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王都にイザリオの軍勢が現れたのと時を同じくして、ボルドネス=ヒューイック率いるアストリアの天軍にも援軍が駆け付けていた。
常冬の季節と常夏の季節。二つの力を味方に付けた天軍に対し、レミア=シュタットレイ率いる地軍は今度こそ壊滅的な打撃を受けていた。
真冬の土地に夏が訪れたからと言って、そこに降り積もった雪が消える筈もない。夏の顕現によって活性化した大地は雪を溶かし、やがて地面との摩擦を失ったことで、山頂から麓へと一斉に雪崩れ落ちる。そんな中でも全滅を免れたのは、護国卿を始め、集っていた権力者達が精一杯の力で人々を守ったからだ。背後の町を守るため、断固としてその場に留まったレミアの行動を英雄とするか愚か者とするかは、正にこの一戦に懸かっている。
「ここで退けば全滅するぞ! 部隊を再編し、敵本陣へ一気に斬り込む!」
懸命な彼女の叫びに人々は応えようとするが、目の前のあまりにも大きな壁に心が折れかけているようだった。
「護国卿。こうなった以上、我々が目指すべきは」
「……分かっている、ハイアット卿。ボルドネスの行動から、もうこの先に儀式場があることは確実だ。敵防衛線を抜け、私が儀式場に向かう。そこで――」
王に、
「躊躇っている訳にもいかない。他国にアストリアを売り渡したボルドネスは、最早いかな理由があろうと国賊だ。彼に王位を渡すわけにはいかないっ!」
剣を掲げ、雪崩が起きるのも構わず叫んだ。
「聞けー! 今こそっ! 私はこの国の王となる! 国賊ボルドネスを討ち果たしっ、必ずやこのアストリアに安寧を築いて見せる!」
逃げるな!
「天の声を聞け。地の声を聞け。この地にあまねく全ての者がっ、真に求めている人物の名を、諸君は既に知っていよう!」
定めろ!
「レミア!」「レミア=シュタットレイ!」「王よ!」「我らが王よ!」「レミア=シュタットレイ万歳!」「アストリア王万歳!」
前へ!
「いざ進め! 諸君と共にあるのは、王の軍勢ぞ!」
踏み出した――!
※ ※ ※
突如として襲いかかった雪崩を何とか凌ぎ、ジンは背負った女神に声を掛ける。
「想像以上にやばいぞココ。お前、どっかで休んでた方がいいんじゃないか」
ジンとしては珍しい、純粋な気遣いからくる発言だったが、居丈高な女神は相変わらずの口調で言ってきた。
「私はこの国の女神よ。王が決まるその場に立ち会うのは当然じゃない。ほら、サルみたいに木を伝って行けばあっという間よ」
雪崩の後、遠くから響いてきた女の声と、それに続く地鳴りのような歓声を聞いて、彼女は一際やる気を出している。なんでも、ずっと心配だった妹みたいな子が、涙が出るほど成長していたんだそうだ。
「泣いてないわよ! 何度も言ったでしょ馬鹿!」
「へいへい。それで、気持ちは変わったのか? あんだけ盛り上がってるんだ。あの女を援護してもいいんだぜ、リリィ」
一度暗殺し掛けた相手だが、そんな過去はもうジンの頭にはない。
「相手の望みを叶えるばかりが愛情じゃないのよ。だからアンタが――」
※ ※ ※
あれだけ叩き潰したというのに、未だレミアの軍勢は立ち向かってくる。
山の高所に陣取り、多数の冬の力を操る候補生と、夏の力を操るイザリオの代表を左右に揃えて尚、彼女を屈服させるには足りなかった。
「もう……手段を選んでいられないっ!」
信用ならないと今まで動きを制限していたが、そう言っていられる余裕は無くなった。ここまで黙って付き従っていた男に出陣を命じると、ボルドネスは自らも四宝の一つを手に準備を始めた。
「王都はどうなっている……私の、王都はっ」
※ ※ ※
アストリアの王都、ルートゥハルト。
その地に駐留する天軍を率いる者こそ、北のイザリオで傀儡王として知られるミネラオス=イザリオである。
「はーっはっはっは! 見よ! 今こそ余の天下である!」
「馬鹿言っとらんで少しは働けこの無能王子めが」
イザリオの旗と同じく深緑を基調とし、多数のフリルで装飾されたドレスを纏う人形のような少女が、意外にも整った顔立ちのミネラオスを容赦なく踏みつける。この、どう見ても十歳未満にしか見えない少女、否、幼女こそ、四女神の一人である夏の女神アポリスその人である。
「まだどこぞから鼠が入り込まんとも限らんからの。警戒を厳とするんじゃ!」
「余の天軍に敵う軍などそうそうおらぬわ。おや、西方から何やら紅葉が」
※ ※ ※
アストリア最西端、ルノアーデ領国境線。
膠着する戦線を鼓舞するべく、お立ち台に上ったルノアーデ卿が、手製の扇子を手にいつものように叫び出す。
「俺達の持つ力はァぁぁぁぁぁぁああああああああ! 守る! 為の! ものだぁぁぁああああああ! だぁぁああからぁあらああああ! お前達は敵が放った矢を受けるその瞬間まで絶っっっっっっっっ対に! 攻撃してはいかぁぁぁあああああああん! 専・守・防・衛! 命を懸けて思想を守りぬけぇぇぇぇぇええええええ! 我ら自衛の為――だ! け! に! 矛を握る者達! なればこそ……死を賭して開戦の狼煙を上げるのだぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああ!」
応と答えた軍勢の頭上を抜けて、パルドランから放たれた一矢がルノアーデ卿の持つ扇子の中心を正確に射抜いた。
「見ぃぃぃぃぃいいいいい事成いいいいいいいいいいい!」
扇子を放り投げ、受けた矢を手に彼は剛弓を握る。
「いざ! 開戦じゃああああああああああ!」
※ ※ ※
ルノアーデ領を脱し、独自に行動を始めたローゼリア軍は、紅葉を纏ってアストリアの王都ルートゥハルトへ進軍していた。その先頭に、二つの人影がある。
「秋の女神は、前線には立ちませんか」
一人は黒髪を後ろへ撫で付けた、視線だけで人を殺せそうな目つきの男。彼が文官の装いというのが嘘に思えるほど、纏う雰囲気は鋭い。
「派手な役回りは小僧に任せると仰せだ」
対するは、齢八十を超えるだろう老骨でありながら、今尚強靭な肉体を纏う古強者。戦場では物見台としての役割も持つ巨大な馬車の上、突き立てられた巨大な戦斧が彼の恐ろしさを際立たせている。
厳しい目つきで王都を眺める老人が言った。
「それにしても、此度の顛末、キサマの差し金にしてはいささか荒っぽいな、インバス卿」
「なかなかに生きのいい若者が我が国には大勢居たようなのでな、内外に知らしめるのも悪く無いと考えたまでですよ、キサラ=ローゼリア王」
※ ※ ※
ハイアット領の北方、山脈を挟んた麓に駆け付けた奇妙な一団がある。
皆、肌に泥を塗りたくって複雑な模様を描いており、頭にはどうみても兜としての役割を果たさないだろう派手な飾りを被っていた。手にする武器も鉄が用いられているのは矛先ぐらいなもので、ほとんどは木を削って作ったものだと分かる。
「あーったく、出遅れたどころじゃないよっ」
そんな一団を率いるのは、黒豹を思わせるしなやかな肢体を褐色に染めた女族長。真っ黒な長い髪を束ね、それをまるで獣が姿勢を制御する尻尾のように振り乱しながら雪山を掛け登っていく。
「またとない祭りだ。出遅れたら一生モノの赤っ恥だよっ! 野郎共! 死に物狂いでアタシについてきな!」
「れ、レイオス王! 私もっ、いっ、行きます!」
その背を必死になって追いかけていた少女が叫ぶ。他の者とは打って変わって小奇麗な格好をした金髪の女神に、レイオス王は手を差し伸べた。
「コハル! いい子だ。ならアンタは私が連れてってあげるよ。見たいんだろ? ずっと気になってた冬の女神の元気な顔をさっ!」
「は、はいっ」
その名の通り、小春日和のような笑顔を浮かべる春の女神に、周囲の男たちは雄叫びを上げた。更に一人だけ、場にそぐわない偉丈夫も一緒になって騒いでおり、レイオス王は槍の石突きで殴った。
「いてえなオイ!? それが客人への態度かよパラドゥック!?」
「その名は呼ぶなといつも言ってるだろうっ。第一、アンタはこの国の領主だろ、グラード! 馬鹿共と一緒に馬鹿やってんじゃないよ!」
矛先を前へ。
「野郎共! 間抜け面晒してアストリアの連中に笑われんじゃないよ!」
目指すは山頂。
数多の王位継承者を皆殺しにして玉座に付いた彼女の鼻は、そこにもう、戦いの匂いが及ぼうとしているのを嗅ぎ取っていた。
※ ※ ※
ここに至るまで、長い年月が掛けられた。
かつて王を殺した人々の国に、三人の王と、四人の女神が集った。
渦中となったのは、新たな王の気配を漂わせた二つの勢力。長老派とインバス領。
両者に挟まれ、もがき苦しんでいた少女は今、己が意志で剣を取り、その座を目指す。対するは恐怖に呑まれ、思想を忘れた哀れな指導者。
かつてこの国は、信じていた友から裏切られ、我が身を食い尽くされた。
アストリアが抱える傷は、想像以上に根深いものだ。
立ち向かった多くの者も時の流れに埋もれていった。
一つの正義に囚われていては、己が傷付くことを怖れていては、誰かを傷付けることを怖れていては、決して成し遂げられないものもある。
過去を呑み干すほどの大きな波が必要だった。
だから――
※ ※ ※
怒涛の勢いで天軍を蹴散らすレミアの部隊は、既に山頂付近にまで至っていた。
不死の軍勢を思わせる彼女らの不屈さに、怯えを隠せなくなったアストリアの天軍では、もう彼女たちを止める力はない。援軍とはいえ外様のイザリオ軍は、アストリア以上の行動は避けていた。当然だろう。レミアは王を名乗っている。その血統もあり、正当性も確かだ。ボルドネスも似た立場ではあったが、今勢いはレミア側にある。後の外交も考えれば、ここで迂闊なことは出来ない筈だった。
戦いの最中にありながらも、レミアは敵部隊の配置から儀式場の場所を予測していく。余裕の無くなった敵は動きが単調になるらしい。彼らが儀式場を知らずとも、指揮する者は別だ。そもそも、もう秘密にしておく余裕さえないのかもしれない。
山道を突破し、開けた場所に出る。
雪崩によって雪が滑り落ちたそこは、凍り付いた大地を日の下に晒している。イザリオ軍が近いおかげか、仄かに草木の息吹が香った。
暖かな夏の香りが肺を満たす。
その時レミアの身の内を駆け巡ったのは、感動などと言う生易しいものではなかった。
この国が冬に閉ざされて二十年。神殿の保護を受けながらも国外に出ることのなかったレミアは、冬以外の季節を知らない。来る日も来る日も雪景色。人を凍えさせる寒さと、行く手を阻む雪の山。それも女神の祝福であるというのは分かる。だが、冬は多くの命を眠りにつかせる。静かな朝、冷たい夜、それ以外をどれほど渇望したか。
肌を撫でる暖かな空気に、心が燃え上がるのを感じる。
今ここにあるのは仮初のもの。
だが、来たる奉権の儀を勝利し、女神の選択権を獲得したならば、
「待っていろ。必ずや手に入れてみせる」
キン――と、鉄の音が木霊した。
「それは、この場を乗り越えられたらの話だ」
切っ先は風を裂き、掲げた掌に青い輝きが生まれる。
その人物を前に、レミアは思った以上に冷静だった。背後に付き従っていたハイアット卿に命じ、先に儀式場へ向かわせる。僅かな供回りだけを残し、彼らも後ろに下げさせた。
自然と笑みが生まれる。
「なんとなく、会うんじゃないかと思っていた」
「俺にとってこれは予想外だ」
「想定内だと言い張らないのか」
「嬉しい誤算だからな」
「そうか」
「ああ」
剣を振るう。
護国卿の持つ権能に呼応して、極寒の冷気が周囲を漂い始める。
「戦うんだな」
「そうだ」
「ならば――」
退治した。
「アストリア王、レミア=シュタットレイ。我が王道を征く!」
「フィオメル=ロウ=バルンハルト。推して参る!」
激突は大地を揺らし、時代は鬨の声を上げる。




