3.敗北
「うっわぁ、これはまたメルヘンチックですね」
「メルヘンチックって表現はやめてくれないか。せめてファンタジーにしてくれ。そもそも俺からすれば幻想的でも何でもないわけだが」
「それなら別にどっちでもいいじゃないですか。じゃあ間を取って少女趣味で」
「間どころか悪化してるよ……」
建物内に入ると、そこには外に負けず劣らずの乙女ワールドが広がっていた。
天井にはいくつもの光る球体がふわふわと浮遊して部屋中を照らして回っている。
テーブルは足の部分が全てクリスタルでできていて綺麗だし、イスは巨大なタンポポで、座ってみると見た目どおりフワフワしていて私のプリティーなお尻を優しく包み込んでくれた。
カウンターではタキシードを着たガイコツさんが受付をしていている。その頭上にある鳥の巣で小鳥さん達が綺麗な声で癒し系の曲をさえずっている。
他にも手のついた絨毯が自分でブラッシングしてたり、魔法社会ならではといった家具が沢山おいてある。
魔法ってのはすごいわね。科学にできない事を何でもやってのけちゃう……はずなのに、なぜあの男はさっきから手動で牛の乳を搾っているのだろうか。そもそもなんでロビーで牛飼ってるのよ。
「はい、おまたせ。色々あって疲れただろ。これでも飲んで元気だしてくれ。搾りたてだからおいしいよ」
「はぁ、そりゃどうも」
テーブルに置かれた木製のコップには搾りたて牛乳がなみなみ注がれていた。牛乳って煮沸しないと菌だらけじゃなかったっけ……。
「あぁ、衛生面なら気にしなくていいよ。搾る時にちゃんと浄化魔法をかけておいたからね。どんなにお腹の弱いやつが飲んでも大丈夫さ」
牛乳でお腹痛くなるのは衛生面の問題だけじゃない気もするけど、そこまでされたら飲まないわけにはいかない。意を決してコップを口に運んで──あ、おいしい。
「どうだ、おいしいだろ。な、な、おいしいだろう?」
「え、ええ、うまく言えないけど、すごく新鮮で味わい深くて優しい味がするというか何というか……」
「そうだろう、そうだろう、俺の育てた牛の乳はそこらのやつとは全く味が違うんだよ。その秘密は餌にあってだな──」
やばい、あの目の輝き様は間違いない。ジュニアはペット自慢したくて仕方ない病患者だ。
「ま、待ってください。その話も興味はあるんですけど、今はこの世界の事とかジュニ……イグルーさんの事とかを教えていただけると嬉しいのですが」
「ん? ああ、そうか。そうだね……」
嫌な予感しかしなかった私は、迅速に話に割って入った。
すると、ジュニアは捨てられた子犬のような悲しげな表情を浮かべながら語り始めた。
「この世界の事といってもなぁ……。平和な世界だよ、少なくともこの国では魔法技術が発達してからは戦争なんて一度も起きてないんじゃないかな」
「へぇ、意外ですね。魔法なんてすごい力があったら簡単に他国を落とせるような気がするんですけど」
「そうだ、その力こそが抑止力になっているんだよ。互いにその強力な力を持っている故に、ぶつかり合えばどちらの国も滅んでしまう可能性がある。だからそう安々と戦争なんてできないってわけだ。それに純粋な攻撃目的の魔法の研究は各国とも固く禁じられているしね」
「なるほど……」
「まぁもっとも俺の言っている戦争とはあくまで大規模な戦争のことで、魔法を使えない者同士の小規模な紛争や小競り合いぐらいは起こっているみたいだけどね。まったく時間の無駄使いをする連中もいたもんだよ」
ジュニアは呆れた様子で舌打ちをすると、牛乳をぐいっと一気に飲み干した。戦争というよりも時間を無駄にする人が嫌いみたいだ。
「ようするにイグルーさんは攻撃魔法作ったらダメだからこういうおかしな魔法を作っているんですね」
「おかしなとは失礼だな。俺の魔工芸品はこれでも結構な評価を得ているんだぞ。それに攻撃魔法なんて最初から興味ないね」
事故とはいえ、人を異次元の狭間に吸い込むような魔法を作った人の言葉とは思えないんですけど。
でもまだちょっとしか会話していないけど、声が怖いだけで実は優しい人なんじゃないかって思えてはきているんだよね。
「でもまぁ、俺が本気で攻撃魔法を開発すれば、国を一つ消滅させるぐらい、うまい牛乳を搾るよりも簡単な事だがな。ふふふふふ……」
前言撤回。お巡りさん、ここです。この歩く核兵器をはやく逮捕して!
「冗談だよ、冗談。だからそんなに身をひかないでくれないか。たんぽぽの茎が折れてしまう」
声的に冗談に聞こえないんだってば!
「言っていい冗談とダメな冗談ってものがあるでしょう。それで、その魔工芸とは具体的にどういう物なんですか?」
「具体的にって周りにいくらでもあるだろ。基本的に生活に必要な日用品なんかを魔法を駆使してより機能的かつ便利な物を開発するのが魔工芸術師の仕事だよ。とはいっても、俺の場合は魔技術向上のために役に立たないようなものも沢山作ってるけどね。でもそれじゃ資金が尽きてしまうから、こうやってボートで見てまわる展示場を経営してるわけだ」
「なるほど。まぁ確かに海竜なんてどう考えても使い道ないですよね。というか、あれって攻撃魔法にならないんですか?」
「あれは今度お得意様の町にできる公園に置く噴水だよ。さっきは演出で前方に水を吐かせたけど、本来は上に吐き出すのさ。あと海竜といっても、ここの展示場は海じゃなくて湖だけどね」
「ふ、噴水ですか……」
なんというドラゴンの無駄使い。私はもし子供を産んだとしても、そんな危険な公園では絶対に遊ばせない。
でも何となく理解はできた。魔工芸っていうのは見た目こそ奇怪なものの、用途的には私の世界で使われている家具や電化製品と変わらないようだ。目的は一緒だけど、方法と結果が異なっているってだけなんだ。
そう考えると魔工芸も科学もそんなに変わらない気がしてきた。ふふん、魔法も大した事ないわね。
「そういえば、君は俺と普通に会話できてる事に違和感を感じてないのかい? 違う世界の住人が普通に言葉が通じているんだよ」
「あ、普通に喋ってたけど、よく考えたらおかしいですよね」
「実はこれも魔法のおかげなんだよ。この世界では定期的に空気に溶け込む魔粒子が散布されていて、それが人の発する声からその人の意思を読みとって他者に理解できるように変換して伝えてくれるんだ」
「え、つまり勝手に翻訳してくれるって事ですか?」
「そういう事。言葉そのものではなく、言葉に込められたニュアンスや想いなんかを伝えるってイメージだね。最近の研究でかなり精度が上がっているから、言った事がほぼそのまま通じると思ってくれていいよ。まぁ逆にいえば感情を殺して抑揚のない完璧な棒読みにすれば伝わらないってことだけどね」
「へぇ、それはなかなかすごいですね。まぁ私の世界にも似たような翻訳器がありますけどね」
……強がりはやめなさい、結衣。私、いえ私達は負けたのよ。完全敗北よ。
ドゥリームランドでは海外のお客様も沢山来るので万が一のために翻訳機を携帯していたけど、それがあればスムーズに会話できるなんてお世辞にもいえるような出来ではなく、日本人が理解できないような独創的でエキサイティングな日本語で返ってくる場合の方が多い。なので、ジェスチャーでもした方が迅速にこちらの意図が伝えられるのが現状だった。
くそぅ、なぜ我が世界の人類は魔法よりも科学を選んでしまったのか。
「どうした、急にテーブルに顔をこすりつけて。やはり気分が悪いのか?」
「いえ何でもないです。大丈夫ですのでちょっと放っておいてください」
私が搾りカスのような弱々しい虚勢を張ると、ジュニアは「そうか」と呟いて牛の方に歩いていき、頭をナデナデし、背中にまたがり頬ずりをし、挙げ句の果てにはブラッシングをやり始めた。
そりゃ放っておいてとは言ったけど、ちょっと自由すぎやしませんか。




