2.ギャップ萌えない
「本日は皆様ご乗船ありがとうございました。お忘れ物のないようにご注意ください。またのご来場、お待ちしております」
──はぁ、まったく最後にとんでもないものをぶち込んでくれたもんだ。
うう、まだ心臓がバクバクしてるよ。
ボートは海竜に襲撃されながらも船着き場に到着した。
目の前には木造の大きな洋館が建っていて、乗客がその中へ次々と入っていくのが見えた。
「あーあー、てすてす、本日は晴天なり」
良かった、私の口に自由が戻ってきた。
一体何がどうなってるっているの……だめだ、一人で考えても答えなんて出せるはずがない。ここは勇気を出して誰かに聞いてみるしかなさそうだ。
そうと決まれば、とにかくここから降りましょう。
「……あれ、下に降りる階段どこ?」
私の勇気は早くもヒビが入りそうだった。
周囲をいくら見渡しても階段やハシゴといった設備が一切見当たらない。
あきらめるな私、見たところ陸地との高低差はそれほどでもなさそう……飛べる!
「アイキャン、フライ!」
飛んだ!
八代結衣選手、大空に羽ばたいた──わけもなく、私はすぐさま急落下。
うまく足の裏から着地できたと思ったが、思いのほか衝撃が強くて、私は体を支えきれずにドシンと尻餅をついてしまった。
「うう、足がじんじんするよぉ…………え?」
足をいたわっていると、不意に視界に一つの手が割って入ってきた。
驚きながらふっと顔を上げてみると──お、王子様キター!
……落ち着け、メルヘンチックに毒されすぎよ。
でも王子様といっても過言じゃないぐらいの爽やか系イケメンが目の前にいて、こちらに手を差し伸べているのは事実だ。ハーフっぽい顔で金髪碧眼っていうのがいかにもって感じ。黒いコートってのがちょっとそれっぽくなくて残念だけどね。
私は王子(仮)の好意を素直に受け取って差し伸べられた手をそっと握ると、彼は優しく引っ張り起こしてくれた。やばい、私たぶん顔がすごい赤くなってる気がする。
と、とにかくお礼を言わなくちゃ。
「あ、あの、ありがとうございます」
「いや、礼を言うべきはこっちの方だよ。すまないな、勝手にアンタの口を貸してもらったよ。慣れない経験で疲れたみたいだね。顔が真っ赤だ」
…………え?
「んん、どうした。殺人鬼にでも遭遇したかのような顔をしているよ」
せ……正解! ザッツライト!
殺人鬼は言いすぎにしても、それぐらいのインパクトはある。私が首謀者だ的な発言をしてたような気もするけど、そんな事はこの際どうでもいいの。
何で、何でなの? こんなに爽やかでカッコイイのに……何で声がドスのきいたヤクザ声なのよ!
王子というより若頭よ、坊ちゃんよ。
あ、でも服装と外人っぽい顔立ちからしてどっちかっていうとマフィアかな。ええっと、マフィアの若頭って何て呼ぶんだっけ……。
「おい、何か心の中でものすごく失礼な事を考えてないか?」
「め、めっそうもございません。ジュニア様!」
あ、やばい。考えてたら声に出ちゃった。
「誰がジュニア様だ。俺の名前はイグルー・レイハーグランドだ。君は?」
「わ、私は八代結衣……ユイ・ヤシロです」
「ふーん、珍しい名前だな……やはりそういう事か」
どういう事よ。
そりゃ外人さんからすれば日本人の名前なんて珍しいでしょうけど、そんな値踏みでもするかのようにジロジロ見なくても……待てよ、もしかしたら本当に値踏みをされているのかもしれない。
私……売られる!?
「ところで君は自分が置かれている状況が把握できているのか?」
「はい、わかってます……」
もちろん少し前までは何一つ理解できてなかったけど、今全ての謎が解けた。
私はマフィアに人身売買目的で誘拐されたんだ。
さっきボートから見えた不思議な物体の数々は、全てマフィアが開発した驚異の新兵器で、メルヘンチックな見た目をしているのは密輸する時に兵器だとバレないためのカモフラージュなのだ。
そしてボートに乗っていたのは全てそれを買いに来たお客さんだ。その中に奴隷を欲しがっている人がいるから、ついでに私も売りさばいちゃおうって魂胆に違いない……。
どうしよう、私これから一生奴隷生活なのかな。もしかしたら夜のご奉仕も……冗談じゃないわよ、私は絶対生きて返ってナビゲーターデビューするんだ。
「ふむ、それなら話は早いな。ではこれから君をどうするかだが……」
「私はドジでマヌケで家事なんてしたら火事起こしちゃうし、胸も小さいし男勝りで女性の魅力なんて皆無な上にまだ、その……未経験だし……絶対に売れませんよ。だからもう帰らせてください!」
八代結衣、お肌ツルツルの19歳、助かるためなら自虐もバージン暴露も何のその。でも涙が出そう、女の子だもん。
「待て待て、何だそのネガティブな自己紹介は。売るとか意味がわからんぞ。君は本当にここがどこかわかっているのか?」
「うーん……マフィアといえばやっぱりイタリア?」
「全然違う。ここはディプリアン大陸のシージナイジ王国の端の方だ」
は? どこですかそれは?
大きく首を振りながら至って真面目な表情で、全く聞き覚えのない国名を言われた。
ディプリアンなんていう大陸あったっけ。ええと、オーストラリア大陸に、アフリカ大陸にユーラシア大陸に……。
「はぁ、やっぱりわかっていないようだな。いくら考えても君のいた世界にはこの大陸も国も存在しないよ」
「は? それはどういう意味ですか?」
私が質問をすると、ジュニアは頭を抱えて溜息をつきながら、
「おいおい、いい加減に理解してくれよ。そのままの意味だよ。ここは君がいた世界とは別の世界。異世界ってやつだ」
とか突拍子もない事を言ってきたので、私は頭を抱えて大きな溜息を返してやった。
「あのねぇ、嘘をつくならもっとマシな嘘をつきなさいよ。どうしても異世界だというならその証拠を見せてください」
「証拠ならさっき嫌という程見てきただろう。君の世界にこんなに多種多様な魔法技術が存在するのか?」
ジュニアは先程ボードで進んできた道を自信満々そうに指さした。
そちらを見てみると、ちょうど海竜が水面に潜っていくのが見えた。更にその奥を見ると、積み上がったニワトリの卵がちょっとした山を築いていた。
「ばかばかしい、何が魔法ですか。そんなものがこの世に存在するはずがないじゃないですか」
「そうだな、君の世界では魔法なんてものは実在しない。よかった、ここが異世界だってことが証明できたな」
うぐぐぐ……私はそれ以上反論する事ができなかった。
だって冷静に考えてみたら、あの不思議な現象の数々はマフィアの新兵器よりも魔法の力っていう方が説得力があるもの。そもそもマフィアがいちいちドゥリームランドに侵入してまで私を誘拐する理由なんてないわけだし……。
「だからといって、異世界の人が私を誘拐する理由もないですよね!?」
「落ち着け、情緒不安定なのか君は。言っておくけど別に誘拐したわけじゃないからな。君がここに来てしまったのは事故だ」
「はぁ、事故ね……」
うはぁ、これはまたありがちでつまらない理由なことで。まだ何千人の中から抽選で決まったとかのほうが夢があるよ。
「ものすごい不満そうな顔をしているところ悪いが事実なんだ。君がここに来た時、宙に浮く光るカボチャがあっただろ」
「はい、あの綺麗なやつですよね」
「そうだ。あのカボチャの一つに雷光の粉の分量を間違えたのが混ざっていてね。それで魔力を送って点灯させた瞬間、急に強力な雷を放ったんだ。あの時は本当に焦ったよ」
ジュニアは熱弁しながら大袈裟なジェスチャーでその強力さを表現した。焦ったというわりにはすごい喜んでいるように見えるんですけど。
「実は元々あのボートにはアメシアっていうナビゲーターが乗っていてね。その雷の力でボートの上空に次元の狭間が開いてしまい、彼女はそれに吸い込まれて姿を消した。その直後、代わりに狭間から君が現れたというわけさ。まさか雷光の粉にあんな力があるとは思わなかったよ。また一つ賢くなった」
なるほど。眠たくなるから説明ちゃんと聞いてなかったけど、粉の分量についてやけにしつこく注意してたのは覚えてる。つまり、あれはとれたてホヤホヤの体験談だったわけだ。
……って、ばかぁ!
「貴方のせいで二人の女性の人生が狂ってしまったんですよ。賢くなってる場合かっ!」
「近い近い、離れろ!」
ひぃぃぃぃぃぃ!
見た目は優しそうな爽やかイケメンだから調子に乗ってぐいぐい攻めてみたところに、超至近距離でドス声を浴びせられた。私は、思わず3メートルぐらい後ずさった。
うぅ、怒らせちゃったかな。
「あの……その……えっと……殺さないでください」
「殺すか! ああもう、君と喋ってると調子が狂うな。大体アメシアはともかく、君がここに来た原因はそっちにもあるはずだ」
何それ、責任転嫁ですか。
頭をかきむしってすごい不機嫌そうで怖いけど、さすがにそれはひどいと思う。
「そんなの言いがかりです。私はただボートに乗っていただけです」
「いいや、あるはずだ。俺は入り口を作っただけで出口はそちらからしか開けないはずだ。よく思い出してみろ、絶対何かおかしな出来事があったはずだ」
そんな事言われてもないものは無い……ちょっと待てよ、そういえばあの時のあれって──
「あのぅ、例えば雷が降ってきたとかでも狭間ができちゃったりは……」
「雷? ああ、十分にありえるだろうな。こちらで狭間が開いた原因も自然現象ではないにしろ雷だからね」
ああ、確定しちゃったみたい。
ドゥリームクルーズの出航が決まって、ボートが船倉庫の門をくぐった瞬間に飛び込んできた強烈な光。あれはきっと落雷だと思う。あの時、上空は雷雲に覆われていたし、他にあれほどの光を放つものに心当たりはない。
「どうやら原因がわかったようだな。これでやっと本題に移れる」
「本題……?」
「そんなに気構えないでくれよ。とりあえず自己紹介でもしようじゃないか。君はどうやら俺に良くないイメージを持ってるいるようだしね」
「ソ、ソンナコトナイデスヨ」
「白々しいにも程がある。とにかく今日はもう船は出さないし、立ち話もなんだから中に入ろう」
ジュニアは呆れた様子で洋館の方へと向かっていく。
何故この男は人が一人消えて、代わりに異世界人がやってきたというのにこうも冷静なのか。正直かなり怪しい上に現実感が無さすぎて頭の中がふわふわしてるよ……。
でも異世界説が濃厚な現時点では、彼を信じて付いていくしか道は無い。
落ち着け、深呼吸だ、深呼吸。
私は背後から殴って逃げ出したい想いを必死で抑えつつ、すごすごと後に付いていった。