったんじゃないかと回想するわけですが、作者としては最初からナムドの説明の通りで書いていましたが、どうでしょう? ちょっと無理やりすぎない?と感じてしまったら私の表現力不足です…ごめんなさい。逆にアケミの考え方ってなんかおかしくない?と首を傾げてここまで読んでもらえてたら作者的には嬉しいですが、もやもやさせてごめんなさい。そんなこと全く考えずに流し読みしていた方、あなたが正解かもしれません(笑)
ナムドが長ゼリフ喋るのは今までなかったんで、むしろそっちに違和感ありますが……まあいいでしょう(笑)。「女王の階」ではアケミが「世話になった」と言ってますしね。




