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  作者: 寿
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二日目

 翌朝、新聞を取りに鈴彦が玄関のポストを開けようとした時だ。インターホンが鳴った。宅配便か何かだと思ったが、違うらしい。その証拠に、扉の向こうには顔の青い女性が立っていた。

「あの、うちの主人、見ませんでしたか?」

 少々小じわの見える背が低い女性は、確か、このアパートに住む三島さん。鈴彦のお隣さんだ。その三島さんは病人のように顔を青くしている。そのまま倒れてしまいそうだ。先ほどの言葉からするに、夫が行方不明なのだろう。

「昨日仕事に行ったきり、戻ってきてなくて……」

「落ち着いて下さい。もしかしたらどこかの店で酔い潰れているだけかもしれません。心当たりは?」

「主人はお酒なんて飲みません! この何十年間、朝まで帰ってこないなんて無かったんですよ!?」

「お、落ち着いて下さい……」

 図らずとも柳眉を逆立たせてさせてしまうあたりが、なんとも不器用な鈴彦らしい。そんな鈴彦はきっと、父親や兄が向いていないだろうな。

 混乱状態の三島夫人と器用でない鈴彦はご近所を騒がして十分ぐらい長ったらしく話し(その内容は全然進展しなかったが)結局警察に捜索願を出すことに話は落ち着き、近所の人も、手伝える人は総出で三島さんを探すことになった。

 余談だが、駐在さんの方が鈴彦よりよっぽど役に立った。

 未だ混乱している三島さんを駐在さんに任せ、真と鈴彦も三島さんの捜索を手伝うために町に繰り出した。こちらの人捜しは、どうせ見つからないだろうとやはり投げやりになっていたので、三島さん捜索を手伝うのに二人共何の気兼ねもなかった。

 とは言っても、捜そうにもどこを捜せばいいのかわからない。真は三島さんの行きそうな場所どころか、顔や声さえも知らないのだ。知っているのは苗字ぐらいで、そんな真が三島さんを捜そうとすれば、町中を虱潰しに捜す事しかできない。そもそも顔を知らないのに、街ですれ違ってもわからないんじゃないか、自分としたことがとんだ失態だ。写真ぐらい見てくれば良かった。

「鈴彦とも別れちゃったからなぁ」

 誰かに連絡を取ろうにも、真はこの地域の住民じゃないので、鈴彦ぐらいしか頼れない。その鈴彦とも別行動をとってしまった。ケータイにかけようか、と思ったが、真は今時の中学生らしからぬことに、ケータイなんて持っていない。公衆電話を使おうにも、お金を持っていない。

 どうして今更になって気づいてしまうんだろう。人捜しをするにあたって、相手の特徴や顔を知っていることなんて大前提じゃないか。三島さんを捜さねばならないという使命感ばかり先走って、直情径行した結果か。鈴彦も、その辺りを察してやれるほどの気遣いはないのか。いや、ないな。あいつに限ってそんな気遣いができるわけがない。

 自分の失態を友人のせいにしても仕方ないか。自分でも気づかなかったんだから。そう潔く認めると、来た道を戻ろうと足を反対に向けた。

 向けた……のだが。

 周囲の様子に気づいて、足を止めた。道行く人がざわついている。無論、夏休みの商店街にいつもあるような明るいざわつきではない。声を潜めた、剣呑な雰囲気ばかりが漂うざわつきだ。何事かと辺りを観察すると、皆、鼻を鳴らすか鼻をつまむかのどちらか、或いはその両方をして、表情を曲げていた。

 ―――生臭い。

 今の今まで気づかなかったが、商店街は異様な臭いが蔓延していた。新鮮さを失った魚が出すような臭いに、思わず息を止めた。

 どうやら外からの臭いのようだ。風に運ばれてきたのだろう、ということは、風上に行けばこの臭いの原因にお目にかかれるというわけか。

 真は迷った。長時間吸えば気分が悪くなりそうなこの臭いの元に行くか、保身のために遠くに離れるか。結果から言ってしまえば、野次馬根性の方が勝ったわけだが、臭いの根源に辿りついた時に真は激しく後悔した。

 川幅何メートルあろうかという大きな川の脇に、大量の魚が打ち上げられていたのだ。川魚特有の生臭さが一層激しくなり、真はそこに5分といれなかった。

 ぞっとする。その川一帯に住んでいた魚の全てが打ち上げられたんじゃないだろうかってぐらい多くの魚が、まるで痙攣しているように力なく跳ね、やがて動かなくなった。目をむき出しにして口を開け、絶望の表情で死に絶えて、しばらく魚料理が食べられないだろうというくらいには、刺激が強い光景だった。

 昨日の首吊り死体といい、今日の魚の大量死といい、二日連続であまり良くないものを見てしまったせいで、かなり疲れた気がする。今日は帰ろう。

 だが、思わず早くなる足を制する声があった。

「そこのおねえちゃん」

 子供だった。ぷくぷくした頬、丸裸な膝小僧、小さな背、無邪気な笑顔、子供らしい子供だった。袖のない赤い服を着ている。

 男なのか女なのかもいまいちわからないその子供は、両手を広げて、「おんぶ」とねだった。

 初対面の人間におんぶをねだるなんて根性のある奴だ。今のご時世でそんなことしたら危ないというのをわかってないらしい。保護者はどうしたんだ、と辺りを見回すが、それらしき人物は見当たらなかった。

「おんぶ、して」

「ごめんね」

「どうして?」

 どうして、どうして。と、おんぶをしない理由を子供はしつこく尋ねた。真はこの子供を無視するか、ワガママに付き合うか悩んだが、考えているうちにも子供は「どうして」と問いかけてくるので、仕方なくしゃがんだ。

 すると子供は大喜びで背中に抱きつき、首に手をまわす。立ち上がった真の肩を叩きもした。よほど嬉しかったのか、鼻歌まで歌っている。

 どこへ行きたいか尋ねると、子供は小さな指で方向を指し示した。

「おねえちゃん、優しいね。他の人は誰も背負ってくれなかったんだよ」

「普通は背負わないんだ。私の方が特別。もう誰も他人の子を背負ってはくれないよ」

 そう言うと、子供はしゅんとうなだれた。可哀想だと思ったが、現実は教えてあげないといけない。この子に危険が及ばない保証もないし。

 にしても、この子はどこから来たんだろう。私をどこに連れて行く気だろうか。

「あの山の向こうだよ」

「山を越えるのか。山道を歩くのは大変だから、回り道をしよう」

「あ、でも、山以外から行く道知らないの……」

 ああ、それは困った。どうやら私はこの子を背負ったまま山道を歩かないといけないらしい。子供はまた、私の肩をトントンと叩いた。

「それは大変だ。重労働だ。私の好きな稲荷寿司をお代としてもらわねば」

「稲荷寿司!?」

 子供は大層驚いた表情のままかたまった。真はその反応を見て思わず笑みがこぼれそうになったが、ここで笑うまいとおさえた。

「おねえちゃん、お稲荷が好きなの? あんなのが好きなの? おねえさんは狐なの?」

「お稲荷を馬鹿にするのか?」

 ひ、と小さく悲鳴をあげて、子供は足をバタバタと上下させて暴れた。真はついに大きく笑ってしまって、ごめんね、と謝った。

 子供は混乱しながら、暴れながらも、しっかりと真の襟を掴んでいる。背負っていてほしいのかほしくないのかわからない。

「私は狐じゃない。尻尾も耳もないだろう?」

「嘘だ、嘘だ。狐は嘘つきなんだ。狐はお稲荷が好き。お稲荷を好きなのなんて狐ぐらいだ。狐は化けて皆をからかうんだ。悪い奴だ」

「………」

 そんなに狐が嫌いか。

「ごめんね。私は人間だ。からかったんだよ。人間でもからかうんだ」

「狐じゃないのにからかうの?」

「ああ、からかうさ。人間も狐も同じなんだよ。だからもうおんぶをねだっちゃダメだ。」

 疑っている目で、じ、とこちらを見る子供。とりあえず暴れなくなったが、肩を叩くこともしなくなった。

「おりるか?」

「………ううん、いい。お山まで送ってって。」

「わかった」

 悪いことしたな、と罪悪感がわいたが、これが正しいんだと思う。元々、見ず知らずの他人におんぶをねだる方がおかしいのだ。

 足が疲れてきた頃にやっと山の麓についた。だがもう日は傾きかけていて、昼食を食べていない真は屈託の顔をした。だが、これからこの山を登らないといけない。そう考えるだけで、更に疲れてしまう。

「ありがとうおねえちゃん。ここでいいよ……」

 さて山を登ろうかというところで、子供は真の背を降りようとした。

「待って」

 真の声が鋭くなった。子供を降ろすまいと、真は腕に力を入れて子供を抱え直す。山の入り口、住宅街と森との境に、その茂みに、何かいる。誰かが、こちらを見ている。

 背中に背負った子供の震えを感じながら、真はその茂みに目を凝らす。

 何かの目が、一瞬、見えた気がした。

「おねえちゃん、怖いよ……」

「大丈夫。私が見てくるから、ここで待ってて」

 恐怖に怯え背中を降りたがらない子供を、優しく諭すように声をかけながら降ろす。

 躊躇うことなく草をかきわけたが、そこには何も無かったし、誰もいなかった。

 誰もいないのに視線を感じるわけはないのだから、真が藪をかきわける前にどこかに逃げたのだろう。しかし、音をたてずに草むらを逃げるなんてことが、できるのだろうか?

 真が草をかき分けて何もなかったと悟った子供は、すっかり元気を取り戻して、しゃがんで草むらを見つめる真の、その背中に張り付いた。服を掴んで背中をよじ登り、肩ごしに草むらを見ると、パァッと顔を明るくした。

「なんだぁ、蛇さんだったんだね」

「蛇? なんでそんなことがわかるんだ?」

「ほら、蛇さんの足跡があるよ」

 文字通りの蛇足があるわけじゃあるまいし、蛇に足跡なんて勿論あるわけもないのだが、子供が指をさす先は、何かがそこに居たことを表すように、草が倒れていた。長くてうねっているその跡は、確かに、“蛇の足跡”にも見える。

「山から降りてきて、僕らが来たから珍しがって見てただけだよ、きっと」

 蛇さんは目が怖いから、睨まれてると勘違いしちゃったんだね。と言う子供に、そうだね。と相打ちしながら、心の中ではそれを否定していた。

 なぜなら、その“蛇の足跡”は、真が知る蛇の形には合わないからだ。なにせ、大きすぎる。蛇の胴体がこんなに、丸太のように太いわけはないのだが……。

「おねえちゃん。僕、ここで良いよ。一人で帰れる」

「子供が一人で山に入るのは危険だ。それにもうすぐ暗くなる。」

「大丈夫だよ。おじいちゃんが、もうすぐ迎えに来てくれるはずだから」

 少し悲しげな表情をしながら、子供は日が落ちる山に入っていった。きっともう、あの子が誰かにおんぶをねだることはないだろう。夕日の逆光で山の輪郭がくっきりと見え、子供の影は山の影に包まれていた。途中でアスファルトから土に変わる道をトボトボと歩く子供に、声をかけたかったが、おさえた。

 必死におんぶをねだり、背負ってもらった時のあの子の嬉しそうな顔を、もうあの子はしないのだと思うと、罪悪感が湧く。出る船の纜を掴んでも、どうしようもないのに。

 さっさと山から離れてしまいたくて、真は強引に足を引っ張って帰った。

 アパートまで帰ると、人だかりができていて、今度はなんだ……。と溜息をつきそうになったが、それはテレビ局だった。駐車場に停められたバンに貼られたマークは、真には見慣れない京都のテレビ局のものだったはずだ。確か先程、川辺にも同じような車が何台も停まっていたっけ。

 最初はローカルバラエティか何かだろうかと思ったが、アパートを包む剣呑な雰囲気に考えを改めた。

 その日、温厚な人柄で知られた三島さんが亡くなった。


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