7.デビュー戦 VSガリ勉集団 ①
ボートに乗ると、そこは進学塾だった。
一度もそういう所に通ったことないけど、たぶんこんな感じなのだと思う。
とにかく静か。静かだけどものすごい熱気を感じる変な雰囲気。
先ほどの女性以外全て男性客で、まだ出航前だというのに皆揃って手に持っている用紙に熱心に何かをメモっている。何なのよ、このガリ勉集団。誰よ、文字の優先度が低いとか言ったの、めちゃくちゃ書いてるじゃない……。
「み、みなさん、こんにちわー!」
とりあえず大声で挨拶をしてみた。ちなみに空気中の魔粒子とやらのおかげで別に大声を出さなくても普通に声が届くからマイクいらずらしい。でもやっぱり最初ぐらいは元気いっぱいでいかないとね。
まぁ元気を出した結果、私はもの凄い疎外感に襲われたわけですが。
最後尾の女性が会釈をしてくれただけで、男性陣はこちらを見ようともしない。
こんなキャラでもない可愛らしい格好までしているのに見向きもされないなんて、女としてのプライドが出航前からズタボロよ……あ、そうか、この人達は皆揃ってロリコンなんだ。だからジュニアは私に7歳になれと言ったのだ。
ようし、やるのよ、やってやるのよ、結衣。
「皆さん初めましてぇ、わたしはぁ今日のナビゲートをまかされた八代結衣と申しまぁす。わたしはまだぁ7歳なのでぇ、色々失敗しちゃうかもですけどぉ、よろしくお願いしますねっ」
どうだ、よくわからないけど全力で可愛らしくロリロリキャピキャピしてやったわよ!
ああ、殴りたい。ナビゲートのためとはいえ、年甲斐もなく上目遣いで甘え口調なんて使ってしまった自分をおもいきりぶん殴りたい。
でもそれ以上に、乙女にここまでさせておいて完全無反応なこいつら全員をボートから蹴り落としてやりたい。それができないなら、私の方がボートから水面にダイブして迅速にここから消えてしまいたい。
生まれてこのかた、ここまで恥ずかしい沈黙が流れた事があっただろうか。まぁ予想はついてたけどね……。
でも、チラっとぐらいこちらを見てくれてもいいと思うの。もしかしたら私はとんだハズレ客を引いてしまったのかもしれない。
だめだめ、お客様にアタリもハズレもないんだ。どんな客でも笑顔にしてこそ一流のナビゲーターなのだから。
よし、このガリ勉君達の心を掴むためにも、笑いへの伏線を張っておきましょうか。
「えー、失礼いたしました。改めまして本日皆様のナビゲートをさせて頂く八代結衣と申します。本日はわたくし共の……」
やば、ここの名前聞いておくの忘れてた。
「ええと……イグルーさん主催の……クルージングにご参加頂き誠にありがとうございます。本船はこれから3ヶ月の船旅を……」
「3ヶ月だと!? ちょっと待て、そんな話は聞いていないぞ!」
え!?
「ここは数十分で一周するだけじゃなかったのか。そんな勝手な変更をされたら困るよ!」
「冗談じゃない。私は降ろさせてもらうよ!」
「おい、うるさいぞ。その赤ん坊を黙らせろ!」
え、え、ここでそんなに食いついちゃうの!?
何をやっても我関せずだった乗客が、揃いも揃ってスタンディングオベーションならぬスタンディングアングリーだ。そのせいで赤ん坊が盛大に泣き始めて、静かだったボート上は一気に騒然を極めた。
と、とにかく速やかに訂正を入れるしかない。
「み、皆様落ち着いてください。3ヶ月の船旅と申しましたが、それはこちらの間違いでした。本船はお客様の言うとおり、数十分でこちらに戻ってきますので、どうかご安心して席にお座りください……」
うぅ、舌打ちしないで唾を吐かないでぇ……。
何とかその場を鎮める事はできたけど、乗客のイライラ度は最高潮に達したままだ。
ボートの最後尾で、女性が必死に赤ん坊をなだめながら周りにペコペコと頭を下げて必死で謝罪している。
私のせいでごめんなさい……。
この世界に来た時、私の口から勝手に出てきた謝罪の言葉に対して、私はつまらないだのテーマパークなめてるだのと心の中で罵った。なのに、さっきの謝罪は全くそれと同じじゃないか。私には偉そうに文句を言う資格なんてなかったんだ。ナビゲーター失格だよ……。
でも、ここでボートを降りるわけには決していかない。一度乗った以上、私にはお客様を最後までナビゲートする義務がある。皆がこれから体験するであろうイグルーさんが作った素敵な世界を、更にキラキラと輝かせる使命があるんだ。
今にも崩れ落ちそうな両膝をパシンと叩いて気合いを入れ直し、背筋をシャンと伸ばしてお客様とキチンと向かい合う。赤ん坊はもう泣いていない。
大丈夫、大丈夫よ……八代結衣、いけます!
「──はい、それでは皆様の準備もよろしいようなので、素敵な船の旅にいよいよ出航です!」
簡単に注意事項を述べた後、右手を高らかに掲げてパチンと指を鳴らす。すると船がゆっくりと動き出し、そして浮いた。
…………何で浮いてんの!?
「た、大変危険ですので何かに掴まってくださぁい!」
かくいう私も舵に必死でしがみついている。突如浮遊したボートは、90度向きを変えて進路を対岸の町に合わせ、浮いたままの状態で直進を開始した。ボートと別離した湖が悲しそうにこちらを見送っている……ような気がする。
現在ボートは町の大通りをゆっくりと前進しており、そこでは人間の代わりにガイコツやら西洋甲冑やら二足歩行の爬虫類、いわゆるリザードマンってやつ等が賑やかに日常生活をおくっている。
いかんいかん、ボケーっと見ている場合じゃないわよ、ちゃんとナビしなくちゃ。
「湖とボートは何故引き離されてしまったのか。そもそも、このボートは何故浮いているのか。謎を解く鍵は……」
お客様一人ずつに目線を配りながら、恐怖心を煽るように神妙な声色で語り、最後は絶妙な間をつくってから、
「この町のどこかにある!」
前方を向き、舵に片足をかけ、ビシっと指をさしてかっこよくキメてやった。気分は名探偵だ。
たぶんこの町に鍵なんてない。というか原因はどう考えても、今もどこかでこちらを監視しているであろうジュニアの魔法以外には考えられないわけで。
でも真相なんてどうでもいいの。ちょっと強引かもしれないけど、ミステリアスな雰囲気を作ってお客様に少しでもドキドキ感を与える事ができれば…………はい、してないね。皆さん真面目な顔をして辺りを観察しながら黙々とメモをとっていらっしゃる。
でもまだ焦る事はない。あまりの予想外な展開にド肝を抜かれてしまったけど、船旅はまだ始まったばかりじゃない。次の仕掛けで絶対に笑いを取ってみせるわ。