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12.八代結衣の野望─異世界編─

 顎を抑えて悶えているジュニアに、私は左手で頭をさすりながら右手をそっと差し伸べる。


「ご、ごめんなさい。大丈夫ですか?」

「いたたた……手伝うのはいいけど、魔工芸はとても繊細なんだ。君のそういう荒っぽいところは直してもらわないと困るな」

「わ、わかってますよぉ……」


 私は苦笑いを浮かべながらジュニアを引っ張り起こした。

 うん、やっぱり言葉の厳しさと声の怖さ以外はすごく優しい人だと思う。できるイケメン上司って感じよね。よし、そろそろ心の中でもイグルーさんって呼ぼうかな。あ、イグルー船長の方がいいかも。


「じゃあとりあえず、今日の午後から声を貸してもらうよ。手伝いのほうは追々話合っていこう」

「ラジャー! 私の声でよければいくらでもお使いください!」


 イグルー船長に敬礼!


「ははは、そりゃどうも。まぁどちらにしろ、君は俺に声を貸すのを拒否する権利は無かったんだけどね」

「はい? 権利が無いとは一体……」

「設計図1ページ目の右下の数字見なかったの?」


 数字? あ、そういえば重要だから絶対に見ておいてとか言ってた気がする。船着き場の隅に置いておいた設計図の1ページ目を見てみると、右下に見たことない記号の羅列があった。ふむ、この記号がこの世界の数字なわけね。この数値が一体……ん、よく見るとその数値の上に横線が引いてあって、その上にはいくつもの数値がずらっと縦に並んでいる。その数値達の左横にそれぞれ文字が書かれているけど全く読めない。

 待てよ、この形式ってどこかで見たような……。


「あ、これってもしかしてレシート……じゃなくて請求書?」

「正解。それは請求書だよ」


 きゃっほー、結衣ちゃんってば頭良い!

 ……いやいや、喜んでる場合じゃないから。


「ちょっと待ってくださいよ。私、イグルーさんから請求されるような事してませんけど」

「ん、したじゃないか。あれだよ、あれ」


 指の先を辿ると……あれってさっきまで私が乗ってたボートじゃない。あ、嫌な予感がする。というよりイグルー船長が嫌な笑みを浮かべている。


「人にボートを造らせておいて、まさか金を払わないなんて言わないよね?」

「ま、待ってください! 造らせたって言っても、ちょっと改造しただけでしょ!?」

「いやいや、誰も改造なんて言ってないだろ。俺は要望通りに一から造らせてもらったよ。これを見せたときに伝えたはずだがね」


 あー……そういえば言ってた気がするけど、完全に聞き流してたわ。この請求書の合計金額、7桁もあるんですけど、一体おいくらなのかしら……。


「あの、これ大体いくらなんですかね?」

「んー、最高級の木材を使用しているから高いよ。君がここで働いたとして……給料1年分ぐらい?」

「い、一年分!? 私に一年間タダ働きしろっていうの!?」

「そうなるね。さすがに可哀想だと思うから、ナビゲーターになるチャンスをあげるのだよ。感謝してくれたまえ。」


 くぅぅ、偉そうに人を見下しおってぇ……。こんなのひどすぎるよ。詐欺だ、悪徳商法だ。


「何だい、人を詐欺師でも見るかのような目で睨んで。まぁ、そう思われても結構さ。俺はどうしても君が欲しかったんだ」

「……え!?」


 こ、告白された!? ジュニアが私の体を欲してる!?

 と、突然すぎるでしょ、何なのよ、やめてよ、胸がドキドキ……じゃなくてキドキドしちゃう。あ、違う、やっぱりドキドキ……いやキドキドだっけ……あーもう、どっちでもいいわよ!


「実は声を借りる魔法は悪用防止のために条件が色々厳しくて誰にでもかけれるわけじゃないんだ。でも異世界から来た君にならかけ放題でね。アメシアがいなくなった今、俺は君にいなくなられたら困るんだよ」

「…………あそう」


 あー効いた。今日一番効ききました。私はナビゲーターであるまえに一人の未経験な女なの。そんな乙女の純情な気持ちをもて遊ぶなんて最低だ。やっぱりこんなやつ最低よ、クズよ。


「アンタなんてやっぱりジュニアよ!」

「ジュニア? まぁ、年増の君からみたら俺なんてジュニアだろうね」

「ま、また年増って言ったな! もうアンタなんて心の中だけじゃなくて外でもジュニアって呼んでやるんだから!」

「ふーん、いいよ別にそれで。じゃあこれからよろしくね、年増」

「よろしくね、ジュ・ニ・ア・さ・ん!」


 憎悪100%の握手を交わし、こうして私は異世界の地で、従業員が船長をジュニアと呼び、船長が従業員を年増と呼ぶ、史上類を見ない劣悪な職場へと就職しましたとさ……めでたくない、めでたくない。


「じゃあ早速昼から声を貸してもらうからそのつもりでね」

「へーい……あ、そういえば一つだけ聞きたいのですけど」

「ん? なんだい?」

「ここの展示場の名前って何て言うのでしょうか?」

「名前? いや別に特に名前とかはないなぁ」

「え、それじゃ何て呼べばいいかわからないじゃないですか。名前ぐらい付けましょうよ」


 まさか名前がないとはさすがに予想外だった。宣伝とかする時困るじゃない。

 でも逆にいえば、つまらない説明をする上に宣伝もちゃんとしてない状態で客が来てるってことだ。実はこの人かなりの有名人なのかもしれない。


「まぁたしかに名前ぐらいあった方がいいかもしれないけど、いきなり言われても思いつかないよ」

「そりゃそうですよねぇ……うーん、魔工芸を展示しているわけだから……あ!」


 ぴこぴこぴーん、閃いた! ふふふふふ……。


「はい、私良い名前思いついちゃいました! 言っていいですか!?」

「テ、テンション高いなぁ……どうぞ」

「では僭越ながら…………マジックルーズ」

「マジックルーズ? 何それどういう意味? 何かちゃんと翻訳されなかったみたいなんだけど」


 よっしゃ、言葉の意味が通じてない。

 これは私がわざと仕組んだ事だ。言葉は込められた意思やニュアンスによって翻訳して伝えられる。だから私は感情を殺して抑揚のない完璧な棒読みで口にだしたのだ。


「ええっと、私の世界で魔法とクルーズという言葉を合体させた造語ですよ。勝手に造った言葉だから伝わらなかったんですよ、きっと」

「うーん……本当に? やけに棒読みだったのがすごく気になるんだけど……」

「や、やだなぁ、気のせいですってー」


 あはははは、あははのはー。笑ってごまかす、笑ってごまかす。


「……まぁいいや、検討しとくよ。君が再チャレンジする時までには考えておく」

「了解ですっ!」


 よし、何とかごまかせた。

 ジュニアは腑に落ちないといった表情を浮かべながらも、それ以上追求せずに洋館へと去っていった。ふふふふ、言わずもがなこのマジックルーズという名前は別の意味があるのだ。


 答えは簡単、そのまんま。魔法 (マジック)敗れる(ルーズ)という意味だ。

 別に実際、ジュニアの魔工芸と真っ向勝負を挑んで敗北させるという事ではない。私のナビによって魔工芸の魅力を限界以上に引き出せたら向こうの負けという一方的なルールのもと、勝手に行われる自己満足な勝負。それに私は見事に勝利してみせるという意気込みが、このマジックルーズという名前には込められている。


 今回は私の惨敗だったけど、次はこうはいかない。もうこうなったら元の世界に戻る方法を探すなんて二の次よ。必ず魔工芸をキラキラさせて、ジュニアをギャフンと言わせてやるんだからっ!


「おーい、いつまでそこにいるんだ。昼の出航までにご飯食べないかー?」

「あ、はーい。今行きますー」


 ふふふ、悠長にご飯なんて食べていられるのは今の内なんだから。すでに八代結衣の野望─異世界編─のスタートボタンを押されているのよ。覚悟なさい!


 というわけで、私の本格的な異世界奮闘記はこうして幕を開けたのだった。

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