シナリオ
それは些細な感覚だった。何かがおかしい、と感じるのはどうしてだろうか。道を歩いている時、友達と話している時。親と買い物している時。ご飯を食べたり風呂に入ったり寝床に入ったりする、その時。
どの時で感じるのかを探そうとしても、そもそも何がおかしいのか分からないんだから探しようがない。
「まずは何がおかしいか他に感じてる人を探そうと思うんだ、田中」
「俺は鈴木だけど」
相談相手の田中……いや、鈴木は怒っている。なんで怒ってるのか分からない。俺、名前呼んだだけなのに。
「全くよ。お前の思い過ごしってオチなんじゃねの?」
「そうかなー」
俺たちは二人、街中に向かって歩いていた。悩める若人は街中に出ろって昔の偉い人が言ったような気がしたからだ。鈴木は不機嫌さは残しているけれど、結局は付き合ってくれる、頼もしい男だ。俺もこんな男を目指したい、と思える。俺らの家がある区域から街中までは歩いても十五分ほどで、アクセスが良いと思う。
「ひとまず『スターパックス』の毎日のコーヒーでも飲みながら話そうや」
「『スターパクリックス』だろ? あと、なんで通り過ぎてるんだ?」
いつの間にか鈴木は歩みを止めていた。そして、目的地のコーヒー屋が後ろにあった。もう十分経ったのかな? 腕時計を見たら、歩き始めてから五分だった。あー、十っていうのが抜けていたのね、勘違いだ。それにしても『スターパクリックス』っていつも思うけど変に凄い名前だな。
「悪い悪い。鈴木はなに飲む? 俺がおごるよ」
「俺は鱸だよ」
鱸は何故か怒りながら中に入っていった。
やはり何かがおかしかった。自分では普通に会話を進めていたり、歩いていたり、運動しているというのに、必ず一瞬だけ変なことが起きる。でも、何が変なのか思い出せない。今までのことを振り返ってみる。
まず鱸と一緒に街中の『スターパクリックス』まで歩いた。五分くらい。で、今は毎週のコーヒーを飲んでいる。
「なあ」
「なんだ?」
鱸は怒っているようだけど律儀に応えてくれる。俺みたいな男にはもったいない女の子だ。俺っ娘とか俺も微妙な女を好きになったもんだ。
「これって、毎朝のコーヒーじゃなかったっけ」
「いつもこれだろ?」
そう俺に言ってきた鱸の顔には何も部品がついていなかった。
「うわ!?」
「人の顔を見て驚くとか失礼ね」
鱸は立ち上がって俺を見下ろしてくる。どこに目があるのか分からないが。周りを見ると誰もがのっぺらぼう。ようやく何かがおかしいと気づけた。でも次は「なんでこうなってるんだ?」となる。ひとまず逃げたほうが良いんだろうか?
「どうしたの? みk彦。顔色悪いよ」
め、みk彦ってお前。なにそのネーミングセンスって俺の名前か……俺、そんな中途半端にローマ字入った名前だったのか……生んでくれた親を恨む。あれ、俺の親の名前なんだっけ? 俺の家ってどこだっけ?
* * *
「お前さー、いくらなんでも誤字が多すぎだと思うんだけど」
「推敲ちゃんとしたんだけどな」
「お前のちゃんとはどこまでちゃんとしてないんだ……」
俺の小説を読んでくれ、と言われてわざわざ家にやってきたのに、読まされる身に全くなっていない小説だった。
書いている途中で明らかに設定変わってるし。
男が女になってて彼女とかお前! とか。
しまいには名前誤字ってるし。
プロットとか推敲って大事なんだなと思った。小説に詳しくはないけれどきっとそういうことなんだろう。いろいろ言いたいことはあるけど、一気に言うとこいつもパンクするだろうから、まずは簡単そうなところから言うか。
「なー、田中。とりあえずまずは文章ソフトの校正チェックをかけたほうがいいんじゃないか?」
「なるほど。校正ソフトだな」
「あと、これ原稿用紙千枚くらいあるけど、ぱっと俺を呼んで読んでもらうには数多すぎだろ。やっぱり三百枚とかじゃないか? それでも十分多いけど」
「ふんふん。分量調整だな」
田中は俺の言葉を繰り返しつつメモを取っていく。その表情は真剣そのもの。技量はまだしも、小説家になりたいっていうのは本気なんだろうな。きっとその気持ちが大切なものになるさ。
「あとはストーリーか……これって結局どういう話なんだ? なんか名前とか性別とか変わってるんだけど」
「それはだなと……その前に」
田中はメモしていた中で俯いていた顔を上げ、呟いた。
「俺は加藤だ。どういう間違え方だよ」
え?
こいつ、何を言ってるんだ?
「このストーリーは、実は俺らの世界は小説の世界で、執筆者が間違えたり設定変えたりしたら名前とか設定も変わるんだ。その中で一人の男がその違和感に気づく。でも、どうしようもないって絶望感に苛まれるんだ」
「名前……」
「そうそう。お前も、俺の名前間違えるとか実は俺の設定が勝手に変えられてるのかもな。誰かに。なんつって」
加藤はそう言ってメモを見ながらパソコンで小説の推敲を始めたらしい。
俺はどうして良いか分からずにその場に座った。
名前間違えたのはどうしてか、なんて。
単純に間違えただけだろ。
単なる笑い話だ。
笑い話なだけ、だろ? そうだろ?
そうなんだろうか?
加藤の肩がキーボードを叩いて動くのを、ただ見ていた。
物忘れって困りますよね




