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アルタナ外伝  ―朱に染まる―  作者: 夢見無終(ムッシュ)
朱に染まる――。
118/124

47.

 月が明るい静かな夜。男は部屋の灯りをつけず、開け放たれた窓から煌々と差し込む月光だけを浴び、息を吐きだしていた。

 モルゾート=ビンク。エレステル北西部の地方領主であり、王家の根絶を計画した張本人でもある。彼にとって今回の計画は準備に準備を重ねた上で始まったことだ。長い時間をかけてジャファルスの兵を引き入れ、山中に基地を作り、露見しないように策を練り、補給路も確保した。その努力の積み重ねを労うようにヴァルメア王が没し、その後を継ぐバレーナは若さゆえに城中を束ねられずにいる……なんという僥倖かと小躍りしたものだ。期は今とジャファルスとコンタクトを取り、ついに野望を成すべく実行に移したのである。

 ジャファルスが大軍で押し寄せれば国境は破れるだろうが、その後の兵站が続かない。エレステルの王都・グロニアは、広大なエレステル領の反対側にあるのだ。国内に深く食い込んだとて、グロニアに到達する頃には兵は消耗しきっており、準備の完了した待機中の二つの大隊が待ち構えている……ジャファルスがこれまで進行しなかった理由はそれである。守りを破るのは容易くとも、攻めるには難儀するのだ。現実的には少しずつ領土を削り取っていくか、精鋭を忍び込ませての暗殺か、その二つしかない。

 そこで第三の案が打ち立てられた。遠くにあるなら近づけようというものだ。バレーナをおびき寄せる作戦で村一つ焼くのはさすがに気が引けたが、ジャファルス側が計画したその後の展開は見事だった。初めに現れた一団は、軍警察の手にはあまり、軍で対応するにも相応の時間が掛かり、されど大部隊を派兵するほどでもない、絶妙な規模であった。村の壊滅と「ブロッケン盗賊団」というインパクトが重なり、バレーナの逆鱗に触れた時点で成功を確信した。しかもバレーナは正規軍ではなく義勇軍を引き連れて現れたのである。あまりに都合のいい展開に夢かと我が目を疑ったが、王家の失墜・国の滅亡は、得てして愚かな決断が重なった時に起こるものであると歴史が証明している。であれば、もはやエレステルの終焉は時間の問題のはずだった。

 しかし、事は上手く運ばなかった。軍の動きが思ったよりも緻密だったからだ。軍は国境の警備を補強するとともに包囲網を作り、ジャファルス部隊の展開を狭めていったのだ。国境を侵入する部隊とモルゾートが抱える部隊で波状攻撃を仕掛けるはずが、全体の七割ほどが平原を中心に行動できなくなり、バラリウス率いる精鋭部隊に削られていったのである。ここで各隊が集結して纏まればゲンベルト中隊に勝つこともできただろうが、それではバレーナがやってこなくなる。作戦が裏目に出た形だ。しかも合わせたタイミングでモルゾート側にも影響が出た。何らかの部隊が基地を暴き、補給を妨害し始めたのだ。増援の気配も感じて止むなく基地から撤退したジャファルス兵は二手に別れ、一方は継続して暗殺計画を、もう一方はモルゾート邸の私兵として囲うことになったが、自領では変わらず軍が出入りし、身動きが取りにくくなってしまった。エレステル国としては盗賊団襲来の非常時なのに軍を追い出す動きを見せれば怪しまれる。傍観を決め込むしかなかったのである。

 その後、数百規模の兵団の激突でバレーナを狙ったが、結果大敗。ゲンベルト中隊の働きも大きいが、バレーナ自身が将としての才能を発揮したのだ。病弱であった父王を思えば、小娘がどこに牙を秘めていたと予想できるであろう? ジャファルスにとっても予想外の事態であり、脅威であると認識することになる。

 しかしそれで終わらなかった。後詰に残っていた一隊が帰還するバレーナを狙う作戦に出たのである。指揮を執ったのはまだ少女だったが、勝利の後にこそ生まれる隙を逃さない―――幼い顔に似合わない冷徹な思考に戦慄を覚えたほどだ。同時に屋敷に残っていた兵士を放出し、挟撃をかければ逃れられるはずはない……はずだった。

 作戦は失敗。奇襲を予見したゲンベルト中隊に阻まれて最後の部隊は壊滅。屋敷から出た別働隊は『長刀斬鬼』こと、アケミ=シロモリに叩き潰された。アケミというシロモリの女が、剣の腕が立つらしいことは知っていたが、まさか強力な軍隊を率いる実力を持っているとは思わなかった……ベルマンの切り札だったか。

 そうして今回の暗殺計画は終わりを迎えた。バレーナに傷を与えはしたものの、命を奪うには至らず……おそらく今後は軍備の強化がされることであろう。ひとまずモルゾートの野望は潰えたのだ。

 …とはいえ、まだ全てが終わったわけではない。まだジャファルスとの繋がりと領土が残っている。ジャファルスにとって欲しいのは前線基地となる土地。ライフラインを維持しながら土地を手に入れるには領主を取り込むのが一番都合がいい。だから国境付近の領主は頻繁にジャファルからの接触を受ける。王都も情報を得る手段であるために黙認せざるを得ない。天秤は常に地方領主が手にしていて、自ら傾けるのは均衡が崩れる時である。バレーナはまだまだ青い……。今回の討伐遠征が王都でどのように評価されるのか。そして伴侶となる時期王の選出もある。チャンスはいくらでもあるのだ……今回さえ凌げれば。

「しかしあの若造め、肝心なところで兵を出し惜しみしおって……確実に仕留められるところであったのに」

 窓から吐き捨てるように呟く。窓の外には所々隆起した岩場が、その隙間を森が埋めている。屋敷は高台の上にあり、正門の裏側であるこの部屋からみる景色は幻想的ですらある。幼い頃より見続けていれば、この世の王になった気にさえなる。だからこそモルゾートはこの地平の向こう………広大なエレステルを欲するのだ。

 カタリ……と、静かに床を鳴らす足音が聞こえる。いつからそこにいたのか、月光を避けるように暗がりに人影がある。しかしモルゾートは動じず、窓からテーブルまで戻って、持っていたグラスを置いた。

「全く……どうしてくれる。貴様らが卓越した戦闘力の持ち主だと自負するから乗ったのに、小娘一人仕留められんではないか。長年積み立ててきたものがパアだ。無論貴様らは諦めんだろうが、私も降りるつもりはない。ただ、ベットはキサマらに払ってもらうぞ」

「………」

 頭からすっぽりマントを被った人影は何も答えない。モルゾートから顔は見えないが、じっくり観察されているような気がする。そこに不気味なものを感じた。

「な、なんだ……どうした? 怒っているなら筋違いだ。決定打を与えられなかった貴様達の戦闘力の不足と、連携のとれないブロッケンのシステムに原因がある。だから言ったのだ、指揮官がくるべきだと……敗因はそれだと、戻ったら『ブロッケン』に伝えよ」

「………」

 マントを被った少女は答えない………いや―――

 陰から音を立てずに歩み出て来た少女は……いや!? 少女ではない! 体格が全然違う! 背が高い!

 そしてマントの裾から刃が閃く―――抜き身の手槍だ…!

 ツカツカと自然に、無遠慮に近づいてくるマントに一切殺気を感じない―――だからこそ暗殺者だとモルゾートは瞬時に理解した。あのマント少女ではない……殺し屋ではあったのだろうが、感情に雑味があった。だからこそコントロールもできると踏んでいたのだ。しかし目の前のこれは違う。このマントの暗殺者はまるで感情を持たない、一個の武器そのものだ。冷たい刃のような……

 …いや待て、なぜマント少女の手槍を持っている? マント少女はどうした? 死んだ? 捕まった? 逃げた? この暗殺者はジャファルスではなく、王女側の―――

「まっ…待てっ――」

 ――それがモルゾートの最後の言葉になった。ただし、手槍の穂先は汚れていない。突然の事態に暗殺者も息を呑んでいたのだ。

 窓の外から撃ち込まれた矢が、モルゾートのこめかみを貫いたのだ。

 暗殺者は矢が飛んできた窓辺に張り付き、そっと外の様子を伺う……。気配はない。人影も見えない。当然だ、この窓の外は鬱蒼と茂った森。しかも高台に屋敷が乗っているので実質的に三階より上の高さにこの部屋はある。射角を考えればかなりの距離から射掛けなければならない。それが可能なのは木々の隙間に所々顔をのぞかせている岩場だが、そんな人影はどこにも……

 いや、いた。予測地点よりもはるか遠く、狙撃どころか矢を届かせるのが不可能な位置に、月光にさらされたゴマ粒のような影が動くのが見えた。

「…アイツ…!」

 マントの下で、女が舌打ちした。





「はっ、はっ、はっ…!」

 追いかけてくる―――恐ろしい何かが追いかけてくる! 森の中を全速力で駆け抜けているはずなのに、距離を開けずにピタリとついてくる。しかし肌を刺すような殺気を感じるのに、気配がわからない。音が聞こえない…。

 昔、父に教えられたことがある。どの動物相手でも逃げようはある。だがトラはだめだ。トラだけは逃げられない。トラはそのしなやかな動きで獲物に迫り、その大きな体躯で獲物を弄り、その無慈悲な牙で獲物を噛み千切る。木の上ですら安全ではない。トラは成果を誇るように、樹上で獲物を貪り喰らうのだ。プライドが高く、敵を知らず、一匹が山一つのテリトリーを持つ。生物ピラミッドの頂点に君臨するのは、人ではない……。

 振り返って身を低くし、矢を番える。これほど月が明るい夜でもエレステルの森は深い闇に包まれている……否、木々の間から差し込む光が強いからこそ、影はより濃い。その影を伝って、何かは確実に近づいてきている―――…!

 ギリッ…と弦を引き絞り、息を殺す……。あちらもこっちの正確な位置は把握できていないはず……迂闊には動けないはず。先に動けば即座に矢を放つ。均衡状態が続いても、時間が経てば状況は変わる。日が昇ればかなりのアドバンテージをとれるはずだ。待つのはこちらの得意とするところ……持久戦ならば負けはしない!

 じっと……ただじっと待つ……。景色に、空間に溶け込み、その瞬間を待つ………


 ヒュッ…


「うあっ…!?」

 闇からの飛来物に声を上げてしまった。あるまじき失態だ! 飛んできたのは矢―――まさか先に射られるとは! 

 しかしその一瞬後に気づく。狙いは甘く、威力もない。隣に立っていた木の幹に当たって落ちてしまうほどに……。弓で射られたのではなく投げつけられた!? なら、これは―――

「は…!」

 気配は矢が飛んできたのとは違う方向から突然現れた。葉音を立てた茂みに向いたときには敵はもう飛びかかってきている……矢を番える隙はない! 咄嗟に弓を振るが、敵の持っていた何かで叩き折られてしまった…! 地面に押し倒され、揉み合いながら腰の後ろのナイフに手を伸ばすが―――

「何をやってる、お前はっ…!!」

「――!!」

 女の声……聞き覚えのある声。その主に気付いたとき、ナイフは弾き飛ばされ、容赦ない平手打ちが頬を叩き、乾いた音が夜の森に飲まれていく……。

 夜目に慣れて、互いの顔を見る―――

 ―――組み敷かれているのがソウカ。

 ―――覆い被さっているのがアケミだった。

 二人の女は息を切らしながら睨み合う……肌に触れる夜の空気は、冷たい…。

「……まさか、あそこでマントを被っていたのはあなたですか? あの距離で追いつかれるなんて……さすが四百人斬りの長刀斬鬼、バケモノね」

「こっちだってあの距離だったからお前だと気付いた……話に聞いていたが、想像をはるかに超えた腕前だ」

 互いに褒めてはいない。だが……

「…それで? こんな人気のない暗闇で襲われるなんて、貞操の危機だと思ったほうがいいですか…?」

「………」

 アケミは何も答えず、冷たく見下ろす。表情が曇るのはソウカの方だ。

「…なぜこんなところにいる。お前はバレーナたちと帰還の準備をしている最中だろうが。なぜあんな真似をした!?」

「…………」

 そっぽを向いたまま沈黙するソウカの顔をアケミがまた引っぱたく。それでソウカもいよいよ本心を顕にした。

「あれが今回の諸悪の根源、モルゾート=ビンクでしょう!? 葬って当然の男でしょうが!」

「バレーナがそう言って、殺すように命じたのか!?」

「そんなの関係ないわ! ただ、誰かが報いを与えた……それだけのこと!」

「バレーナの意思とは関係ない報いとは何だ。……レヴィが死んだことか」

「っ……知らないわ、あんな女……あんな女…!」

 突っぱねるように答えながらも、僅かに声が震えているのがアケミにはわかった。かつてレヴィをブラックダガーの隊長候補に挙げたが、討伐隊に同行することになったのはまったくの偶然だった。そのレビィが動けなくなったバレーナの影武者となって壮絶な最後を遂げたことはついこの間知った。ソウカは唯我独尊といった性格で、ブラックダガーの中で一人浮いていると聞いていたが、レビィに対しては何か感じ入るものがあったのだろう。その気持ちには同情する。だが―――

「―――私怨で人を殺すな!!」

 もう一度、今までで一番強い力でソウカを殴り、襟首を掴んだ。

「お前はブラックダガーなんだぞ! お前の行いは、すなわちバレーナの行いだ! お前が矢を向けることは、国家が剣を抜くことなんだぞ!」

「…私の弓は、そんなのに縛られるようなものじゃない」

「生意気を言うな!!」

 またアケミが右腕を振り下ろす―――しかしソウカは防いで受け止めた。

「さっきからパンパンパンパンと…! あなただって同じことをするつもりだったんでしょうが! だからそんな格好をしてるんでしょう!? あなたにとやかく言われる筋合いはない!!」

「そんな言い分を、ミオの前でも通すのか」

「…!」

「よくわからんが、お前はミオの姉を自称しているのだろう!? だったらその姉であるあたしの言うことを聞け!!」

「誰がっ……あなたを姉と認めないと前にも言った!!」

 ソウカが腰の矢筒から矢を引き抜いてアケミの太股に突き立てた。ひるんだ一瞬にソウカがアケミの服を掴み返し、拳で殴り返して脱出する。

「お前…っ!!」

 一線を越えた―――アケミに対する完全な決別の宣言だ!

「姉面して偉そうに…! 私はあなたのような人間の妹じゃない!」

 勝手なことを叫んで逃げ出すソウカを追おうとするアケミだが、左脚が動かない…!?

「くそ、痺れ薬か…!」

 矢が刺さったのは浅かったが、鏃に即効性の痺れ薬が塗ってあったらしい。経験値は少なくとも技術はずば抜けている……昼間であれば矢で狙われて、追いつくことはできなかっただろう。あれは確かに逸材だが……

「何が妹じゃない、だ……こっちのセリフだ! 一体何なんだ、アイツは…!」










 朝日が昇る頃、数十の規模の武装集団がビンク領に入った。馬に跨り先頭を行くのはサジアート=ドレトナ。三十歳を過ぎたばかりの若い地方領主である。隣に控える同じ年頃の側近・ダカン=ハブセンとともに悠々と轡を取るサジアートはご機嫌であった。

「さてダカンよ……この後の展開をどう読む?」

「今回の騒動はバレーナ殿下に軍配が上がりましたが、一国の統治者として成功とは言えないでしょう。自らも傷を負ってしまわれた事は、殿下の思慮の浅さとブラックダガーを始めとする近しい部下たちの無能さを証明したことになる………最高評議院でそのような評価を下されることは十分に考えられます」

「ふむ。そうなると俺にも付け入る隙があるな?」

「ここでモルゾートを告発し、捕らえれば評議院議員の椅子が一つ空き、そこにサジアート様が着けば行程の三分の一はクリアしたと言って良いかと」

「城で弱ったバレーナを撫でてやれば事も運ぶだろう――――俺がエレステル王になるわけだ」

 王座を狙う野望は並みの人間では語れぬ夢想に過ぎないが、サジアート=ドレトナはそれを戯言と断ずることのできないポテンシャルの持ち主である。なにせ、若い。

「しかし、気になる動きもあります」

「というと?」

「軍です。初動こそ鈍かったものの、その後の展開はあらかじめ予定されていたように早く、さらに殿下に花を持たせようとしていたように見受けられます」

「軍がバレーナに付くというのか。確かにバレーナは好戦的な性格だ、軍備強化の意見も通りやすくなるだろう。バレーナを取り込みたい理由はわかる……ん?」

「いかがされましたか?」

 小首を傾げたサジアートだったが、すぐに含み笑いを漏らす。

「いや………フフ、もしかするとバレーナに花を持たせるのではなく、危険に晒すのが目的だったんじゃないかと思ってな」

「まさか…」

「そう『まさか』な………フフフ。だがこうしてビンク邸に向かえるのも奴が囲っている兵士を放出したからだ。軍の働きに感謝だな」

「およそ四百のジャファルス兵を葬ったのは代替わりしたシロモリ一人だと聞きましたが、本当でしょうか……」

「事実ではないだろうが……あの女ならやりかねんことだ。ガキの頃から容赦を知らんからな」

 サジアート達がモルゾート=ビンクの屋敷に到着したとき、高い塀の中央に構える門は開け放たれ、中で慌ただしく動き回っている様子が見て取れた。

「なんだ…?」

 ―――モルゾートは暗殺されていた。使用人たちによると、夜、屋敷の最奥の私室にいたモルゾートは誰にも気づかれずに殺されていたらしい。本来の目的は伏せたまま現場調査を仕切ることにしたサジアートたちは、モルゾートが死んでいたという私室で現場検証を行っていた。

「どう思うダカンよ……この部屋に忍び込むのは生半ではないぞ」

「屋敷の裏はほぼ絶壁と言っていいほどの難所です。脱出にはロープなどを使っても、侵入は……」

「そうだな…。おい、最初に発見したのは貴様だな」

 サジアートは部屋の入口に控えていた使用人を、手をちょいちょいと振って呼び寄せた。

「ここでモルゾート殿が倒れていたんだな? ちょっと再現してみろ」

「えっ…で、ですが…」

 サジアートが指差す足元は絨毯に血が滲みている……。

「勝手に死体を動かす貴様らが悪いんだろう」

「しかし、ご主人様をあのように惨たらしい姿のまま置いておくわけには…」

「敬愛する主の血ならば何の問題がある? グズグズするな」

 震えながら寝そべる使用人を見下ろし、サジアートは顎を撫でた。

「この状態で即頭部に槍、か……ダカンよ、納得できる説明ができるか?」

「……暗殺者は二人だったのではないでしょうか。顔見知りであり、会話しているところをもう一人が横から刺した……といったところでは」

「なるほど。しかしなぜ『頭』に『槍』なのだ? 隠し持てるナイフで首を狙うのが最も確実な手段だ。そこが解せん」

 唸るサジアートに「あの…もう起き上がってもよろしいでしょうか…」と使用人が声を搾り出すがサジアートは無視する。と、ダカンが耳打ちする。

「ジャファルスの示威行為ではないでしょうか。まだ公表されていませんが、ジャファルスの装備には宗教的な意味を持つらしい印があるとか。先ほど検分した手槍にも伝え聞いた印があるようです」

「………」

 サジアートはしばし沈黙した後……ピッと人差し指を立てた。

「よし、ダカンよ。屋敷中を徹底的に捜索して、モルゾートがジャファルスと繋がっていた証拠を出せ」

「は。しかし、モルゾート殿の性格上、そのようなものを残しているとは考えにくいですが…」

「聞こえなかったのかダカン。証拠を出せ、と言ったのだ」

「…御意」

 ダカンが部下を集めて動き始め、それに紛れて使用人も出て行った。サジアートは一人、開け放たれた窓から外を見下ろす。いい眺めだ……が、やはり侵入は無理だ。せいぜい矢を射るか……手槍を投げ入れるか……。

「フン……そんな奴がいたら化物だな」







 討伐隊が駐留している街に戻ったソウカを、ブラックダガーは誰ひとりとして笑顔で迎え入れなかった。バレーナの意識が戻ったとはいえ、レビィを始めとするかなりの人員を失ってしまった。元々負傷者が多かっただけに、鎮痛ムードを払拭することができないでいたのだ。そんな中姿をくらませたソウカは、捜索すらされなかったのだ。

 帰ってきたと聞いて、宿舎としていた軍警察の官舎の中で、イザベラは仁王立ちして待ち構えていた。

「あなた、この非常時によくも勝手ができますわね。一体どういうつもりで―――…!」

 本来なら叱るのも罰を与えるのも隊長であるミオか、ブラックダガーを率いるバレーナの役目だ。だが誰もが意気消沈している中、ミオにそんな役目を押し付けるのは酷だ。だからイザベラは代わりに平手打ちの一つでもしてやろうと思ったのだが……表情に生気がなく、頬は殴られたように腫れ、何より弓が折れているソウカを見れば、ただ事とは思えず、手を振り上げることはできなかったのだ。

「何をしていたの……抜け出した理由を言いなさい!」

「…………」

 ソウカは目を合わせもしない…。

「…代われ、オレがやる」

 脇にいたミストリアが出てくる。

「オレたちは軍じゃないとはいえ、勝手な脱退が許されるわけ無いのはわかるだろ。こういう時にやることは決まっている―――鉄拳制裁だ」

「下がりなさいミスト。あなたでは意味合いが変わってきますわ」

「何も変わらないだろ!? 罰は受けなきゃならない! なあななで終わらせていいわけない!」

「それは当然ですわ。でもあなたではやりすぎてしまうでしょう! 自分でスイッチが入っているの、わからないんですの!?」

「あ!? なんのだよ!?」

 二人が言い合いを始めハイラ止めに入ろうとした、その時―――

 バシイイッ―――!!

 廊下に谺しそうな破裂音が響き、ソウカは壁に叩きつけられた。そこにはマユラが立っていて、何が起こったのかは振り切られた右手を見ればわかる……。

「…私がやるから、みんなは持ち場に戻って…」

「「………」」

 ぞっとする迫力だった。今まで味方に向けたことのあるプレッシャーではない。どちらかといえば戦場で見た………とすると、今のビンタの威力も推して知る。現に、ソウカは床に崩れたまま起き上がらない。

「…後で行かせるとミオには言っておいて」

「わ、わかりましたわ…」

「解散、解散~…」

 喧嘩していた二人も青ざめて立ち去り、その場には誰もいなくなる。

 マユラは屈み、ソウカの服を掴んで身体を起こした。

「…そのケガと弓……誰にやられたの…?」

「…………」

「………アケミ隊長…?」

「っ…!」

 虚ろだったソウカの目が見開かれる。その反応でマユラは察した。

「何があったか、今は聞かないでおこうと思う……ソウカはすごいから、とんでもないことをしたのかもしれない……それは今の私たちにとって、大きな負担になるから…。でもよかった。もしソウカが意気揚々と帰ってきたら、本気で尋問しなければならないと考えてたから……ミオにそんなことさせられない。だから、やらかさなくてよかった…」

 頭を撫でられてソウカは身震いした。怒っている……マユラは怒っている。アケミの刺さるような殺気とは別種の圧迫感がソウカの本能を刺激する。これはヒトという名の獣……戦士という名の獣だ。これまで軍人や兵士をどこかで馬鹿にしていたソウカは、また思い知らされたのだ―――。

 その特別な空間に気づかず、慌てたロナが駆け寄ってきた。

「マユラ、大変なことが―――…ソウカ、戻ってきたの!? どうかした…?」

 マユラはソウカを隠すように立ち上がる。

「大丈夫……大変なこと…?」

「あ、そうなんだけど…」

 チラリとソウカに目をやるロナ。

「…ロナ?」

「まあいいわ……モルゾート=ビンクが暗殺されたそうよ」

 ソウカの影が揺れたことはマユラしか気づいていない。

「…犯人は?」

「まだ見つかっていないわ。たまたま訪問した貴族のドレトナ侯によればジャファルスの犯行という見方らしいわ」

「……凶器は?」

「凶器? えっと……手槍?だったと思うけど」

 マユラは振り返る。ソウカが下を向いたまま歯ぎしりしていた。

「わかった……私たちにできることはないけど、バレーナ様は早く戻ろうとされるかもしれないから、出立できる準備だけしておこう…。ソウカ、立てる…?」

 ソウカはマユラが伸ばした手を取らず立ち上がる……そのまま奥へ消えていった。

「…大丈夫なの?」

 ロナがマユラの顔を見ながら不安げに尋ねる。

「多分……それだけレビィのショックが大きかったんだと思う。でも、これを乗り越えれば…」

 それはソウカだけに限った事ではない。誰もが勝者として帰還しなければならない。犠牲を乗り越える―――これから何度となく訪れるであろうこのハードルを飛び越えなければ、王として、王に仕える者として戦い続けることはできないのだから―――…。










 半月以上も空いてしまいました……ここはひとまとめにしたかったので時間はそれなりにかかったのですが、それにしても長すぎる……マサムネ先生みたいに手が早くなりてぇ!と思う次第であります。なんか最近時間がないのです……WHY?


 まったく偶然なのですが、サジアートさまはこの後(物語の時間的に、「女王の階」にて)、アケミに窓から槍を投げ入れられることになります(笑)。サジアートとダカンの掛け合いはなんか楽しいのです。

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