06.
腕の中でもぞりと動く感触がして、ライラは気がついた。
いつの間にか眠っていたらしい。身体を伸ばそうとすると、女シロモリが絡みつくように抱きついてくる。私の胸に顔を擦りつけるように……
……そういえばコイツ、女が趣味って話だった……!
「ちょっとっ…! 寝ぼけないでよ!!」
頭をぐいぐい押しのけると、寝ぼけ眼でこっちを向いた。
「……誰…?」
まるでこっちが不審者と言わんばかりの顔にカチンときた。
「ここは私の部屋で私のベッド! いい!? アンタが―――」
「あたま痛い……」
「………!」
女シロモリの頭をベシンと叩いてベッドから脱出する。本当に腹の立つ奴だ!
「ったく……アンタ、覚えてる!? 朝っぱらからウチで下らないこと言うから追い返したら、土砂降りの雨の中で丸まって拗ねてたのよ。その姿があんまりアレだったから……仕方なくここに―――」
ぐううぅ……。
「…お腹空いた……」
「子供か!!」
とはいえ、自分も空腹気味だ……はっ!?
「今何時!!?」
ベッドの脇の目覚まし時計は、夕方の六時を過ぎている…!
「まずい…!」
慌てて部屋を飛び出そうとすると、すらりと伸びた腕がシャツの裾を引っ張る。
「刀は…?」
「え?」
「あたしの刀……どこ?」
シャツを引っ張る力と眼差しの強さにゾクリと背筋が震えた。
「……ホラ、そこ」
机の脇に立てかけているのを指差すと、ふらつきながらもベッドから起き上がり、カタナの方へ向かおうとする―――その肩を引いた。
「何する気なの!? 今、必要ないでしょ!?」
「………」
女シロモリは黙って立ち尽くす。こっちもかける言葉が見つからない……。
「……調子悪いんでしょ、寝てなさいよ」
それだけ言って、部屋を出た。
ライラが厨房に入ると、調理作業はもうピークに入るところだった。
「あ!」
誰が出した声かわからないが、一斉にみんながこっちを向く。
「あっ……と、皆、ごめん……すぐ手伝うから…!」
頭を下げ、すぐにエプロンを探す。まずは作業に入るのが先だ!
「姐さぁん……!」
フラウが恨みがましい声でじとっと迫ってくる。
「ごめん、ほんとにごめん! 埋め合わせはするから…!」
「どこかで休み代わってもらいますからね…!」
「うんうん、わかったから―――」
一番迷惑を被ったであろうフラウをなだめる。が、
「…まったく、とんだ失態ねぇ、『姐さん』?」
背後から尖った声が聞こえてくる。カーチェだ。着物の袖を、帯をたすきがけにして留めていた。握っていた包丁を置き、エプロンを外すと、私に叩きつけるように押し付けてきた。
「お使いに出たら野良猫を拾ってきて、甲斐甲斐しく世話してたら一緒におねんね? 呆れるのを通り越して笑えるわぁ。裏方の仕事も満足にこなせないようじゃこの店にアンタの居場所はないわよ。とっとと出ていけば?」
男に媚びるような声音で冷たく囁くカーチェにライラは口答えすることもできない。カーチェは一度だけキロリと睨み、美しくも冷たい表情のまま厨房を後にした。
「……何も、あんな言い方しなくても…」
さっきまで不満タラタラだったフラウがカーチェの消えた出入り口を睨む。
「…間違ってないわ。プロなら当然よ。私だってカーチェの立場なら同じこと言う……あんなに嫌味ったらしくはないけど」
「真似できないわぁ」
フラウがカーチェの口真似をし、周りで聞いていた若いコたちまでくっ、と笑う。
「でもカーチェが包丁握るの、久しぶりに見たねぇ」
調理専門のアンジさんが煮物の味を見ながら感慨深けに呟く。アンジさんは自分がここに来たときからおばあさんだった人だ。
「昔はアンタたち、厨房に並んで立ってたもんねぇ」
「え!? そうなんですか!?」
「十年以上前の話よ…」
あの頃からカーチェとはぶつかっていた。ただ、今ほど溝はなかったはずだ……。
忙しい時間帯が過ぎ、ある程度落ち着いたところで部屋に戻る。女シロモリはベッドの上にだらしなく座ってぼーっとしていた。
「ご飯食べた?」
問うまでもなく、膳の上は空になっている。顔色も昼間よりはマシになってるか…。
「なんか…」
「ん?」
「なんか、変わった料理だった。どこの郷土料理?」
「は? アンタのとこでしょ? 『胡蝶館』は『ワフウ』……つまりアンタのご先祖様が元いた国の雰囲気が売りの娼館よ。どこまで再現できてるのか知らないけど……」
「ああ……だから建物が道場の形に似てるのか。浴衣は家にあった……最近着ないけど。そういえば、スープが親父殿がたまに作る味噌結びと同じような感じだったな…」
「ミソムスビ?」
「炊いたコメを握って、親父殿の自家製味噌を塗って焼く」
「へぇ…。アンタのとこ、普段はワショクじゃないの?」
「母様があまり好きじゃない。あたしらにはちゃんとした貴族らしいものを食べさせたいって言って……そっか、これが和食なのか…」
味を思い出すように感慨にふける女シロモリ。シロモリは和風の本家のはずだが、こんなものなのか…?
「……とにかく、家に帰りなさいよ。帰る家があるんだから…」
「ありがとう、初めて会うのにこんなに優しくしてくれて」
「二回目よ…!」
「え? どこで会ったっけ?」
しまった、覚えてなかったのか!?
「あ、……朝、殴ったでしょ。私が、アンタを…」
「……そうだっけ? ま、姐さん程度のパンチじゃ効かないけど」
パンチで殴ったとは言ってない……本当は覚えているんじゃないか? 根に持つタイプには……いや、恋人を殺したことを夢に見るまで引きずっているんだった。でも普通ならそうか……。
なんだろう……何か、しっくりこない―――……。
「あの~…」
ノックも静かにフラウがそろりと顔を出してくる。また何かトラブルでもあったのか…。
「何?」
「オカミが、お呼びです…」
「ああ…」
そっちか…。
「その………シロモリ様も、連れてくるようにと…」
「……何で」
「い、いや、何でと言われても…」
フラウはバツが悪そうに身を縮こまらせる。
「あたしは別に構わない。でもオカミって誰?」
あっさり返事すると思ったらこれだ。何も考えてないなこの女シロモリは…。
「オーナーよ」
「オーナー? オカミ……ああ、女将ね!」
「言っとくけど、絶対に剣は持ち込めないわよ。女将はあらゆる情報に通じているからいろんなところに影響力がある。相手が貴族でも容赦しない。機嫌を損ねたら社会的に死ぬ羽目になるわよ」
「社会的に、ね……あたしにとっちゃ、今更かな」
自虐的に笑う女シロモリ。気に入らない……。
女将のいる部屋は店の裏、宿舎になっている棟のさらに離れた区画にある。胡蝶館の店そのものは中規模な二階建てだが、敷地は意外に広い。
女将部屋のドアをノックし、返事を待たずに入る。純和風の店構えでありながら、女将は厚い化粧に極彩色のドレスを太い身体に纏った、自称マダムだ。調度品の重厚な机を前に腰掛け、タバコを吸う姿が良く馴染む。
真っ赤な絨毯、真っ赤なカーテン、真っ赤な壁紙と、その毒々しいほどのセンスが目に痛い。
女将はじっと私を、そして女シロモリを睨むように見据える……やっぱり浴衣のまま連れてきたのはよくなかった。服が乾いてないから仕方ないとはいえ、サイズが多少合わなくても私のを貸せば良かったか。チラチラと何度も交互に見比べた女将は、案の定、
「……寝たのかい?」
「んなわけない」
ドスの聞いた声で返す。
「まあいいさ…そんな些細なことは。アタシはこの店の女将、グレイズ=マードラー。アンタはシロモリ現当主の『長刀斬鬼』、アケミ=シロモリで間違いないね」
「そうだ」
女シロモリは頷く。名前、アケミというのか……というか、当主!? コイツが!?
「女を買いたいって来て、そこのバカに追い出されたんだってね。バカが殴ったことは謝るけど、ウチは女相手の商売はやってないんでね。にも関わらずバカはアンタを部屋に連れ込んだわけだが………まあ、バカのやることだからね。もう今更聞くまいよ」
何度バカバカ連呼するんだ、くそ…!
「わざわざ娼館までやってこなくても、アンタの器量なら女相手でも口説けるだろう。よりによって、どうしてウチなんだい」
「特には……家の雰囲気に似てたからか、どこかで評判を聞いたからか…。それに誰それ構わず手を付けるほどグレてもいない。じゃあここに来るなって話になるけど」
「……まあ、まだ若い。恋に溺れても、色に狂うほどは経験もないだろうさ」
ふと気になる―――
「…アンタ、歳いくつなの?」
「十八」
「十八!? うそ!? うそでしょ……てっきり、二十二~二十三かと…」
フラウも同い年と聞いたらびっくりだろう。娼婦ならデビューする歳頃だが、容姿では少女らしい甘さはほぼ抜け落ち、女として完成されつつある。それに女将を目の前に物怖じしない度胸もある。さすがシロモリの当主……なのか?
「ライラ姐さんはいくつ?」
軽々しく名前を呼ばれて唇を噛む。誰かが呼んでいるのを聞いたのだろうが、私は名前を知らなかったのに……気に食わない。
「……二十四」
「ふぅん……意外と子供っぽい」
「なっ…!」
「それは間違いないよ。バカだから顔に傷なんか作るのさ」
グレイズ女将が同調するように鼻で笑うから余計に腹が立つ。しかしこの顔の傷だけは…。
「話を戻すがね、ウチは女相手の商売はしてない。だけどそれ以上に、店の者が男を連れ込むのは御法度なのさ。アンタは女だが、客としてここに来た……そして部屋で寝て、飯も食い、風呂にも入った。よくもまあ、満喫したね」
「…!」
グレイズが何を言いたいのかピンときた。
「待って、それは私が勝手にやったことで――!」
「黙りな。こういうのは他の娘にも示しがつかないんだよ。アケミさん、理不尽だろうがね…金は払ってもらうよ」
アケミが目を丸くする。当たり前だ、このコからすれば、藪から蛇の論法だろう。
「この子は私が連れてきただけ! それなら私が払う…!」
「駄目だ。それがまかり通っちゃケジメがつかないだろう。アンタはこの店ではもう古株なんだよ。自覚しな」
「……くそババア…!」
「ガキのわめき声なんて、ババアにゃ聞こえないね」
火花を散らして睨み合っていると、
「……いくら?」
気だるそうに首筋に手を当ててアケミが尋ねる。グレイズは机の上の伝票をトントンと指し示す。それにアケミが手を伸ばしたところを、横からひったくった。
「アンタが払う必要ない。これは私の問題…!」
「でも、そもそも客としてくるつもりだったんだし」
「定食屋で食事するのとはわけが違うのよ!? アンタは相場を知らないから呑気なこと言えるのよ!」
「だからいくらって…」
「いくらでもいい! とにかくアンタは店の客じゃないんだから!」
「はあ、もう…」
ため息を吐いたアケミが――私の、唇を…!?
「んむっ…!?」
数え切れないほどキスの経験はあるが、アケミの唇は未知の感触だった。
呆然とする私を抱き寄せ、耳元で囁く―――
「ほら…気持ちよかったでしょ?」
カッと熱くなったのは顔だけじゃない。まとわりつくアケミを突き飛ばし、拳で殴った。
「このっ……アンタなんなの、一体…!?」
「………フ」
殴られた左頬をさするアケミはなぜか薄く笑う。
「何がおかしいのよ…!」
「いや……年上だけど、かわいいなと思って。つい手を出しちゃった」
唇を指でなぞってニンマリと笑う。高級娼婦もかくやという色気に、全身を言い様のない震えが走る。
「…ウチの従業員に手を付けたね。間違いなく客だよ」
「あ…!」
しまった、嵌められた!?
「…こんなことして、アンタに何の得があんの!?」
「損得の問題じゃない、単純に払おうと思ってるだけ。気持ちよかったよ? 添い寝されてる時。ぐっすり寝たのは久しぶり……ライラさんが言ったとおり、癒された。金を払うに値する時間だった、それだけ」
「アンタ、弱ってる時に優しくされたから勘違いしてるだけよ! 私は―――」
「――もういい、やめな」
――太い声が一喝。
「これ以上、野暮をするもんじゃないよ。その子がわざとアンタに殴らせたの、わかってないのかい?」
「………そうだとしても、私はもう娼婦じゃない。金を取るのは筋が通らない…」
「そういうのは自分の店を持って言うんだね」
拳を握りしめる右手が痛い…。
「じゃあ、払いも含めて少しツッこんだ話をしようかね。ライラ、アンタはもう下がっていいよ」
「………」
アケミをちらりと一瞥すると、無邪気に小首を傾げてみせる。その仕草にまたイライラする……。
結局アケミが金を支払うことになり、私は親切が親切で通らない自分の身の上を呪った。
また間が空いてしまいました、すみません。別作品のホワイトヒーローにかまけてしまいました。むぅ…。
前回からラウラ視点となってますが、すでにシリーズ登場済みのラウラさんを知っている方は訓練された読者様です! ということは、これからどうなるのか決まっているのですが……それはそれということで。
GWだからといっていつも以上に休みがあるわけではないですが、出かける予定もないのでもうちょっと気張ります(笑)




