01.
息を吸えば肺まで凍りそうな早朝の、地下―――。また、この日がやってくる。
場所は刑務所、死刑囚の男以外は二カ所の扉を塞ぐ二人の所員、刑の執行を見届ける所員。そして特別にブラックスミスの男二人、そして執行役の女とその付添人……。
この場所は、いつも息苦しい……。
女が若い方のブラックスミスから半ばひったくる様に剣を奪う。緩やかに反りのある細身の剣―――否、細く見えるのは長いからだ。長身の女と比べても長く見えるその剣は、抜くと独特の美しい波紋が流れ、その刃先は紙よりも薄く研ぎ澄まされている。凍てつくような鋭さと惹きつけられる美しさを合わせ持つ「刀」は、女とその一族の象徴である。
抜き身の長刀に水を垂らす……岩壁に開いた小さな窓から差し込む光が当たり、朝露のように眩しく煌めく。その刀身をゆらりと振りかぶり―――女は構える。
目隠しをされた今日の囚人は静かだった。諦めか、はたまた直前の牧師との対話に救いを求めたのか……眠っているように落ち着いていた。
ほんの一呼吸の静止……小部屋のような処刑場は音が消えたかに思われた。
しかし―――いつもよりもその間が長い。誰もが執行人の女を凝視した瞬間、
「――ぅああああああぁぁぁ――――っ!!!」
誰もがぎょっと驚いたその時には刀は振り下ろされ、刑は執行される。また静寂が戻る……ことはなかった。女は荒々しく肩で息をしている。
「お、おい……大丈夫か……!?」
若いブラックスミスが恐る恐る声をかける。今部屋にいる人間の中では一番大柄だが、気は小さい。
女は滴り落ちる汗を拭う事もせず、黙って長刀を渡した。その手は、小刻みに震えていた。
「………後は任せる」
女はドアを開け、重い足取りで出ていく。その後ろ姿を見送りながら、年季の入ったブラックスミスは独り言のように呟く。
「……アンタの予感が、当たっちまったようだな…」
「……………」
と、若いブラックスミスが怪訝な顔をして長刀を差し出してくる。血で汚れた刀身は、切っ先がわずかに欠けている。
付添人―――ガンジョウ=シロモリは、眉間の皺を深くした。
※ ※ ※
アケミが目を覚ましたのは、療養所のベッドの上だった。
最初に目にした人物はロナである。身体を起こそうとすると右腕と左肩に痛みが奔り、眩暈と吐き気が酷い……すぐにロナに寝かされた。
「あれから五日経っています」
唐突に言われても、すぐには何のことか理解できなかった。声を出そうと口を開くと、喉が痛い…。
「…………のどがかわいた…」
掠れた声しか出ない。ロナがベッド脇の給水器を取って口元まで運んでくれる。
「……出血がひどく、かなり危険な状態だったそうです。両腕に傷を負っていますからしばらく不自由するかと思いますが、後のことは心配せず、治療に専念して下さい」
後のこと―――。
「……どうなった…?」
「何がです…?」
「……全部」
「…もう少し回復してから、お話しましょう」
「ロナ――…っ」
ぐっと身体を起こそうと、今度は足と腹に力を入れる。ここは無傷のはずだが、筋肉がガチガチに固まっていて、縛り付けられているように動かない。慌てたロナにまた抑え込まれてしまう。
「無理をしないでください、傷口が開いたらどうするんです…! 時期が来たらちゃんとお話しますから!」
「今、言ってくれないと、落ち着いて休めない……」
ロナはしばらく渋ったが、ぐるぐる包帯の巻かれた腕を伸ばそうとするアケミに観念して話し始めた。
「…ナムド中隊長の報告では、足取りを追跡していた最中にクリスチーナとアケミ様が戦闘中の現場に出くわし、助太刀する間もなく決着したとのことです。アケミ様はスパイを幇助していた容疑を晴らしたことになりますが、一方で、その……女同士の愛憎劇という形で、虚実織り交ぜたスキャンダラスな話題が一般人のレベルにまで広がっています。この影響で、私たちの部隊を正式に組織化するアケミ様の発案は評議院で反対意見が多数を占めています。ですがバレーナ様は強行してでも部隊を押し上げるお考えのようです」
「……悪い……迷惑をかけて…」
「いえ……悪いのはアケミ様ではありませんし、むしろ………どうお慰めの言葉をかければいいのかわかりません…」
「クーラさん……クリスチーナは……」
「……もう埋葬されました」
「そうか……」
そうだろうなとは思っていた。だが、いざ確認したら、込み上げてくるものが――……あるのかと思ったが、瞳は乾いたままだった。嗚咽も、胸の痛みもない。ただ、首から肩の辺りが重く沈んでいくだけだ……。
ケガは深かったが、幸い負傷は腕のみのため早くに自宅に戻ることができた。
広い屋敷に戻ると、誰もいなかった。
父・ガンジョウは自分の代わりにシロモリの務めへ。
妹のミオは学校へ。
母は………家を出て実家に引き籠ってしまっていた。後から聞いた話では、娘のスキャンダルに耐えられなかったらしい。「嫁入り前の娘が女と愛欲に溺れて騙された」なんて近所で囁かれれば、深窓の令嬢であった母さまでなくとも鬱になるに決まっている…。親父殿もさすがに止めることができず、心が休まるまでということで、家政婦のシャロンさんが付き添っていった。
静寂に包まれた屋敷の中で、窓から差し込む陽光に照らされながら自室のベッドに寝転がった。一番深い左肩が完治するまでは一カ月以上かかるだろう。戦士にとって一カ月の休養はかなり響く。身体の筋肉は落ち、神経と感覚は鈍る。日々の訓練ほど大事なものはない。
国境警備から戻った兵士が長い休暇期間中に堕落し、戦士としての要件を満たせず、除隊処分を言い渡される者も毎年いるらしい。もちろん大隊所属の兵士は国境警備のみが任務ではないが、砦での長期任務の反動は大きく、どうしてもだらけてしまうものだ。それゆえ、自覚のあるものはそれぞれの大隊の養成所に顔を出す。そこで後輩にちょっかいを出しつつ、反発される勢いを借りて自身も鍛える―――これが伝統でもある。毎日剣を振る。これが肝要なのだ。
それがわかっていながら、アケミはしばらく剣を握ることを止めることにした。無理をすれば完治まで長引く、ということもある。しかしそれ以上に傷跡を残さないようにすることが重要だと考えた。
この先、ドレスを着る機会も増えていくだろう。そんなときに隠さなければならない傷を持っていると場の空気を重くしてしまうこともある。女は美しくあり続けなければならない―――
…クーラさんの教えだ。肌の手入れ、化粧のコツ、香水の選び方も教えてもらった。たった一年足らず……それだけで、アケミにはクリスチーナの影が染みついている。一生消えることはないのだろう……。
そして家族三人での生活が始まった。
箸を持つのがやっとのアケミの代わりに親父殿とミオが最低限の家事をこなしてくれた。親父殿は元より饒舌ではないが、ミオは決闘以来話しかけてこない。食事は三人顔を合わせるが、黙々と過ぎていく。ただ、飯はおいしかった。
「…美味いな」
ぼそりと洩らすと親父殿の箸先がピクリと動く。
「…久方ぶりで口に合わぬかとも思ったが、それならよい。ロマリーは……母は育ちがよい故、自ら料理することはあまりないが、シロモリは元来清貧を尊ぶ。独りでも生きていけるよう、ワシも先代に仕込まれた。これも機会かもしれん、お前たちにも料理を教えるか………剣だけが道でもあるまい……」
暗に自分の事を言われているのかと思った。いや、そうだったのかもしれない。親父は視線を落とし、それ以上口を開かなかった。隣にいたミオは「ごちそうさまでした」と手を合わせ、さっさと席を立って行った。
それから三カ月。
左肩に薄く傷痕が残ったが、腕は全快した。筋肉の衰えた腕は限界を超えないギリギリの加減で鍛え直し、強化し続けた体幹と併せてむしろ剣撃の精度は増した。剣士として一枚剥けた手応えを感じたのだ。
しかし―――木剣から長刀に持ち替えた時、異変が起きた。肌は泡立ち、指先の震えが止まらない。汗で背中が冷たくなり、鼻腔はどこにもない血の匂いを感じる……。
そして死刑囚を処刑するとき、すべてが噴き出した。
刀を振り下ろす瞬間、クリスチーナの影が重なり、囁いたのだ。
「うらぎりもの」、と。
それから親父によって剣を振ることを禁じられた。
仕方のないことだと自分でもわかっていた……とても冷静ではない。一番凶器を振るってはいけない精神状態だ。
しかし、それでも長刀を取り上げられるのは断固拒否した。刀はシロモリの証である。シロモリでなくなれば、バレーナの側に立つことは果てしなく難しくなる。そうなれば……なんのためにクーラさんを斬ったのか、わからなくなってしまう……。
前回の後書きでなんだかやりきった感みたいなのが出てましたが、今回から第二章です。「アルタナ」のときもこうすればよかったんですが、当時はやり方がよくわからなかったんでございます。
しかし更新一回での分量が短いとはいえ、三十を超える話数だと初見の方は「うわ…」と読むのを躊躇ってしまいそうですが、どうでしょう? あ、面白ければ関係ない話ですよね……ですよね……(遠い目)。
ここからどれほど続くのかはわかりませんが、「アルタナ」などで話に出てくる「ブロッケン盗賊団」は登場させたいと思っております。がんばろう…!




