一日目
もう日が大分傾いて、太陽の色が変わる。夏らしい雲の輪郭がハッキリとした空が、東の方から枯れていく。
今、待ち合わせ時間の五時半をまわった。すすけた神社は、自分の願いを託すには少々心もとない神社だと誰もが思うだろう。幽霊云々の飛語が生まれそうな程に崩れかかった神社である。人づてに聞いた話では、地元の人にとっても馴染みのあるこの神社は、来月取り壊されることになっているらしい。地元の人に馴染みと言っても、参拝したことがあるという人が果たしてどれぐらいいるのやら。この神社はせいぜい待ち合わせ場所ぐらいにしか使われていないのではないか。そう、今、この時のように。
腕時計の秒針が一周する前に、神社の境内に自分以外の人の影が落ちた。
「いたか」
「いや、全然」
その人物は首を横に振る。
かれこれ五日間捜しているというのに、目的の人物は一向に見つかる気配はない。そして今日もダメだった。捜したところで見つかるまいとわかってはいるのだけれど、それでも、踏めばくぼむと信じては街を歩き、やはり見つからなくて肩を落とす。
「日が完全に落ちる前に帰ろう。」
その人物は、賽銭箱にもたれかかる自分を立つように促す。一旦夕方になれば、夜になるのは早い。相手の指示に従わない理由はなかった。
「五日間も行方知れずなんて、あの人、どこかで死んでるんじゃないか。」
「物騒なこと言うなよ。洒落にもなんないだろ。
大体、あんな器用な人がどうやって死ぬんだよ。あれで用心深い性格なんだから、餓死もしなけりゃ殺されもしないだろ。死ぬとしたら自分から首を吊るぐらいじゃ、」
ぴた、と、動きが止まった。目の端に捉えたソレは、木々の隙間から目の端に捉えるだけでも、思わず呆然と立ち尽くしてしまうぐらいには、充分にインパクトのあるものだった。自分も、相手も、ソレを改めて見てからは、動きもしないし喋りもしない。沈黙を破ったのは私からだった。
「………首、吊ってるね」
どの角度から見ても神社には合わない、男性の首吊り死体がそこにはあった。
これが、後に“黒縄事件”と呼ばれる事件の、その濫觴である。
あの後、すぐに警察を呼んで、寂れた神社の境内は一気に騒がしくなった。
第一発見者として事情聴取された後も、私達はその場にいた。
とっくに空は暗くなって、道の電灯がそれを感知して光っている。首吊りに使われた縄は、そんな夜の空気に溶け込むほどに、黒い。
「黒い縄なんて、趣味悪いな」
同じく第一発見者の男が呟く。
神社、首吊り、黒い縄。何かの暗示なんじゃないかって思うほどに、不吉だ。そして趣味も悪い。
「夕飯は外で食べるか。真」
家に帰って夕飯を作るのが面倒になったのか、私の隣にいる男はそう言った。
「鈴彦の奢りなら良いよ」
私はそう言いかえす。すると鈴彦は不服そうに、
「なんだよ、たまにはお前がご馳走しても良いんじゃねぇの?」
「中学生に奢られるなんて恥ずかしくないのか?」
「蕎麦が食べたい」とたたみかけていると、警官の一人が寄ってきた。事情聴取が終わったのにまだ居座っているのを不審に思ったのかもしれない。こちらは帰るタイミングを逃しただけで、特に他意はないのだが。
「よろしければ、送りましょうか?」
「いえ、歩いて行ける距離なので。ありがとうございます。」
「そうですか、今回の件は多分自殺で片付くと思いますが、もしかしたらまた話を聞くかもしれませんがよろしいですか?」
「にしても、あのタイミングはないよな。あの人かと思って驚いた」
ひっそりとしたアパートのこじんまりとした部屋で、鈴彦は苦笑しながら言った。
「まさか。なんであの人が首吊ったりなんかするんだ。私へのドッキリのためか?」
「京都に呼び出したにも関わらず行方不明になり、お前が不機嫌になったところで首を吊って登場……なかなかあの人らしい演出じゃねぇの?」
「やめてくれ」
頭が痛くなる。
夏休みにわざわざ他県から京都に呼び出され、そのくせ呼び出した張本人はいなくて、ただでさえ不機嫌になっているというのに、そんなことされたらたまったもんじゃない。先の衝撃が強すぎて不機嫌もふっとんでしまったが、それでも死体で再会なんてご免だ。
しかしまあ、何日捜しても見つからないもんだ。私が関西に来たのは、友人の家に厄介になるためでも、宝探しゲームをするためでもないというのに。
不機嫌が直ると同時にどうでもよくなってしまい、服も着替えずにソファに寝転んだ。もう寝るのか、という鈴彦の言葉に返事するのも面倒で狸寝入りをしているうちに本当に眠ってしまった。