25.
国境警備に出払った第二大隊駐屯地は、今はほとんど人がいない。寮も管理人以外はおらず、がらんとした有様だ。その中の士官室の扉の前で、アケミはクリスチーナと向かい合っていた。
「見送りに来てくれたの? 嬉しいわ」
「国境警備の任につけば、しばらく会えなくなるし……あたしのほうでなんとかできればよかったんですけど」
「私は中隊長補佐よ? これ以上サボったら降格させられるわよ」
「サボりだなんて、クーラさんは私を助けてくれてますし、その………」
「………フフ」
クリスチーナが一歩踏み出す。吐息が届く距離になって、空気が重くなる。釣られて胸が高鳴った。もう何度となく交わした、キスする前の緊張感。
「もう行かないと…」
「だからよ」
瞳に引き寄せられるように唇を重ねる。唇をぐっと押しつけられ、さらに濃厚な絡まりを予期して舌先が動き始めた、そのとき―――
「いッ…!!?」
ガリっと下唇の先を噛まれた。声の出ない痛みと血の味がして、クーラさんを凝視する。クーラさんはいつも以上に微笑んで、私の肩を引き寄せた。
「おまじないよ」
「おまじ…? なんの?」
「…………浮気しないように」
自然と眉根が寄る。苛立ちと焦燥が込み上げてきて、クーラさんを睨んだ。
「浮気なんてするわけないし、バカバカしい…!」
「惚れた方は不安になるものよ。あなたも私に本気になってくれればわかるわ」
「私は、クーラさんのこと……!」
「じゃあ―――次はもっと激しいの、期待してるわね?」
肩から胸、腹、腰まで……細い指で爪弾く様にたっぷりと撫で回され、嫌でもその意味がわかった。きっと耳まで真っ赤になっていた…。
ひとまずアケミ隊は正式に解散。今後はバレーナ親衛隊(仮)のメンバーのスカウトを再開、部隊設立を目指す。もちろんシロモリ本来の任務もこなさねばならず、研究成果のレポートを提出したり、出稽古に赴いたりと、自由業のようでありながらスケジュールにあまり余裕はない。中でも刑の執行はこちらで日取りを決められない。最悪父に代執行してもらうとしても、それが常態化してはシロモリ当主として失格である。とはいえ、ロナという優秀な情報収集能力を持つ仲間ができたことは大きい。ロナが候補者をある程度絞り込み、それを元に直接本人と接見する。
ロナの選定は実に見事だ。紹介されたイザベル=マラーノとハイラ=ミスマイルは、ともに十六歳と若かったが、どちらも剣士として筋がいい。さらに二人とも貴族の家系であり、基本的な所作は完璧、バレーナと並べても申し分ない。そして何より性格が良かった……こう言っては何だが、自分がいかに貴族の子女として捻くれているかを存分に思い知らされた気分だ。まだまだ本決まりではないが、バレーナの脇を固めるならこの二人がいいだろう。もちろん、相当に鍛え上げた上でのことだが―――。
幸先よくスタートしたことに気を良くし、次いでロナの情報網に引っかかるまで自分でも探してみようと遠征稽古を計画したのだが……
「あの、アケミ様……確認なんですけれど、王女様の内諾は頂けたのでしょうか…?」
「…………まだ」
やんわりとロナに釘を刺された。しかし、そうでも言われなければ会いに行く気にはなれなかっただろう。
ドアが開き、アケミの前に黒いドレスの女が現れた。深く被った幅広の帽子を脱ぐと、緩やかなウエーブのかかった艶のある黒髪が流れる。
バレーナ=エレステル。格好のせいか、以前に比べて女っぽさというか、色っぽさが増して見える。
場所は例のレストランバー―――二人で何本もワインの瓶を空にした、あの個室だ。
「全く……あまり便利にウラノを使ってくれるなよ。えらく不機嫌だったぞ」
上着を脱ぎながら、バレーナが苦笑交じりに言ってくる。
「そうか? あたしは優秀だと認めているぞ。嫌われている点は否定しないけどな。それよりも今日はその格好で来たのか? 目立つだろう」
「そうそうバレはせんさ。市井の人間が王女の顔なんか覚えているか。いくらか声はかけられたが」
「危なっかしいな…。大丈夫か?」
「お前と会うと言ったら素直に引いてくれたぞ。存外広まっているな、『長刀斬鬼』の異名は」
「よせよせ……大したことしてないのに大仰過ぎて恥ずかしいわ」
早速ワインを開けてもらい、乾杯する。バレーナは上機嫌なのか、一杯目を一気に飲み干した。
「…で。どうした? 何か話があるんじゃないのか。ウラノからはそう聞いていたが」
「ああ、ヴァルメア様の葬儀の時に話せなかったんだが……バレーナ、これからのお前には味方が必要なんじゃないか。王になるお前を支える味方が」
「うん? お前がそうなってくれるんじゃないのか?」
「………」
コイツ……元々男っぽく振舞っていたが、天然の「垂らし」だ。
「…もちろんそのつもりだが、横にべったりつけるわけじゃないし、あたし個人がいたところで大して意味はない。もっと広く、お前の手足となって動ける、志を共にする仲間……形にすると、お前の秘書件ガードを務める私設部隊だ」
「……難しいな」
機嫌良くグラスを傾けていたバレーナの表情が一転して曇る。
「王になる立場の人間が個人的な隊を持つことにいい顔しない人間は多いだろう。その部隊にどれほどの権限が与えられるかということもあるし、私と直接的な繋がりを持つ人間に他の者は物を言えまい。逆に取り入ろうと画策する者も現れるだろう。公正さにおいて著しくバランスを崩す。腐敗の温床となる………そんな理由で反対されるだろうな。親衛隊の面子も潰すことになる」
「確かにな。だが、親衛隊も風呂場までは立ち入れないだろう? 考えているのは人数十人程度、歳は十代から二十代……要するにあたしらと同世代で、全員女だ」
「ほう?」
「立場としては側用人がいいだろう。お前の専属メイドだな。だが、戦闘、政治、経済など、あらゆる分野で突出した才女を集結させる。いわばお前の王政のためのプロジェクトチーム、あるいはそのサポーターだ」
「ふむ……」
「当然、評議院での調整は必要になるだろうが……まずはお前の意思を決めてほしい。ある程度の人選も進んでいる。一度会ってみてほしい」
「…………」
バレーナはワインを一口含んで、揺らしていたグラスを置いた。
「話はわかった。だが、どうしてお前がそんなことをする? 手が欲しいと話したことはなかっただろう」
「………それは、付き詰めればお節介としか言い様がないな。あたしが早めにシロモリを継いだのは、お前の手助けをしたいからだ。だが権限を得たはいいが、お前の隣に立つことはできない…。お前も知っているだろう? シロモリは一定以上の要職には就けない。それに……泣いてる親友を放っておけないだろう」
ずるい言い方だったかもしれない。だがバレーナは気まずいような、半笑いの顔で目を伏せた。
「それを言われると反論できんな……お前の前で涙を見せたのは失敗だったか」
「気にするな。いかに女王だろうと、弱みを見せられる人間はいた方がいい。作ろうとしている部隊はママゴトの集まりと陰口を叩かれるだろうが、いずれお前と一緒に強くなる。支え合う存在がいるのはいいものだ………あたしも最近、それがわかった」
「うん、わかる………それは、私にもわかる……。フ、なんだか急に大人になったな、アケミは」
ドキッと胸が鳴る。なぜか後ろめたいような心持ちになる……同時に、バレーナが誰を思い浮かべて「わかる」と言ったのか、瞬時に理解した。
頬を染めた、アルタナディアが―――……。
「………」
「…ん? どうした? 急に黙りこんで」
「……今、女の人と付き合ってる」
ワインを飲み干そうと傾けかけたグラスに口を付けず、一体どういう感情の動きなのか自分でもわからず、口からポロリとこぼれた。バレーナは何も言えず、固まってしまっている。
「男を知ってるわけじゃないのにおかしいだろうが、女って柔らかいのな。自分と同じはずなのに初めて理解したよ」
「寝たのか…!?」
「悪いか?」
「い、いや……そう、か…」
さすがに困惑顔のバレーナ……それはそうだろう、親友の猥談などコメントし辛い。それがわかっているのに口が止まらない。
「キスしたら融けるようで……交り合ってるのに胸の奥が切なくなって、また求めてしまう。あれって何なんだろうな」
バレーナは何も答えない……だが気付いているのか? お前が今、屋上から降りてきたあの日と同じ顔をしていることを―――。
「……家はどうする。お前が当主を継いだんだろう? 相手が女性なら後継者の問題が出てくるだろう…?」
「そんなの、何とでもなるだろ。養子とるとか」
「養子…それが通るのか?」
「知らん。まだ先の話だろ」
「ご家族は……ガンジョウ殿はどう言ってる?」
「誰にも言ったことはない。この事を明かすのはお前が初めてだ」
本当にどうして喋ってしまったのか。誰にも話せない秘密だったというのに、それを明かして心が晴れることもなく、なぜか胸の内がどろりとむかつく…。
「……お前はどうなんだ? 意中の相手とかいないのか?」
「わ、私はそんな……」
「そうなのか? 縁談を蹴るのも、てっきりそのせいだと思っていたが――」
ガシャン―――。
金切り声のような甲高い音を上げて、床の上でグラスが割れた。
「…すまん。手が滑った」
「…………」
嘘だ。わざと落とした。それははっきりと拒絶の意思を示したことを意味する。
親友よりも―――愛しのアルタナとの秘め事がそんなに大事か。
(…!? 何を言ってる、あたしは…)
もう少しではっきりと声になりそうだった言葉を呑みこむ。一体どうしたんだ、あたしは……!
グラスの音は階下まで響いたのか、マスターがやってきて、替えのグラスを用意する。その間、バレーナは一度もこちらを見ず、目線を伏せたままだった。
「…話を戻そう。部隊設立の件だったな。お前の言う通り、優秀な人材が集まることに何の問題もない。評議院を始め、重臣どもはあまりいい顔しないだろうが、私が半人前なのが逆に説得材料になる。ただし、構成する人員については私も選定に加わるぞ」
「当然だ。お前の直属の部下になるわけだからな」
「ならそのまま進めてくれ。悪いが、今日はもう帰る」
「そうか…」
一緒に席を立てない。立ち入ってはいけないバレーナの心の領域を踏み躙ってしまったのだ。どうして……こんなことをしてしまったのだろうか。バレーナとアルタナが本気で想い合っていたとしても、決して結ばれることはないというのに――――
「…アケミ」
ドアノブに手をかけたバレーナが立ち止る。
「その人と付き合って、幸せか?」
「……ああ」
「そうか」
フッとどこか悲しそうに笑い、バレーナは去った。
瓶に残ったワインを一気に煽る……胸が焼けつくようだった。
もう一週間経っちゃったんですね…。
現在絶賛停滞中です。NEXT CROWNも上げるって書いてたのに、むう…。
今日は何だかアケミよくわかんねー、てなお話しですが、ヤケになっているわけではないのでご安心を(笑)




