09.
ウラノという侍女が現れた翌日、昼前。ライラが一人、厨房で洗い物をしていると、だらしなく着物を羽織ったカーチェがやってくる。いつもなら寝覚めの悪いカーチェが、今日はニヤニヤしてライラに近づく。
「聞いたわぁ。『私を抱きたかったらもっと金を詰め』って言ったんですって? ククク……意外だわ。アンタ、そんな営業努力するほどまだやる気あったんだ」
一日しか経っていないのにこれだ……本当にこの街は狭い。
「金を詰めなんて言ってない……それに、あれは話の流れで言っただけで――」
「抱かせてやるって!? 呆れた……値を釣り上げてるのか安売りしてるのか。それとも惚れた?」
「バカ言わないで。そんな気あるわけないでしょ、あんな子供に。それ以前に女と寝る趣味はない」
「アンタより床上手よ、絶対。色を好む相だもん、あのシロモリ」
「だからそんな気ないって言ってるでしょ! さっさとご飯食べなさいよ、アンタを待ってんだから!」
朝食を器に盛ってざっと並べていく。娼婦は起きてくる時間がバラバラだが、客を送ったあとぐっすり二度寝するカーチェが一番遅い。
カーチェは八人がけのテーブルに一人座ると、もそもそと食べ始める。
「アンタさ……わかってんの? 本当に金を積んできたら断れないわよ」
「…………」
高級娼婦が一見の客を袖にすることはある。しかし条件をクリアしたら相手をするのがルールだ。それは元娼婦のライラもわかっている。一般的に、倍も金を積まれたら条件を満たしたと認めなければならない。もし反故にすれば店の看板に傷が付く。金のやり取りは大事だが、金に執着するのは夜の盛り場では御法度なのだ。
「ハァ……そんな直情的だから顔に傷が付いたのよ。本当に学習しない」
「うるさい…。別に後悔なんかしてないわよ」
「嘘ばっかり。結果、店のお荷物になってるくせに」
「何なのアンタ……朝っぱらから喧嘩売ってんの!?」
「貴重な客なんだからちゃんと相手しなさいって話よ。大体売上で言ったら、ライラ姐さんと私でケンカになるわけないじゃない。笑えるわぁ」
「………!」
お茶を入れたカップを目の前に叩きつけるように置く。それをカーチャは静かな顔で啜った。本当にいけ好かない女だ…!
「話は変わるけど………ちょっと、真面目な話だからちゃんと聞きなさいよ」
さっきの今で耳を傾ける気にならない。カーチェは「聞けって言ってんでしょバカイラ」と、真面目な話と言っていたのに挑発してくる。しかも子供の時の悪口で。
「全く、ガキなの?」
「どっちが!」
「ああもう…」
またケンカになりそうになって、カーチェの方が折れた。
「………ゲイスが出所したらしいわよ」
「え!? アイツが…!?」
無意識にライラは顔の左半分を手で押さえる。この大きな傷を付けた男だ。軍警察に捕らえられ、刑務所に入れられていたはずだ。
「もう出てくるの!? まだ一年ちょっとしか経ってないじゃない……」
「一番の罪はアンタに対する傷害でしょ。他にも余罪があったみたいだけど微々たるものよ。傷跡は残ったけど傷害があるわけじゃなし、至って健康。罪そのものは軽いわね。戦士崩れがケンカするような日常茶飯事だもの。むしろよく一年も入れられたわ」
「でも私は……今でも許せない」
「―――向こうもそう思ってるかもね」
空になったカップをテーブルにコトリと置くカーチェの目は真剣だ。
「出歩くときは気をつけなさい。攫われても、この店にはアンタのために出す身代金はないわよ。アンタにはシロモリ様というこの国最強のボディガードがいるでしょ? 上手く使いなさい」
「はあ? いくらシロモリでも、女で、まだ子供よ? そんな危ない目に合わせられないわよ」
するとカーチェは大仰に肩を竦めた。
「お得意様のリサーチくらいちゃんとしなさいよぉ、ライラ姐さん。一人でジャファルスの工作兵数十人を撫で斬りにしたり、普通の馬の三倍はある戦馬を騎兵ごと真っ二つにしたり、だから『長刀斬鬼』って呼ばれてるのよ。いつも持ってるあの刀はダテじゃないってわけ」
「なにそれ………デマにも程があるんじゃない?」
「いつもならそう思うけどね。でも共同で作戦を行った第五大隊では目撃者もいっぱいいて有名な話らしいわよ。それにグロニア中の武術道場を片っ端から道場破りしたとか…………」
小気味よく回っていたカーチェの口が勢いを落としていく…。
「どうしたの?」
「いや…………自分で言っててなんだけど、あの子、そんなアグレッシブには見えないわ」
「………」
くだらない話だった。全部が全部嘘じゃないんだろうけど、噂に尾ひれがつくのはつきものだ。ましてここは娼館、酒をしこたま飲み、夢か現かわからないまま微睡んで吐いた言など信じるほうが間違っている。しかしそういう状態だからこそ本音が漏れるのもまた夜の街なのである。
とにかく……アケミが実際に戦うかは別として、「武器を持ったシロモリ」はボディガードとしては十分役に立つ。この歓楽街で武器を持って歩けるのは「軍警察」「自警団の一部」そして用心棒扱いのアケミのみである。たとえ軍人であろうとも帯剣したままこの界隈に入ることはできない。せいぜいナイフを隠し持つくらいだ。だからこそ長大な刀は威嚇に十分な効果を発揮する。ただ……アケミにはトラウマがある。上手く刀を使えるかは別だ。
そういえば、カーチェはアケミに問題があることを知らないのか? カフェでのやり取りを知っているくせに……そりゃ、あの時アケミは私の胸に顔面突っ込んで喋ってたわけだが。
ふと、昨日のウラノの話を思い出す……。
「ねぇ―――」
娼館がスパイまがいのことをしてるって信じる?――――そう口から出そうだった言葉を飲み込んだ。カーチェを信じていないわけじゃない、が……アケミがなぜ自分にあんな話をしたのか、その意味を考えれば、おいそれと喋っていいものではない。
「何…?」
「あ、いや……いい」
「………あっそ」
カーチェとの間に妙空気が流れる。ウラノの毒の入った独演は、ライラの心に不安と不信を芽生えさせつつある……。
一方その頃、アケミは軍統合本部に呼び出されていた―――。
ちょっと短いですが、キリがいいのでアップです。四月は更新の間隔が長かったので、できる限りマメにいきます。軽く念じる程度でいいので応援していただけると頑張れそうです(笑)




