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滅びの旗を掲げてゆけ  作者: あわき尊継


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9

 海水と真水の交わる所。川が終わり、海の始まるその場所に、薄い緑に包まれた町がある。

 背後には広大な砂漠。水源となる川の上流には村が点々としており、大小様々な船が行き交っていた。当初は潮気と砂の混じった風には喉を痛めたが、今では外出時に口布を欠かさない。

 祖国アストリアより遠く離れた西方の地にレミアは居た。

 目が回るような状況の変化には戸惑ってばかりだったが、ここへ来て一月、ようやく落ち着いてきた所だ。

「おう、居るな。入るぞ」

 返事も待たずに部屋へ押し入ってきたのは、かつて自分を暗殺しようと斬り掛かってきた男、ジン=ロークハインドだ。彼は適当極まりない服装で椅子に腰掛けると、人を呼んで茶を用意させた。

「ロークハインド卿――」

「ジンでいいと言ってるだろ。第一、ここにそんな呼び方はない」

「だが、客分として礼を忘れる訳にはいかない」

 この港町の主こそ、アストリアの内乱で散々と暗躍していたジンなのだ。彼が言うには血統などもなく、戦乱に乗じて手に入れただけの領地だと言うが、周辺地域からの承認もあり、何よりアストリアのどこよりも豊かな町の主を前に、敬意の一つも払わねば無礼が過ぎる。

「お固いこって。俺はもっと嫌われると思ってたんだがな」

 言われ、少しだけ言い淀む。

 彼から聞かされた事の顛末には正直、今でも困惑しているし、彼らの行動に異論もある。

「二人が最初から繋がっていたことには、もう唖然とするしかない」


   ※  ※  ※


 あれからレミアが眼を覚ましたのは、既に奉権の儀が終わり、四王会議が始まろうとしていた頃だった。春の女神フィオールの力ですっかり傷の癒えていたレミアは、状況を把握するや即座に謁見を求めた。

 謁見は周囲に伏せられたもので、厳重な警備を見たレミアは最悪の事態も覚悟しなければならなかった。

「護国卿政権をアストリア王の名の下に承認する」

 そんなレミアの不安を跳ね飛ばす一言を、玉座に座るフィオメルは言い放った。

「どうした。俺に押し付けて一人だけ畑仕事でも始めるつもりだったか? そうはいくか。お前も少しは苦労してもらう」

 あまりに呆然としていたからか、どこまで冗談かも分からない言葉を付け加える。いや違う。確かに言われた内容にも驚いたが、それ以上にレミアは彼の隣に立つ人物を見て絶句していた。

「一体……いつから繋がっていたんですか」

「最初からだ。ジンは俺と同じ、いや、俺以上に西方での海洋同盟設立に貢献した人間だ。複雑な事情があって名前は伏せられているから、異国の人間が調べた所で分からないのは当然だがな」

「ま、味方って訳でもねえ。殺せる機会があればお互いに殺そうとはする位の関係だ」

 フィオメルがインバス領の擁立していた王であったことを知り、様々なことの原因を考えてはいた。だが今、二人の関係が繋がるとすれば、より恐ろしい可能性が見えてくる。

 言うべきか、というレミアの葛藤は二人に読まれたのだろう。いたずらの犯人を告げるような気楽さでジンが言う。

「成功法でアンタに取り入るには時間が掛かるからな。最初に会った時、手を回してローゼリア王の推薦状をコイツに渡した。命を救われたと思わせればそれだけ入り込みやすいしな。

 あぁ、偽書もそうだ。時期はズレるが、議事堂の補修工事とか言って武力制圧の用意をしてやがったから、そいつを利用して潜り込んだ。護国卿の承認印はまあ、俺じゃないけどな」

 あの混乱の中、フィオメルが珍しく言い淀んでいたのを思い出した。まるでこちらに、偽書の可能性を言わせるように。

「なら長老派の擁立していた王を殺したのは、やはり」

「長老派には北のイザリオを引っ張り出してもらう必要があった。誰が王になるとしても、今年最後の奉権の儀で勝利することは絶対条件だ。長老派が優性を維持すればその可能性が消える」

「だから、最初から奉権の儀で勝利することだけを目的にしていたと……?」

 誰が王になるかなど、彼にとっては二の次だった。彼の言う通り、奉権の儀で敗北していれば民の心は沈み、仮に荒廃を押し留められたとしても活気を取り戻すことは難しかっただろう。だから確実な勝利を治められるよう国内を動かし、それを以って他国さえも誘導してみせた。ローゼリア王の協力があったというのも大きいだろう。ただ、あの内乱の最中、そんな視点を一体どれだけの人間が持っていただろうか。

 アストリアは十数年もの間、奉権の儀で負け続けている。仮に内乱で頭角を現してきた精鋭を用いるとしても、どれだけの勝率になっただろう。

 確実な勝利の布陣を作るため、二人は動いていた。呆気無く終わったイザリオとの奉権の儀を、もうレミアは笑う気になれなかった。掛け値なしに、あれはフィオメルとジンが呼び込んだ勝利だ。

 彼らを責めるべきなのか、称賛すべきなのか、レミアは戸惑った。二人が成した功績は間違いなくアストリアを救った。一つの流れが終わり、新たな流れへ乗っていけるだろう。ただ、その手法は怖ろしく人間性を欠いたものだ。

「先日」

 意識を向けろと、フィオメルは一度言葉を切り、レミアの反応を待った。じれったいほどの時間が必要だっただろう。顔を向けると、彼のあの、真紅の瞳が目に入った。

「議会の閉鎖を宣言した」

「……は?」

「主な理由は人員不足だ。先の内乱の折、戦火に巻き込まれて大勢の議員が死んだ。また、残る派閥にも多くの不穏分子が居た為、ほとんどの者を国外追放とした」

「待てっ、それは!」

 絶対王政への逆行だ。過去様々な流れを受けて、アストリアは議会を政治の中心に据えた上で王を頂く立憲君主制を採用してきた。護国卿時代となってもそれは変わらず、民衆の声を聞くものとして存在していた。

 それを閉鎖するなど。

「三年だ。三年間限定で議会を閉鎖。その間に法や制度を整備し直し、三年後、俺は政権を護国卿へ返上する」

「なにを……言って。それでは王は」

「君臨すれども統治せず。イザリオの王もそんな所だが、アレは権威を失っているのが問題だな。前に話しただろう。統治機構というのは常に変遷していく。今までは王という強固な城で守られた統治が主流だったが、やがては責任を分散させ、誰も本当の意味では責任を負わない形に変化していくだろう。その時にこそ、王という存在は価値を持つ。実権は持たずとも、かつて誰もが奉じた存在を軽んじることは、自らの品性を貶めることに等しい。維持するのに費用は掛かるが、外交においても得難いカードの一つになるだろう。また、王が統治しないのであれば、政策の失敗で責めを受けることもなく、革命などで命を落とす可能性は減る。いざ国政が暴走した時、それを止められる最後の手段としても意味を持つだろう。まあ、万能だとは流石に思わないがな」

「責めを受けるつもりなのか。王の強権を振りかざし、人々に畏怖を植えつけてっ」

「明確な期間さえ決めていれば、人は大抵の理不尽にも耐える。耐えるほどに護国卿への期待は膨らむが、実力を示さなければあっという間に評価は反転する。覚悟を決めなければならないのはお前だ、レミア」

 言葉もなく、口を噤んだ。

 気付けば話を始めた当初にあった憤りや不安は消え失せ、胸の内の空洞を心地良い風が吹き抜けていくようだった。何もかもを認めることは出来ない。ただ、どんなときにも彼が居るのだと思うと、自分でも驚くほど安心した。そして、彼の期待に恥じない自分でありたいと、そう思った。

「私は、これからどうすればいい」

 三年と彼は言った。その間、地方領主に甘んじているのを彼が良しとするとは思わない。秘密裏に謁見を行っていることからも、何か考えがあるのだろう。

 アストリアの新たな王は、満足気に笑った。


   ※  ※  ※


 「アイツは人間を嫌ってる」

 砂漠の町で、その主たるジンはどうでもよさそうに言った。

 ずぶり、と胸に剣を差し込まれるような言葉だ。彼の笑顔を知るレミアにとっては。

「アイツはきっとな、この世で最も正しい人間だ。だから、だれよりも人間を受け入れられない。嫌いで嫌いで仕方ない人間を、それでも正しい人間だから見捨てない。まあアイツは、正しさは相対的だ、なんて言ってるけどな」

「常に相対的な正義であり続ける。そんなことが出来るのか」

「詭弁だと俺は思うけどな。状況によって正義が変わるなんてのは。なら極悪人が支配者になったとき、正義と悪が反転するのか? 違うだろ。絶対正義は存在する。全ての人間が知りながら声に出すのを躊躇っているだけなんだ。多数派? 違う。勝者? バカか。ならいっそ弱者か? 論外だ。正義ってのはそんなもんじゃない。容易く価値の変わるものなんかゴミと変わらん。

 正義ってのはな、黄金だ。善人も悪人も、黄金を前にすれば等しく眼を輝かせる。おい、言っとくが金銭って意味じゃないからな。綺麗なモノ、って意味だ。この世にある普遍の正義ってのは、万人が綺麗と称するものなんだよ」

 万人が綺麗と称するもの。思想、価値観、そんなものが存在するだろうか。

 レミアの表情から考えを読み取ったのか、ジンは言葉を重ねた。

「あるだろ。善人だろうが悪人だろうが斜に構えたひねくれ者だろうが、雁首揃えてニヒルに笑いながら言ってやがるぜ? 『綺麗事』ってな。ほら、綺麗だってこたぁ否定してないだろ。俺はそれが好きなんだよ。この世で普遍の正義、綺麗なモノ。まあ、それだけにソイツを盾に汚えことする連中が嫌いなんだがな」

 こういった話を彼とするのは何度目になるだろうか。独特の傲慢さと価値観で語る彼の言葉には容赦がない。性根が悪人なんだ、というのは彼の言だ。悪人でありながら、綺麗なものに憧れる。

 それを聞いた時に思ったのは、自分もそう変わらないんじゃないか、ということだった。

「だが、綺麗なものというのも、時代や文化によって変わるんじゃないか?」

「そうだっけか?」

 どうでもよさそうに言って、ジンは立ち上がった。悪びれる顔も無く、何故か満足気に笑う。

「それじゃ、今日も貿易相手の交渉だ。前回みたいに天然ぼけかますんじゃねえぞ」


   ※  ※  ※


 フィオメルがレミアに命じたのは、アストリアの名代として、海洋同盟とそれに敵対する勢力とを繋ぐ中継貿易の拠点を造ることだった。

 ジンが領主を務める砂漠の港町へ運び込まれる物資一覧を一度アストリア領事館の所属とし、微量の関税を掛けて本来の輸出相手へ流す。国家間、あるいは同盟間で敵対している勢力の間に入り、一度アストリアを中継することで「これは敵国からの輸入品じゃありませんよ」とする為に。いかに国家という枠で敵対していようと、商人らからすれば折角の客を失うことに他ならない。かといってこの地域は激しい戦争を経て複雑な関係が出来上がっている。あらゆる勢力との関係が白紙と言えるアストリアを中継するのは最も角が立たない方法と言えた。ただ商品を右から左へ流すだけで莫大な利益を生むこの事業は、確かに多くのやっかみを受ける。そこで、海洋同盟側に顔の聞くジンとそれ以外の周辺勢力に顔の聞くフィオメルが居る。

 調整には苦労があるし、これほどの利益を生むともなれば真似をする所も増えるだろう。安定して利益を出し続けられるのは三年くらいだとフィオメルは言っていた。それ以上は広がりすぎた設備維持費と利益が逆転しかねないとし、三年目には規模を縮小していく予定だ。

 ただ、これだけの資金があればアストリアを再興するのに十分だ。護国卿であるレミアを慕ってこの地へ入植する者も出てきており、ジンも快く受け入れてくれている。三年後に彼らがどうするかは分からないが、今までに無かった交流は新たな需要を生む。船の護衛は勿論、造船技術の開発、供与、文化交流に至るまで。

 西方の優れた技術を学び、故郷に帰っていく者も居た。

 彼らを見送る度、レミアはかつての日々を懐かしく思う。

 物流の盛んな町での暮らしはいいものだが、あの雪に包まれた町並みもまた、いいものだったと思う。手紙で状況は詳しく聞いていたが、それでも故郷を想う気持ちは日々強くなっていった。

 その郷愁を胸に、レミアは三年を過ごした。


   ※  ※  ※


 薄闇の船上で、レミアは夜明けを待つ。

 既に錨を上げ、風を受けつつ船は進んでいる。周囲には彼女と同じく気の早い者達が集まってきている。当然のようについてきたジンが大きく欠伸し、眠そうな顔で言う。

「そういやアイツ、まだ独身らしいぞ」

「いきなり何を言い出す」

 赤面しそうになったのをかろうじて抑え、レミアは睨んだ。

「跡継ぎが必要だからってすぐ嫁を貰うみたいなこと言ってた癖に。まあ、良かったじゃねえの、なあ?」

「私に言われても困る」

「子持ちの俺だから言えるけど、この三年でお前、随分と色っぽくなったと思うんだよ。いけるって。迫ってみろよ、裸で」

「向こうに到いたらまずティアに手紙を書こう。言われたことを一言一句違わず伝えるが構わないな?」

「おいマジでやめろって! ただでさえ勝手に飛び出してきて怒られるの確定なのにっ、あいつお前にすっかり懐いてやがるから全部本気にするだろ!?」

 別に捏造はしない。事実を伝えるだけだ。

「ったく、中身はお固いままってのがなぁ。ただまあ、その気があるなら貰ってやれよ。今を逃したらアイツ、一生独り身のまま放浪するぞ」

「王と統治者は独立しているべきだ。両者が距離を縮めるのは好ましくない」

「引退だ引退。適当なヤツに押し付けて引退しろお前」

「しつこいな。だいたいなんだ、ここ最近ずっと同じ話題の繰り返しじゃないか。そんなに私の嫁入りを面倒見たいのか!?」

「アイツ、絶対お前のこと好きだと思うんだよな」

「はあ!?」

 一体何を根拠に、などと言いかけて止める。不毛だ、この話題は。今となっては妙に美化し過ぎている気もする記憶を辿るが、そんな素振りは欠片もなかった。美化していてコレだ。そんな都合の良い展開はないだろう。

「まあお前が未だに惚れてるのはいいとして」

「……」

 一瞬だけ彼の娘、ティアの内通を疑ったが、流石に三年も近くに居れば気付かれるものだろうと思い直す。あのしっかり者で健気なティアが人の知られたくない話を言いふらすとは思わない。

「因みに嫁入り話はティアからの要望でな」

「裏切り者ぉぉおおおお!」

 遥か西方で留守番中の友人へ向けて叫んだ。

 せめてここで取り乱さなければ誤魔化せたのだろうが、すっかり赤面したレミアを見て、ジンは大笑いした。相変わらず容赦のない男だ。

「だが実際、これから護国卿政権に移るという時に王との……その、親密な関係を知られるのは良くないだろう。傀儡政権と言われても反論出来ないぞ」

「こっそりやればいいだろ。第一放っておいて、やることなくなったアイツが手っ取り早く後継者作り始めたらどうするんだ」

 想像したら物凄く落ち込んだ。

 彼も好んで王座には着いていない。一子設けたら早々にどこかへ消えてしまうという光景は想像に難くない。

「やるしか……ないのか」

「お、やる気になったのか」

「ち、違うぞ」

「おい」

「いやその」

 その時、水平線の向こうから朝日が顔を出した。遅れてうっすらと見え始めたのは、アストリアの大地だ。まだ輪郭も定かではないし、どこにどの町があるかも分からない。それでも、帰ってきたのだと思った。

「そういや、今はどの季節なんだ?」

「ん?」

「三年前は春で、次は夏だったろ? んで、去年は……」

「秋だったな。出発した時点では奉権の儀も終わっていなかったし、結果次第、いや……」

 言いかけた所で、気候が変わった。ゆるやかに降り注ぐ純白を見て、レミアは思わず微笑んだ。確かに他の季節もいい。だが、レミアにとってアストリアとはこの季節だ。新しく事を始めるのにこれほど心を初心に戻せるものはない。

「こんな所にまで届くのか」

「いや、さすがにコレは意図的なものだろう」

 彼女が迎えてくれている。

 さっさと来い、と懐かしい声を聞いた気がした。

「どうなっているかな」

 様々な不安と期待がある。

 かつて、彼女自身の未熟さから荒廃を招いた故郷。

 こうして離れてみて、様々な異文化に触れたことでようやく自分の居た国を捉えられたと思う。今もそう。かつて当たり前に踏みしめていた大地を、今初めてレミアは見ている。

「帰ってきたぞ、私は」

 黄金の輝きが行く先に溢れていた。





読了、ありがとうございました。

まだ色々と考えていた話もありますし、正直設定の三割も使ってないので広げること自体は可能ですが、こういう終わりもいいかなと。

状況はとっちらかったままですが、判断出来るだけの材料は投下済みなのと、全部拾っていくと冗長的になってしまう上、この物語で書きたかった部分はもう書ききったので。過程はどうあれ、結果がどうなるかは最後の一文で示しています。


早速新シリーズを始めていく予定ですので、よろしければそちらも読んでみて下さい。

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