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雪に塗れた外套を脱いで神殿内に入ると、そこは驚くほど暖かかった。
分厚い石壁には色鮮やかな宗教画が描かれており、アーチ状の天井近くの小窓から差し込む僅かな光が、華やかな内装を薄暗く照らしていることで荘厳な雰囲気を与えている。堂内に暖炉らしいものはなかった。壁の部分部分に装飾と見せかけた穴があり、おそらくそこから別室で温めた空気を送っているのだろう。手間と無駄を掛けてでも、この神殿の設計者は雰囲気を大切にしたかったと見える。建築様式はやや古臭いが、曲線を自由に用いた微細な装飾など、時代的に実現が難しかったものの筈だ。空調一つとってもそう。だとすれば、比較的近年に、古い建築様式に傾倒した人物の作品か。
その神殿の最奥に、女神の像がある。
「いかがですかな、レミア領最大と言われるオリヴァー神殿は」
あまりにじっくり眺めていたからか、フィオメルの傍らに法衣を纏った老人が立っていた。神官だろう。フィオメルは彼から椀を受け取り、促されるままに啜る。旨い。一気に飲み干せないほどの熱さが、雪の中を歩いてきた身体を温めてくれた。
「ここに来るまで幾つかの神殿で世話になって来ましたが、ここほど手間の掛かったものはありませんね」
「そうでしょう。ここは、先代の護国卿が自ら考案された神殿なのです。我らをお守り下さる四女神へ感謝を込めて、そして訪れる者達が女神に抱かれるような安心感を持てれば良いと、本当に、心優しい方でした」
「ほう、以前聞いた話によれば、悪辣な独裁者であったということでしたが」
老人は顔を顰め、やがて悲しげに言う。
「ここに来る前というと、インバス領に?」
「はい。あちらでは難民の受け入れを拒否しているとかで、追い出されてしまいましたが」
「そうでしょう……女神の慈愛は分け隔てなく与えられるべきだというのに、彼らは今もそれを独占しようと企んでいるのです。かつての先代の時もそう。彼らは中央との協力を拒み、独走を続けた。一つとなって立ち向かうべき国難を前に、今や自分たちが御柱であるかのようにさえ振舞っているのです」
表情や口調こそ穏やかなままだったか、裏側に激しい熱が渦巻いているのをフィオメルは感じた。ここまで彼と共に逃れて来た者たちも、おそらく同じ気持なのだろう。故郷を捨て、命からがら辿り着いた先でのあの扱い、まるで敵国の領民を相手にするかのようなものだった。
「それに比べて、ここでの待遇は格別ですね。中央に近いとはいえ、ここも豊かとは言えないでしょうに」
「全ては護国卿の計らいです。このレミア領の領主でもあらせられるあの方が、積極的に難民を受け入れるようにと。代々受け継がれていた土地や財産の多くを失いながらも、国民を決して見捨てはしないといつも仰っております」
「直接話したような口ぶりですが、王無きこのアストリアで国王にも等しい護国卿が、そうも頻繁に顔を出しているのですか?」
えぇ、と答える老人の顔は誇らしげで、フィオメルもつられて笑う。
「幾つもの避難所を定期的に見て回られているようでして。実の所、お恥ずかしながらレミア領でも役人の悪徳は絶えません。こんな状況でもありますが、嘆かわしい話です。ですが、護国卿自らの視察があるとなってはそうそう不正などは出来ませんよ。……そういえば、もうじきこちらにもいらっしゃるかもしれません。インバス領を追われた難民が来ることは私達の所にも届いていましたし」
「ならば都合がいい。ちょうど仕え先を失っていまして、仕官先を探していた所です。もしよろしければ、いらした際にはお引き合わせ願えませんか」
「ハハ、学があるご様子かと思えば、いずこかの騎士殿でありましたか」
「いや、生憎爵位もない風来坊です。腕には自身がありますが、お固いのは苦手でして。下っ端としてでも使って貰えればと」
証明という訳でもなかったが、フィオメルは腰に下げたままの剣を僅かに抜いてみせる。装飾らしい装飾もない拵えだったが、長く戦場で使い古された剣特有の深い鈍色が刀身に浮かんでいる。老人は真剣な表情となってフィオメルを足先からじっくりと眺め、深い吐息をついた。
「厚着をしているせいで気付きませんでしたが、なるほど、腕の立つ兵の方々と似た印象を受けました」
これだけ大きな神殿の者ともなれば、戦に出る兵に加護をと、多くの儀式を経験している。アストリアは近年まで内乱を抱えていたから、老人の眼はそこらの指揮官より余程肥えているのかもしれない。
「ご安心下さい。護国卿は爵位を理由に人を判断する方ではありません。貴方が相応のものを見せれば、きっと取り立てて下さるでしょう」
冷めてきた中身を飲み干し、椀を老人へ返した頃だった。
外で大きな物音がして、大勢の人が騒ぎ出した。馬の嘶きに怯えた色が混じる。鉄の音。老人の顔から血の気が失せる。
フィオメルは音もなく神殿を飛び出し、騒ぎの中心へ向かった。
※ ※ ※
レミア=シュタットレイは事が起こると同時に難民の集まっていた神殿から離れた。
馬車が両扉であったことが幸いした。片側に護衛を乗せており、賊が開けたのはそちら側だった。彼に場を任せる形でレミアは馬車を飛び出し、周囲を確認しながら走った。御者はいつのまにか昏倒させられており、相手の腕の高さを思い知らされる。
幸いにも路面の凍結を警戒して速度を落としていた為、馬車から降りるのは苦労しなかった。問題はその直後に、町人に気づかれてしまったことだ。
「ぉお、アナタ様は!」
途端に大勢の人がどこからともなく集まってきてしまう。レミアはなんとかして彼らを返そうとしたが、感謝の言葉を並べる者達を乱暴に扱うことも出来ず、戸惑いの間が出来た。一方で、これだけ人が集まってくれば賊も諦めるのではないかと甘く考えて馬車を見ると、生きているのか死んでいるのか、動かない護衛を片手で放る賊の姿が見えた。
ここに来てようやく町人たちは事態を把握したのだろう。怯えて逃げ出す者達に安堵しかけるが、あろうことか何人かの女達がレミアを護るように立ちはだかってしまう。
「待てっ! あなた達が戦う必要などない! ここは逃げてくれ!」
「何言ってんですか。アタシらがこうして食っていけてるのは、レミア様のおかげなんですよ!」「そうです。故郷を焼かれた私達を受け入れてくれた御恩は忘れません!」「ほらアンタッ、恩人を置いて逃げ出すなんて、それでも男かい!?」
炊き出しをしていたのだろう、料理道具で武装した者達に囲まれて、レミアはどうしていいか分からず硬直する。そんな彼女へ、賊の男が声を掛けてきた。
「無能な人間の癖に、随分と気に入られてるんだな」
「っ――キサマどこに雇われた!」
「それくらい自分で考えてみろ。ほら、早くしないとお前の民が死ぬぞ」
男に激高して罵声を浴びせる女達とは別に、レミアは警戒しながらも彼をじっと観察した。この地方ではまず見ない黒髪が目についた。この寒さの中では比較的薄着で、凍土を踏み締める履物は枯れ草を編んだものなのだろうか。見るからに異国の者。だが、だからといって決め付けるのは早計だ。
「キサマは……パルドランの密偵か。それとも」
「だとしたらどうする?」
「斬って捨てる!」
「……迂闊だな。もし俺がそのパルドランの特使だったらどうするんだ? 殺した後にこの服のどこかからか書状が出てきたら? あいつらは絶好の口実を得て攻め込んでくるかもしれんぞ」
「戯言を! このような襲撃をしておいて、特使だったなどと言い訳が立つものか!」
「強引だろうとなんだろうと、好きな事実を繋ぎ合わせて理由となるなら十分だ」
言いつつ男は直刀を抜いた。今までは無手のまま、おそらく昏倒させているだけなのだろうが、ここから先はそうもいかない。眼前で壁を作る人々を見る。彼女達は、例えレミアが言っても退いてはくれないだろう。そこまでの信を得ていることに嬉しさはあるが、今は何よりも辛かった。
「おい」
無造作に、
「早くしろと、俺は言ったぞ」
鈍色が一閃する。先頭の女が音もなく倒れ、地面を鮮血で濡らした。瞬間、天地がひっくり返ったように平衡感覚を失い、レミアの頭から血の気が引いた。周囲で伺っていた者達が決定的な場面を目にして腰が抜けたのか、地面にへたり込む。尚も進み続けていた馬車が騒ぎに呑まれて馬が暴れ出した。
「ッッッッッッ――――ッキサマァァァアアアアアア!」
「戦争を始めるか? 俺を殺して、また幾千の民を戦場に駆り立てるのか?」
「っ――――!?」
剣を抜く手が止まる。怒りに震える心が男を殺せと腕に力を入れるが、彼女の理性がそれを押し留める。だが一方で、それに意味があるのかと疑問が湧き上がった。そもそも男の言葉が真実であるかなど分からないのだから。
「今の打算は悪くない。たかが女一人の為に戦争を始めるかと問われ、お前は立ち止まれる人間だ。ただ、問題なのは立ち止まったままであること」
男が迫る。容赦なく、躊躇なく、もう時間も与えないと鈍色の一閃が来る。
そしてそれは、同じ鈍色の光によって遮られた。
「下がれ!」
言葉より早く、強引な突き飛ばしがレミアの身を道端の雪に埋もれさせた。なんとか這い出して息を整えていると、胸を突くような金属音が鳴り響いた。
二人の男が鍔迫り合っている。直刀を薙ぐように構えている黒髪の男と、それを受け止めて立つ金髪の青年。黒髪ならばともかく、青年の金髪はこの国で珍しくないものだ。助けてくれたのかと安堵し、同時に己を叱咤する。まだ気を抜いて良いような状況ではない。
風が吹く。凍りつきそうな空気の流れが二人を中心に渦巻いているように感じた。目が離せない。レミアが身を震わせるのと、二人が動き出すのは同時だった。
彼らの動きは一つの舞のように思えた。攻撃が、防御が、回避が、一つの動作であるかのようになめらかに繋がり、動きを追うのに夢中になってしまう。もう最初のように強烈な金属音はしない。お互いに武器の損傷を避け、相手の剣戟を逸らすことで回避の空間を生み出している。幾重にも重なる擦過音と、細く小さな風切り音。
金髪の青年は振り下ろされた剣を斜に構えた剣で逸し、返す刃で首を狙う。それと同時に足を引き、男が踏み込むのを見るや身を下げた。身体の動きに釣られて切っ先が落ちると、それは牽制の袈裟斬りとなり、男の前進を妨げる。だが男が逸らされた直刀の鍔を袈裟斬りに合わせ、滑らせるように前へ。刃が立てられ、懐を狙う。対し、青年は剣を引き戻しながら身を落とし、大きく前へと踏み込んだ。
下がれば斬られていた。あのままでも得物の長さや重さを考えれば青年が不利になっていた。生き残るには前へ踏み込むのが最善だった。外側から様子を伺っていたからこそ理解出来たが、命の掛かった戦いの最中にそんな判断が出来ることがレミアにとっては驚愕だった。
戦いは、青年の当て身からの薙ぎ払いに対し、男が下がりながらの斬り上げで応じ、打ち合わせを両者が避けて距離が開いた所で一時硬直した。指揮者が曲を終わらせる時のように、ゆれる切っ先が静止する。
戦いの熱を吐き出すような長い吐息が重なった。
「どうにも決着がつかんね」
「どうする? じきに兵が集まってくるぞ」
「そりゃ困る。逃げるとするか」
「逃がすと思うか?」
「逃してくれるなら、一つ土産を置いていこう」
ほう、と青年が言う。そこでようやくレミアは言葉を挟んだ。
「土産は貰う。そしてキサマは捕らえる」
「悪くない判断だ。だが実行力に欠ける」
「民の命に掛けて、むざむざ逃すことは出来ない!」
「残念。そこの女は間諜だ。アンタの行動日程を逐次外部に流してる」
「なっ!? 戯言を!」
戸惑いは一瞬、しかしその間に男は大きく飛び上がると建物の屋上へ。対し、金髪の青年は剣を腰だめに構え、射抜くような視線を向けている。まるで、そこが未だ彼の間合いとでも言うように。人間離れした動きに唖然とするレミアを見下ろしならが、男は一方的に言い放つ。
「長老派は新たな王を擁立してる。言うことを聞かせ辛くなってきた護国卿の代わりとして、扱いやすい傀儡の王がじきにこの国へやってくる。王政復古の名の下に、かつての革命は失敗の烙印を押されるだろうな」
言うだけ言って、またしても大きく跳躍した男の姿は、今度こそ見えなくなった。
「鬼人だったか……」
「鬼人?」
未だ周囲に視線を巡らせている青年の呟きに、レミアはついオウム返しする。
「……そうか、この地域ではああいった連中は珍しいのか」
それ以降、返事をするでもなく剣を収めた青年は、簡潔にフィオメルだ、とだけ名乗った。
「彼女に治療を。まだ息がある。間諜だったとしても、生かしておけば活きる道もある」
言われるまま斬られた女を抱き上げ、やってきた兵に彼女の治療を任せた。その間もしきりに視線だけで周囲を伺っていたフィオメルは気になったが、レミアはまず場の混乱を治めるべく、人々に語り掛け始めた。
※ ※ ※
人だかりを避けて神殿の入り口へ戻ってきたフィオメルを、先ほどの老人が迎えてくれた。戦いの緊張に興奮しているのもあるだろうが、こちらを見る目が違っている。
「おぉ、良くやってくれた。あの方が先ほど話した、現在の護国卿だ」
「彼女が、ですか? 随分と若い……というより、失礼ながらとても政務を行える年齢では無いように思えます」
年の頃はまだ二十にも達していないだろう。状況に右往左往し、感情が面に出過ぎている。若さを思えば当然だろうが、護国卿という身分には分不相応だ。
「政務は彼女を後見している長老派が執り行っていると聞いています。先代の護国卿は早くに亡くなりましたし、彼女の父も流行病に倒れ……ですが、長老派は先の騒乱の折から護国卿を支えてきた派閥です」
フィオメルは身を回し、広場で人々に囲まれる少女を見た。そう、少女だ。国を背負うには若すぎる彼女が、今懸命に人々の不安を払拭しようとしているのは、声の聞こえないここからでも十分に分かった。
先ほど長老派が護国卿の代わりに王を擁立しようとしているだのという話を聞いてしまったが、どうしたものか。偽情報で関係を引き裂こうとしたとも言えるが。
「危ういな」
「そうですな。この国の抱える問題は多い。長老派が付いているとはいえ、インバス領は独走し、ルノアーデ領は西国のローゼリアに寄り添ってしまっております。奉権の儀も近いというのに、未だに国はバラバラのまま……」
言った意味は違ったが、訂正するほどの事でもない。
「申し訳ない、いささか愚痴を零してしまいましたな。兵も集まってきております、もう大丈夫でしょう。中に入って温まって下さい」
「感謝する。あぁ、それと……出来れば、先ほどの話を」
「分かりました。護国卿には私から話をしてみます。最も、恩人を軽んじる方ではありませんから、いずれ会う機会はやってきますよ」
「生憎食い扶持が無くて。難民としての保護に甘んじている訳にもいかんでしょう」
国は荒れ、食料も満足に取れないこのアストリアで、今のような歓迎を受けることがまず異常なのだ。難民受け入れを拒否し、追い返すインバス領は同時に、徹底して自領民を守っているとも言える。難民に回されている食料の影で、ミナス領の民は苦しい思いをしている筈だ。誰も彼もがこの老人のように好意的な感情を抱ける筈もない。領主が自ら身を切り、分け与えているというが、切った身を買い取っているのはどこなのか。国内で足りないものは外から集めるしかない。そうやって統治者の手から利権が離れる程に、権力も、法の実行力も、纏まりさえ無くなっていく。
何よりアストリアは、国の土台たる国土が、既に二十年もの永きに渡って凍結したままなのだから。
※ ※ ※
神殿の出入り口付近の長椅子にフィオメルは腰掛け、身体を休めるように身を縮め、じっと待っていた。人の出入りがある度に冷気が皮膚を撫で、少しばかり肌寒い。同行してきた難民らは奥の暖かい場所に集まっており、各々これからの身の振り方を神官らや炊き出しの女達と相談しているようだった。
中央の通路に寝かされた老婆に少女が寄り添っている。血縁者ではなかった筈だが、この数日あの二人が懸命に励まし合っていたのを覚えている。その老婆は、先ほど死んだ。たどり着いた安心感なのか、それとも役目を終えたと思ったのか、あの暖かい飲み物を一口啜った後、穏やかな笑みを浮かべて逝ったらしい。
少女が泣き出す様子はない。他の者も、悲しさよりは徒労感が目立つ。
フィオメルが合流したのはインバス領を出た辺りだったから、彼らがどれだけの行程を進んできたのかは分からない。だが、そこからの数日だけでうんざりするほどの人が死んだ。特にひどかったのはインバス領を出た後だ。追い出す代わりに渡された僅かな食料で、一時華やかな食事を楽しんでいた時期。あの老婆のように、あるいはふらりと居なくなる者も居た。
感情が凍りついているのかもしれない。常冬の国で、国土は荒れ放題。故郷を捨てて出てくる前から彼らは疲れ切っていた。凍結した土地を耕すことも出来なくなり、あるいは――
突然、奥の方から悲鳴が上がった。
目を向けるとあの少女が老婆から引き剥がされており、神官たちが慌ただしく動きまわっている。レミア様を、と叫ぶ声が荘厳な神殿を引き裂く。
間も無くしてやってきたあの少女が通路を駆けて行くのをフィオメルはじっと見つめた。
「枯れ石の病ですね。大丈夫、すぐに抑えます」
護国卿、レミア=シュタットレイが片膝をついて老婆の遺体に手をかざすのと同時、彼女の手元から青白い光が漏れ始めた。下方から照らされた女神像が、どこか柔らかく笑っているように見える。
フィオメルは初めて見たが、あれが話に聞く女神の加護らしい。アストリアを含む四つの国は、女神による加護を受けている。彼らはその力を借りることで様々な奇跡を起こすのだと。ただ扱える人間は限られており、神殿の一部高位神官や、地方領主やその側近、後は護国卿のような、国の中心的人物らがそれに該当する。また、位が高いほどに力が強力なのだという。
ならば、王無きこのアストリアで最も女神の加護を扱えるのは、あの少女ということだ。
「おおっ、収まった! ありがとうございます。ありがとうございますっ」
程なくして収まった光を視界の片隅に置き、黙考する。足音が神殿の奥から近寄ってくるのを感じながら、フィオメルは居を正した。
「……先ほどは助かった。改めて礼を言わせてもらう」
ゆっくりと顔を上げ、声の主、レミア=シュタットレイを見る。目が合った途端、彼女が怯むのが分かったが、敢えて何も言わない。大抵の人間がそうなる。フィオメルの瞳は赤い。鮮血を思わせるソレは幼いころから他者を威圧してきたものだ。
フィオメルは立ち上がり、跪いて頭を垂れた。レミアからの反応は薄い。こうされることに慣れているのだろう。護国卿ともなれば当然だが。
「……顔を上げてくれ。アナタは恩人だ。先ほど司祭から話を聞いたが、仕官先を探しているとか」
「はい。故あって仕え先を失い、各地を巡っていました。腕前は先ほどお見せできたかと」
「私としては二つ返事で受けてやりたいところなんだが……」
自信の無さが声に出ている。若さ故の、とは言い難かった。
「少し話せないか? 奥に部屋を用意させてある」
「分かりました」
フィオメルは自分から腰の剣を外し、レミアの従者らしき男に預ける。言い出そうとしていた者は出鼻を挫かれ驚いていたが、特に反応は返さなかった。「こちらだ」とあろうことか自ら先導し始めたレミアの後を追いかける。
通路に入り、角を三つも曲がった辺りだったろうか、随分と奥まで来てレミアが立ち止まり、中へ入るように促す。これにもフィオメルは何も言わず従い、自らドアノブを回して部屋に入った。
部屋の中で待ち受けていたのは、十人ばかりの武装した兵。背後で剣が引き抜かれ、おそらく退路を塞がれた。ふむ、とフィオメルは頷いた。そのまま無言で部屋に入り、中央に置かれたままのソファに腰掛けた。対面のソファを手で促し、動揺する者達に一言。
「さて、交渉を始めようか」