5
「ふざけないでよ……なんでこんなことになってるの!? 同じアストリア人同士で殺し合いなんて……なんでっ!」
ボルドネス=ヒューイック率いる天軍の過ぎ去った戦場は、まさしく天災に呑まれたかのような様相だった。恐ろしいのは、死体となっている者のほとんどが傷一つなく、全身を凍結されていること。最後に浮かべた恐怖の表情がそのままそこにある。
周囲を警戒しながら、泣き叫ぶセレアスへ近寄ったジンは容赦なくその口を塞ぐ。
「っ――! っっ!」
「落ち着け。まだ天軍とやらの巡回はあるんだ。見つかるぞ」
言っても聞かず、一層喚き散らそうとするセレアスに、今度は強めの平手を見舞う。一瞬の呆け顔の後、激昂したセレアスは足元の雪を蹴り、ドーム状の空間を作り上げる。
「かまくらか。器用だな」
「……うるさいわよ」
少しは落ち着いたのかと思ったが、次の瞬間、彼女は今までにないくらいの大声で叫んだ。
「ふざけんなぁぁぁあああああああああああああああああああああああああっっっっっっ!」
逃げ場のない声は予想以上に反響し、これにはジンも耳を抑えて蹲った。
やがてすっきりしたらしいセレアスは大きくため息をつき、ようやくいつもの高慢ちきな表情を取り戻す。
「ねえサル」
この数日ですっかり定着した呼び方にジンは苛立ちを覚えながらも応える。
「ぁあっ?」
荒くなるのは仕方ない。
「これは私のせい?」
「なんでそう思うんだよ」
「私がアンタ達の誘拐に乗ったから。だから新しい女神が擁立されて、その子が好き勝手に操られてるんだとしたら」
「お前、女神じゃなくなったのか」
「あれ?」
あれ? じゃない。今さっきその女神の力でかまくらを作り上げたことを忘れたのか。
「違う。うん。まだ私が冬の女神。じゃあコレは、候補生の子たちなのかな?」
「女神じゃなくてもこんなのが出来んのか?」
「不可能じゃないわね。大人数で死ぬ気になれば出来る。ま、候補生以外は国の権力者とかばっかりだし、そいつらが寄り集まってやるなんてのはあり得ないし」
となると長老派は、神殿勢力まで抱き込んでいると考えるべきだろう。
「どうするの? アンタ」
「どうするって、俺に言われてもなぁ」
「アンタ……だって、アレなんでしょ?」
「どれだよ」
「あーもう面倒くさい。で、あのじいさんはどこいったの。この前会ってた人と何か関係あるんでしょ?」
「あぁ、キサラなら用事が出来たって国に帰った」
はあ!? と再び喚き始めるセレアスを放って、ジンはかまくらを出た。後ろを見れば、燃える雪の輪をおっかなびっくり潜って彼女も付いてくる。追いついてからしばらくは何を問い詰めようかと思案していたようだったが、じきに面倒になったのか、今朝起きた場所まで戻ってくると、雪の上に腰掛けたジンの背中に腰掛け言った。
「ほら、出しなさい」
「いっそ気持ちいいくらいにクズだよな、お前」
「アンタに言われたくないわね。あんな死体の山見て眉一つ動かさない人間が居たなんて、私の中じゃ驚天動地よ」
「俺としては、ああまたかってすっげえ落胆してたんだがなぁ」
いいからゴハン! と喚くメガミサマに、ジンは保存食のビンを空け、リンゴの蜂蜜漬けと、牛乳を発酵させて上澄みをすくったヨーグルトを彼女の器に出してやる。
食事の時、彼女はこの上なく上機嫌になる。適当なものを出した時は日が暮れるまで罵倒され続けたが、自分で食べてみてもかなり味気なかったので、以降は食事に気を回すことにした。実際、ここまで美味しそうに食べられると、ならこれはどうだと新しいものを出したくなる。女神に食事は不要の筈だが、襲名前の習慣や仕草は中々抜け切らないらしい。
「おいしいっ! 本当に! ねえサル、アナタ私の専属料理人にならない? 神殿に居れば多少のわがままは聞いてくれるし、私が言って養ってあげてもいいわ! そうしなさいよ!」
「へー、じゃあ戻ることにしたんだな」
「…………うるさいわね」
不機嫌になるも、一口食べれば、
「~~~~~っ、おいしい!」
※ ※ ※
食事の後も、しばらくセレアスは上機嫌のままだった。
今朝見てしまった死体の山を忘れようと必死なのだろう。いつもながらの馬鹿らしい会話の応酬が途絶えることは無かった。異変が起きたのは、昼食を終えて片付けをしている時だった。
「……囲まれてるな」
不意にジンが口にするのと、何者かが姿を現すのは同時だった。
凍えるような風を纏った、武官の衣が似合わない馬面。
「ボルドネス=ヒューイック。長老派の長が何の様?」
「随分と探しましたよ、冬の女神セレアス様」
「誰だコイツ」
「ハゲ馬」
「なるほど」
ハハと笑う二人を他所に、ボルドネスは苛立った様子で地面を蹴り、暴風を巻き起こした。ここ数日、一行は町へ寄ることはあっても食料の補充ばかりであまり情報を集めていない。そういうのはあの老人、キサラがやっていたから、ジンもこの国の情勢は詳しくない。
「で、一つ質問なんだが、アレをお前の力で奪えたりすんの?」
「そんなこと出来たらあっという間に四カ国は神殿勢力の配下よ」
「だよなぁ」
「話を進めてもよろしいかな?」
「よろしくねえよ」
乱暴に言い捨てるジンへ向けて、ボルドネスは羽虫を払うような仕草で腕を振るう。
「っ!? 下がって!」
結晶の割れるような音が響き、ジンの目の前で二つの力が砕けた。それは随分前にセレアスが見せた何倍もの力で、砕けた余波だけで身が吹き飛ばされるほどの突風を生んだ。下がりながらもセレアスに並び立ったジンは、そこでようやく直刀を抜く。
「おいおい、すげえなアイツ。アストリアじゃ権力者ほど力を持つんだろ? 何者だ?」
「そんな筈ない。ボルドネスはただの議員だもの。こんな力を扱える筈が」
セレアスの疑問へ答えるように、ボルドネスは両手を広げた。膨大な力が集まっていくのを感じる。どう見ても、一議員の範疇を超えた力だ。
「今の私は、天軍を率いる左将軍。いえ、じきにこの国を支配する者となるっ」
放たれた猛吹雪は、同じくセレアスの放った吹雪に遮られて消える。
「いやはや、しかし流石に女神には敵いませんな」
「当然でしょ。将軍だろうと護国卿だろうと私の相手じゃない」
「ですが、今の時期、アナタにうろつかれるのは困る。非常に。お分かりですね? リリアーナ姫」
「……今更何? もうどうでもいいじゃない」
言葉の意味が分からなかった。説明を求めようとしたが、他の者達にジリジリと間合いを詰められて会話をしている余裕もない。
「で、どうする気? 四女神をどうこう出来るのは、各国の王くらいよ」
「そうでしょう。だから今日は――コレを試しに来たのですよ」
ボルドネスが手を振り上げ掲げたのは、黄金の国璽。行為の意味は分からずとも、ジンは途轍もない力がそれに篭められているのを感じた。向けられた先、セレアスに何らかの害を加えようとしているのを察した彼は、鬼人としての脚力を存分に発揮し、彼女の身を抱いて離脱する。
状況の確認も何もなかった。牽制に大量の鬼火をまき散らしたが、それがどれほどの意味を持つか確認もせずにただ走った。
野を超え森に入り、野生の動物も入り込まないような窪地に辿り着いたジンは、そこでようやく、両手に抱いたセレアスの身が震えているのに気がついた。
「――寒い」
寒さを感じない筈の女神は、唇を青く変色させ、耐えるように身を抱いていた。その首筋には、血が変色したような黒ずんだ色で、四角い印が刻まれていた。
「寒い……」
※ ※ ※
焚き火をする訳にもいかず、かといって暖を取らないわけにもいかなくなったジンは、窪地で見つけた洞穴で、仕方なく最後の手段を取ることにした。
「………………変な所触らないでよね」
岩肌に座り、上着を脱いだジンの上にセレアスが座り、その上から上着を被せる。毛布の一つも持って来れれば良かったのだが、そんな余裕もなかった。鬼人であるジンなら、寒暖に対して常人より耐性がある。冷えない訳でもないのだが、今や小柄な小娘と化したセレアスと比べれば随分と楽なものだ。
「で、一体どうなったんだ?」
ジンが肩越しに問うと、すっかり身を縮こまらせたセレアスが悔しげに答えた。
「……あの国璽、あれは、アストリアの王が持つ四宝の一つなの。まあ、女神の加護を制御しやすくする為の道具ね。その中でもアレは変わり種で、王の下した決定を強制的に守らせる力があるの。私に掛けたこの印は、資格の剥奪」
女神の加護や、権力者が操る力というのは、司る季節にまつわるモノだけだと思っていたが、どうやら違ったらしい。ジンがそう考えていると、セレアスは思考を読んだように説明を加えた。
「普通は無理よ、こんなこと。けど、長い歴史の中で王と女神が対立した事もあって、その時に作り出されたんだって聞いてる。それに、誰にでも使える訳じゃないの。効果があるのは、女神の力を振るえる権力者に限られるし、何よりアレは……」
言い淀む。ジンが身を揺らして催促すると、セレアスは拗ねたように言う。
「っもう……アレは王しか使えない筈なのっ」
「となると、アイツが王なのか?」
「そんな訳ないじゃない。アイツは貴族だけどただのハゲオヤジよ。御柱となるには血統が必要。少なくともアストリアではそう定められてる」
「それを変更するのは?」
「やるには残る三カ国の王と四女神の承認が必要。アイツは神殿勢力に顔は効くみたいだけど、流石に各国の王を動かすのは無理よ。多分、東のレイオス辺りが真っ先に突っぱねるわ」
そうなると後はもう、裏技を使ったとしか考えられない。が、現状で考えるには情報が不足している。厄介だな、とジンはため息を付いた。
「んっ……ちょっとっ、ため息なら余所でやりなさいよ」
こんな密着した状態でどうしろというのか。またため息をつきかけるが、二度も叱られるのは面倒だったので諦めた。面倒だ、この物言いは彼女のものだった。事あるごとにこの言葉を使うセレアスの表情には、いつも諦めたような色が混じる。
諦め慣れている。それは、女神としての重責に耐えかねてというより、もっと根本的な事情が絡んでいるとジンは思っていた。キサラにそれとなく訪ねてみたことはあったが、やんわりはぐらかされたままだ。
「なあお前、実は昔……ん~」
どう言ったものか。大昔ものすごく諦めるようなことがありましたか、なんて質問では正直意味がわからない。言葉が変だ。どう言えばいいのか。などとジンが悩んでいると、意図を察したらしいセレアスのため息が聞こえた。
「実は私、王女だったのよ」
「………………は?」
「最悪な返答ね。だ・か・ら、私はこの国の王女様だったのよ。元王女、そして今は神。これ以上ないくらい完璧な経歴ね」
ジンは何度か考えを纏め、その度に膝上のセレアスを見、結局、
「………………はあ?」
「おちょくってるの? おちょくってるのよねえ!? なによ、折角親切に答えてあげたのに、感謝の言葉もない訳。これだから平民は嫌いよ。ほんとに――っくち! ちょっとっ……隙間が開いてるじゃない。もっとちゃんと守りなさいよ」
怒られたので腕を回したら更に怒られた。仕方なく、上着の裾を掴み、上手く彼女を包む。鬼人といえど、これでそこそこ岩肌は冷たい。これ以上言えば放り出そうと決めたが、それを読んだかのようにセレアスは大人しくなった。
案外、人の機微に敏感なのかもしれない。
「王族は二十年前に潰えたって聞いたがな」
「それだって、別に隈なく調べた訳じゃないわよ。でもなければ、今になって長老派とかインバスとかが王族を擁立出来る筈ないじゃない。レミアの家系だって、後々になってその血統があったなんて分かったくらいなんだから、結構いい加減なのよ。それで、私は……国内でそれを逃れた数少ない例よ」
「てことは、遠縁の筋か。でもなんでまた女神に? この国は王が欲しかったんだろ。候補者の大勢居る女神より、王の方が貴重だろうに」
物のような扱いに反発があるかと思ったが、セレアスは「違うわ」と呟いた。
「二十年前、この国の人間は王を否定したのよ。無茶な遠征で親族共々海に沈んで帰らなかった愚かな王。彼らのせいで連合国全土がとんでもない被害を受けた。責任の追求は国の内外から、生き残った僅かな王族と統治者たちに向けられた。それで、どうにもならないことをどうにかしようと必死になって抗っていた人たちを、彼らは処刑したの。そうすれば何かが良くなると思いたかったんでしょうね。でも、王が居なくなったことで状況は更に悪化した。生き残った人たちも国外に逃げ、私は神殿にこっそり引き渡された」
「なるほど。革命は二十年前に起きてたのか」
「どういう意味?」
「いや、四年前の女神死亡がそれだと勘違いしてた」
「それは……暴動の最中に女神が殺されただけで…………私もよくは知らないんだけど」
それにしても、セレアスの見た目からして十代後半くらいだと思っていたが、どうやら違ったらしい。知ったような口調でもあるし、革命時には多少の分別もあったとすると、既にそこそこの年齢だ。
「馬鹿なこと考えてる顔ね」
「人の心を読むな」
「候補者となった時点でその人物は不老となるの。だから私は永遠に絶世の美少女なの」
「精神年齢も止まるのか。それで」
「アンタねぇ、そんなこと言ってると他の女神に会った時度肝抜かれるわよ? 一国を左右できる力と不老の身体、神と呼ばれる存在を人の枠に当てはめるんじゃないわよ」
かくいうジンも鬼人と呼ばれ常人を遥かに上回る力を持っているのだが。などと反論すると、セレアスは得意気に「格が違うわよ」と答えた。確かに、鬼火で国一つを燃やすなんて試す気にもなれない。
重みの格を問えば、間違いなく女神は王に勝る重責だろう。人を動かし、その結果に一喜一憂するならともかく、女神は全てを己自身で行う。成功も失敗も、その身で感じてしまう。強大過ぎる力がそのまま背に乗っているのだ。常人の精神でやっていけるとは思えない。居丈高な態度もその為の処方なのだろう。いや、彼女はそれを放棄したがってもいた。
「王族として否定されて、女神が必要になったから求められて、今度は力不足を責められた。なるほど、そういう意味だったんだな」
会って最初の頃に言っていたことを思い出す。彼女なりにこの国へ愛着があったのだろう。女神の死亡で枠が空いたからといって、彼女でなければならなかったのか。違う。候補者は不老なのだ。彼女以上に優れた、経験も豊富な者が居ておかしくない。ただ、暴動で女神が殺されたと知らされて、そんな国へ率先して行きたがる者は居なかっただろう。ましてや、彼女にとっては親族を皆殺しにされた、恨みのある土地だ。
それでも彼女は女神となった。
「折角私が助けてあげようとしたのに、口を開けば文句ばっかり。もううんざりよ」
「そうか」
「そうよ」
本当に、
「素直じゃないよなぁ、お前」
素直じゃない。よくよく彼女の言動や行動を観察すれば分かるものだった。
ジンは心が浮き立つのを感じる。目の前の頭に手をやり、やや強引に撫でる。当然ながらセレアスは喚き出して暴れるが、器用に支えて逃さない。
どれだけそうしていただろうか。諦め悪くあがき続ける彼女の頬が真っ赤になっているのを見て、ジンは意地悪く笑う。
「お前は出来る子だよ、リリィ」
今度こそ彼女は跳ね起き、上着をかき抱いてものすごい勢いで距離を取る。あまりにも力任せな後退は、洞穴の一部に頭をぶつけて蹲ることで止まった。
「~~~~~~っ」
「おい、生きてるか?」
「は? …………はあ!?」
「いやおい」
「な、ななななな何言って!? 言って!? の!?」
「やっぱお前馬鹿だろ」
「変態! 変態がいる!? 女の子の名前を許可無く呼ぶなんて……あまつさえリ、リ、リリィ…………………………っは!? 殺す! アンタ絶対殺すわ!」
格好良く地面を踏みつけるが何も起こらない。
しばしの沈黙。
沈黙。
風。
「――っくち」
沈黙。
「寒いならこっちこい」
「な、なにするきよ!? こんないたいけな絶世の美少女を捕まえて……いやらしいことしようってんじゃないでしょうね…………」
「安心しろ、幼児体型に興味はない」
「ころすわ」
「あ、おいっ、人の得物勝手に抜いてるんじゃねえよ!? うおっ!? 本気で斬りかかってくんっ……なっ、っと!? 馬鹿ソイツは普通の得物じゃねえんだ! いいから離せ!」
「うるさいうるさい! いいから一度死になさいよ! その後で話を聞いてあげるわ!」
「あぁもうめんどくせえ!」
両手で直刀を大きく振り上げたのを見計らって、ジンは素早く間合いを詰め、柄尻を捕らえ、押し倒す。面倒だったのであまり容赦はしていない。
「いっ……たい! もっと優しくしなさいよ!」
普通なら、例えばあの金髪の青年、フィオメルならそうしたのだろうが、生憎とジンは普通ではない。面倒だ、その理由だけで人を殺せるくらいには常人離れしている。
「うるせえよ」
「……なによ。ちょっと怒ってふざけただけじゃない…………そんなに怒らなくても」
拗ねるように言うセレアスの手から直刀を奪い返し、鞘に収める。
「あーーーーーーあぁ。まあ、形見なんでな」
叱られた子どものような表情で青ざめる人間というのも珍しい。
「ごめんなさい」
「いいよ、別に。どこも刃毀れしてないし」
「してたら……もっと怒った?」
ぶち殺してやりたいくらいには。
「そうだなぁ。代わりにお前の一番大事なものを奪ってやるくらいには」
控えめに言ったつもりだったが、セレアスの顔がみるみる朱に染まっていった。おい。
「おい」
「なによ」
「お前処女だったの」
「っ!? ぁぁぁぁああああああああもうっ! 怒るのも疲れた! この変態!」
聞くまでもなかった。そもそも貴族の娘だ。いずれどこぞの男へ差し上げる為、純潔は守らされて当然だろう。その後は神殿とやらで同じ女神候補生に囲まれて、人里離れた場所で慎ましい生活を送っていたのだとすれば、機会が無かったとしても頷ける。
「……いいわよ」
ふと、小さくセレアスが呟いた。
「は? 襲えばいいの?」
「死ね」
長い長い溜息の後、彼女は黙り込んだ。
「…………名前か」
「呼びたいなら好きに呼びなさい。普通なら愛称なんて許さない所だけど、特別に許してあげるわよ。涙を流して感謝することね」
「ところでな、リリィ」
「…………………………………………………………なにかしら」
落ち着くまでどれだけ時間を掛けるつもりなのか。
ジンは話すべきかしばし考えたが、結局言うことにした。
「実は俺、お前と同じくらいの娘が居るんだ」
「………………………………………………………………………………………………はあ?」
予想通りの反応だった。
「実年齢じゃなくてな。大体もう十四か五くらいか。だからお前を見てると、娘相手にしてるような気になるんだよ」
「……ちょっと、え? ちょっと待ちなさい。アンタいくつよ?」
「ちゃんとした数字は分からなねえけど、二十の半ば過ぎた辺りかな、多分」
「計算おかしいわよ!? それだとアナタ……十二とかその辺で、その……」
「子作りした」
「た……爛れてるわっ! アンタの国ってそんななの!?」
例外なのだが説明する前にぶつぶつと自分の中で妄想を始めた為、ジンは放置することにした。耳まで真っ赤だ。耐性が低い割に耳年増、実年齢はそこそこなので当然だが、時折過激な単語が耳を掠める。
「隔離されて生きてきたにしては随分と濃厚だな」
「ふんっ、女ばっかりの世界なんて、男女入り乱れた時の比じゃないわ。なまじ実物がないと途轍もない所へすっ飛ぶのが女の妄想よ」
「女神に対する印象が変わりそうだ」
元は人間なのだから当然か。生まれながらに神だった者の精神なんて想像も出来ない。
ともあれ、いつまでも岩肌に寝かせておくと本当に体調を崩しかねない。ジンが言って元の体勢に戻そうと提案すると、しばしの言い合いの後、渋々彼女は膝の上に収まった。
「父親だとでも思え」
「私のお父様はもっと紳士で優しかったわ。アナタみたいな粗暴者と一緒にしないで」
「なら男と思って座れ」
「……わざと怒らせるようなこと言ってるでしょ」
その通り。
「そんなことないぞ」
嘘をつくことに躊躇がないジンは平気でこんなことを言う。
「それでだ。今更な話だが、これからどうするかねぇ」
「本当に今更ね。別に誰が王になろうと女神には関係ないわ。けど、あの禿頭の馬面が私の隣に立つのは腹が立つわね」
首筋の印に触れ、力を失った女神はそれでも偉そうに言う。
「この印、完璧じゃないわ。そもそも女神の権能を剥奪なんて王の一存で出来るものじゃないの。だから、力を失っているように見えて、私はまだ冬の女神のまま」
「連中が使ってる裏技には心当たりがあるか?」
王でない者が、王の力を使っている。
これはアストリアの支配体制を揺るがす大事態だ。女神の威光を背景に君臨するこの国の支配形式は、王権神授説に拠るもの。王が王だからこそ女神の加護があるという前提が崩れたと知れ渡れば、王は支配の正当性を失う。
だからボルドネスも表立ってあの力を使ってはこない。後の支配体制をも揺るがしてしまうから。
「一つだけ……方法があるわ」
膝上の少女は心細げに身を抱いて、堪えるように言葉を絞り出した。
「ボルドネスの横暴を止めるには、ある場所に行く必要がある」
そこは、
「王位継承の儀を行う聖地。神殿へ送られる前、私はその場所をお父様から聞いたわ」
各国が秘中の秘とする儀式場。
遠縁ながらも王族であった彼女の父は、その場所を知っていた。
女神の誘拐には幾つかの目的があった。多くはもう果たされているが、最後の一つは中々に手が届かなかった。様々な情報を伏せられて彼女と付き合っていたジンは、それを効率良く聞き出すことは出来ず、随分な遠回りをしたと思う。
だが、おかげで十分な信用も得られた。キサラは最初からこれを見越していたのだろう。この、馬鹿なようで人の機微に敏感な少女は、相手の意図を見破る力がある。だからこそキサラにはあまり関わらなかったし、心の内を曝け出しているように見えて、一定の所以降は絶対に守り通していた。
今、彼女は追い詰められていて、最後の砦だった自信の根拠も失っている。
「その前に聞いておく必要がある。アナタは――」




