10.
小隊を率いてきたウェルバー、クリスチーナ、そしてゲスト扱いであるアケミはキーム砦の責任者であるナムド中隊長のいる隊長室に呼び出された。隣のヒゲ親父・ハヌマ兵長はさておき、ナムドは若いがすでに風格が違う。
「お疲れさまでした。武器の補給はままならないので助かりました。大したもてなしはできませんが、今日はゆっくり休んでください」
ナムドは物腰が柔らかく丁寧である。どうしようもないほどウェルバーとは差があった。
「あなたがシロモリの新しいご当主ですか。お目にかかれて光栄です」
「まだ小娘ですが、お世話になります。ところで……国境地帯を訪れるのは初めてですが、戦闘状態にあるのですか?」
隣のウェルバーがぎょっとする。
「…なぜそのようなことを?」
「補給の武器や資材の量が多い気がしたので。砦にも鍛冶師がいるでしょう。修繕するだけならあれほどの武器が必要とも思えません。それに兵士は気が立っているようですので」
最後のセリフを先程絡まれたことに対しての皮肉と受け止めたのか、ナムドは苦笑した。
「大した洞察力だ。概ね仰るとおりです。隠せるものでもありませんのでお話しますが、実は現在、この周辺地域で我が方への襲撃が多発していましてね。幸い大きな人的被害こそありませんが、正体不明の敵に物資が狙われている」
「正体不明…?」
「顔を隠してましてね。度重なる散発的な奇襲を受け、防戦一方の状況に兵士も苛立ってきている。その上、敵方がそれなりの人数、それなりの手練であることからいつしかジャファルス側の兵士ではないかという噂が広がり、こちらから打って出ようとする気勢が強まってしまっています。しかし証拠がない限りそのような軽率な行動を許すわけにはいきません」
「こちらから停戦協定を破ることになると」
「その通り。それ自体が狙いだということもあり得る。もちろんただの盗賊という可能性もありますが」
「………もし外来の者だった場合……機会を窺っている?」
何の、とは言わなかったが、機会とはすなわちヴァルメア王の死だ。つい先日拝謁したときも表情こそ柔らかかったが、声は細かった。決して容体が良くなっているわけではない。むしろこの先いつ、どうなるかわからない。それはもはや国中で噂になっていることである。そして王が亡くなり代替えになれば、一時的でも国力は弱まるものだ。まして次代の王はバレーナ―――少女だ。ジャファルスのような敵性国からすれば外せない侵攻のチャンスなのである。
「…あなたもそれに合わせてシロモリを受け継がれたのですか?」
「………!」
鋭い――。そこまで読まれるとは思わなかった。
「…とにかく、現状では我々は防備に徹するより他にないのです。もちろん捕縛できればそれに越したことはないのですが」
「―――なら、こういうのはどうでしょうか」
思い付いたのを提案すると、すぐにウェルバーが渋った。
「無理だ無理! 責任者は俺だぞ!? そんなの容認できるわけないだろ!?」
「こちらも同意見です。失礼ながら、認識が甘すぎるのでは?」
ナムドも当然のように難色を示した。しかし、それでいい――。
「要するに、実力を見せればいいわけですね」
ニヤリと、悪い笑みをこぼして見せた。
「なんだ、急に召集しやがって…」
屈強な兵士の中でも特に大柄な男・ジェイが不満を吐き捨てる。到着早々絡んできた奴だ。
砦の中庭に集められた三十人弱の兵は非番の面々である。とはいえ、最近の謎の集団による奇襲を警戒して休むこともままならず、相当に殺気立っている。その猛獣の群れを前に、アケミは涼しい顔で立っていた。
「いや……本当はそんな気なんてなかったんだが、一つ稽古をつけてやろうと思ってな」
「「はあぁ!?」」
一斉に動揺し―――直後、怒る者もいれば嘲笑う者もいる。いくらシロモリの名を受け継いでいても、まだ少女だ。平時ならともかく、今は相手をしてやれる気分じゃない……言い分としてはそんなところだろう。
なら―――
「貴様ら、賊にしてやられているそうだな。情けない。最前線で戦う兵士がどれほどかと思って見に来たけど、期待外れだったよ」
途端、ざわざわと周囲の雰囲気が変わる。重く、厚く、鋭い敵意がこちらに集中する。
「おいおい…いくらシロモリ様っても聞き捨てならねェな。ガキが生意気な口利けるほど戦場は甘くねぇぞ」
「それは結果を出したヤツの言うセリフだろ?」
「上等だコラァッ―――!!!」
激怒する兵士たちを前に、なお愉悦を浮かべる。脇から武器を担いできたミリムたち新兵がおどおどしてるのがまた面白いが、それはこの場では胸の内に納めておく。
「ほら、好きなのをとれ」
兵たちの前に山積みにされたのは大小様々な練習用の武器だ。長刀・短刀、槍……重さと形を調整して斧のようなものもある。通常の剣の他にもう一つ武器を扱えなければならないエレステル軍では入門用に使うものだ。
「なんだ? 木剣じゃねぇか…」
「刀は見せてくんねぇのかよ。こっちは真剣でもいいんだぜ? それともビビってんのか?」
「シロモリが『お座敷剣法』って言われてんのは本当らしいな」
各々武器を手に取った兵たちは侮蔑をこめて嘲笑するが、それを鼻で笑い返す。
「本当かどうかはすぐにわかる」
一般的な長さの木剣を一本取り、器用に回して見せる。
「一人ずつ掛かって来い。何度でも挑戦していいぞ。百人分倒したらあたしの勝ちな」
無謀とも思えるルールは第五大隊の兵たちの中で怒りを通りこし、怨嗟に近い感情に変わった。さすがに子供の戯言ではもう済まない―――。
「へっへ…百人どころか、十秒でも持ったら褒めてやるよ」
一人目が出てくる。体格、構え、剣気……どれも訓練所の後輩たちとは比べ物にならない。
「…………」
挑発的な表情を止めた。それだけで場の空気ががらりと変わって静かになる。
「え……?」
脇で見ていたミリムが顔を歪めた。いや、その場に立ち会っていた人間の顔色が変わったのがはっきりと見えた。
(よし…)
殺気は存分に発揮されている。この前親父殿にされた状況と同じになっている。
「どうした? 始めていいぞ」
「う…おおお!」
打ちかかってくる男は自身も気付いていないだろうが、顔が引きつっている。
だが一、二、三…と木剣を合わせると、なるほど、力強い。
だが―――
「ふッ―――!!」
上段から、一瞬だけ――――本気で振りおろした!
「かっ…あ、あ…!?」
男は目を見開いたままフラフラと後ずさりし、そのまま尻もちをついてしまった。周囲もしん…と静まり返る。
今の一撃は当たっていなかった―――身体の寸前でわざと当てなかった。空振りだ。だが、もし真剣だったら? 頭から真っ二つになっていただろう。誰の目にも疑いの余地はない。そこに明確な殺意と、正確な剣の軌道があったから―――
つまり今、男は殺されたのだ。
いい調子だ……
「次」
愉悦が唇の端からこぼれるのが自分でもわかる…。
五十人目が敗れたところで兵たちは白旗を揚げた。「これ以上続けて百勝させなかったところで自慢にはならない」と言い訳もしたが、アケミの実力を認めざるを得なかったのだろう。アケミもさすがに息が上がってきているが、意気はむしろ上がっており、剣がより鋭く、速くなってきているのがわかる。
太刀筋は正確に急所を狙い、あえてスレスレで外し、振り抜いている。寸止めする気などさらさらなく、身を掠める度に兵たちはぞっとし、戦意を喪失していったのだ。
その様子を上階から見下ろしていたナムドはふむ、と唸った。
「いかがでしょう?」
隣で観戦していたクリスチーナがナムドに微笑みかける。
「予想外の強さだ、シロモリというのは…。まだ少女なのに、あれほど完成された力を持つのか。すでに達人の風格すらある」
「まだ開花したばかりです。今後経験を積めば、もっと強く、しなやかな戦士に鍛えられていくことでしょう」
「……あなたはお目付け役かと思っていたましたが?」
「彼女はこの国を支える柱の一つとなり得る存在です。まして、王の代替わりが噂されている昨今……前途有望な若者の台頭は一つの希望となるはずです」
「なるほど。わかりました…彼女の案を採用しましょう。成否に関わらず、その経験が彼女の糧となるのなら」
その返答に、クリスチーナはもう一度微笑んだ。