29.
ミリムはクリスチーナを追っていた。
クリスチーナは訓練兵時代からアケミが唯一勝てなかった女兵士である。シロモリの当主となってから格段に強くなったアケミだが、それでもクリスチーナが負けるとは思えない。クリスチーナはこれまで一度も本気を見せたことがない……実力の底が知れないのだ。
唯一その力が垣間見えたのは、初の出張任務である囮作戦のときだ。あの時、騎兵と相対したクリスチーナの槍は相手が武器を振り上げた瞬間に三連突き。馬上の兵は馬を操る手前、攻撃の振りは大きくなりがちだが、そんなことには関係なくクリスチーナの反射スピードが速かった。槍の突きは動作が小さく攻撃の軌道も一直線、リーチの長さも相まって最強の攻撃の一つである。しかしそれでも呼び動作と溜めは必要であり、剣を三回振り回すより槍で二連続突くほうが難しい。呼吸を無視したような三連突きは、ミリムのような新兵でも実力の高さがわかるというものだ。
門番の話では村に向かったということだったが、ミリムは反対方向に進んだ。勘と言えばそれまでだが、そんな気がしたのだ。
砦を挟んで村の反対側とは、すなわち国境―――。危険な地域だが、だからこそ人もおらず、隠し事をするにはちょうどいい。ミリムを覆い隠すほどの背の高い草に分け入った形跡があった。おそらくここだろう。
身を潜め、気配を殺す……身体が小さいのは戦士として、女としてコンプレックスがあるが、こういう時は役に立つ。長身でスタイル良くて美人で強すぎるアケミ先輩が恨めしいものの、聞いた話では妹さんは自分と似たりよったりの体格らしい。もどかしさは自分の比ではないだろう。
這うようにして少しずつ、擦れ合う草の音すら殺すように進んでいくと、やがて人の声が聞こえてきた。まず目に入ったのはジラーだが………ズボンしか穿いていない。そしてその視線の先にいるクリスチーナは―――下着を身に着けているところだった。
「っ……!」
――何をしていたのかすぐにわかった。自然と拳を握り、眉間に力が入る。迂闊にも、その時何を話していたのか聞いていなかった。ただただ、苛立ちが込み上げてくる…。
やがて追い立てられるようにしてジラーは去り、立ち上がったクリスチーナは髪を撫でて整える。何事もなかったような顔つきに、我慢は限界だった。
「……クーラさん!」
「…何かしら?」
草むらを飛び出して現れても大した反応を見せないクリスチーナ。気付いていた…!? いや、そんなことはどうでもいい、問題は―――!
「どうしてっ……先輩とお付き合いしてたんじゃないんスか!?」
クリスチーナは目を丸くし―――フ、と唇を歪めた。
「もしかして覗いてた? あられもない姿で喘ぐ先輩見て興奮した?」
「なっ……の、覗いてなんか…!」
覗いてはいない―――。ただし、部屋の前まで行った。傷がほぼ治り、一足早く報告しようと第五大隊駐屯地を訪ねた。任務を終えて帰還し、解散した直後の駐屯地はがらんとしてほとんど人の気配がなかった。その静まり返った駐屯地の士官室のドアを開けようとしたとき、聞いてしまったのだ。初めて聞く先輩の声……甘く、生々しい女の声だった。自分が離脱した数日の間に何があったのか? いや、思い返せばもっと前からそうだったのかもしれない。まだ自分が子供だったから気付かなかっただけかもしれない……ただ、子供であってもわかることがある!
「こんな……あんな男と、どうして…! 先輩に対する裏切りじゃないですか!」
「あの子がそう思うかしらね?」
「は、はぁ!? 当たり前じゃないですか! 信じられない……こんな人だなんて思わなかった!」
「じゃあどうする?」
「え!?」
「あの子に言う? 皆に触れまわる? それをしたところで、あなたに何があるの?」
「そ、それは…」
クリスチーナの評判は落ちるだろう。だがそれで終わりだ。むしろ社会的地位の高い先輩のほうが受けるダメージは大きいはずだ。でも、そういうことじゃなくて……!
「――わかるわ。気持ちの問題でしょう? あなたが納得できる答えを出すのなら……私が愛しているのはアケミだけよ」
自らの身体を慰めるように抱きながら歩み寄るクリスチーナに、ミリムはどきりとする。この熱っぽい顔はきっと、あの部屋で先輩に向けていたものだ。そしておそらく先輩も……。
なぜだろう。なぜだろう。自分と先輩は才能が違う、生まれが違う、役職が違う―――でも、歳は一つしか変わらないはずだ。なのに……先輩という人間が、わからなくなった。目の前のこの女のせいなのか? それとも、自分がまだ子供だからなのか? わからない、わからない……。
ミリムが口を噤んだままでいると、クリスチーナは嘘のように優しく微笑む。
「……混乱しているようね。でも確かなことは、私たちはお互いに愛し合っているし、私たちにはお互いが必要なの」
「じゃあ何で…!」
「ジラー? 利用しているだけよ。そもそもこの間アケミ隊に引き入れたのも接触する機会を作るためよ。まさかあんなに扱いづらい男だとは思わなかったけれど」
「利用って…何なんスか? 一体何をしてるんスか!?」
「大したことじゃないわよ―――…」
「…!?」
クリスチーナの目線が一瞬逸れた。その視線の先、自分の背後に冷たい気配を感じる―――
「――うわっ!?」
しゃがんだのは偶然というか、勘だ。剣は頭上を通り過ぎ、反射的に引き抜いたナイフで男の首を切り裂いていた。
「っ…!? え!!?」
咄嗟の事で収縮していた毛穴が緩み、どっと冷や汗が、次いで爆発しそうに心臓が鳴り響く…。
男は首から血を噴いて倒れ、絶命している。一体何なんだ、こいつは!?
混乱しながらも目と手は自動的に動く。日頃の訓練、そしてたった数度だが実戦を踏んで得た、度胸の賜物だ。
手早く男の服装や持ち物を確認する……見覚えがある、これはジャファルスの装備だ。そして……
「密書…?」
懐から油紙に包まれた書簡を抜きだした時―――重い痛みが背中からわき腹を襲う。そして訪れる甘い香りと、暗い声―――。
「間が悪いわね……運がない」
耳元の囁きで直感的に理解した。この人は、ジャファルスのスパイ……!
背中から刺された槍に力が込められる……熱くなる脇腹から血が逆流しているのが自分でもわかる。
このままじゃ―――死ぬ……!?
「…うおあああぁ―――っ!!!」
遠くから声が迫ってくる……同時にクリスチーナから解放され、その場にうつ伏せに倒れた。
「ミリム! ミリム!!」
抱き起こされてようやく誰かがわかった。マユラだ。
「大丈夫!? 私の声が聞こえる!?」
この人、こんなに大きな声出せたんだ……。
「ミリ――ぐっ!?」
マユラの後ろにクリスチーナが見える。その手に握る槍がどこに伸びているのか、言わずとも知れた。
「残念ね……あなた達は気に入っていたのに。本当よ?」
「くっ…!」
振り向きざまに剣を振ればクリスチーナが下がり、マユラは自分を庇うように立つ。その背には血が滲んでいる…。
駄目だ……逃げないと。自分の事は放って逃げてください。そうじゃないと、ジャファルスの兵が集まってくる……
剣と槍がぶつかり合うのを瞳に映しながら、意識は徐々に奪われていく……。
ふと頭に浮かぶのは、両親の顔だ。
前回の任務で負傷して心配していたのに、結局この様…。こんなことなら王女様の護衛をするって自慢しておけばよかったな……。
戦場とも呼べない、草むらの陰――――ミリム=ストールは、血だまりの中でその短い生涯を終えた…。
この番外編で最初から登場していたミリムの死は、なかなかに書きづらいところではありました。しかし彼女の死が、今後の物語のキーになるのです…。
全く関係ないですが、一週間経つのって早いなぁ…。




